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リコがカラプティアに戻ってから数日。
彼女は夜の中庭に出ると東屋のベンチに座りぼうっと月を眺めていた。
真っ白い月はまん丸だ。
喧騒もクゥの鳴き声もなくこんなにゆっくり過ごすのは久しぶりかもしれない。
カイルが帰った後、なんだか気の抜けたようになったリコは、夜はこうしてぼうっとして過ごす時間が増えていた。
自然との調和を重んじるエルフの特性なのか、静かな夜風に吹かれているといつもどこかせわしない心が落ち着く。
思い出したように内ポケットから胡桃の玩具を取り出して開けると、ナッツとレーズンが並んでいる。
自分の失態、ナッツ魔王を思い出すとリコは鼻で笑った。
なんであんなことしたんだろう。
カイルはあれから何か思い出しただろうか。
リシュナークとはどんな人物だったのだろうか。
現世とあまり変わらないのだろうか。それとも全く別人なのだろうか。
あのがさつなカイルが誇り高いイシャスの地で狼を率いる姿を想像してみる。
そう言えば雪原では狼のリーダーを気取っていた。
どこか通ずるものがあったのかもしれないなとこの時思った。
カイルが豪胆に剣を振るう姿には精悍さがある。イシャスの民としてそんなに違和感はないかもしれない。
口を開かなければ。
リシュナークに直接会って話すことは叶わないが、カイルが思い出せば間接的に話せたことになる。
彼の死より数十年前から既に魔王は一人になっていたと言う。
孤独ではなかったのか。たった一人の重圧はなかったのか聞いてみたい。
「リコ様、こちらでしたか」
「イェディル」
「私は明日イシャスに戻ります」
リコが促すと、彼は向かいのベンチに腰を降ろした。
「そうか。サーベルの件は我が儘を言ってすまなかったな」
老狼の獣人はゆっくりかぶりを振ると、「あの短剣」と言った。
「あの男の覚悟もお預かりいたしましたので」
「変なことを聞いても良いか」
「なんでございましょう」
「イェディルが生まれた頃は既に先王はいなかったのだな。もし話せるとしたら、聞いてみたいことはあるか?」
イェディルは口元の髭を撫でるとしばらく考えたようだった。
「そうですな…聞きたいというより、こちらからお伝えしたいですな」
「何を?」
「あなた様が守られた世界は、こうして今もつつがなく続いておりますと」
リコはその話を聞いて初めて気づいた。
自分が尋ねることばかり考えていて、彼が世を去った気持ちなど考えたことがなかった。
「先王がダンジョンに向かった時の話は知っているか?」
「聞いた話ではございますが……ダンジョンに独り向かわれたのは、何かの危機を察知されていたと聞いております。サーベルを置いて行かれたのも、もう戻ることがないと分かっておられたのでしょう。代理人も指名され、死の準備をしているようにしか見えなかった。そう当時の者は言っていたそうです」
「コアの危機か……」
リコの脳裏に唐突にオレンジの光と温かな腕に包まれている光景が浮かんだ。地から響くような声が自分の名を呼んだ気がした。
どうして浮かんだのかわからないし、それがなんなのかもわからない。
だが何か懐かしい感覚と、心の片隅に小さな熱源が出来たような思いがした。
「リコ様、あまり魔王という立場を気負いなさりませぬよう。そう難しい顔をなさらず、笑っておられる方が民も安心しますぞ」
「笑うのは苦手だ。カイルは良く笑っているが、どうしてああも人好きのする笑いをしていられるのか」
「リコ様にはそう見えるのですね」
リコが何か変なことを言ったろうかという顔で見る。
老狼も笑みを浮かべたようだった。




