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「……大人しく寝てろ。寝言は寝てないと言えないんだぞ」


「おきた」


「じゃあ馬に乗れ」


「ねてる」


「なんだよめんどくせぇな」


 どこまで本気なのか分からない戯言を背中で垂れ流したリコは、しばらく無言の後また寝てしまった。

 門番は帰って来た二人の姿を見てぎょっとし、迎え出たエルヴィンは睨むどこではない射殺しそうな目つきでカイルを見た。


「これはどういうことでしょうかなカイル殿」


「魔王様は酔ってうざ絡みをしてらっしゃいます」


「……。もういい、そのまま寝所にお運びしてくれ」


 案内されたリコの寝所は彼女のいつもの装いのようにシンプルな部屋だった。

 ただそんな中にも彼女の素顔を知る手がかりとなりそうなものがある。


 恐らく真層界の様々な種族、集落から集めたであろう民族調の飾りや置物が棚に並んでいた。

 彼女が集めたのか、視察の際にもらったものかは分からないそれらは、埃をかぶることなく綺麗にそこにあった。

 壁には大きな地図があり、ところどころにピンが刺してある。リコの書いただろうメモもそこかしこに貼られていた。

 そしてその下にある低い本棚には何やら厚い背表紙の本がびっしり収められている。

 

 彼女が前の魔王から引き継いだこの世界を必死に保とうとしている形跡があり、カイルはリコを背負ったまま壁のメモをなぞった。


 小さなリコが懸命に守る美しい世界。

 なぜかこの時カイルの脳裏に浮かんだ言葉は「ありがとう」だった。


「リコ様がたった一人の魔王という存在に不安を抱かれているのは知っているだろう」


 後ろから静かにエルヴィンが話しかけた。

 話題の主はまだカイルの背中で寝息を立てている。


「……なまじっか役割を理解してっから辛いんだろうな。俺とは大違いだ」


「リコ様はいつもこの世界に心を砕かれている。些細と思える問題も心に留め、大きくならないように配慮し。前魔王はその辺りの能力が非常に高かったと言う。同じたった一人という立場ながら、実に堂々と、そして飄々と……諍いが起こってもふらっと姿を現わすと、いつの間にか火種が消えていたそうだ」

 

 そして「腹の立つことだが」と前置きしてからカイルの横に立った。


「少しお前に似た雰囲気を感じる。そのふざけた調子はともかく、リコ様もお前のように肩の力を抜いていただけるといいのだが」


「その辺は俺も同感だ」


 エルヴィンは「早く寝かせて差し上げろ」と言うと部屋から出て行った。


 カイルは大人三人は寝られそうな天蓋のある寝台の端に腰掛け、そっと背中のリコを降ろす。

 靴を脱がせてから抱え上げると、落ちないように寝台の中心にもう一度横たえてやった。


 身を離そうとした時、カイルの首にするりと細い腕が絡められた。

 思わず彼女の頭の横に両手を着くと、寝ていたはずのリコの目がうっすら開き、銀と青が混ざった瞳が至近距離のカイルを捉えた。


「なんだ誘ってるのか?」


「お前は勇者だろう」


 リコは背中での会話を本気にしているらしかった。

 何が彼女をそこまで思い詰めさせてしまうのか。

 どうして自分にはそれを拭い去ってやることができないのかと、カイルは心の中で自分を責めた。


 酔いに流されたリコの表情は危うい。

 未だ肌の赤みは引かず、眠い目は蕩けているようにも見える。

 真層界に戻り血色の戻った唇が「カイル」と動いた。


「口説くならシラフの時に出直してくれ。俺もその時は姿勢正して聞いてやる」


「どうして私は独りなんだ」


「独りじゃない。俺のここにはリコがいる。リコのここに俺はいないのか?」


 カイルが自分の胸を叩いたあと、リコの胸元を指先でつついた。

 リコでも理由のわからない涙が一筋、こめかみを滑り落ち広がった髪に落ちた。

 確かにそこにカイルはいるかもしれない。

 でもふとした瞬間に見せるカイルの眼差しは優しすぎて、感情の不器用なリコにはどうやって受け止めたらいいのか分からなかった。

 それがカイルとリコの心の隙間を少しだけ開けてしまい、孤独感を残すことになってしまっていた。

 何も考えず、埋められるままに任せていたらどれだけ楽だったろう。

 

 カイルは涙を親指で拭ってやると、絡まったままの腕を解いて彼女の髪を優しく何度も撫でた。


「俺とそんなことしても生まれてくるのはただの可愛いハーフエルフだろ? もう何も考えるな。ゆっくり寝ろ」


 カイルを見ていた濡れた瞳がすっと閉じられた。

 再び聞こえて来る規則正しい寝息。

 催眠の魔法をかけたカイルはゆっくりリコの髪と頬を撫でると身を離し、溜息を一つついてから静かに寝所を出た。


 扉の外には少々難しい顔で待っているエルヴィンがいた。

 中の様子を耳をそばだてて聞いていたのだろう。


「リコ様は」


「駄々っ子してるから魔法で眠らせたよ」


「……何もしていないだろうな」


「お前さんは心が迷子の女に手ぇ出すか?」


 エルヴィンは一歩退き主の一番の理解者であるかもしれない男に道を譲った。

 さっきまで主を背負っていた背中は、今は虚しき気配を乗せていた。

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