グリコ、チョコレイト、パイナップル
「じゃんけん ほい!」
「グーリーコ」
「じゃんけん ほい!」
「チ、ョ、コ、レ、イ、ト」
「じゃんけん ほい!」
「パ、イ、ナ、ッ、プ、ル」
⁂ ⁂ ⁂
「これ、適当にまとめといて!」
パソコンに向かっていると、背後から声がした。
頭に響く、きんきんした声。上司の柘植さんだ。私より五つ年上のアラフォー。独身女性。独身なのは、私も同じだ。
私は柘植さんが非常に苦手だ。つっけんどんで愛想がない。だから、仕事の相談や報告もしづらい。
地雷がどこにあるのか定かでない故に、私はしょっちゅう彼女の地雷を踏んでしまう。
「あ、はい」
と資料を受け取ったものの、彼女のいう〝適当〟は、どれくらい適当でいいのだろう……と悩む。
昨日の会議の議事録だった。会議に出席できなかった社員に回覧するのために、決定事項や連絡を書き出して、まとめる作業をしなくてはならない。
こういった細々した仕事を、柘植さんは私に振ってくる。とはいえ上司なので、私より抱えている仕事も多いだろうし、責任も重いだろう。
そう思って私は振られた仕事を引き受ける。
昨日の会議で書記だった拓殖さんの記録を見る。
ミミズがはったような文字で、判読不明の箇所がある。まるで、昔の武士が誰かしらに宛てて書いた手紙みたいだ。
今日中に回覧した方がいいだろうから、午前中には仕上げて午後一で柘植さんに見てもらうべきだろう。
そう考えると頭痛がした。
⁂ ⁂ ⁂
私の柘植さんに対する苦手意識は増幅していき、今では彼女の席に向かうのさえビビっている。話かけたら怒られるのではないか、適当にあしらわれるのではないかと。
だから、ちょっとした報告、連絡、相談をするのでさえ後回しにしてしまう。その結果「どうして早い段階で報告してくれなかったの!」と怒られる羽目になる。悪循環だ。
午前中に何とか回覧用の議事録をまとめた。今からそれを柘植さんの席まで持って行く。OKが出たらコピーをし、それぞれの部署に回し、原本はファイリングする。
たったそれだけのことなのに、私は十分程、自分の席から立ったり座ったりを繰り返している。このままでは本来の自分の仕事が終わらない。
えぇぃっ! と私は勢いよく立ち上がった。キャスター付きの椅子が数十センチ後ろに動く。
「じゃんけん ほい!」
「グーリーコ」
「じゃんけん ほい!」
「チ、ョ、コ、レ、イ、ト」
「じゃんけん ほい!」
「パ、イ、ナ、ッ、プ、ル」
私は心の中で、ひとりグリコを始めた。「グーリーコ」と小さく呟き三歩進む。「チ、ョ、コ、レ、イ、ト」で六歩進む。「パ、イ、ナ、ッ、プ、ル」で、また六歩。
柘植さんの席まで後、「グーリーコ」の三歩だ。
しかし、心の中ではパーとチョキを出し「チ、ョ、コ、レ、イ、ト」になった。ちょっと行きすぎてしまう。慌てて次にグーとパーを出し「パ、イ、ナ、ッ、プ、ル」で元に戻る。
⁂ ⁂ ⁂
「ちょっと! さっきから何やってんの。目の前ウロウロしないで!」
グリコの歩数が合わず、私は柘植さんの席の前を行ったり来たりしていた。
結局、怒られた。でも、一人グリコをしている時は、無心だった。怒られるかもという恐怖を忘れていた。また怒られるかもしれないけれど、柘植さんの席に行く時は、グリコで行くようにしようと決めた。
読んでいただき、ありがとうございました。