第2章 てんやわんやのワークショップ。その中、歩は少年と出会う 4
「あのガキ、ほんと生意気! 悪態ついてきて! マジクソXXX」
後から瑠美はそう言って怒っていた。いじめっ子グループから距離を置くために少年に声を掛けたのだが、その少年が瑠美に対し気に障ることを言い散らかしたらしい。
「は? 何?」
「お姉ちゃんたち美術部? ほんとに絵うまいの?」
「ずっと質問ばっかしてきて、何にも描かないじゃん」
「お姉ちゃん顔怖いよ。もしかしてだけど……反社とかじゃないよね?」
その結果、「次には手が出てしまう……」と瑠美がもう手に負えないと判断し、歩の所に連行して隔離したとのことだった。
連行してきた後、瑠美は「面倒見ておいて」とあの能面のような笑顔で言い残し、少年を歩の隣に置いてホールへと戻って行った。いじめられっ子を特別扱いするのは目立つためあんまり良くないとは思うが、そんなこと言っていられないぐらい、この少年が生意気だったのだろう。
少年はパイプ椅子の上に座り、スマホの画面を仏頂面でじっと見ている。瑠美に無理やり連行されたのがそんなに嫌だったのだろうか、こちらもご機嫌斜めだ。
さて、どうしたものか。
「君、名前は?」
「……」
「何年生?」
「……」
「どこの小学校?」
「……」
何を聞いても、少年は仏頂面で黙秘を続ける。瑠美が怒る気持ちも少しは分かる気がした。スマホの画面を見つめたままこちらの呼びかけに全く反応しない。何とかこっちが良好な関係を築こうと思っているのに、それに少しも応えてくれない。
こんな拗ねた状態じゃ、もうどうにもならないな、と切り替えた歩は、少年を放置して持ってきていた古文の参考書を開き、勉強をし始めた。期末テスト対策だ。少年に話す気が無いのであれば、別のやるべきことに時間を使った方がよっぽど有意義だと思った。
十五時ごろ。午後の部は途中から退出自由となるため、小学生たちもパラパラと帰る子が出てきた。
歩は一息つこうと体を伸ばしながら、少年の様子を見る。少年は、体を前後にゆすり、何か落ち着かない様子でホールの子供たちの方をちらちらと見ていた。絵本が進み、帰り始める子たちを見て様子が気になり始めたのだろう。
何かトラブルが起きて感情的な態度をとってしまうと、今の少年の様に他の子との間に距離が生まれる。歩も小学生の時に何度かあった。先生に他の場所に保護されて、最初はあの居心地の悪い場所から抜け出せた、という安心感が心の大半を占めるのだが、時間が経つと冷静になり、隔離されてしまっている自分が情けなくなってしまう。その間にも他の人たちは授業を受けていて、友達と会話をして、コミュニティを作りながら進み続ける。一人の間、その営みについて行けず、自分が置いて行かれるような感覚に襲われる。
「まだシート完成してないの?」
「……別に」
歩の突然の問いかけに、少年はぴっと犬のように歩の方へ振り向いたが、またぷいと顔をそらして向こう側を向いてしまった。
置いていかれるだけならまだいい。ただ、教室へ戻った時に感じるクラスからの腫物を見るような目線にさらされると、この不快な空気を自分が作り出してしまったのだ、とどうしようもなく思い知らされる。自分が情けなく、周りに顔向けできないような、そんな空気。歩も同じような経験がある。授業をいつも通り受けたくても、ただ静かに教室で本を読みたくても、なかなか戻る気になれない。結局、みんなが忘れたころにこっそり教室へ戻って、何事もなかったかのように過ごすしかなかった。
少年も、ワークショップに参加したいものの、戻った時のあの、いたたまれなさと情けなさを想像して、戻りたいと言い出せないのだろう。そして、瑠美にまるで興味が無いかの様に振舞ってしまったことを後悔している。素直になれば、もっと楽になったのではと想像している。
「別にいいよ、無理して戻らなくても。ここでやってもいいし」
歩にできる慰めはこのぐらいだった。すると少年はちらっとこちらを覗く。
「……お姉ちゃんたちって、保護者の連絡先とか知ってるの?」
「いや、知らない」
「そっか」
「先生が全部そこらへん管理してるけど、たぶん気にしなくていいよ。親に報告とかしないから」
親に知られるのが嫌だ、という気持ちを察知できた歩は付け加えるように言う。すると、少年は安堵したのか、しかめた顔を緩め、またスマホを取り出し画面を見始めた。
その日の帰り、なぜ少年に口を出してしまったんだろうとふと思い返した。少年の気持ちが分かってしまったからだろうか。こうすればいいのに、というもどかしい気持ちが沸き上がってしまったからだろうか。
歩がやったことといえば、ただその場にいることを許容しただけだ。根本的な解決はできないし、何も動いていない。
ただ、それだけでも少年の上に乗った重石が軽くなることを歩は知っている。
そして、歩も少年に場を与えられたことで、胸に溜まった靄を、少しだけ吐き出せた気がした。