第2章 てんやわんやのワークショップ。その中、歩は少年と出会う 3
瑠美は身ひとつで、小学生たちの輪の中へ入っていく。
ワークショップ初日である今日は、絵本の題材決めとプロット作りの日となっている。各人の好きなもの、人、動物、キャラクターを絵で描いてもらいながら絵本にしたいことを決め、登場人物と簡単な起承転結を、美術部で作ったシートに書いてもらう。そこまでできたら次週の回までにさらに細かいストーリーまで考えてもらい、最終日の回には各自で実際に作った本の発表をしてもらう、という流れになる。
瑠美は行き詰まった子の隣に行き、プロット作りのアシストをする。話の展開に詰まった子には、どういう話が描きたいか整理し物語を展開させるよう促し、キャラクターが思いつかない子には、似たような絵本を持ってきて具体的にイメージを湧かせる。そもそも描きたいものがなく、アイデア出しの用紙に何もかけていない子には、普通に雑談をしてリラックスさせることでアイデアを出しやすくする。周りの部員も、同じように子供たちの隣に寄り添っていた。
絵本作りを教える、というのは以外と面倒臭い。子供たちはストーリーに関係なく好きな絵を描いていく人もいれば、そもそもそんなに描きたいものがあまりなく、手が止まってしまう子もいる。それに、そもそも何かを作って発表するということ自体が苦痛な子もいる。自分が描きたいことを描いても、周りが受け止めてくれるものか分からない。それを否定された時は、自分自身が否定されるかのような気持ちになってしまう。子供たちにとっては以外とハードルが高い行為だ。
そのため、形にされる側も十分注意しなければならない。それがその子にとってかけがえのないものだと気づかずに、否定してしまうこともある。教える側の人間は、最初の観客だ。指導と言う名の否定をしてしまわないよう、より一層気を付けなければならない、と、歩は思っている。
昼休憩を挟んで午後、小学生たちも各自で作業を進められるようになってきた中、トラブルが発生した。シートを埋め終えた男の子が、同じ卓の男の子にちょっかいを出して喧嘩になったのだ。ちょっかいを出したのは襟付きのシャツを着た、見るからに育ちのよさそうな男の子。一方でちょっかいを受けた方の男の子は、細身で黒いトレーナーを着た男の子だった。トレーナーの男の子は相手よりも背が低い。おそらく、歩の胸くらいの高さだろうか。男の子にしては少し長めのさらりとした髪で、長めの睫毛と、日焼けをしたような褐色の肌が印象的だった。
取っ組み合いが始まったところで、瑠美が急いで駆け付け、喧嘩を仲裁した。少年たちの恐怖で委縮した顔を見るに、瑠美の介入は仲裁というより説教に近かったのだろう。瑠美の顔は後ろ姿だったため見えなかったが、少年たちの委縮した顔から、瑠美の怒った顔が容易く想像できた。瑠美が去った後、ちょっかいを出した男の子は遠くに離れ、結果として喧嘩は納まった。
しかし、そんな平和は長く続かない。ちょっかいを出した側の男の子は、また同じグループの仲間と一緒に集まり、一人ぼっちになった黒いトレーナーの男の子を見ながら、遠巻きにクスクスと笑い始めた。歩も小学生のころ、このベタな嫌がらせを何度も受けたことがある。ちょっと遠くに離れてクスクス笑われるあの感じ。何が面白いのか。別に笑われるだけなら無視して済む。しかし、他の子や大人がいる中でやられると変に注目を集めてしまい、いたたまれなくなる。笑われることより、そちらの方が辛い。
この手の嫌がらせはいい対処法があまりない。何笑っているんだと怒れば相手は喜ぶし、無視しても周りから浮いて注目の的となる。唯一ましな方法といえば、その場から自分が去ることだ。自分が消えれば、こんな嫌がらせそもそも起きない。しかし、大人たちの目線があるとそうもいかない。心配をかけて、さらにことを大きくされるのはより厄介だ。そうなると、やはりその場で耐えるのが一番ベターな選択となる。味方のいない中で一人、そのままだ。
瑠美の怖さがまだ一歩足りなかったのか、いや、伝わってないだけなのか。まだ彼らはそんなしょうもない嫌がらせをしばらく続けていた。瑠美も遠目でその卓を見ながら「めんどくさいなあ」と言い、顎に手を当てて考える。
しばらく考え込んだ後、瑠美は「しょうがない」と顎から手を放して、黒いトレーナーの男の子の隣に座る。机の上のシートをのぞき込み、何か話している。どうやら瑠美は男の子を別の席に移すなりしようと思ったらしい。根本解決にはならないが、まだそちらの方がましと判断したのだろう。
しかし、話しかけて来た瑠美に対し、なぜが男の子は仏頂面で文句を言っているようだった。優しい笑顔で説得を試みていた瑠美の顔はだんだんと引きつり、貧乏ゆすりが激しくなっていく。明らかに、なんかイライラしている。なぜフォローに行ってあんな怖い顔になるのか。最後の方は、もはや男の子と瑠美はただ言い合いをしているようにしか見えなかった。
大丈夫なの? と思って様子を見ていたら、瑠美は勢い良く立ち上がり、顔を上げる。そして、歩がいるカウンターの方に振り向いた。瑠美の表情はなぜか満面の笑み。
「え、何?」
瑠美は笑みを浮かべたままその男の子の手を握り、ホールのど真ん中を横断してくる。
「え、ちょっと、何?」
瑠美は優しい笑みを浮かべているが、その笑顔は張り付けたようなもので、口の端が引きつっている。え、なんかやばい。なんか怒ってる。怖い。
頭の中の語彙力が瑠美への恐怖でどこかに持っていかれた。それでも構わず、瑠美はそのままずんずんと歩の方へと近づいてくる。
「あーゆーむ♡。ちょっとお願いがあるんだけど」
思い出した。去年の柴高祭の時も、弦君とやらと学校を回りたいと理由で受付を押し付けてきた時と同じ顔だ。
滅多に見ないこの不気味な笑みは、処理しきれなくなった厄介ごとを押し付ける前触れ。瑠美は黒いトレーナーの男の子。一人ぼっちの少年をカウンターに連行してきて、またホールの真ん中へと戻っていった。