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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第2章 てんやわんやのワークショップ。その中、歩は少年と出会う
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第2章 てんやわんやのワークショップ。その中、歩は少年と出会う 2

 レクリエーションコーナーにある大きな窓は、空から降り注ぐ日光を精一杯取り込み、その光は橙と緑のタイルカーペットを焼いている。

 小学生たちはそこを避けるように配置された膝ほどの高さの机に座る。そして、机の上にあるスマホをのぞき込みながら、アイデア出し用の画用紙に思い思いの絵を描いていた。

「歩、コレどかすよ」

 瑠美がホールの真ん中からカウンターに歩いてきて、パイプ椅子の上に積まれた色画用紙束を歩の前に乱暴に置き、どんと足を組んで座った。理由は分からないが少し機嫌が悪い。色画用紙の束がおかれた机がミシリと音を出す。

「あんま乱暴に置くと壊れちゃうよ」

「大丈夫よ、このぐらい」

「こっち来ちゃっていいの?」

「いいよ、もう勝手にやってるし」

 瑠美は持ってきたペットボトルのふたを開け、中の水を喉に流し込む。「はー」と言ってくたびれた顔をする。制服の半袖ブラウスに汗がにじんで、まるで外回りから戻ってきた営業のようだった。ワークショップ初日にして、瑠美はもうすでにくたくただ。


 柴川図書館は学校から歩いて二十分ほど。学校から南に下ったところに伸びた県道沿いにある。二階建ての小さい図書館で、一階にはレクリエーション用のホールがあり、毎年、柴高美術部はここを借りてワークショップイベントを開催している。窓の外を見ると、道路の向こう側にパン屋とスーパーが、図書館の隣にはバッティングセンターがある。バッティングセンターは、よく柴高男子のたまり場になっている、柴高生御用達の施設だ。


 ホールには大きな窓が付いており、外の熱波の影響を受けやすい。その暑さに耐えきれなくなって、瑠美も涼みに来たのだろう。エアコンが近くにあるカウンターはホールと比べ断然に涼しく、木製の机や冷えた地面が心地よさを倍増させる。

「どう? 調子は?」

 恐る恐る様子を聞いてみると瑠美は、はっ、と乾いた笑いを発して、腕を組んで椅子にもたれた。

「さすが現代っ子。擦れてるわー。なんか『姉ちゃんたちより動画の方が参考になるー』、とかほざいて、スマホばっかり見てる」

 これだから最近の若いのは、とまだ齢十七の女子高校生が呆れたように両手を上にあげながら肩をすくめる。

「去年もそんな感じだったっけ。そんなひねくれたような子がいなかったかと思うけど」

「分かんない、たぶん去年より高学年の子が多いからかな。小学生は四年生以降から拗らせ始めるのよ。その高学年につられて、低学年の子も真似して反抗してきてる感じ」

「それはやっかいなことで」

 その一言に、瑠美は「あ?」と眉間に皺を寄せ、歩を睨みつける。きれいな顔なのに、どうやったらそんな凄みのある顔ができるのか。おそらく顔だけじゃなく、瑠美のはっきりとした声や物言いも手伝って、凄みのある雰囲気が醸し出されているのだろう。

「他人事みたいに言わないでよ。あんたも一応ワークショップの運営メンバーでしょ?」

「まぁ、うん」

 歩は半袖のブラウスから出た腕をさする。

「カウンターに座ってないで、あんたも前に出たら?」

「いや、事務局やらなきゃいけないし」

「いいじゃん、ちょっとぐらい。ここは私に任せてくれてもいいんだよ?」

 ただ休みたいだけという本音がダダ漏れな提案に対し、歩は首を横に振って却下の意思を示す。

「いいよ、私は」

「クソが」

 相変わらずの雑な言動。歩は何か言い返してやりたかったが、瑠美には部活の連絡やらワークショップの取りまとめやら色々と融通してもらっている手前もあり、何も言い返すことはできなかった。

 瑠美は黙っている歩を見て「まあいいけど」と言いながら立ち上がり、よし、と気合入れのため、自身の両頬を叩いた。

「他人事みたいに見てないで、ちょっとは参加してよ」

 引き続きよろしく、と言って瑠美はまた小学生たちの下へ戻っていった。その時には優しいお姉さんモードに切り替わり「これきれいだね」と穏やかな口調で話しかけながら小学生たちの輪の中に入っていった。


 瑠美の第一印象は、歩よりは背の小さい、優しくお喋りな女の子だった。入学した四月の終わり、クラス内でだんだんとコミュニティができ始めたころ、昼休みに一人で昼食をとっている歩に突然話しかけて来た。

「歩さん、中学の時、美術部入ってたんだよね。あ、ごめん、初めまして。豊橋(とよはし)瑠美(るみ)って言います。一緒にご飯、食べていい?」

 歩は一人で食べたかったが、気を遣って話しかけてくれたのに断るのも悪いなと思い、席を引っ付けて一緒に昼食を食べ始めた。

 いきなり話しかけてきたので最初は警戒したが、ただのお喋りな女の子だと認識するのにそう時間はかからなかった。いつもの歩なら微妙な反応をして、そのまま関係が自然消滅するのだが、瑠美とはそうはならなかった。瑠美との会話は、全く気負う必要がなかったからかもしれない。歩が話さなくても瑠美が一方的に話し続けるため、こちらが話題に気を遣う必要がないし、家のことを話しても深く詮索したり逆に気を遣いすぎたりせず、変わらず話しかけてくる。なんと気が楽なことか。ぼっちと言うだけでもクラスで浮いて注目を集めてしまうため、一人でも気軽に話せる人がいるのは、とても助かった。

 そこから、歩はたまに昼食を瑠美と一緒に食べるようになり、美術部にも一緒に入部した。もとは入るつもりはなかったが、入部希望の瑠美から「入るだけでもいい」「マネージャーでもいいから」「一人で入るのはちょっと寂しい」と何度も誘われ、断れ切れず入部したのだ。

 だが、入部した後あたりからだろうか。瑠美の優しいお喋りな女の子、という第一印象からずれを感じるようになった。最初の柔らかい印象から打って変わって、部内での仕事はテキパキとこなし、分からないことは先輩に率先して聞く。先輩の指示がなくても自分で考え、烏合の衆となった一年をまとめ上げる。仕事ができるって、こういうことなんだろうなと思った。美術部に入部して一か月後には一年のリーダー的存在になっていて、先輩たちだけの会議にも出るようになっていた。

 そして、今の瑠美が姿を現したのは美術部に入部した二か月後。部員が作った発泡スチロールの石膏像を、二人で講評のため美術室に並べていた時だった。

「実は歩さんに相談したいことがあって」

 見た目に反して全く重量がない発泡スチロール製の石膏像を抱えながら、瑠美は真剣に話し始めた。

「歩さんって(ゆずる)君と仲良かったんだよね」

「弦君?」

 歩の頭の上に疑問符が浮かぶ。弦君という人がだれか分からなかった歩は「どのクラスの人?」と聞き返すと、瑠美も「え?」と解せない顔をした。

「一年二組の弦君。歩さん、同じ中学だったよね?」

「弦君……?」

 歩がピンと来ていないような顔をすると、瑠美は「え?」と怪訝そうな顔をした。

「中学三年の時、歩さんと同じクラスだった弦くんだよ?」

「同じクラス……?」

「弦君だよ? 中学の時、サッカー部だった」

「サッカー部……?」

「……え、待って。知らないの?」

「……ごめんあんまり覚えてないや」

「……はぁ?」

 その時の瑠美の声はかつての優しい声ではなく、今ではもう聞き慣れた、どすの利いた声となっていた。

 話を聞くに、瑠美は歩の同じ中学だった弦という人が中学の時から好きだったらしい。経緯は詳しく聞いていないが、弦がサッカー部の練習試合で瑠美の中学に来た時に知り合い、瑠美が一目惚れしたとのことだ。

 高校入学直後、行動の早い瑠美は速攻で弦に話しかけアプローチを掛け、すぐに友達となった。そして弦と会話をする中で、中学の同級生の話題になったそうなのだが、そこで弦が同じ中学の生徒として真っ先に出た名前が歩のだったらしい。それで弦と歩が仲良しなのかと思った瑠美は、すぐに歩に声を掛けたとのことだった。理由は単純。歩が瑠美と弦の仲の邪魔になるのか、それとも自分の恋路に協力してくれる味方なのかを見切るためだ。それがあの、歩と瑠美とのファーストコンタクトである。

 ただ、歩はその弦君とやらの存在を中学で認識していなかった。中学時代、同じクラスの女子か美術部でしか人と話すことが無かった歩が、サッカー部の人間と話すことがあるわけがない。

 そういうことで、歩は恋のライバルはおろか、恋路をアシストするサポートキャラにもなれない存在だった。瑠美の頑張りは、まさに無駄となったのだ。

「なんなのよもー! この一か月気ぃ遣ってたのが馬鹿みたいじゃん!」

 思惑が崩れ、文句を垂れる瑠美。勝手に勘違いされた歩は、何を聞かされているんだ、と呆れながら、瑠美の文句を聞き入れた。変に何か言う方が面倒くさいと思ったからだ。

「あーもういいや。次の手考える。早く石膏像片付けちゃお」

 そこから瑠美の態度は一変した。今までひとつずつ抱えていた石膏像を、一気に二つ、片手ずつで頭から鷲掴みにして運び始めたのだ。二つの石膏像が瑠美の手によって運ばれる様子は、まるで狩った獲物の首を運ぶハンターのようだった。

「ちょ、なに頭、鷲掴みにしてるの?」

「いや、だってこっちの方が速いでしょ」

 いきなりの行動に呆気を取られていた歩を見て、瑠美はそう言い放ち、さっさと石膏像もどきを整列させようと効率重視で運び始める。諦めがついたらもうおしとやかぶる必要はないということか。歩は瑠美の一変ぶりに驚きと畏怖を抱いた。石膏像はものの五分で整列され、「じゃあ、先生に報告しようか」と、瑠美はすたすたと廊下へ歩いていった。

 これが、要領の良さとしたたかさを持った瑠美との、改めての出会いだった。


 その日で瑠美との昼食を共にする関係はもう終わるだろうと思われたが、昼休みはいまだに教室で一緒に昼食を摂っている。先生から歩への連絡係を頼まれているため、接する機会が多くなるというのもあるが、私にとっても気兼ねする必要がなく、瑠美にとっても外面を外して話しても問題ない相手であり、互いに楽だったのだろう。

 こうして、現在の歩と瑠美のほどほどな関係が構築されたのだ。

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