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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第17章 伝え、向き合い、そして
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第17章 伝え、向き合い、そして 1

 翌日の日曜日。歩は九時頃に目を覚ました。洗面所で顔を洗い、寝間着から普段着に着替え、その寝間着を溜まった衣服と一緒に洗濯機へ入れる。洗濯機を回し始めたら自分の部屋に戻り、ベッドの上に座ってスマホのメッセージアプリを起動する。そして、柚木とのメッセージ画面を開いた。

『久しぶり。昨日、瑠美と柚木のお母さんと会って来た。黙って行っちゃって、ごめん』

 メッセージを送っても、返信は来ない。先に洗濯機から洗濯完了の電子音が鳴る。歩は一度部屋を出て、洗濯機から衣類を洗濯かごに移し、ベランダに持っていった。中途半端に脱水され固まった洗濯物を手で解き、機械的に物干し竿に掛けていく。天気は快晴。気温も湿度も程よく下がってきた。心地のよい空気が体を通る。

 三十分ほどで洗濯物を干し終わり、部屋に戻る。スマホを見ると通知に『柚木』の名前が挙がってきていた。

『お母さんから聞いた』

 歩はほっとし、大きく息を吐いた。無視されたら、もう何もできないと思ったからだ。

『お母さん、会ったの?』

『いや、メッセージで聞いた』

 陶子と柚木が連絡を取っていることには少し驚いたが、よく考えればスマホがあればメッセージのやり取りなんて簡単なことに今更気付く。おそらく、今までもやり取りはあったのだろう。

 ただ、そのやり取りがあったにも関わらず、柚木と父の関係性に気付けていないことに何か怖さを感じた。

『お菓子、ありがとう』

 続けて柚木がメッセージを送ってきた。歩は不自然に上がった心拍数を抑えようとしながら返信をする。

『いや、あれは瑠美が買ってきたやつだから。お礼は瑠美に言って』

『そっか』

 そして、何でもないような会話が続く。体調は大丈夫なのかとか、最近の小学校での生活とか、流行りとか。ともかく近辺のことを一通り聞く。聞いている限り、何か事件があったとかはなく、安心した。

 歩は本題に移る。

『お父さん、最近どう?』

 そう送ると、テンポよく来ていた返信が急に止まる。どう答えるのが一番いいか、どう答えるのが一番負担を掛けないのか考えている。顔を見てなくても、それぐらいのことは分かった。

 ただ、ここまで来て下手な誤魔化しをするほど、柚木も馬鹿じゃない。

『普通だよ』

 複合施設でも言っていた、柚木の「普通」。いつものすぐに怒り、威圧的で、柚木を縛る「普通」の父親。

 大きく深呼吸する。表示される言葉を確認しながら、スマホの画面を叩く。

 打ち終わった文をまた一から確認する。身を守るよう、ベッドの上にあるタオルケットを膝に掛ける。

 そして、メッセージを送る。


『お母さんが退院したら、ちゃんと、お母さんに話してほしい』


 何か、とも言わずとも、何のことかは伝わっていると思った。返信は返ってこない。

 家族の話をする、陶子の顔を思い出す。家族の未来に疑いも不安もないような、あの目。あの目を曇らせる、と考えると胸が痛くて逃げ出したくなる。

 しかし、それではいけない。

『なんで?』

 柚木から一言だけ返信があった。

 歩はスマホの画面を叩き、言葉を送る。

『私のお母さんとお父さん、実は、離婚してるの。お母さん、家事のこととか、実家のこととか、私がいじめられちゃったりとかで、いろいろ悩んじゃって。いなくなっちゃった』

『いろんなことで疲れちゃったんだと思うけど、多分、私のせいだと思う』

 指が止まらないうちに、文章を打って送ってしまう。躊躇う前に全部打って、願うように送信ボタンを押す。

『それで、そこから連絡も取らなくなっちゃった。互いに、連絡を取るのが怖くなっちゃって』

 私は向き合うことから逃げた。向き合ったら、全てが終わってしまいそうで。

 でも、必要なのはそれだけだった。

『私、後悔した。連絡、取れなくなっちゃうし。何もしなかった自分が許せないし。それに――いいことも、悪いことも、全部なかったことになったみたいで』

 結局、その後が辛くて、削除するように無理やり忘れようとした。でも、それでは後悔だけが残る。そして、何より――

『何より、これからのことも、全部嘘みたいになっちゃいそうで』

 それを送って、歩は一旦、メッセージを送る手を止めた。タオルケットの匂いを鼻からゆっくり吸って、口から吐き出す。

『だから、ちゃんと話してほしい。話さないと、伝わらない。伝えないと、ずっと終わらない。ずっと、進めないままなんだ』

 最後にそう言葉を送って、歩は自分の顔を立てた膝にうずめた。

 どうしようもないのは変わらない。後悔は続くし、解決もしなければ、もとに戻るわけでもない。

 ただ、なかったことになってほしくない。無駄になってほしくないのだ。これまでも、これからも。


 急に、太ももの上のスマホが震える。表示されたのは『柚木』と言う名前と電話のボタン。

 歩は、慌てて電話に出る。

「もしもし? 柚木?」

 声が聞こえない。でも、奥の方で、すすり泣くような声が聞こえた。

 しばらくして、柚木の声がやっと、受話器から聞こえた。

「……このまま、ずっと同じままなのが、想像できない。だから、お母さんと話したい」

 でも、と柚木は続ける。

「話すの、怖えよ……」

 涙交じりの声で、柚木はそう言った。柚木も分かっているのだ。このままではいけないことを。

「そうだよね……」

 柚木のその言葉を聞いて、歩は少し嬉しくなった。同じ問題を共有する仲間であると、初めて確認し合えたような気がして。

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