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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第16章 瑠美は決着をつけたい
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第16章 瑠美は決着をつけたい 3

 病院のエントランスを出て、スマホで瑠美に病院を出た旨をメッセージする。すると、近くの自然公園にいると返信があった。病院と同じく川沿いにある自然公園。芝生広場や展示温室、イベントや会議を行うための施設などが入った緑の敷地だ。

 その中にオレンジ色で塗装された六角屋根の東屋がある。瑠美はそこの背もたれの無い広いベンチに座って、スマホをいじりながらコンビニで買ったサンドウィッチを食べていた。

「どうだったの?」

 歩が隣に座ると、瑠美はスマホを見たまま一言そう言った。歩はそのまま話した。陶子は息子が心配で、早く家に戻ってあげたい、家族思いの母であったこと。

 瑠美は紙パックのレモンティーをストローで吸って、口の中のサンドウィッチを胃に流し込む。そして後ろに手をついて体を預けた。視界から消えた瑠美の顔を、歩は振り向かない。

「私は、責任感の無いやつが嫌い。責任を取らないやつも、取らせないやつも嫌い。どうしようもないからって、問題をなあなあにするやつが、大嫌い。何もしなかったら、消えないままなのに」

 だからじいちゃんは、と瑠美は消え入るような声で呟く。

 瑠美の祖父は、昔からあの病院に入院している。それ以上は何も聞いていない。ただ、普段の会話から、瑠美と父母との間で喧嘩が多いことは聞いていた。もちろん、単なる親子喧嘩の範疇だとは思うが、瑠美がそこまで反抗するのはどこか両親に許せない部分があるからだろう。それが瑠美の祖父と関係があることか、なんて歩には知る由もないし、知ろうとする理由もないが。

 瑠美は立ち上がり「行こ」と、歩も立ち上がるように促した。


 電車で最寄りの駅まで戻った後、バスに乗り、そのまま二人は柚木の家へ向かった。柚木の父に挨拶できるんじゃないか、と瑠美が言いだしたからだ。突拍子もない瑠美の提案に驚きながらも、歩はそれに従った。行かなければならない気がした。

 一軒家が並ぶ閑静な住宅街。その一つに、小さな門と白い柵で囲われた二階建ての立派な一軒家がある。柚木の家だ。近づくと、小さな門と玄関との間に小さな庭があることに気が付いた。ただ、雑草は伸びきっていて、置いてある子供用のブランコも朽ち始めている。

 瑠美が門扉の隣のインターホンを押す。すると、中からあの父親の声が聞こえてきた。

「はい、川村です」

「いきなりすいません。柴川高校美術部の豊橋と申します」

「……今行きますね」

 ぷつっとインターホンの音声が途切れた後、玄関から柚木の父が出てきた。スポーツウェアの黒いズボンに、上は半袖のくたびれたTシャツ姿だった。

「……始めまして。柚木の父です」

 門扉の前まで来て、柚木の父はそう門越しに挨拶した。門扉は開かない。

「初めまして、豊橋です。その、こないだは文化祭でご迷惑をお掛けしたので、ご挨拶に来ました。ほんと、ごめんなさい」

 瑠美はそう言って頭を下げたので、歩も一緒に頭を下げる。そして瑠美は陶子と同じく、風月堂のお菓子を手渡した。

「すいませんご丁寧に。こちらこそ、柚木がご迷惑をお掛けしました」

 お菓子を受け取ると、柚木の父はそう言って頭を下げる。前に見た時のような荒々しさはない。誠実で、謙虚で、腰が低い。今になって、それが柚木の身を守るように腕をさする仕草と重なった。

「あの、柚木なんですが、調子が悪いそうで、しばらくはお二人がやってくれていた絵の教室は行かないそうです。先生から、聞いていました?」

「あ、はいそれは聞いています」

 彼も、陶子のために歪みを抑えている。実家のプレッシャーに堪えながら、柚木を傷付けてしまいながらも、陶子の描く家族の形で、一緒に前へ進もうと。

「その……いきなりこんなことなって、すいません」

「いえいえ」

 そうして、どうしようもなく、そのままの毎日を暮らしている。

 一軒家の二階窓を見つめる。ここに柚木がいるのだろう。


 このままでいいはずがない。このままでは、どこかで耐えられなくなって、壊れて、忘れられない後悔だけが残る。

 しかし、歩はこの歪みに立ち向かう方法を持っていない。どうしようもない。

 ならば、歩のできることは。


 しばらく瑠美と柚木の父親がやり取りをし、歩は一言も声を発さなかった。そして、最後に一礼だけして、柚木の家を去った。

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