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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第16章 瑠美は決着をつけたい
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第16章 瑠美は決着をつけたい 1

 東京へ流れる大きな川。その川の土手に沿って田んぼがどこまで続いている。稲穂からお腹までが黄金に色づき始め、もう稲刈り間近という様子だ。すでに稲刈りを終え、稲架が規則正しく並んでいる田んぼもあり、稲によって作られた緑と黄金のカーテンが日に照らされて輝いている。

 そんなだだっ広い田んぼと住宅街の境には一本の用水路が通っており、住宅街側へ用水路を渡ると、ひとつの大病院がある。病院といっても見た目は高級なホテルに近い。外装はレンガや石肌のようなタイルが張られていて、車が入口に着けられるような屋根付きの車寄せスペースまである。さすが、メディカルセンターと言うだけのことはある。

 平日が終わり、土曜日の昼過ぎ。歩と瑠美はそんな病院のエントランス脇に制服姿で固まっていた。十月に入ったこともあり、朝夕は半袖だとさすがに冷たさを感じる。二人も冷たい風をよけるように、長袖のブラウスを着ていた。

 ブタクサの花粉が鼻をくすぐり、歩は鼻をすする。

「……ねえ、本当やめない? 迷惑だって」

「じゃあ帰れば。それなら私が行くから」

 瑠美は病院の入り口を見ながら歩を突き放すように言う。ここ来るよう誘ってきた日からこの一点張りだ。


 この病院に、柚木の母がいるらしい。

 瑠美が言うに、柚木の財布の中にこの病院の診察券やカードが入っていたのを見たことがあるらしい。それでこの病院を調べた(?)ところ、「川村」という柚木と同じ苗字の女性が入院していることが分かり、そこからなぜか、歩を誘ってその女性に面会しよう思ったそうだ。柚木の件については、おそらく松本先生から聞いたんだろう。いきなり絵本の制作をやめたことや、あのお父さんのことを。

「そもそも、他人が面会なんてできるの?」

「知人でもお見舞いとかできるから、受付ぐらいはできるはず。ほら、仕事の人とかがお見舞い来ることだってあるでしょ」

「分からないけど、知人って……。柚木のお母さん、私たちのこと知らないでしょ」

「あいつも夏休み中、一回もお見舞いに行ってないなんてことはないでしょ。私たちのことも話してるって」

 それに、と瑠美は声を低めて続ける。

「うちのおじいちゃん、ここで入院してるから。看護師さんとも仲いいし、少なくとも入れるとは思う。最悪、それで中に入ればいい」

 病院の外壁に寄りかかりながら、瑠美は入口のエントランスを見つめる。だから入院していることが分かったのか、と歩は納得するが、なぜいきなり柚木の母と面会しようと思ったのか、いまだに教えてくれない。

「なんで? 何をするの? 会う必要ないでしょ? いい加減にしてよ」

 歩が願うようにそう言うと、瑠美は歩の方を向いて鋭い目つきで睨みつけた。歩はその迫力にひるみ、固まる。

「最終日、私、後夜祭に参加する予定だったの。来年受験だし、たぶん、純粋に楽しめる最後の文化祭だったから、行きたかった。でも、あんたと少年探さなきゃいけなくなったから、後夜祭、行けなかったの。知ってた?」

 瑠美は腕を組んで歩に正対する。歩は目線を地面のコンクリートに目を落とした。

「ごめん、知らなかった」

「弦君とカトケンも心配してたんだけど、なんか謝ったりした?」

「……してない」

 歩が力ない声でそう言うと瑠美は組んだ腕を下ろした。おろした手は自然と握りこぶしを作り、力が入る。しかし、何か諦めたようにその手の力もすぐに緩んだ。

「……少年、結局最後まで面倒見れなかったんでしょ。今まで、お母さんに挨拶もできてなかったし。だから一緒に来て。ここまで来て、あんただけ逃げるとかないからね」

 行くよ、と瑠美は入口の自動ドアの方へ歩いていく。歩は戸惑いながらも遅れて後ろに付いて行く。挨拶のために、というのは、まあ、分からなくはないが、それだけのために病院へ押しかけていいものなのか。それとも、柚木のことが気になってのことなのだろうか。

 瑠美は強い人だ。絵を描きながら部活もまとめて、さらに学校での人間関係もうまくやっている。

 ただ、柚木の母に会ったところでどうしようもない。それなのに、何を話せばいいのだろうか。


 病院の内装も、外装と同じく高級ホテルのように整っていた。木目調のフローリング、ベージュ色のさわり心地のよい壁紙、白レンガのような飾り付けの柱、それらを照らす暖色の照明。待合スペースには大きな観葉植物と、革張りのクッションが備え付けられたベンチが並べられており、大きな窓からは整えられた樹木が鑑賞できる。窓総合受付は制服を着たきれいな女性が規則正しく並び、笑顔で来客に応対する。

 病院とは思えない豪華な内装。ただ、スタッフが着ている機能性の高そうなパンツスタイルの制服と、無菌室のような消毒された匂いから、ここがホテルではない何かであることはすぐに分かる。

 土曜日ということもあり、待合室は多くの来院者が待合スペースで待っていた。きちっとスーツを着た男性や、社交場に来たかのような整った服装を着た高齢の方などが多く混じっており、入院している患者の位の高さが想像できる。

「ねえ、本当に大丈夫なの?」

 病院から感じる品の良さのようなものに、歩は不安になって瑠美に声を掛ける。

「大丈夫よ。ほら、こっち」

 そう言いながら瑠美は総合受付のある一階は無視して、歩と連れてエスカレーターへ乗り四階に移動する。三階以降は一階、二階と違い、普通の病棟のような内装に変わる。白い壁と手すり、クリーム色のリノリウムの床、白色の蛍光灯。ただ、普通の病院より全てが一層白く、非常に清潔である印象を受けた。

 四階に着き、スタッフステーションを覗くと、濃紺のスクラブを着た看護師たちがPCや資材とにらめっこしながら(せわ)しく作業をしていた。瑠美はそこに座っている細身の女性看護師に声を掛ける。歩は近くのソファに座り、不安な気持ちでそわそわしながら瑠美の様子を見ていた。用紙に何か名前などを書き、しばらくやり取りをした後、瑠美は歩の方に歩いて来て、持っていた二つの面会証のうち一つを歩に渡した。

「……おじいちゃんの名前で入って、顔見知りの看護師さんにお願いしようと思ったけど、手間が省けた」

 瑠美がそう呟くようにそう言った。どういうことかと理由を聞いて、歩は目を丸くして驚く。柚木の母が、歩と瑠美のことを知っていたのだ。


「看護師さんになんとなく探り入れたら、その人、柚木のお母さんと顔見知りらしくて本人に連絡してくれたの。少年とお父さんが夏休みにお見舞いしてたらしくて、私たちの話聞いたんだって。それで、せっかく来たならお礼したいって、あっちから言ってくれたの」

 廊下を歩きながら、瑠美はそう説明してくれた。

 自分のことを知ってくれていることに半分安心しながら、もう半分はどう思われているのだろうかと不安になる。柚木は自分のことを、どう説明したんだろう。

 歩と瑠美はスタッフステーションの反対側にある病室スペースへ向かう。四階はスタッフステーションと入院患者の病室のみと階となっており、デイルームやテラス、屋上庭園など、患者がゆっくりとくつろげるスペースがいくつもある。

 柚木の母の病室はその屋上庭園の隣にあった。屋上庭園の緑を通した日光は歩たちのいる廊下を照らしている。その陰に隠れた個室のネームプレートに「川村(かわむら) 陶子(とうこ) かわむら とうこ」と表示されていた。

「ねえ、本当、何話すの?」

「え、何って挨拶よ。自己紹介して、で、世間話でもするの」

「……世間話っ……て、ちょ――」

 歩を無視して瑠美はスライド式のドアをノックする。中から「はい、どうぞ」と透き通った声が聞こえてきて、歩はすぐ口をつむぎ、姿勢を正した。

「失礼します」

 瑠美がドアのバーを掴み、力を入れる。かすかな抵抗の後、ドアが滑るように開いた。

 九、十畳ほどの広さの病室。部屋に一歩入ると、病院特有の匂いを感じた。アルコールと洗ったシーツの匂い。そして、この部屋にずっと居続けた人の生活臭も混ざっている。柔らかい匂いだ。その中で、心電図モニターの電子音が、規則的に小さく鳴っている。

 奥に進み、まず目に飛び込んできたのは部屋の奥にある窓。屋上庭園とつながっているテラスが外にあり、その景色を中から楽しめるようになっている。その手前にはテーブル付のベッドがあり、その上に女性が上半身を起こした状態で待っていた。

 一目見て、本当に柚木の母なのだと思った。後ろで束ねられた艶のある長い髪。長い睫毛は日に透けて鈍く光っている。首は細くスラっとしており、顔の形も柚木にそっくりだ。

「初めまして、瑠美さん、歩さん」

 陶子がそう挨拶すると、瑠美が「初めまして、柴川高校の豊橋瑠美です」と自己紹介含めて返す。歩も遅れて「藤井歩です」と名前を言って小さくお辞儀をする。陶子は手元の雑誌を閉じて、歩と瑠美の方に向き直る。

「柚木と夫から話を聞いてます。柚木に絵本、教えてくれてるんですよね。それでお礼を言おうと思って。ほんと、柚木がお世話になっております」

 陶子がそう言いながら丁寧に手を揃え、頭を下げた。おっとりとしながらも所作のところどころに品を感じる。そして、こういった病室への来訪者の対応に慣れているようにも感じられた。

「え、あ……」

 歩が何を言ったらいいか分からず、まごまごしていると、瑠美が見かねて話し出す。

「いえいえそんな。むしろ勝手にお伺いしてしまって、申し訳ないです。ご体調は、大丈夫なんですか?」

 瑠美がそう尋ねると、陶子は「ええ」と静かにうなずいた。

「もう退院も近いですし、もう体は絶好調なんですよ。なので、そこらへんはお気遣いなくても大丈夫です」

 陶子は微笑みながら続ける。

「こちらからお誘いしてごめんなさいね。看護師さんから、今日いらっしゃっているって聞いて、思わずお声がけさせていただきました。柚木が前、お二人の話を良くされていたものですから。本当にお世話になっているそうで」

 陶子の話にうなずきながら、瑠美は鞄から包装された箱を出す。

「これ、家族でよく行っている和菓子屋の和菓子なんです。もしよかったら召し上がっていただければと思ったんですが」

「まあ、本当に! ありがとう。いただいます」

 陶子は手を広げて喜びながら、瑠美から和菓子の箱を受け取る。

「……あら、これ、風月堂?」

「ご存じですか?」

「同じ棟に入院してる方が、ここのお饅頭がお好きってお話しをされてたなと思って……。あら、もしかして瑠美さんって豊橋さんってご親戚?」

 陶子がそう尋ねると、瑠美の胸が呼吸で少し上がる。

「豊橋は私の祖父です。ご存じなんですか?」

「ええ、たまにデイルームでお話しして。そう。あなたがお孫さんの瑠美さんなんですね。そうですか……」

 陶子はそう言って和菓子の箱を感慨深そうに見つめる。その陶子を見て、瑠美も優しく息を吐き、今まで見たことのないような、柔らかな笑みを浮かべていた。

 歩は一切、話に入れない。瑠美と陶子にできた共通項へ入って行けない。

 陶子が「あとでいただきますね」と言って和菓子の箱をテーブルの上に置く。和菓子が置かれたテーブルの上には、何冊かの単行本の小説が置かれている。

 会話がひと段落すると、瑠美が横目で歩の方をちらりと見た。歩と目が合うと、何かを確認したかのようにまた陶子の方へ目を遣る。歩がその意味を察する前に、瑠美は優しい笑みで陶子を見て口を開いた。

「ごめんなさい、実は今日この後、祖父のお見舞いもありまして、私はこれで失礼させていただいてもいいですか? 歩はまだいるので」

 歩はつい「え」と声を上げる。あんた一緒に挨拶するって言ってたじゃん。もうどっか行っちゃうの?

「あら、そうなんですね。大丈夫ですよ。ごめんなさい。わざわざ来てもらって」

 何も知らない陶子が申し訳なさそうにそう言うと、瑠美は「いえいえ、そんな。それでは」と一礼をして「終わったら連絡して」と、歩へ一言添えた後、病室を出て行く。最初から途中で去るつもりだったのだ、こいつは。

「和菓子までいただいて。丁寧な子ね、瑠美さん」

 何も知らない陶子は、瑠美の手土産を見ながら、その丁寧さにしみじみと感心していた。

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