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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第15章 削除するように忘れようとしても
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第15章 削除するように忘れようとしても 1

 柴高祭が終わった。月曜日の代休となるので、日、月と二日間の休みがある。しかし、その休みはずっと、家でぼんやりとして時間を過ごした。柴高祭の二日間、感情の波が大きすぎた。そこから解放され、直近の大きなイベントもなくなり、ともかく、頭を空にしたかった。

 ただ、日曜の夜だけ、柚木のことを考えた。考えたといっても、最後に話した時のことを、頭の中で反芻しただけだ。無意味な思考の空回り。そのせいで、翌日に学校があるにも関わらず、全く寝られなかった。


 翌朝、歩はいつも通り父を送り出し、制服に着替える。スクールバッグをもって玄関へ行き、下駄箱からローファーを出し、靴ベラを使い靴に踵を入れる。

 靴箱の上にある家族写真を一瞥するが、直視はしない。そのまま、通り過ぎるように家を出た。

 柴高祭が終わってから最初の学校。校内には柴高祭の残骸が転がり、祭りで浮ついた空気がまだ漂っている。雑談は音、量ともにいつもより大きく、鬱陶しい。そんな廊下を一人で進み、教室に入る。クラスの中もまだ空気が浮ついて、談笑の声がいつもより大きい。

 ただ、歩が視界に入ると、その会話が一瞬止まる。徐々に話し声は戻っていくが、声の中にひそひそとしたざわつきが加わった。柴高祭二日目のトラブルの噂が、もうすでにクラスで広まっているからだろう。

 窓際の前から二番目。億劫になるぐらい奥にある自分の席に向かって歩く。歩が近づくと、クラスの人の体が少し反応する。淀んだ空気をかき分け、自分の席に座ると、歩は机の上に突っ伏した。眠い。しかし、まだ祭りの空気で浮ついているせいか、そのざわつきがいつもより大きく感じる。それが、ひどく耳障りでリラックスできない。


 今日は朝のHRはそこそこに、午前中一杯を使って各教室の撤去作業を行う。クラス教室から特別教室、体育館などに散らばり、各自柴高祭で使ったものを片していく。

 歩が担当になったのは体育館。体育館を一度も使ってない自分が、なぜ体育館の掃除担当なのかと少し解せなかったが、今回はかえって幸いだったと思う。あのクラスの空気の中でみんなと共同作業するのは、さすがに堪えられない。

 体育館に着くと、歩を含め二十数名生徒が集まっていた。制服のままの人もいれば、張り切ってジャージに着替えている人もいる。時間になったら先生が生徒を集め、並んだ椅子をステージ下の収納スペースへ運んでいく。その後はモップ掛けやゴミ拾い、一部雑巾がけをして、体育館全体を清掃していく。ただ、これも男子たちが競うように走り回る。女子はそれを、端っこで見ながら、固まって談笑をしていた。

 歩はその集団から少し間を開けたところで、壁に寄りかかり、体育館の床を見つめる。早く終わらないかと、ただ耐える。

「おはよ。歩さん」

 そんな歩に、文化祭実行委員の腕章を付けた弦が声を掛けてきた。体育館清掃の音頭を先生と一緒に取っていたのだ。

「……おはよ」

 気力の無い挨拶を歩が返すと、弦は歩と同じように壁に寄りかかり歩の隣に立つ。

「いいんですか、私に話しかけて」

「ごめん、さすがにクラスだと、声掛けられなかった」

 歩の嫌味にも聞こえる問いかけに弦は謝る。もともと朝来たら挨拶を交わすような関係でもないのだが、今朝は、今は触らない、という明確な意思を感じた。瑠美も、カトケンもそうだ。クラスのあの空気では、それも当たり前だろう。むしろ、それが最善だと歩も思う。

「ごめん、責めたわけじゃなくて。今も、話していいんですか、と思って」

 クラスではないとはいえ、噂はクラス外にも広がっているし、学年の人気者が、こんな腫れ物に触れていいのかと問うたつもりだった。しかし弦は「じゃあ、どこかに呼び出した方がよかった?」と、冗談っぽく切り返す。黙り込む歩に、弦は走り回る男子を見ながら続ける。

「さすがに、今日一回も話かけないのはあからさますぎかな、と思ったから、話しかけてみた」

「……みんな、どんな感じで、柚木の子と話してるの?」

 歩がそう尋ねると、弦も体育館の床に目線を落とした。

「大したことは話してないよ。歩さんがワークショップで知り合った子の面倒をみているって情報と、校門から出て行く柚木くんと歩さんの情報を、無邪気に結び付けて遊んでるだけ。具体的に何があったかを、ちゃんと確認して話してるやつなんていないよ」

 だから気にするな、と言ってくれているのだろう。ただ、そういうには、弦の話声に元気が無さ過ぎた。

「弦君とか、他の人からなんか聞かれたりしてない?」

 弦は小さくため息を吐いた後「聞かれた」と低い声で答える。

「でも、何にも答えてない。俺は松本先生の話を瑠美経由で聞いただけだから。それじゃ、なんも知らないようなもんだし」

 本当何も知らないから、と弦は続けて、呟くように言って去っていった。

 体育館清掃は昼休みが終わる前に終わった。使ったモップや雑巾をきれいにしてしまった後、みんなでぞろぞろと教室に戻る。教室には、同じように早めに清掃を終えた生徒がグループを作って待っていた。教室に入っても、今朝のようなあからさまな反応はない。ただ、談笑の中に嘲笑めいた話し声が混じって聞こえてくるのが、やけに鬱陶しい。

 午前中の清掃が終わり、昼休みに入る。歩は机の上に、朝作った弁当を出した。本当は教室の外に出たかったが、ここで教室を出ると、あることないこと言われそうで怖かった。

 弁当箱を開き、箸を出して、おかかのかかったご飯を口に入れる。そして、米の甘みとおかかのうまみに集中する。高木達の甲高い笑い声から気をそらすため、食事に集中する。でも、味に集中できない。なんとか気をそらそうとさらにおかずを口に運ぶ。そのまま進めていたら、昼休みが始まってから十五分ぐらいで。いつの間にかお弁当を平らげていた。そこで初めて、飲み物を買っていないことに気付く。買いに行きたいが、このタイミングで外に出るのは周りにどう映るだろうか。ただ、このまま水分なしの状態で昼休みと午後の授業を受けるのはつらい。

 すぐに戻ればいいか。そう自分に言い聞かせ、歩は席を立ち、昇降口の自動販売機に向かうため教室のドアへ歩いていく。微妙な視線を感じながら、我関せずといった顔をして、外に出ようとする。

 もうすぐ教室のドア、というところで、廊下から人影が立ちはだかった。瑠美だ。

 歩は瑠美を避けて外に出ようとする。すると、瑠美はドアに手を掛け進路を阻み、歩を睨むように見つめる。

「……えっと、瑠美……さん?」

「……」

 周りの視線も徐々に集まる。瑠美は何か怒っているのだろうか。というか、本当に何? なんでそんな睨みつけてくるの? 勘弁してよ。

 瑠美の鋭い視線に歩がうろたえていると、瑠美がやっと口を開いた。

「あんた、午後は来れるの?」

「……どこにですか?」

 そう聞き返すと、瑠美は、はぁ? と声を上げる。

「部活だよ。それ以外、何があんの?」

 ああ、部活か、と歩は気付く。しかし、なぜこんなに怒っているんだ。理由が分からない。

「ごめん。今日は休むというか。うん、行かない」

「今日、柴高祭の片づけなんだけど、あんたの絵もあるし、どうすんの?」

「……いいよ、好きにして」

 下を向いて、投げやりにそう答えると、瑠美は肩が上がるほど大きく息を吸い込む。何を言うかと思ったが、そのまま教室のドアを思い切り閉めて、どこかへ歩いていく。

 歩は、瑠美が閉めたドアを再び開け、昇降口の自動販売機に向かった。


 昼休みが終わり、浮ついた空気のまま授業は進んでいく。午後の授業が終わると、歩は瑠美に宣言した通り学校を出た。スーパーに寄って、夕飯用の豚肉を買い、家に帰ったら、制服から部屋着に着替える。そして、朝の味噌汁を温めながら、買った豚肉と冷蔵庫にある卵とキャベツを合わせ炒め、野菜炒めを作る。

 父と晴信が帰って来たところで、三人で食卓を囲む。無言のまま、食事は進む。

「……歩、その、母さんの話なんだけど」

 父がそう口を開く。歩は、小さく息を吐いた。父は

「その、母さんには、歩が会いたがってるっていうこと、伝えていいか?」

「言わないで。前にまだ、確定じゃないって言ったでしょ」

 歩は吐き捨てるようにそう言った。

「ハルは、どうすんの」

 晴信にそう話を振ると、晴信は「姉ちゃんとは別に会いたい」と言った。これもまた、歩に対して吐き捨てるように。

「そっか。……ごちそうさま」

 歩はそう言って食事を切り上げ、食器をシンクに下げてリビングダイニングを出て行った。そして部屋に戻り、ベッドに飛び込む。

 この後、お風呂に入って、勉強して、寝るとまた学校だ。あの空気の中へまた飛び込まなければならないと考えると少し憂鬱になる。しかし、しばらくすれば何もなかったかのようになるはずだ。人の噂も七十五日。所詮、事情も知らない人たちがはやし立てているだけだ。

 時間が経てば、もとに戻る。夏休み前と同じ状態に。


「――ダメだって、もう黙ってよ!」


 明らかな拒絶が込められた、柚木の声。それがまだ頭の中に残っている。

 どうしようもない何かに、柚木は巻き込まれている。歪みに、どんどん嵌っていっている気がする。そんな問題に、他人の歩が首を突っ込めるはずがない。何より、同じように、自分の母がいなくなる時、見て見ぬふりをしていた自分が、柚木の現状に、何か良い影響を起こせるとも、思えなかった。

 日曜日、一度、スマホでメッセージを送ろうと思ったが、何を送ればいいか分からなかった。何をすればいいのかも分からない。

 そもそも、何かできること自体あるのか。

 結局、あの時から全く変わっていない。

 では、この胸に詰まった不快な感情はどうなるのだろうか。ずっと消えないままなのだろうか。

 歩はベッドの上で静かに願った。母の時と同じように、時間が経つにつれて忘れていけることを。

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