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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第12章 柴高祭
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第12章 柴高祭 3

 日が傾き、校内は淡く橙に色づき始める。

「最後、美術室行かない?」

 歩は廊下の窓から中庭を見下ろす柚木に声を掛けた。柚木は少し疲れたような顔をしている。さすがに、疲れたのだろうか。

「え、なんかやってんの?」

「美術部の展示会やってるの。見せたいものがあるから。瑠美が描いた絵とかもあるよ」

「瑠美姉の絵か……。うん、行く」

 よかった、と歩は心の中で呟く。不自然に誘ってしまい、断られるのではないかとドキドキしていたから。


 美術室へ向かう間、互いに一言も喋らなかった。妙に緊張してしまい、話しかける話題が見つけられなかった。

 美術室に着くと、前の受付に、昨日と同じく清水先輩が座っていた。

「あ、歩さん、お疲れ」

「お疲れ様です。今日も受付なんですね」

「そうなんだよー、他のやつにお願いされちゃってさ。まあでも、後夜祭にいけないわけじゃないから、それならまあいいかってね」

 柴高祭は十七時半に一般公開が終了し、その後、閉会式を行う。十九時までは校内で後夜祭を行い、そのあとに有志の生徒が借りた会場で本当の後夜祭を行うのが伝統、らしい。参加したことがないので分からないが。

「あはは、楽しんでください」

「何言ってんの? 歩さんも来てよ」

 清水先輩が当たり前のようにそう言う。しかし歩にとっては当たり前ではなく、笑うしかなかった。

「この子が、柚木君?」

 清水先輩がそういいながら柚木に目線をやると、柚木は歩の後ろに半分隠れる。すると、柚木先輩は受付の席から出てきて、目線を合わせるようにしゃがみ込む。

「ようこそ、柴高美術部展示会へ。ゆっくり見に行ってね」

 そういって、清水先輩は柚木に冊子とアンケート用のシールを渡す。柚木は片手でそれらを受け取った。

「……あざす」

「うん。シールは最後、気に入ったやつに貼ってもらうから。じゃあ、どうぞ」

「ありがとうございます。先輩」

「いえいえ」

 清水先輩は受付の椅子にまた座る。入っていく時にも柚木に手を振って、送り出してくれた。やっぱ優しいな。先輩。

 外周に植えられた桜の緑を縫って入ってきた光が、美術室の中を薄っすらと橙に照らしている。クーラーが付いているので気温は快適。夏の日光が入っているのに、中は涼しいというのは、なんか変な感覚だ。

 照明のスイッチを入れると、蛍光灯の光が美術室の中を明るく照らす。すると、展示された作品たちの色が、影から突然立ち上がる。

 その色たちが柚木の瞳にも映った。

「……触るのはだめ?」

「ダメって書いてあるやつ以外はいいよ」

 歩の注意に柚木は頷き、美術室の中をゆっくりと歩いていく。

 まず柚木の目を引いたのは、真ん中のオブジェのゾーンにある、ねぶたのオブジェ。竹の骨組みと和紙で作られた、風神雷神の大きなオブジェだ。柚木がオブジェの手前にあるスイッチをカチッと押すと、中にある電球が光り、ねぶたの鮮やかで豪快な姿があらわになる。その姿を見て、柚木は思わず「おわ」と声を上げた。実物のねぶたに比べれば小さいが、それでも二メートルぐらいある大きさはかなり迫力がある。

 廊下側の水彩画、油絵ゾーンは主に風景画や建物、一年が描いたリンゴの絵が展示パネルに並べられている。その中には瑠美の絵もあった。今回、瑠美が描いたのは朝の住宅街。青白い光に包まれた住宅街を水彩で描いている。

「え、これ、瑠美姉の絵なの?」

「うん。うまいんだよ。瑠美」

「……なんか、もっと派手なの、描いているのかなと思った」

 瑠美がこういう絵を好きなのは、知らない人からすると意外かもしれない。しかし、瑠美はこのような日常を切り取ったような絵が好きで、大会に出る時はいつも同じような絵を描いている。

 窓際にある、小さめのオブジェ作品については、柚木はすぐにすっ飛ばした。アニメ系のフィギュアみたいなのが多かったから、まあ、興味がないのだろう。

 最後、教室の後ろにある絵の展示。後ろの展示パネルには水彩画以外の絵が展示されている。要は、なんでもありゾーンだ。色鉛筆と水彩の組み合わせや、墨、CGなど、様々な画材を使った作品が並ぶ。柚木はそれらを、端から順番に見ていく。

 その中に一つの前で、柚木は足を止めた。A2サイズの画用紙に描かれた鉛筆画だ。

 そこに描かれているのは竜人族。モンスタースラッシャーに出てくる、人間に近い種族の一つだ。耳は人間が持つそれとは違い長耳で、鼻が高いのが特徴的。ゲームの中では、村の商人や武器屋の店員をやっていることが多い。

 しかし、描かれている竜人族は草食獣の革で仕立てられた服を着て、崖の上から景色を一望していた。眼下には森が広がり、空ではまるで太陽の周りを踊るように、一匹の飛竜が飛んでいる。絵の横にあるキャプションカードには『村の村長』とだけ書かれていた。作成者の名前は記されていない。

 幼いころ、とある小説で見たような気がする挿絵だ。その小説に出てくる村長も竜人族で、主人公に周りの森林を案内し、こんな景色を眺めていたっけ。


 何かをしなければ。何かここでできるのでは。そんな無駄な希望的観測を期待に込める。

 ただ、終わってみれば、なんであんなことしてしまったんだろうということの方が多い。

 けど、今回はそうなってほしくはない。


 歩は、窓の近くに置かれているアヴァンゲリオンのフィギュアの方に体を向ける。興味はないが、どうしても柚木を直視するのは難しい。

 柚木はその絵の目の前に立ち、ずっとその絵を見つめる。

 ――すー。ふー。

 柚木は鼻から大きく息を吸って、何かを吐き出した。

 柚木は外履きの入ったビニール袋をぐっと握る。口を少し開け、目を少し潤ませながら絵をじっと見つめる。感動しているとかそんな都合の良い表情ではない。そんな大層な絵ではないし。

 言うなれば、疲れた顔。まだ終わらないのかと、呆然としている顔。

 ただ、柚木は何かを必死に受け取るように、その絵を見続ける。

 頭の中で、思考が巡る。あの柚木の表情は何なのだろうか。これは彼にとって、プラスなのかマイナスなのか。もしかして、失敗してしまったのだろうか。


 ともかく、歩はその時の柚木の顔を、おそらく一生忘れない。

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