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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第12章 柴高祭
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第12章 柴高祭 1

 柴高祭は二日間、金曜、土曜と行われ、一般公開は二日目のみ。一日目の今日は校内のみとなる。校内の人だけということで、人は二日目に比べると少ないが、熱量は二日目と引けを取らない。むしろ、生徒だけがこの空間を独占することで、その熱量は異様なもののとなる。

 一年生にとっては、まだ高校にやっと慣れて来たなかで実施する文化祭。二年生にとっては、全力でやれる最初で最後の文化祭。三年生にとっては、受験勉強真っ只中の人と、すでに進路が決まっている人が交じり合った状態で訪れる、高校最後の文化祭。

 勉強や部活、進路、人間関係、恋愛。普段の学校生活で発生する尽きない不安が、このイベントで何かになるのではないか。そんな期待が熱量に変わり、生徒たちは騒ぎ踊る。それ以外に、この熱量を説明できる気がしない。


 天気は快晴。オープニングセレモニーが終わると、校内は一気に騒がしくなる。資材を運ぼうと声を掛ける人、列の整理のため大声を出す人、祭りを楽しむ生徒、大きな掛け声を出しながら看板を振り回す売り子。トラブルが起こって助けを求める声。そんなカオスな空間に、中庭や体育館のステージからの演奏が鳴り響く。

 そして、そんな熱にさらされた歩は、一日目の午前中からすでにぐったりしていた。

 歩は当日の担当は特に割り振られておらず、大変なところを手伝うぐらいかなと思っていたが、当日の朝、瑠美から「私、美術室行くから、会計お願い」と会計係に任命されてしまった。当日の朝に、だ。

 そういうことで、歩は朝から大忙し。クラスの屋台は中庭ステージのすぐそばに設営されたテントにて出店しているが、ステージでは軽音楽部や吹奏楽部の演奏や有志の出し物が行われるため、常に人が多い。しかも中庭は体育館へもアクセスできるため、演奏の合間は移動する人でごった返す。そのため屋台には常に人が入り、クソ忙しい。

 テントの中は調理担当と会計担当がぎゅうぎゅうに詰め込まれ、調理担当はコンロの熱気に耐えながら、死んだ目でひたすら焼き機に生地を流し込む。焼きあがったものを隣に流して味付けをしてもらって、それを人の合間を通って会計担当に渡し、最後に会計担当がひたすらお金と交換する。ほんと、他の人みたいに、体操着やジャージを持ってくるべきだった。上はクラスTシャツ姿とはいえ、制服のスカートを履いてやる作業じゃない。

「すいませーん。ベビーカステラチョコ味三つ! あ、後イチゴも一つください!」

「あ、はい!」

「こちら、二つで六百円になります」

「ありがとうございまーす」

「え、これカステラ少なくない?」

 高い緊張感の声がテントの中を飛び交う。こういうイベントに慣れていない歩は、ただ列を捌くだけで精いっぱいだ。お昼の時間帯になると、ステージやクラス出し物が休憩に入る。そのため、食べ物を求め人が増え、客はさらに増える。

「……歩さん! ちょっともっと早くしてくれない?」

「ごめんさい、ハイ、すみません!」

 どんどん増えていく列に、歩のキャパはすでに限界。歩の列だけがどんどん伸びていくのを他の会計担当の子が見かね、歩の列の分も他の人がどんどん捌いていく。本当にいたたまれない。早く終わってくれ。


 瑠美が帰ってきたのは、昼休みの猛ラッシュが終わりかけたころだった。

「お疲れ~。わ、すごい、めっちゃ売れてる」

 瑠美は涼しい顔で受付にあるキャッシュボックスの中のお金を数え始める。他の人は汗だくになって作業しているのに、なんで瑠美はこんな楽そうなんだ。夏休み中の高木と変わらないじゃないか。まあ、美術部のこともあるし、しょうがないんだろうけど。

「……午後から会計、代わってくれるの?」

「ああ、うん、代わるよ。ありがと」

 歩はかけていた黄色のエプロンを脱ぎ、軽く畳んで瑠美に渡す。

「しばらく教室で休んでていいよ。夕方ぐらいに、美術部の受付、代わってあげて」

「分かった」

 歩は瑠美に文句を言う気力もなく、テントを離れる。その時、他の会計担当の人から、ありがとう、と言われた。


 昇降口から校舎に入り、棟の二階に移動する。二年のクラスはほとんど屋台か外での出し物をするため、二年クラスの前の廊下は他の学年に比べ静かだ。教室のほとんどが休憩所になっており、ここだけ祭りの温度が二、三度低い。祭りの空気は廊下の窓から流れてくる中庭の喧騒と音楽だけ。騒がしいが、それを外から見る分には悪くない。

 自分のクラスに戻ると、やる気のない生徒が机を固めて駄弁っていた。歩はそれらを無視して窓際の自分の席に座る。ハンカチで額の汗を拭い、机の上へ半分投げるように置く。窓を開けて、外からの風で体に蓄えた熱を冷やしながら伸びをする。疲れた。

 なんとなくスマホを取り出し、画面を付ける。すると、メッセージが来ていた。柚木からだ。前、明日の一般公開に来ないか、誘っていたところだった。

『行く』

 その二文字を見て、歩は安心した。これが断られると、次の一手が無かったから。

 歩は両手でスマホのキーボードで文字をぱちぱちと打ち、メッセージのやり取りをする。それを終えたら、歩はしばらく寝ようと机の上に突っ伏す。しばらく目をつぶって、体と心を休めていく。

 しばらくすると、誰か歩の机の上にとんとペットボトルを置いた。顔を上げると、『正午の紅茶無糖』と書かれたラベルのペットボトルが。さらに目の前の人を見上げると、そこには弦が立っていた。ワイシャツの下にはクラスTシャツの黄色が透けて見えていて、腕には『柴高祭実行委員』と書かれた腕章を着けている。

「お疲れ様。瑠美から会計、押し付けられたんだって?」

「うん、そう」

「あはは……、なんかゴメン」

「いや、弦君は悪くないでしょ。悪いのは瑠美。あいつだけ」

 そう言うと弦は口を抑えて堪えるように笑う。最近、瑠美の愚痴を言うと弦はいつも嬉しそうにする。そんなに瑠美の悪口が面白いのだろうか。

「これ、差し入れ。どうぞ」

「ありがとう。いいの? こんなところ寄ってて。実行委員の仕事中でしょ」

「まあ、そうなんだけど、もう午前ほど騒がしくないし、一日目は外部の人もいないからそんなにトラブってないんだよ。だから俺も休憩。午前中ずっと外部の参加団体の人と話してたから、疲れた」

「うわあ、学校でもそんなことしてるんだ。……大変だね」

 歩が顔を引きつらせてそう言うと、弦は「ほんとにね」と呟くように言った。

「屋台、結構売れてるっぽいね」

 廊下の窓――中庭の方を見て、弦はそう言う。

「そうだね、昼とかすごかったよ。たぶん、売り残るとかはないんじゃないかな」

「そうか、良かった」

 歩の報告を聞いて、弦は安心したようにそう呟いた。

 普通の生徒にとっては柴高祭当日が本番だが、柴高祭実行委員からすると、柴高祭の二日間より準備期間の方が断然長い。当日ともなれば、こちら側からすると九割の仕事が終わったようなものだ。あとは計画していたことをただただ実行していくだけである。

 そのため、当日は祭りへの熱狂より、無事当日を迎えられた安心感と、肩の荷が下りる解放感の方が大きい。達成感と言うより、脱力感だ。

「当日って、こんなもんなんだね」

 歩も廊下の窓を見つめながら、呟くように言う。夏休みが始まってから約二カ月間、家事や勉強と並行しながら頑張った結果が、この、やっと終わったという安心と解放感なのかと思うと、なんだか複雑な気持ちなる。

「こんなもんだよ、当日は」

 弦は自分で買っていたミネラルウォーターの蓋を開け喉に流し込む。歩も、柚木からもらった紅茶の蓋を開けて口を付けた。

 二人でまったりしていると、突然、中庭ステージのスピーカーから聞きなじみのある声が聞こえてきた。カトケンだ。

「どうもぉぉぉぉぉぉー! カトケンバンドでーーーす! よろしくお願いしまーす!」

 カトケンのあのテンションの高い声が、ステージに積み重なった業務用スピーカーを通して聞こえてくる。見ず知らずの人が作り出す喧騒の中から、見知った人の大声が聞こえてくる。うるさいことは変わりないのだが、どこか安心する。

「弦君、見に行かなくていいの?」

「え、なんで?」

「いや、見に行くもんなのかなっと思って」

「いや、別に興味ないし。あいつが好きな曲、俺、あんまり分かんないから」

 弦が真顔でそう言ったため、歩は思わず吹き出してしまった。あんなに普段は仲良さそうなのに、あんまりにも興味がなさそうで、そのギャップが何か面白かった。弦は怪訝な顔で歩を見る。

「……なんで笑ってるの?」

「いや……、何でもない……、やめてその顔……」

 弦は一層訝しそうに歩を見る。歩はその目を見てさらに可笑しくなり、笑いをこらえるのが苦しかった。


 弦が去った後、歩は教室でスマホをいじったり寝たりを繰り返しながら、カトケンバンドの演奏を聴く。ロック系のミュージックが主で、間にMCも挟みながら、観客を笑かしていた。驚いたのは、たまに観客から黄色い声援があったことだ。カトケンにそんなファンがいるなんて知らなかった。ただ、柄が悪いだけで、素直ではっきりとした性格のカトケンに惹かれる人がいるというのは、そんなに違和感もない。

 最後に、カトケンバンドはオリジナルの曲を二曲演奏した。特に最後の一曲は印象的だった。バラード調の曲で、歌詞がずっと頭に残る。『自分の犯した過ちたちを 受け止められる日が来るのかな』なんて、カトケンらしくないと思った。


 十五時半、カトケンバンドの演奏が終わったころ、歩もクラスを出て一度屋台のテントに戻る。もうすでにみんな疲労困憊だったが、人も少なくなってきたので、各々、休憩したり駄弁ったりしながら営業していた。裏の方を覗くと、瑠美が一人座って休憩していた。歩は一度テントを離れ、他のテントで飲み物とたい焼きを買って瑠美に与える(たい焼きは瑠美の好物だ)。早めに前にお願いしたことのお礼をしとかないと、なんか怖い。

 瑠美にお供え物をした後、歩は瑠美に言われた通り美術室に行った。一階の美術室の前にはパイプ椅子と折り畳みの長机がセッティングされていて、そこに『受付』と書かれた紙が貼られている。その受付に、清水先輩が座っていた。

「あ、歩さん、お疲れ」

「お疲れ様です。受付代わりに来ました」

「あ、ほんと? ありがと」

 清水先輩はにっと笑って受付を立つ。

「どう、柴高祭、お店回った?」

「ハイ、少しだけ」

「そっか、あ、そう言えば昇降口前の焼きそばの屋台、量が多くてよかったよ。ダイエットとかしてなければ、おすすめ」

「そうなんですね、明日買ってみます」

「うん」

「あ、あとね」と、清水先輩は受付の上にある模造紙を歩の前に出す。模造紙には、各美術部員とその部員が作った作品の名前が書かれており、各作品の下に丸いシールが張られている。投票シートだ。

「……結構張られてるよ。よかったね」

「ああ、ハイ」

「何よー、もっと喜べばいいのに」

 清水先輩は投票シートをもとの場所に戻す。そして「じゃあ、受付よろしくね」と鼻歌を歌いながら昇降口の方へ歩いていった。

 歩は受付に座る前に、美術室の中に入った。部員が作った作品が数々置いてある中、ひとつ、教室の後ろに展示された鉛筆のみで描かれた絵がある。歩はその前で足を止め、腰に手を当ててじっと見つめる。

「……はぁ。撤収してしまいたい」

 歩は大きくため息を吐いた後、受付に戻る。

 もう夕方だし、今日は無事に終われそうだ。振り返ってみると、今日やったことと言えば、カステラ売って、クラスで休んで、今こうやって美術部で受付しただけだ。クラスの人間とは業務連絡以外ほとんど話していない。昼食もクラスでの休憩も、グループから外れて一人だ。

 ただ、クラスのみんなが楽しんでいる姿を見るのは、外からでも悪くなかった。


 明日は、柚木も来る。明日が本番だ。


 明日は、柚木とどんな感じで柴高祭を回ろうか。

 なんのトラブルもなく終われるだろうか。

 平穏無事に帰れるだろうか。

 うまくいくだろうか。いろいろ。なんか急に不安になってきた。


 そんな意味のない思い悩みを一人でしたまま、歩の柴高祭一日目は終了した。

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