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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第10章 目の前の壁が怖いんじゃなくて
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第10章 目の前の壁が怖いんじゃなくて 7

「大丈夫なの?」

 美術館までの道のりで、柚木が歩にそう尋ねた。歩の時間は大丈夫なのか、あの三人と違う行動をとってよかったのか。いろいろな意味が込められた「大丈夫なの?」だ。

「大丈夫」

 柚木にいらぬ心配をかけぬよう、歩はいつもの声のトーンで答える。あの三人はおそらく大丈夫だろう。瑠美と弦は察してくれたっぽいし、カトケンは、まあ、特に何も気にしないだろうし。

 今までしてこなかった行動をして、体が不思議な感覚に包まれる。心拍数がいつもより早い。体が妙に動く。意図せず歩きが早くなってしまわないよう、押さえなければいけないぐらいに。単純に、体が落ち着かないのだ。

「……分かった。ありがと」

 柚木はぽつりと、呟くようにそう言った。


 美術館に着いたのは十六時前。中に入って最初に見える吹き抜けのあるラウンジは、昼間と同じく電球色の電飾で照らされている。ただ、日が傾いてきたせいか、電球色が放つ橙が最初に来た時より濃く感じられた。

 エレベーターで三階まで昇りドアが開くと、昼間と同じ女性スタッフがいた。歩がチケットを買うためにお金を出そうとすると、その女性から「昼間も来ましたよね。じゃあ、そのままどうぞ」と言ってくれた。

 そして、またイベントホールの入り口に立つ。

「どこから見る?」

「最初から!」

 柚木は迷いなく壁にある館内マップを指す。昼間来た時と同じだが、今回は迷いがない。

 展示を回り始めると、柚木は壁に立てかけられた絵本を片っ端からペラペラとめくり始めた。童話、神話、歴史物、推理物、フランス喜劇・戯曲、戦争。テーマを構わず、端から端まで目を通す。とあるページをじっと見つめたり、たまに、グロテスクな表現や際どい表現がある時は、目を大きく見開いてから急いで本を閉じたり。周りを気にせず、本の匂いを感じながら、次々と絵本を読み漁っていく。

 数々本を読んでいく中、柚木はとある本を見つけると、近くにあった布張りの丸椅子に座って読み始めた。昼間も読んでいた絵本だ。泉の妖精や魔女の存在と、実際にある地名の由来など、家訓の事柄と歴史が融合した物語。絵本と言うよりは、挿絵が多い短編小説といった感じだ。グリザイユ画法という方法で描かれた白黒の挿絵は、手書きとは思えないほどリアルで、光と陰で描かれた臨場感のある絵に引き込まれる。

 そうして、読んでは移動し、読んでは移動しを繰り返しながら、まるで何かをダウジングするように順路を進んでいく。歩は柚木の邪魔にならないよう、目の届く範囲に居ながら自分も周囲にある絵本を手に取り、目を通す。

 ここにある絵本は海外の絵本原画展で出展され、賞を取ったものが展示されている。表現もテーマも様々。作者の試行錯誤がそのまま乗っている作品の中から選ばれた作品だ。

 こんな自由で多様な作品を、どう評価するんだろう。歩はむしろそっちの方が気になってしまった。

 柚木はその後一時間弱ほど絵本コーナーを回った後、最後の方にある原画展賞の説明と作者のアトリエに関する展示のコーナーに入った。原画展賞に興味がない柚木はそこをすっ飛ばし、アトリエの展示ばかりを見始める。

 作品も様々であれば、アトリエも様々だ。画材が部屋の中に膨大に置かれ、絵の具の色が散乱しているイメージ通りのアトリエもあれば、パソコンとモニターしかないシンプルなアトリエもある。柚木は、それに対しまるでおもちゃ屋の中を見るように目を輝かせる。ここでは先の集中が切れて、純粋に知らない道具などをみて楽しんでいるようだった。

 どのコーナーも、集中して、楽しんで、飽きずに柚木は展示を回る。それを見て、やっと歩はまた来てよかったのだと分かった。柚木は、いろんなものを見たくて、考えたいやつなんだと。


 帰りは柚木を家まで送った。帰りの電車の中で歩は、参考にあるやつはあった? と柚木に尋ねる。すると柚木は「分かんない」と答えた。歩が、え、と固まるが、柚木はそのまま続けた。

「なんか、ちゃんとしなきゃいけないと思ってた。ちゃんとストーリー作んないととか、絵、うまく書けないととか、俺の描いてるやつ、大丈夫なのかなとか。ただ、そう思うと全然進めらんない。けど、美術館でいろんなやつ見たら、もうそんなの考えなくていいんだって思った。だって、あいつらは好き勝手やってるんだもん。他の人に分からせるつもりもない。しかも、なんかそれっぽく描いて誤魔化してるのが腹立つ。そんなの見てたら、もういいや、って思った」

 電車のシートに座り、下を見たまま。でも、何かを決めたようなしっかりした声で柚木は続ける。

「だから、俺も好き勝手やる。自分でかっこいい絵、描くし、自分でちゃんとストーリーを考える。それで、お母さんに聞けばいい。どうだった? って」

 暴論に近い答え。だが、一番確実で、現実的な答えでもある。歩はつい笑ってしまう。

「そうだね」

「そうだよ!」

 他人が出した答えなんて、参考にできたもんじゃない。みんな身勝手で、自分のための答えにしか興味ない。おそらくそれは自由が故で、そうする以外どうしようもないのだ。そう、歩は思った。


 電車で最寄りの駅に着いた後、歩と柚木はバスに乗り換える。疲れたのか、柚木はバスが出てすぐに眠りについてしまった。途中、歩の肩に寄りかかったが、よだれが歩の肩に付いていることに気付き、ハンカチで肩と柚木の頬を拭う。しかし柚木は起きない。ほんと、可愛げがあるのか生意気なだけなのか、分からないやつだ。

 バスはとある住宅街で止まる。歩の住むマンションが多い地域と違い、一軒家が多い住宅街だ。

「俺の家、すぐそこだからもう大丈夫」

 柚木はその中のある一軒家を指さした。小さな門と白い柵で囲われた二階建ての立派な一軒家だ。家の灯りはまだ点いていない。まだ十八時前だし、父親も帰ってきていないのだろう。

「分かった。じゃあね」

 柚木が家に入って行くのをその場で確認する。柚木が中に入り、玄関の扉を閉めたことを確認した後、歩は安心して、ふーっと、大きく息を吐いた。


 反対車線のバス停からバスに乗り、家の最寄りのバス停を降り、家に帰る。晴信が作った夕飯を食べ、お風呂に入った後、歩はパジャマ姿で布団へ飛び込んだ。やっと一人の時間だ。歩はスマホを取り出し、SNSを確認しようと画面を点ける。すると、メッセージが入っていることに気が付いた。柴高祭実行委員のグループだ。瑠美が今日撮っていた写真を上げていたいのだ。

 中学まで入っていたメッセージグループでは、自分の参加していないイベントの写真を眺めるのがほとんどだった。しかし、今回は違う。自分が確かにそこにいて、進んできた記録が残っている。つい自分のスマホに大事に保存してしまう。今までは、こんなことはなかった。

 歩はスマホをベッドの上に置いたまま立ち上がり、机の下にある引き出しの一番下を引き出す。そして、ひとつのアルバムを取り出した。母の写真があるアルバムだ。まだ母がいた中学までの記録。その記録は、母が離婚してから進んでいない。


 ここから進むためには、何をすればいいのだろうか。母に、何を話せばいいだろうか。

 考えるのはしんどい。ただ、ずっとこのままというのも想像ができなかった。おそらく、どこかで許容しきれなくなる。

 ここで止まったままなのは、嫌なのだ。


 歩は部屋を出てリビングダイニングの部屋のドアを開ける。テレビの前のソファには父が座っていて、お笑い番組を見ていた。歩は後ろから近づき、父の丸まった背中に声を掛ける。

「お父さん」

「うおぉ! びっくりした……。歩か」

 父はソファあの上で飛び上がり後ろを振り向く。歩がいることを確認すると、一瞬安心したように顔が緩んだが、すぐいつもの表情に戻る。

 はぁ、よし。

「こないだはゴメン。言い過ぎた」

「……はい?」

 いきなりの謝罪に明らかに疑問符が付いた声を父が出す。歩は構わず続ける。

「あと、お母さんの件だけど、十二月とかに会いたいと思ってる。まだ確定じゃないけど。それだけ取り急ぎ、報告」

 父はしばらく呆然とした後、とりあえず何の話かだけ頭の中で整理をつける。そして「……分かった。ありがとう」と、とりあえず返事を返した。すると歩は「うん、じゃあ」とだけ言い残して、リビングダイニングから出て行った。

 歩はそのまま自分の部屋に戻り、ベッドに置いたスマホを取り上げ、メッセージを打ち込む。最初に打ち込んだのは数スクロールにも及ぶ長々とした文章。ただ、これはいけないと、打ち直しては消し、打ち直しては消しを繰り返し、やっと文章が完成した。最終的にできたのは十行弱の少し長めのメッセージだ。

 そのメッセージをとある人物に送る。瑠美だ。返信は、すぐに返って来た。

『いいよ。そのぐらいのスペースだったら。その代わり、なんか奢れや』

 ぐちぐち何か言われると思ったが、瑠美はすぐに歩の願いを聞いてくれた。文面は怖いけど。

『ありがとう』

『部活はちゃんと来なよ』


 母の件を進めるために、何をすればいいかはまだ思いつかない。ただ、今のことでやることはある。まずは、そこから片付け始めよう。

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