第10章 目の前の壁が怖いんじゃなくて 2
「柴高祭も決めることは決めて、あとはもう粛々と準備を進めるだけだし、あの子の絵本が進まないとあんたも準備に時間取れないでしょ。だから今日はみんなで歩のお手伝いするってことになったの」
歩きながら、瑠美はそう説明してくれた。
「……なんで昨日言ってくれなかったの? ていうか、みんなで行かなくてもいいんじゃない? いろいろ忙しいんだから、進められるものは進めれば――」
歩がそう言い掛けると、瑠美が横から薄めた目で歩を見つめる。やばい、何か地雷踏んだかも。
「歩、あんたクラスシンボルはできた?」
「……できてないです」
瑠美の質問に歩は素直に答える。嘘をつきづらい、痛いところを突いてきた。
「看板もまだ途中でしょ。遅れてるの、あんただけでしょ。分かる?」
確かにそうだが、であればなおさらこんなことをしている場合ではないのでは。
「じゃあ、なおさら今日作業しないと」
「だから今のあんたじゃ無理でしょ、そんなもう死にそうみたいな顔して」
歩は言い返すことができず口ごもる。瑠美の言う通りだ。仕事も満足にできていない歩に、この協力を断る権利なんてない。黙り込む歩を見て瑠美が肩を叩く。
「しょうがないこともあんのよ。それに……」
何か慰めの言葉でも続けるのかと思ったその時、瑠美は拳をぐっと握りしめた。
「夏休み全然遊べてない! なんでずっと学校に閉じ込められなきゃならないのよ! 外に出させろ! 外に! なんで高木とかは普通に遊んでるのよ!」
普段からため込んでいたのだろうか、瑠美は不満を一気にぶちまける。いや、私に言われましても。一通り不満をぶちまけた後、瑠美はまた歩と目を合わせた。
「そのためなら、柚木にも協力してもらう」
柚木がいれば外に出る理由にもなるの! 瑠美は躊躇いもなく言う。いや、自分と都合が過ぎるだろ。
そんな風に騒いでいると、先に歩いていた弦とカトケンがこちらを振り向いた。
「瑠美、どうしたの?」
「あ、いや、何でもない」
そう言っていつもの仮面のような笑顔に戻って手を振る。さすがの百面相、と思ったら、また真顔でこちらを見た。
「だから、今日はいいの。今日は休み。だからほら、行くよ」
休む、というのは柚木の手伝いをするこの状況と矛盾する気がするが、まるで両立できるように言われると、なぜか説得されたように感じてしまう。
「あんたもだよ」
瑠美は歩の隣にいた柚木にも声を掛ける。柚木はしぶしぶ「分かった」と口では言う。しかし柚木はまだどこか、後ろめたさがあるような顔をしていた。
西口にあるバスターミナルとデパートと通り過ぎ、西方向へ伸びた通りを真っすぐ進む。駅前を離れても、背の低いビルが並んでおり、ショップやホテル、会社、事務所が入っている。
そんな人が行きかう活発な街の中を、寝不足の状態で歩くのは不思議な感覚だった。自分だけがこの喧噪より遠い場所にいるように感じる。ただ、賑やかさと一緒に煩わしさもフィルタ―されているようで悪くない。靄がかかった意識のおかげで思考が止まり、昨日のことを考えずにいられる。
それにしても、三人が柚木のためにここまで付き合ってくれるのが意外だった。本人たち(というか瑠美)は、単に仕事をしたくないだけかもしれないが、それなら他にもやりようはあるだろう。極端な話、松本先生の許可なんて取らずとも、今日は休み、としてしまえばいい。
そんなこと思いながら、歩は常に柚木の隣を歩く。そうしないと、なんだがいきなり飛び出しそうで安心ができない。って、私は母親か。
柚木いまだに、暗い顔をしいてる。
「……いいよ、そんなに気にしなくても」
「いや、別になんも気にしてないけど」
そう言いながらも、柚木の表情は晴れない。まあ、そうだろうな。疲れた顔のまま、大丈夫、と言われても、心配が無くなるわけがない。
その気持ち、歩にはよく分かる。ただ、その気持ちを受け取る側になるのは、まだ慣れてない。
駅前から伸びた大通りをしばらく歩くと、北方向に延びる通りと交わる交差点がある。大通りは銀行の支店や不動産の事務所などが並ぶ堅いイメージだったのに対し、その通りに入るとカフェや小さい事務所、薬局、脇道にはラーメン店や居酒屋などもある庶民的な雰囲気に変わる。中には図書館や大きな会館、緑を纏ったお寺や神社もあったりする。
「帰り道、あそこ寄ってこう」などと話しながらしばらくその通りを歩くと、今日の目的地である美術館にたどり着いた。古いビルに挟まれた、マンション街の手前に建てられている大型の施設だ。美術館ということもあって、もっと変わった見た目の建物を想像していたが、石肌のような外壁とガラス窓でデザインされた普通の施設のように見えた。とはいっても大きさはデパート並みに大きく。やはり目立つ。
「……うおぇ、でけえ」
「言っておくけど、これ全部美術館じゃないからね、ここの三階」
カトケンと柚木は二人そろって口を開けてそれを見上げる。そんな口あんぐりな二人に瑠美は軽く補足をして、歩や弦と一緒に中へ入って行く。看板を見ると、瑠美の言う通り美術館はワンフロアだけで、建物全体はホテル施設となっているようだった。
中へ入り、最初に見えるのは三階まで続く吹き抜け。天井には川の流れのように配置された電飾が電球色に輝いており、それらの光が磨かれた石畳に反射していた。白と木目で構成された壁や柱は多少古さを感じるが、それが一層、館内の品の良さを引き立てている。あまりの優美で上質な空間に、瑠美と弦以外は緊張で体を強張らせた。
入って右奥に設置されているエレベーターで、三階まで昇る。内装きらびやかなエレベーターのドアが開くと、床に大理石のような床材で敷き詰められたこれまた品の良い受付が迎えてくれた。受付の横には『世界絵本原画展』と書かれた看板が立っている。これが今日の目的だ。
「すいません学生三人と子供一人」
弦がそう言って受付の女性スタッフからチケットを取ると、みんなにパンフレットとチケットを配る。
「お金はあとでいいから。それじゃあこれからは自由行動で」
そう言った後、弦は柚木の方を見てしゃがみ込む。
「柚木君は、歩さんと一緒にね」
それじゃあ解散、と弦が言うと、三人はイベントホールの中へ、それぞれ方々に散って行ってしまった。入口の前に残されたのは、歩と柚木、二人だけ。え、待って。私たち放置なの? あれだけ言っといて、協力とかは一切なし?
ポツンと残された二人。少しの沈黙の後、歩がとりあえず口を開く。
「えーと、見たいところ、ある?」
「……じゃあ、ここ」
そう言いながら、パンフレット上にあるマップを指さす。
「……最初のところ?」
「まあ、とりあえず」
柚木も来てみたはいいものの、どこに行ったらいいか分からない様子。やはり、瑠美たちに誘われたまま来てしまっただけなのだろう。
歩は小さく息を吐いた。
「分かった、じゃあ最初から見ていこ」
そう言いながら柚木と一緒にホールの中に入って行く。来てしまったからにはもう仕方ない。参考になるかは分からないが、今ここを回ること以外何かができるわけでもない。
眠気の中、そんな少し開き直った気持ちで、歩は柚木と共に絵本原画が飾られた回廊を歩いていった。




