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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第8章 どうしようもない。それでも弦は為すべきことを
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第8章 どうしようもない。それでも弦は為すべきことを 3

「歩さん、お父さんと仲いいの?」

 弦は話をそらそうと、父の話に話題を持っていく。

「……仲いいってほどでもないかな、普通」

「へえ、じゃあ喧嘩とかもあんましない?」

「……」

 弦の悪意のない質問に歩は黙り込む。ちょうど喧嘩中なのにそれを聞いてしまうなんて、タイミングが悪い。

「あ……、なんかごめん」

「いや、別に謝らなくてもいいよ」

 何かを察して謝罪する弦に、歩は一言フォローする。

「けど、午前中、掃除お父さんとしてたんでしょ。やっぱり仲いいんじゃん」

「一緒に掃除してないよ。というか、弦君の仲がいいの境界線、低くない?」

 弦は「そうかなぁ?」と言いながらスマホをベンチの上に置く。そして少し考えた後「まあ、そうかもね」と確認するように呟いた。

「弦君は午前中なんかやってたの?」

 質問させてばっかりなのも弦に申し訳ないと思い、歩も弦に質問を投げかける。

「え、午前中? あー、午前中ね……」

 弦はそう言って目線をそらした。歩は「別に答えづらいならいいんだけど」と付け加えるが、弦は「いや、そういうわけじゃないんだ」と視線を戻す。

「今日は親戚の挨拶行ってたんだ」

「親戚の挨拶? お盆まだなのに?」

「まだなのに」

 歩の言葉を復唱した後、弦は続ける。

「うちの父親、仕事関係の人とか親戚とかと家族ぐるみで付き合うことが多いんだよね。それで、まあ、挨拶回りとかに付き合わされたりするんだよ。お盆とか関係なしにね」

 あまり触れたことない世界に、歩は素直に感心する。藤井家でそんな挨拶みたいなこと滅多にしない。そんないろんな大人と次々と挨拶する環境なんて、想像するだけでも緊張で体調悪くなりそうだ。

「なんか、大変そうだね」

「まあ、そうだね。たまにしか会わない人とか、前何話したかとかあんまり覚えてないし、知らない人とか、苦手な人もいる」

 弦は小さく息を吐き、ベンチの後ろの壁に体を預ける。

「ただ、父さんの知り合いだからね。失礼するわけにはいかないから、うまくやる。そんな感じだから、家の中でも気を遣うことは多いかな」

「ほら、考えてみてよ、学校終わって帰ってきたら親の上司がいた時の気持ちー」と、弦は自嘲気味の笑いを浮かべながら棒読み声でそう言う。

「う、うん。それは大変そうだね」

 歩がそう言うと弦は「まあ、しょうがないんだけどね」と、呆れているのか諦めているのか分からないような笑みを浮かべながら、あっけらかんと言った。

 弦のクラスでの身の振り方、メッセージの送り方、先生との付き合い方、歩への気遣い、高木たちへの対応。あの周りを傷付けず、場を成立させ、現状維持のまま前へ進める技術は、家族内でのそういう交流で身に着けたのだろう。

 ふと、母と重なる部分があるなと頭の端で思った。母の実家はいわゆる地元の名士で、親戚や地元の団体との付き合いがとても多かったらしい。あまり詳しく聞いていないが、小学一年生の時、一度だけ母の実家に行った際もそんな話をしていた。以降もよく、実家の人と電話をし、ため息をつく母を見て、子供ながらにそういう付き合いは大変なんだろうと察していた。

「窮屈だとかは、思わない?」

 奥底にあった疑問が、歩の喉をのぼって口からそのまま溢れ出す。そんな常に身を正し、気を遣うような生活、窮屈そうで抜け出したくなってもしょうがないと思った。

 歩の問いに対し、弦は「あはは、まあそうかもね」と笑う。

「でも、考えても意味ないって。だって、考えても変わらないんだし」

 弦はいつものさわやかな、しかしどこかいつもより平坦な声で続ける。

「俺は別に、父さんが嫌いってことないんだよ。まあ窮屈だけと、飯はちゃんと食わせてくれるし、学校にも、塾にも通わせてくれて。逆に、感謝してるよ。反抗する理由がない」

 弦は斜め上の空間を見つめながら話す。

「でも、学校のこととか、今のことに口出しされると、ちょっと嫌かな」

 そう言って弦は視線を地面に落とした。

「今のこと?」

「うん、今のこと」

 弦は膝の上に肘を置いて前かがみになり、一歩前あたりの地面を見つめる。言葉を間違えないため、考えるように。

「学校のこととか、友達のこととか、進路のこととか、父さん、結構歳行ってて疎いからさ、今とずれたこと結構言うんだよ」

「うん」

「知らないこととか、ずれてることが嫌じゃないんだ。だって、知らないんだし、年代も違うからずれてもしょうがない。俺が嫌なのは、それが分かってて、それでも何かしないとって、無策のまま関わろうとしてくるところなんだよ」

 平坦な弦の声から、積もった鬱憤のようなものを感じた。何か違和感を覚えながらも、それを言えないがために積もった何かを。

 歩の頭の端に、今までの父との会話がちらつく。父の発言はどこかずれていて、話が嚙み合わない。

「たぶん、どうしようもないんだよ。例えば、学校で流行ってることとか説明してもさ、たぶん理解できないよ。SNSが無かった時代の人からすると、かなり異様なものに見えると思うんだ、今流行ってるものって。それでも何か関われないかとか、何かできないかって、なりふり構わず関わってくるのってさ――」

 そう言って弦は歩の方を見る。さらりとして笑顔で。

「何もできないって現状に耐えられなくて、それでも変わらないまま、努力はしてるんだって言い訳してるようにしか見えないんだよね。自分が責務だと思っていることだけ実行しながら、でも、どうしようもないんだよって許してもらおうとする、みたいな」

 何も、具体的なことは一言も言っていない。抽象的な弦の言葉。しかし、それに歩は共感を覚える。

 父が歩たちのために頑張ってくれているのは分かっている。離婚した後も、歩たちの負担にならないようにと一生懸命になってくれたことも。今も何かできないかとしてくれようとしていることも。

 ただ、絶望的に父とは何かが違くて、ずれていて、合わないことを互いに知っている。

「……それってやっぱり、結構窮屈じゃない? 早く家出たいとか、考えないの」

 歩がそう聞くと弦は首を横に振った。

「そんなことはないかな。さっきも言ったじゃん。俺、父さんのこと嫌いじゃないんだよ」

「もちろん、意味分かんないときもあるけどね」と付け加える。前に言っていた、弦の父の趣味のことだろうか。弦は「それでも」と続ける。

「俺にとっては、今の学校のこととか、今の人間関係とかと同じくらい、大切な現実の一つなんだ。ほんと、残念なことに」

 そう言うと弦は立ち上がり「そろそろ、作業に戻ろうか」と歩を促す。歩は「うん」と首を縦に振り、弦と共に図書館へと戻っていく。


「――俺にとっては、今の学校のこととか、今の人間関係とかと同じくらい、大切な現実の一つなんだ。ほんと、残念なことに」


 この一言を聞いて、歩の心の中で引っ掛かっていたものがストン落ちたような気がした。

 父は自分の言動が人にとって負担になることに気づかないことがある。無理に会話をしようとしたり、手伝おうとしたり、変に気を遣ったり、無理に話に入ってこようとしたり。歩としては、ありがた迷惑なことの方が多い。

 しかし、それと同時に、一緒にいてくれたのは、ご飯を食べさせてくれたのは、気に掛けていてくれたのは、父なのだ。残念だけど、それは変えられない。


 ただ、その現実との関わり方は、まだ分からないままだ。

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