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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第8章 どうしようもない。それでも弦は為すべきことを
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第8章 どうしようもない。それでも弦は為すべきことを 1

 高木が教室に襲来した翌日。天気は快晴。暑い。しかし、絶好の掃除日和だ。

 歩はずっとできてなかった大掃除を午前中のうちにやることとした。弦との作業が午後からあるが、晴信も休みだし、可能であれば今日中に片を付けてしまいたい。

 寝ている晴信も叩き起こし、さっそく掃除を始める。晴信には玄関の掃き掃除と、窓、網戸の掃除を任せて、歩は水回りの掃除をする。キッチンのシンクは先日購入したクエン酸スプレーとキッチンペーパーでパックする。その間に、洗面器、お風呂の掃除をする。洗面器は蛇口の裏、お風呂は備え付けの棚裏までしっかり掃除する。それを終えたらお風呂にはカビ取り用の塩素系洗剤を吹きかけ、放置。シンクのパックが汚れを浮かしてくれたところで、パックを外しメラニンスポンジでこするように拭き上げる。見えるところの掃除が終わったら、各排水溝に専用洗剤を流し込む。

 その他、燃えるゴミ、生ゴミ、雑誌、新聞、衣服の断捨離、エトセトラ……。歩は手が止まる時間を作らないよう、パズルのようにタスクを組み合わせながら次々と掃除をこなしていく。

 家事に没頭する時間は久しぶりだ。最近、柴高祭や柚木のことばかりに時間を使っていたように思う。

 歩は家事の中でも大掃除が大好きだ。小さいシンプルなタスクを空きが出ないように組み合わせて、ひとつずつ丁寧に潰していく。絶え間なくタスクを処理して、時間内に全て終えられた時の達成感はとても心地がよい。最近は物事がうまく進まずもやもやすることが多かったため、作業が順調に進むだけでも達成感を感じる。父のこと、クラスグループのこと。最近は自分個人で完結しない問題が多く、歩にとってはかなりのストレスだった。

 全てのことがこんな風に単純だったら。そんなもやもやをひとつずつ消していくように、歩は掃除を一つ一つこなしていく。


「……ねーちゃん、こっちもう終わった」

「おーけー……」

 正午を回ったあたりで、晴信は頼まれた掃除を終えた旨をベランダから大きな声で歩に伝える。一方、歩は粗方の掃除を終えたものの、掃除によって出たごみが散乱したリビングをすっきりしない様子で見つめていた。弦との作業は十三時ごろから始める予定だ。そろそろ準備して学校へ向かいたい。

「俺が、やっとこうか」

 そう悩んでいたところに、自分の部屋から出てきた父が声を掛ける。今日は有給休暇で休みであることはもちろん知っていたが、大掃除にはあえて声を掛けなかった。理由は、なんとなくだ。

 歩は後の処理を父に任せるか悩んだが、それ以外に選択肢はない。

「……じゃあ、お願いします」


 大掃除の後始末に加えて、父は車で歩を学校まで送ることを提案し、歩はそれを渋々ながらに受け入れた。この暑さの中、車で学校まで送ってくれるのはありがたいし、断る理由もない。ただ父と二人きりになるのが気まずい、というだけで断ることができなかった。

 事前にエンジンをかけた車の車内は、エアコンが作り出した独特の匂いの冷風で満たされている。出発した後も、車内に流れているのはエアコンの風とラジオの音だけ。二人は一切話さず。歩は窓の外をおぼろげに見つめている。

「……今日も、文化祭の準備なんだよな、大変だな」

「うん」

 歩は外を見つめたまま、呟くように返事をする。

「今日の夕飯は、俺作るから。遅くなりそうだったら連絡してな」

「うん」

 父が無理やり話題を引っ張りだすものの、歩は変わらず気のない返事をする。車は川沿いの道路を抜け、車が行きかう大きな通り出る。しばらく走ると、晴信が通う中学校のそばにある信号が赤に変わり、車はゆっくり減速して停止する。

「……その、一昨日はごめん」

「……何が?」

「いや、父さんがまた余計なこと言っちゃったのかなと思って」

「お母さんのことでしょ」

「はい、そう。それです」

 歩にはっきり指摘され、父は叱られた部下のように謝罪をする。

「急かしちゃってすまん。いつでもいいから。ただ、ちょっとこないだ、母さんと電話で話したから、そのこと伝えようと思ってただけ」

 母のこと、と聞いて心がざわめく。ただ、歩は窓の外を見たまま父の方を振り向かない。

「……なんか言ってたの?」

「いつも通り。最近の仕事の調子とかだよ。元気だって」

「……あ、そう」

 内心、それだけか、とがっかりした。父がこの状況でわざわざ口を開いたものだから、何かあったのかと思った。そして、こちらはあれこれと考えを巡らせているのに、母はいつも通りであることにも、何かもやっとした感情になる。

 その後、学校に到着するまで二人はただ沈黙。車内には、エアコンが空気をかき回す音と、ラジオから流れる陽気な音楽だけが流れていた。

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