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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第7章 クラス調整はやっぱり面倒
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第7章 クラス調整はやっぱり面倒 3

 次の日の夜。自室にて歩は迫る模試に向け、数学の参考書と闘っていた。

 今日は本当に集中ができない。解説を何度も読み返すが、全く頭に入ってこない。ちょっと休憩して、よし、と気合を入れ直すものの、参考書の文章が理解できずまた休憩して……。それをずっと繰り返す。前に進めず、ずっと同じ場所で足踏みをしてイライラする。

 空回りし続ける脳にうんざりしてきたころに、背中の方からドアをノックする音がした。

「歩、ご飯、できたぞ」

 父が部屋のドアをノックして夕食ができた旨を歩に伝える。いつもよりワントーン高い父の声に歩は違和感を覚えた。緊張を明るい声で誤魔化すような、そんな声色。そういえば、朝食の時も何かそわそわしていた。

「うん」

 なんなんだ、と歩は思いながも、一回机から離れる理由が来たことに歩は少しほっとする。ドア越しに返事をして、リビングダイニングに向かう。

 ダイニングテーブルの上には、ご飯と味噌汁、グリルで焼かれたアジの開きの焼き魚が二食分配膳され、テーブルの真ん中にはスーパーで買ってきた切り干し大根とポテトサラダがプラスチックの容器のまま置かれている。

「今日、ハルいないんだっけ?」

「あ、ああ。今日、部活の友達と遊びに行くんだって。映画見に行くって言ってたな。えっと……アヴァンゲリオン? だっけな」

 やはり、何かいつもと違う。いつもより一回に話す量が多いような気がした。まるで話してないと、言葉の壁がなくなって不安になるかのように。

 歩も座り、二人で「いただきます」と声を揃える。箸でアジの背骨を首のあたりを折り、そのまま身を箸で押さえ、背骨を持ち上げると尻尾まで骨が取り出せる。父も同じように骨を処理し、皿の端に寄せて身を食す。舌の上に、塩が解けたアジの脂が広がる。

「……明日、月曜だけど、学校行くのか?」

 父が話題の飛び石を見つけ、それに飛び移るように言葉にする。

「うん。文化祭の打合せだから」

「午前中から行くのか?」

「いや、明日は午後から」

 歩のそっけない回答に、父は「そうか」と視線をポテトサラダと切り干し大根あたりに彷徨わせる。

 父は会話が止まると、次の飛び石を探すように話題を考え、話し出すときは意を決してジャンプするように話す。ただ、以降はそうせず、視線を下げてただ黙々と箸でご飯を口に運ぶ。すでに乗り移る石は決まっているが、なかなか決心がつかないような感じだった。それから会話がないまま、箸が食器に当たる音と咀嚼音だけがテーブルの上で跳ねる。歩は不思議に思いながらも、黙々と食事を進める。


 父が先にご飯を全て食べ終える。焼き魚の身はきれいに取り除かれ、骨と頭はお皿の端に寄せられている。先に食器を下げるかな、と思ったが、父は箸だけ置いて立ち上がらず、座ったまま視線を手元のグラスに落とす。表情は変わらぬままだが、何かを話すための一言目の言葉を探しているようだった。

「……何? どうしたの?」

 ついに我慢ができず、歩から話を切り出す。父は突然話しかけられ「え、いや」と目をそらす。

「朝からずっとそわそわしてよね。……鬱陶しいというか、気になるんだけど」

 歩が訝しげな表情で言うと、父は「いや。……すまん」と謝る。いやいや、すまんじゃなくて。

「何?」

 歩がそう問い詰めると、父はゆっくり口を開く。

「……明日、学校、午後から行くんだよな」

「……そうだけど」

 父は確認するように、歩がさっき言ったことをそのまま言う。歩は、なんなんだ、とイライラしてきた。

「その、昨日、家の近くまで来てた子、いるだろ?」

「……弦君のこと?」

 歩がそう確認するように返すと父は「そうそう、その子」と突然声を大きくする。その声にびっくりして歩はびくっと肩を弾ませると、父は「あ、すまん」と冷静になり視線を泳がせる。

「その、弦君って子も、明日来るのか」

「来るけど」

「そうか」

「……うん」

 父はグラスに目線を落としたまま話し続ける。

「その、仲、いいのか」

「……仲いいってほどじゃないけど。文化祭の実行委員で一緒なだけだし。で、ほんと何?」

「いや……」

 そう言って父はまた視線を泳がせる。ほんとになんなんだ。

 しばらくの沈黙の後、父は息を小さく吐いた。

「すまん。それだけだ」

「はぁ?」

 歩は呆れて思わず声が出る。本当に、父が何をしたいのか分からない。

「何? 弦君がどうかしたの?」

「いやごめん、本当に、ちょっと気になっただけなんだ。歩が男の子の友達連れてきたの、初めてだったから」

「それだけ?」

「それだけ」

 そんなしょうもないことで朝からそわそわしてたのか、と歩は大きくため息をつく。

「すまん、歩が男子と話してるの、初めて見たから、気になっただけなんだ」

「普通に聞けばいいじゃん、なんでそんな……」

 言い掛けていったん止まったが、せき止められず言葉がそのまま口から出る。

「いつもおっかなびっくりに話すの? 鬱陶しいよ」

「そうだよな、ごめん」

 また謝罪する父を見て、呆れた歩は席を立つ。

「ごちそうさま」

 歩は食器をテーブルの上でまとめて、シンクに下げる。

「今日、食器洗うのお父さんだから」

「あ、ちょ、待って」

 食器を下げて部屋に戻ろうとする歩を、父が呼び止める。まだ何かあるのか。

「母さんのことなんだけど――」

 母さん、というワードが、歩の心のささくれに引っ掛かる。

「その話、私のタイミングでいいって言ったよね。しつこく聞いてこないでよ」

 明確な拒絶が含まれた強い言葉を父に吐き出し、歩はリビングダイニングを出てドアを思い切り閉める。洗濯機の前まで行き、かごに溜まった洗濯物を洗濯機の中に放り込む。胸の中に溜まった靄を吐き出すように。

 父の態度が嫌なのだろうか。おっかなびっくりに話すその姿勢に腹が立つのか。自分が反抗期にあたる年齢で、そのせいで無性にいら立っているだけなのか。

 その答えも分からぬまま、歩はかごに入った衣類を洗濯機の中に放り込む。そして洗濯機のスタートボタンを親指で突くように押す。洗濯機が回り始めたことを確認して、そのまま自分の部屋へと戻って行く。

 そこで行き詰まっていた数学の問題をまた目の前にし、歩は、もう、と小さくうなった。

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