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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第7章 クラス調整はやっぱり面倒
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第7章 クラス調整はやっぱり面倒 1

 八月に入った。空は鼠色一色。雲の切れ目は一切ない。天気予報によると夕方から雨が降るらしい。

 そんな下り坂の天気の中、歩は美術部の活動帰り、学校近くのショッピングモールへ寄った。毎年夏休み初日にやる大掃除ができていなかったため、休みの内にいつでもできるよう、道具を事前に買っておきたかったからだ。


 歩は夏休み中、美術部に参加をする予定はなかった。柴高祭に作品を出すつもりなかったし、松本先生からも「美術部の手伝いは夏休み明けからでいいぞ」と言われていたからだ。しかし、今日は瑠美に嵌められてうっかり参加してしまった。柴高祭の書類手伝うから一緒に宿題やろうよと誘われて学校に顔を出したのが運の尽き。もちろん申請書の相談と宿題はやったのだが、午後から強制的に美術部の手伝いをさせられた。

 ただ手伝うだけならまだよかったのだが、柴高祭のシンボルや看板を作ることを瑠美が言いふらしたらしく、先輩や後輩にその点をガリガリと聞かれてしまった。昔、美術部だったことを聞かれてもなあなあにしてきたのだが、そのせいで溜まった好奇心が爆発したのだろう。


 ドラックストア、ホームセンターを回り、アルコールやら塩素系洗剤、クエン酸、メラニンスポンジやらを購入する。最後に百円ショップへ寄って収納整理のための棚などを数点だけ買おうと思ったが、買うつもりのないものもいくつか買ってしまった。最近の百円ショップは便利なものが多すぎる。シャンプーをぶら下げられるフックとか、逆さまに自立して乾かせるコップとか。突っ張り棒とワイヤーネットなんて組み合わせ次第でどうとでも活用できるから、どうしようか想像しているだけでいつの間にか時間が経ってしまっている。

 ただ、いろいろ組み合わせを考える時間は楽しい。部活で質問攻めをされ、少し気疲れした状態だったため良いリフレッシュとなった。

 ドラックストアで貰ったビニール袋には他のショップで買ったものもまとめて入れられ、大きく膨らんでいる。その袋を持って歩はエスカレーターに乗り、三階から一階に降りていく。

 一階のエスカレーター脇にあるイベントスペース。時おり子供体験型のイベントや物産展などの催し物が行われているスペースだが、今日は何も開催されておらず、代わりに食事や休憩にちょうどよさそうなガーデンテーブルが等間隔で設置されている。土日ということもあり、家族連れやおじいちゃんおばあちゃんが多く、みんなそのテーブルに座って一息ついていた。

 やっぱり土日は人が多いな。そう思いながら歩はその横を通り過ぎ、出口である自動ドアをくぐる。

 時刻はちょうど十七時。天気予報通り雨がぽつぽつと振り始め、駐車場のコンクリートにシミを作り始めていた。歩は鞄から折り畳み傘を取り出し開く。そして駐車場の中に作られた歩道を歩き、大通りに出て歩いて家に向かう。

 その途中、スクールバッグの中でスマホがヴっと鳴った。歩はスマホを取り出して通知を確認する。クラスグループのメッセージ通知だ。歩は、またか、と道端で一人ため息をついた。


 八月に入るまで、二年三組のメッセージグループの通知は鳴りっぱなしだった。ことの発端は七月最後の実行委員の打合せが終わった後、弦がメッセージグループに投下したメッセージだ。


『お久しぶりです。夏休み中ごめんね。柴高祭の件、夏休み前に柴高祭の出店でベビーカステラを出すことになってたと思うんだけど、販売するベビーカステラの内容を実行委員のほうでまとめたので共有します。他に希望の味がある人は、八月十五日までにメッセージで連絡ください。』


 この後に実行委員で決めた出店内容を説明が続く。実行委員で決めた内容を伝えつつ、他に希望や意見がある場合は期限付きで受け付けるという内容だ。期限付きにすれば、反応しない=そのままでいいという意思表示となる。そうすることで、後日、そんなの聞いていない、などの文句が出ることを防ぐことができる。結果、夏休み後の運営がスムーズになる、という寸法だ。揉め事を回避し、輪を乱さないよう配慮する。いかにも弦らしい。

 ただ、それはそもそも誰も文句なんて言わないだろう、という楽観的な予想が前提だった。

 翌日、想定外の事態が起きた。高木が『え、そもそもカステラ売るんだっけ』というメッセージをグループに投下したのだ。高木とは、夏休み中ずっと打合せに参加していない実行委員の一人である。そしてそのメッセージを機に、他の人からも質問や希望がどんどんメッセージとして押し寄せてきた。クラスのほとんどの人は夏休み後の柴高祭のことなんて全く考えておらず、夏休み前のLHRのことなんて誰も覚えていない。そのため、高木が投下したメッセージを皮切りにいろんな疑問が爆発したのだろう。

『味それだけにするの?』

『役割分担はいつ決まるの?』

『なんでベビーカステラになったんだっけ?』

 味に関する質問以外にも、そんなの前に説明したじゃん、みたいな質問がメッセージでどんどん飛んでくる。中には『クラスのシンボルマークまだできてないの?』というメッセージもあった。

 瑠美は『ずっと実行委員グループで進捗報告してたのに、高木はなんで内容を把握してないの? ありえなくない?』と歩に個別メッセージで愚痴っていた。歩はまあまあと瑠美をなだめたが、そこは歩も同感だった。弦も同じことを思っているだろう。

 そして、弦はこの柴高祭への疑問・希望・不満が吹き荒れるメッセージ祭を収めるため『夏休み前のこと、覚えていない人もいるようなので、そこも含めて改めてメッセージします』とメッセージを投下。そこで一旦、メッセージの受信件数の上昇は止まった。しかし、これをきっかけに今までほとんど動いていなかったクラスグループが再び動き出してしまった。いまでもたびたび通知が来る(ちなみにそのやりとい中心となっているのは高木である)。

 歩はあまりの煩わしさにクラスグループの通知を切る。こんな通知にいちいち時間がとられるなんて、バカらしいと思ったからだ。

 模試が近づいているこの時期にこんなトラブルが起こるとは思っておらず、歩は内心焦っていた。申請書の整理はまだ終わっていない。模試に向け、勉強は予定通り進めてきたものの、想定外のイベントが発生すると調子が狂う。


 大通りを歩き、ショッピングモール周りの低い建物が並ぶ地域から、五、六階建てのビルが並ぶ通りに入る。ビルの下層にはアパレルショップやカフェ、コンビニ、ゲームセンターなどが入っており、上層には小さい会社や事務所が入っている。

 その通りの一画に、前面がガラス張りの、やけにスタイリッシュな五階建てビルが一本立っている。ビルの上には「川合塾」と書かれた大きな看板が掲げられていた。ここらへんじゃ、一番大きい予備校だ。

 歩はその前に立ち止まり、自動ドアのガラスに貼られたチラシをじっと見る。

『一・二年向けグリーンコース』

『まだ間に合う! 大学受験生向け夏期短期講習』

『第三回全国共通テスト模試 受付中』

『受講生募集中』

 そんなキャッチがベタベタと張り付けられたポスターがずらりと並んでいる。歩はそんなものには目もくれず、字ばかり書かれた短期講習の詳細チラシをじっと眺めた。塾に行ったことがないため、塾の中でどういう講義が行われているか少し興味があった。

 こんなのあるんだ、と歩は好奇心のまま、周りの目も憚らずチラシやポスターを凝視していると、中から生徒がぞろぞろと外に出てき始めた。夏休み中のため、私服の生徒が大半だ。生徒たちは数人ずつに固まって、どこか寄るか、とか、夏休み中の予定などを話題に談笑していた。みんな、屋根の下から出る一歩手前で傘を開き、方々に散っていく。

 そんな談笑の中から、聞き覚えのあるさわやかな笑い声が聞こえ、反射的にその方向に目を遣る。その中に弦がいた。四、五人のグループの中に混ざり、他愛のない会話に笑顔で対応している。周りの取り巻きはおそらく柴高生だろう。

 歩は、まずい、と他の生徒に紛れて家路に戻ろうとする。他の生徒の前で弦に声を掛けられたくないし、塾のポスターを見ている姿を見られるのが、なんとなく嫌だったからだ。

「あれ、歩さん?」

 最悪のタイミングで呼び止められ、なんで気づくのよ、と思いながらも、歩は家路へ踏み出した足をピタッと止める。しょうがなく振り向くと、弦が「やっぱり歩さんだ」と手を振っていた。ブラウンのチノパンツに白のTシャツ、その上に、半袖の襟付きシャツを羽織っている。シンプルな恰好だが、やっぱり顔が良いとおしゃれに見えるな、と歩は思った。

 弦は取り巻きから一回離れ、歩の方に走ってくる。

「制服だね、学校行ったの?」

 あいさつ代わりそんな話題を振ってくるが、後ろにいる取り巻きから、誰だあいつ、と変な注目だけ集めていることに歩だけが気が付く。弦さん、お願いだから後ろの目線気付いてください。

「そう。今日、美術部の準備だったから」

「へえ、美術部行ったんだ。もしかして瑠美に誘われたのか」

「そう。本当は参加する予定じゃなかったんだけど」

「まあ瑠美、ちょっと強引なところあるからな」

 そう言いながら弦は、あはは、と笑う。なんとなく気が付いていたが、やはり弦は瑠美の表と裏を分かって付き合っているようだ。そんなこと思っている間にも、後ろの取り巻きが何やらひそひそと話し始める。ほんと、やめてほしい。

「帰りに買い物してた感じか」

「まあ、そう」

 そんな世間話をしていたら、後ろの取り巻きの一人がしびれを切らして弦に声を掛ける。

「ゆずる~、その人誰?」

 そんな問いに弦は「ああ、同じクラスの友達だよ。歩さん」と答える。取り巻きたちは「アユム?」と、知らない名前を聞いて逆に混乱しているようだった。

「俺たちこの後ゲーセン行くけど、弦どうする?」

 そう取り巻きたちに聞かれ、弦はどうするか考える。ここからだと変える方向が一緒になってしまう。そのため、歩としては弦をどっか連れて行ってほしかった。一緒に帰るのは、なんか、気まずい。

「いや、俺もう帰るわ」

「おーけー、分かった」

 そう言って取り巻きたちはゲームセンターの方へ歩いていった。歩は心の中で、連れて行けよ! と叫ぶ。そんな声は届くはずもなく、取り巻きは完全に姿を消し、弦と歩だけが残る。

「途中まで一緒に歩く?」

「……まあそうだね」

 そうして二人は同じ道を歩いていく。傘が当たらないよう一定間隔を開けて歩く。

「……袋、途中まで持つ?」

 しばらく歩くと、弦が気遣って手を差し伸べるが、そこまで重いものでもなかったので歩は首を横に振った。

「大掃除? なんかそれっぽいの、買ってるけど」

「そう」

「へえ、いつも歩さんが家の掃除するんだ」

「いや、掃除は家族で分担してるし、大掃除をやるときは弟とお父さんもいるから」

「あぁ、そっか。弟さんいるんだ。サッカーやってるんだっけ」

「まあね」

「そういえば、さっき塾のチラシ見てたね。模試とか興味あるの? そういえば、八月のやつ申し込んだ?」

「……うん、申し込んだ」

 平静を装いながら歩は返事をする。内心、チラシを凝視していたところを見られてかなり焦った。恥ずかしい。

「俺も受けるよ。まあ、柴高祭とかで忙しいし、あんまり準備できないかもだけど」

「そうだね」

 弦の振ってくる話に歩は淡々と返事を返していく。弦は話が途切れない。さすが、クラスで一番コミュケーション能力が高いだけあると思った。ただ、相手は歩なので、会話もそこまで長続きしない。弦も歩は雑談が苦手だと気づいたのか、途中から黙る。


 風が吹くと、湿気を帯びた生暖かい空気が二人の間を通る。雨が少し強くなってきて、傘を打つ雨粒の音が周りの喧騒を遮る。そのせいか、二人の間の沈黙がより倍増する。

「……弦君、クラスのメッセージ、見てる?」

 歩はしばらくの沈黙を打ち破り、弦も気になっているであろう話を切り出した。本当は最初の話題になってもおかしくないぐらいホットな内容なのだが、ホットすぎて、お互いこの話題にすぐ触れられなかった。

 弦はいきなり話を切り出した歩にびっくりしながらも「あぁ、その話か」と遠くを見つめるように前を見る。

「まあ、もう一度まとめて説明は送るつもりなんだけど、それで納得してくれるかなんだよな。そもそもベビーカステラ嫌だとか言い始めるやつもいるし」

 弦の声に、少し棘を感じる。クラスや打合せで見る弦とは違う、少しため息交じりの声だ。

「……無視してもいいんじゃない。今更そんな文句言ってくる人なんて」

「もちろん。今から変えるといろいろ準備も間に合わないし。だけどどう伝えるかは考えないと。休み明けの空気が最悪になっちゃうよ」

 さわやかな笑顔のまま、少し疲れたような声で弦はそう言う。

「高木さんが内容分かってないの、瑠美、すごい怒ってたよ」

「まあ。しょうがないよ。そういう人は何人か出てくるだろうって、もともとなんとなく思ってたし」

 弦はそう、何か諦めたかのようにそう言い捨てた。

 やはりクラス全員の間を取り持つのはかなり大変なのだろう。おそらく、弦の方でも個人的にメッセージを送ったり、調整したりというのをしているはずだ。

 それでも、無神経な人はそういう人の頑張りを無視する。そんな役回りに弦がなぜ苦心するのか、歩には分からなかった。

 とはいえ、その頑張りを無下にされるのをそのまま見過ごすほど、歩も無関心ではない。

「……次の打合せで少し話そうか。この件」

「いいよ別に、俺が説得すればいい話だし」

「その結果がこれだし、説得するならいろんな人がいた方がいいんじゃない? ほら、瑠美もいるし。そういうの、瑠美に任せた方がうまくいくって」

 私も早くシンボルマークとか作り始めたいし、と前を向いたまま歩が付け加える。弦が黙り込んだため様子を窺うと、弦は驚いたような様子で目を大きくしていた。

「歩さんもそういう冗談っぽいこと言うんだ」

「……どんなイメージだったの?」

 歩がそう言うと「いや、まあ、なんか真面目なイメージだったから」弦はそうはぐらかす。そしてまたさわやかに笑ったが、その笑いは明らかに作り笑いであることが分った。

 ただ、最後に「ありがと、相談するよ」と会議の打合せで俎上に上げることを了承した。

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