第5章 文化祭とプレゼントはやっぱり億劫 5
弦が歩のもとを訪れたのは、看板のデザインとクラス代表補佐の件で話があるためだった。歩は悩んでいた看板の件について話ができることに少なからず安堵する。贈ったメッセージに誰も返信してくれなかったらどうしようと思っていた。
相談したいのはやまやまだったが、歩はとりあえず一回休憩したいからと弦に断りを入れ、昇降口にある自動販売機へ向かった。
誰もいない学校はいつもより足音が遠くへ響いていく。廊下の床に上履きが着く音。ふと、よく小説で出てくる「リノリウムの床」という表現を歩は思い出した。こういう歩くとぺちぺちと音が立つような床を表現したかったんだな、とふと思う。なぜわざわざ「廊下の床」と記さず、廊下の材を書いたのだろうと思っていた。そんなの、知らなかったら伝わらないじゃないか。
昇降口の脇に並ぶ自動販売機。コイン投入口に百円玉一枚と十円玉一枚を入れ、ヨントリーの天然水のボタンを押す。落ちてきたペットボトルを取り出し、まず自動販売機の前で蓋を開けて一口含む。水が乾いた喉に滲みていくのを感じて、喉が渇いていたことに今更ながら気付く。そういえば、お昼を食べてから一回も水分を口にしていない。
思ったより、集中してたんだな。
冷たい水を飲み、一息入れ終え、歩は昇降口から美術室に戻る。柚木たちが何やらワイワイ騒いでいる中、弦は一個隣の机に一人座り、スマホをいじっていた。歩は三人と松本先生が座っている机の横を通り、弦の方へ歩いていく。机の上には資料が入ったA4のクリアファイルが置いてある。一番上の紙の右上には、「柴高祭実行委員向け」と太文字で印刷されていた。
「ごめん、待たせちゃって」
「いや、いいよ。今、クラスのグループに送るメッセージ考えてた」
「別に送った後でもいいけど」
「いや、たぶん時間かかるし。じゃあ、クラス代表補佐の説明、いいかな?」
そう言いながら弦は、机の上に置いてあったクリアファイルに入っている資料を広げ、説明を始めた。内容は柴高祭実行委員に提出する出店申請書、予算の申請書、経費申請書、収支決算報告書、エトセトラ……。それと申請書等の書き方を含む柴高祭運営に関する手続きやルールの説明だった。
その説明が終わると、その一部の作成をお願いしたいと弦にお願いされた。さすがにそんなことやったことないため、歩は断ろうとしたが、後ろで会話を聞いていた瑠美から「そんなの理由にならないからね?」と圧力をかけられ、残念ながらその仕事を受け取ることとなった。それでも最後に「私、去年やったから、なんかあったら聞いてよ」とフォローを入れてくるあたり、やっぱり瑠美はしっかりしている。
弦と瑠美、歩はその後、今後の打合せの予定などについて軽く話す。とりあえず来週もう一度集まろうと話をつけ、一緒に柚木たちの机に戻る。するとびっくり。カトケンと柚木は打ち解け、何やらワイワイ会話としていた。
「兄ちゃん、それ、ギャノトトス? そんなんだっけ?」
「そうだよ! ほら、この無駄に小さいつぶらで不気味な目! 完全にギャノトトスだろ!」
瑠美は男子の会話に追い付けず「なんの話してんの? ギャノン……ドロフ?」と呟く。
「ギャノンドルフなら先生知ってるぞ! ゾルダの伝説だろ!」
松本先生が知っている単語へ興奮気味に反応する。しかしカトケンが「いやそれもう会社違うから」と真面目な顔で突っ込む。結果、おじさんは机の向かいの端に座り、口を尖らして拗ねてしまった。頑張って会話に混ざろうとしたのに、おじさんかわいそう(棒読み)。
「弦、お前もモンスラやってただろ。ギャノトトスってこんな感じだよな」
「ああ、俺も昔、友達とやってたな。……まあ目は似てるかもだけど。体はもちょっと魚ぽかったと思うぞ」
「え、何? それ魚なの?」
「ね、魚じゃないよな」
弦の指摘に瑠美が鋭い突っ込み、そして柚木のダメ押し。カトケンは完全に拗ねて、机に顎を乗せ不機嫌な顔をする。そんな拗ねた人たちをよそに、弦は机の上にある柚木のスケッチを覗き込んだ。
「これ、ドラゴンのスケッチか。すごい本格的だな?」
弦がそう言うと、柚木は隠すようにスケッチを一つまとめようとする。
「まだ練習だから見んな」
柚木はスケッチをまとめながら弦を睨みつける。柚木は弦に対しては明らかに警戒している。ただ、そんな反応をされても弦は「そんな恥ずかしがらなくてもいいのに」と、カトケンとは違い大人な返しをする。
「やっぱ、歩さんすごいよ。こんなに教えられて」
「やっぱ」というところに歩は少し引っ掛かりを覚える。中学が一緒とはいえ、弦と関わったことなんて、ほとんどないはずなのだが。
「そいえば、なんで藤井が面倒見てんの? 美術部で展示とかすんの?」
ふいにカトケンが机に突っ伏したまま歩へ尋ねる。急な質問に歩は「いや……」と言葉を濁した。「母親にプレゼントするためなんだって」と素直に答えると、柚木は嫌がるだろうか。柚木の様子を窺うと、無反応を装いながら、スケッチをまとめているようだった。
「絵の展示じゃなくて絵本の練習だよ。お母さんにプレゼントするんだって」
歩が躊躇っている間に、瑠美がカトケンの疑問へ率直に答える。柚木は「ちょ、違う」と誤魔化そうとするが「だって歩からそう聞いたよ」と瑠美は動じない。
「へえ、プレゼントか、いいな。俺も小さいころ、手作りのプレゼントとか、親にプレゼントしたな」
「へえ、弦君もそういうことしてたんだ」
「何、そんな以外?」
弦と瑠美がそんなやり取りをしている間に、柚木はさらに不機嫌な顔になってスケッチを自分のバッグの中に入れ始めた。「小さい子のすること」みたいな言い方が癇に障ったらしく、帰りたくなってしまったようだ。
「なんだ、もう帰んのか」
歩が止めようとする前に、向かいの松本先生が柚木に声を掛ける。
「まあまあ、そんな急ぐなって。もうすぐ俺たちどっか行くから」
そこ座っとけ、と拗ねたままの松本先生は、不機嫌な柚木に手で座るよう促す。本当だな、と言わんばかりに睨みつける柚木に対し、ほんとですよ、と松本先生がうなずくと柚木は膝の上のリュックをまた足元に置いた。
話は流れ、カトケンと瑠美が、昔の親へのプレゼントについて話始めた。
「俺、母さんの似顔絵、書いてあげたことある。でも『勉強も頑張りなさいよ!』ってなぜかめっちゃ怒られたわ。まあ、いまだにその絵、リビングにまだ飾ってあるけど」
「いいじゃんか、飾ってくれてるなら。嬉しかったから飾ってくれたんだろ」
「私、昔、お菓子とか作ってあげてたよ。でも途中から成績表見せてたわ。ほら私、誕生日、三月だから」
瑠美の発言に弦と瑠美、そして歩は首を傾げる。
「通知表をプレゼントってどういうこと?」
「いや、いい成績の成績表見せると喜んでくれたから。今はそれと合わせて美術部の活動で表彰された時の賞状とか……」
そう言い掛けたところで自分以外がしん、と沈黙していることに瑠美が気づく。あ、やべ、といったような顔をした後、その場を和ますように「あははは……」と笑う。いや、誤魔化せないよ、と歩は思ったが、弦もあははと愛想笑いしながら「まあ、そういうのもうれしい親もいるよな」とフォローした。
「俺はロボットの人形を自分で作ってプレゼントしてたな。父さんが結構プラモデルとか好きだから」
「へえ、そうなんだ。どんなやつ好きだったの? えっと、なんだっけ? ギャンプラとか?」
話をそらそうと、瑠美は弦の話を掘り下げる。
「まあ、ギャンプラとかもだけど、昔のSFとか、あと、特撮だっけ? そういうのも好きな人だから。部屋にコレクションとか本が置いてあって、昔、見せてもらってたりしてたな。まあ、こっちに引っ越す時、母さんが無理やり捨てて、すごい減らしたらしいけど」
「弦君もそういうのは好きなの?」
瑠美がそう聞くと、弦は頭を掻きながら「いやー、俺は付き合ってるだけだから」と、自分はそこまで好きじゃないことを示す。
仕方なく付き合っていた、という含みに歩は少し共感した。歩の父も推理小説が好きで、小学生のころ、小説を読み始めてすぐに、父が歩の机の上に数冊のミステリー小説を置いてきたことがあった。父に「何これ」と尋ねたら「もしよかったらと思って」と、読んでくれることへの期待を含んだ声で答えたのを今でも覚えている。小学生が理解するにはあまりに難しい内容だったが、せっかく持ってきてくれたのに読まないのも申し訳ないと思い、ない頭を使って何とか読み切った。あまりの内容の難解さに後半は半分苦痛で、最後の方にはただ、父の趣味にただ付き合うためだけに読んでいた状態になっていたが。
ただ、そのおかげで好きな小説に出会えたこともある。「理系大学教授と女刑事の事件簿」はその一つだ。当時の歩にとっては内容が難解で読むのが苦痛だったが、後日ドラマ化されて、改めて面白さに気づかされ、再読した。
「歩さんは、小さい時、どんな物を贈ってた?」
自然な流れで弦が歩に尋ねるが、歩は不意を突かれたように「私?」と声を上げる。歩は回答に困る。親にプレゼントを贈ったことが、ほとんどないからだ。
「……私も授業で書いた似顔絵ぐらいかな。それ以外はあんまり」
適当に返すと、弦が「へえ、すごい」と反応する。
「歩さんの絵なら、親御さんも喜びそうだね」
「あはは、そうだね」
弦の誉め言葉に、歩は愛想笑いをする。
歩はプレゼントを親にあげなくなった理由は明確にある。理由は単純。処分に困るからだ。
一度、学校の授業で似顔絵を描いて親にプレゼントをする機会があった。歩は母の絵を描いた。あの公園で、一緒に遊ぶ絵。十二色の色鉛筆を使い、昼休みの時間まで費やして頑張って仕上げた。プレゼントをしたいという気持ちもあったが、それと同じくらい母親に絵を褒めてもらいたい、という気持ちもあったからだ。
完成した絵を家に持ち帰り、母に見せると、とても喜んでくれた。頭も撫でてくれた。それはすごく嬉しかった。そしてその日、母は絵をリビングのタンスの上に飾るように立てかけた。
ただ、その絵はしばらく飾ることも、しまわれることもなく、ただそこに放置された。まるで触らぬ神に祟りなし、といったように。母は絵のことについて一切触れない。母が困っていることは明確だった。歩も母に飾ろうとも捨てようとも言えず、三か月ほど経って、ふとタンスの上を見上げると、その絵はいつの間にかなくなってしまった。
贈って腫物扱いされるぐらいなら、リビングの大事なスペースを占領してしまうぐらいなら、母の心のスペースを取ってしまうぐらいなら、こういうものは贈らない方がいい。
それから歩は、プレゼントを贈ることをしなくなった。学校の授業で作るような作品は母に積極的に見せず、自分の部屋で保管するか、自分で処分するようにした。お菓子など形に残らないものであれば問題ない気もするが、なんとなくそれもしなくなった。
「お前ら、薄情なやつらだなあ」
学生諸君のプレゼントトークを聞いて、松本先生が呆れたような口調で割って入る。
「プレゼントってのは、ここだよここ。気持ちが入っていればそれっぽいのでいいんだよ」
松本先生は拳で胸を叩きながらそう言う。
「じゃあ、まっちゃんは、今なんか親にプレゼントあげてんの?」
カトケンがそう言うと、松本先生は突然立ち上がった。
「カニ、肉、温泉! どれかは毎年贈ってる。社会人なめんなよ!」
どうだ! と俗物的なものを誇らしげに列挙する松本先生。そんな大人に、生徒一同、冷たい目線を浴びせる。
「お前、なんかしょうもないな」
最後に柚木の一言。松本先生は「なんでだよ! いいだろ!」と反論する。
「てか、お前ら早く出てけよ、邪魔!」
柚木がそう言うと弦が「ごめんごめん」となだめるように謝る。
「俺たちもう行くから。あ、歩さん、あとで手続きの件、メッセージで送るね」
「ほらまっちゃん、拗ねてないで早く行くぞ」
弦とカトケンが、松本先生を引っ張りながら教室の外に連れていく。
「じゃあ歩、また来週ね」
後ろから付いて行った瑠美が「じゃあね」とドア際で手をひらひらと振る。こうして彼らは去っていた。
「……姉ちゃん。まだ練習していい?」
嵐が去り、ぽかんとしていた歩に柚木が尋ねる。
「……ああ、いいよ、やろ」
そう言って、二人はまた元の作業へ戻っていった。




