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忘れていたのは、一点だけ  作者: 朝倉 淳
第4章 歩は終われず、延長戦へ
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第4章 歩は終われず、延長戦へ 1

 ワークショップ最終日。事件は午後一で始まった絵本の発表会で起こった。また黒いトレーナーの少年が、こないだと同じ子たちにちょっかいを掛けられ喧嘩になってしまった。少年の絵本が完成してなかったらしく、それをからかわれたらしい。怒った少年は相手の絵本を投げだし、いたたまれなくなった少年が図書館の外へ出て行ってしまったのだ。

 松本先生と他の部員はいじめっ子やその他子供たちの面倒を見なければならず、瑠美と歩で外に出ていった少年を探すことになった。

「私、図書館の裏の方探すわ。歩は逆探して。そんなに遠くには行ってないっしょ」

 瑠美は図書館の前でそう言い残し、すぐ図書館の裏の方へと回っていった。

 歩も図書館の前の横断歩道を渡り、周辺を探し始める。ここらでまず行くとしたら、近くの市民公園だろうか。人通りが多いが運動場ほどの広さがあり、緑が多く、アスレチック遊具なども設置されている。完全に隠れるわけでもなく、探すのにそこそこ大変という、拗ねた子供が隠れるのにうってつけの場所だ。

 図書館前の通りにある橋を越えると、住宅の合間に用途がいまいち分からない公共施設が増え始める。さらに奥に行くと大きいショッピングモールがあるのだが、そこに行きつく手前、小綺麗なマンションや住宅が立ち並ぶ中に、ぽつん、とその緑の空間がある。

 市民公園の中からは木々の緑と空の青しか見えない。街中に自然を取り入れようということで作られたこの公園には、たくさんの木々が植えられ、それらが生い茂っている。

 歩はこの場所に度々訪れている。昔は家族ともよく来ていたし、直近では美術部で写生の練習のためも訪れた。もちろん歩は付き添いで行っただけだが、あまりの静けさに一人ベンチでうたたねをしてしまったことがある。それだけリラックスできる閑静な空間。蝉の声が少し鬱陶しく感じるものの、今日も日陰のベンチに座ったらまたふと寝てしまいそうだ。

 だが、今回はそんな楽しんでいる暇はない。歩は車いす用のスロープが付いたタイル張りの階段を上り、中に入る。

 隠れやすそうなアスレチック施設や自然広場から捜索し、その他、噴水広場や防災倉庫の裏など、怪しいところは粗方探したがどこにもいない。ここにはいないのか、と半ば諦めつつ、公園の半分の面積を占める大広場にたどり着いた。外周に等間隔で置かれているベンチの背もたれに、歩は寄りかかる。

 他に子供が逃げそうな場所はと考えながら、そもそも二人で探すのが土台無理なのではと歩は思い始めた。先生には、お前らしかいない、的なことを言われたが、少なくとももう二、三人いないと無理だろう。

 公園内に鳴り響く蝉の音が急に鬱陶しくなる。ブラウスの下に着たインナーと背中の間を、汗が縫うように伝っていく。

「……早く探さなきゃ」

 そう呟き歩は顔を上げる。もしかしたらショッピングモールの方まで行っているかもしれないと思い、歩は外に出ようと広場の外周を歩き始める。

 大広場とアスレチック施設の間にぼつんと存在する、木製の東屋。よく父や母、晴信とここまで散歩をしに訪れた。晴信はアスレチックが大好きで、よく父とアスレチック鬼ごっこをして遊んでいた。私はあまり外で遊ぶのが好きではなかったが、家に残りたいと言うわけにもいかず、かといってせっかく来た公園で本やゲームをするのはあまり良くないだろうかと思い、ただ晴信と父が遊んでいる姿を東屋でじっと見ていた。

 その時の母は、家で見せる家事を手際よくこなす姿とは違い、東屋のテーブルに肘をついて、いつも眠そうな顔をしていた。家族がいる我が家ではなく、家族から離れられるこの公園こそが、母にとって唯一リラックスできる場所であることを、子供ながらに感じていた記憶が今でもある。

 そんなことを思い出しながら東屋を見ていたら、中に人がいることに気が付いた。細い首に褐色の肌、黒いトレーナー。後ろ姿だったが、すぐに少年であることに気が付いた。こんな分かりやすい場所にいたのか……と、歩は肩を落とす。

「隠れるならもっと分かりにくい場所に隠れなよ」

 あえて分かりやすい場所に隠れた少年へそんなこと言うのは酷だとも思ったが、歩はもうそういう細かい気遣いをすることをやめにした。炎天下、こんなに人に探し回させたことへの報いだ。歩は東屋の日陰に入り、少年の横に腰を下ろす。

「うるさい」

 少年は絵本用の冊子を抱えながら東屋の奥に逃げ、丸めた背をこちらに向ける。背を向ける瞬間、少年の瞼が赤くなっているのが見えた。歩が来るまで、ここで一人泣いていたのだろうか。よく誰にも声を掛けられなかったなと、歩は周りの無関心さにも少し驚く。

「みんな心配してるよ。戻ろうよ」

「心配してるって、誰が?」

「みんなだよ」

「お姉ちゃんたちとか先生でしょ。他のやつらは別に心配してない。このまま帰らなくても別に問題ないでしょ」

「そのまま帰られたらこっちが迷惑だよ。保護者にも連絡しなきゃいけないし」

 歩の言葉に少年は、びく、と体を反応させた。そして不安そうな目で歩を見る。親に報告されるのが少年にとってどれだけ嫌なことか、その目で十分感じることができた。

 だが、今回は少年を完全に擁護することもできない。人の作ったものを奪った挙句、投げ捨てて、逃げてしまった。もちろん、からかってくるような連中もどうしようもないが、だからと言って完成できなかったことを他人に八つ当たりするのは筋違いだ。暴力をふるったとなると、いくら寛容な松本先生でも、保護者に報告せざるを得ない。

 服に滲んだ汗が渇き、肌をなでる風が心地よくなってきたころに、歩は口を開いた。

「そんなに見られたくなかったなら、事前に言ってくれればよかったのに。こっそり欠席扱いにしてあげれたよ」

「それはだめ」

「……戻ろうよ、そんで一緒に謝ろ」

「なんで俺が謝るんだよ」

「君が相手の本を投げたから。相手の子にも謝らせるけどさ。君も人が作ったものを投げちゃったんだし。三週間、時間をかけて作ったものを投げられたら、君も嫌でしょ」

「あいつらただ遊びたいから参加しているだけだよ」

「友達も参加してたから参加したんじゃなかったっけ?」

「……うるさいな」

 少年は自分の冊子をぎゅっと胸に引き寄せる。その仕草が、歩の胸を締め付ける。

「……なんで、そんなに頑張るの?」

 思っていたことがつい口から漏れてしまった。しかし、歩はそれを止めず続ける。

「周りから浮きたくないから? それともお父さんとかお母さんに心配かけたくないから? どっちにしたって、それならある程度のものでいいから一冊完成させないと」

 少年がワークショップにただの付き合いで参加しているわけではないことは、なんとなく察していた。文句を言いながらも、しっかりとシートを見つめて、頭を働かせる姿を今まで見てきたからだ。

「うるさい」

 少年は歩の方をちらっと覗いてきたが、また俯く。どうしたもんかと歩は考え込む。少年の心を開くような言葉を探す。

 その間に、少年は小さく口を開いた。

「……お母さんの誕生日」

 え? と歩が聞き返すと、少年は照れ臭そうに続ける。

「お母さん、誕生日近いから。プレゼントにしようと思って。それだけ。馬鹿にしてきて、それが嫌だった」

 少年の顔が少し赤くなっているような気がした。


 少年の予想しなかった答えに、歩は胸の中を直接何かで突かれたような感覚になった。ただ馬鹿にされたから怒っていると思ったが、全くそうではなかった。この少年は歩とは違うのだ。

 歩は完成しなかった絵本をからかわれて嫌になる気持ちが分かってしまう。膝の上に乗った白い冊子。下書きすらされていないところを見ると、おそらく中身もまだ書ききれてないのだろう。みんなの前で何もできてないことをさらされるなんて、惨めすぎて耐えられない。そして、そうなると分かっていても、参加せず無断欠席するわけにもいかない。周りと違うことを気にしないで生活しようとするが、そんなことができるわけでもなく、心をすり減らして生きていく。そんな生き方を少年もしている。

 ただ、少年はその中でも、自分の大好きなお母さんのために一人でワークショップに申し込み、普段とは違う頭を使いながら、大好きであろう自分の母への贈り物を作っていた。周りから否定されることを覚悟して。

「なんで絵本を贈ろうとしたの」

「……絵、描くと喜んでくれたから」

 俯いて、顔を赤くしながら素直に答えた少年の声を聞いて、思わず「ふ」と笑ってしまった。そうだよね、この子は周りの空気に負けず、素直に、母のことを思っている。


 歩はそれをしなかった。自分がなにをしても、状況はマイナスの方向にしか進んでいかないと怖気づき、何もしなかった。ただ周りに合わせて、何も問題ないことを装い、それを示すことでどうにかなると思い込んだ。


 自分がこんなこと言える立場ではない。恥ずかしくて息が浅くなる。言葉と一緒に胃液が喉まで上がってきそうで、すごい嫌だ。


 でも、今、歩にできることは、この少年が背負っているものを、目的地まで見送るぐらいだ。


 歩はしばらく考えた後、胸の中に溜まる不快な空気を吹き飛ばすように、深呼吸ともため息とも言えるような息をふーと吐いた。

「分かったよ」

 歩は椅子に手をついて、端にいる少年を見た。

「保護者の人へ連絡しないように、私から先生に頼んであげる」

 少年は「え」と驚いた様子でこちらを向いた。

「ほんとに?」

 少し上擦った声でそういう少年に、「だけど」と歩は少年を制す。

「相手の子には謝ること。それじゃなきゃダメ」

「だからなんで――」

「じゃあ今、君が抱えている本を私が奪って芝生に放っても、あなたは怒らないのね?」

 歩が叱るように言うと少年は黙り込んだ。

「相手から手を出してきたっていうのは分かるけど、それでも悪い事したら謝らないと。そうしないと、相手が嫌なことをしたときに、嫌だって言えないでしょ。まず自分から謝らなくちゃ。そうしなきゃ、保護者にも言う」

 少年はまた、抱えた冊子をぎゅっと引き寄せる。そして、うーんと唸った後「……分かった」と言って、少年はしぶしぶ相手に謝ることを承諾した。


 来た道を戻り、図書館にたどり着いた歩たちは、みんなに謝って回った。

 まずはちょっかいを出したやつらを連れてきて互いに謝らせた。最初は相手も自分は悪くないみたいなことを言っていたが、瑠美が戻ってきて指導(?)が入ると、恐怖で顔が引きつったままではあるが、ちゃんと頭を下げて謝ってくれた。その後は先生と美術部員、そして図書館の方にも謝った。少年たちのいざこざのせいで、撤収の予定時間である十五時を一時間も過ぎていたからだ。瑠美に謝る際、少年の体は完全に固まっていたが、瑠美は「もう過ぎたことだしいいよ」と怒らず撤収作業に戻っていった。

 最後に、先生にこのことは保護者の人に事情を話し、保護者の人には連絡しないようお願いをした。「ちゃんと自分で謝れてなかったら、連絡したかもな」と言いながら先生は初年の保護者だけには連絡しないことを約束してくれた。


 最後に、図書館の端っこでしょぼくれていた少年に声を掛けようと思ったが、撤収作業が終了したころには少年は既にいなかった。

「歩ってさ、ショタコンじゃないよね」

「やめてよ」

 瑠美の品のない一言に、歩はいつもの冷めた声で否定する。

 こうして、『柴川図書館 小学生絵本作りワークショップ』は終了した。

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