名前も知らない恋人たち
直接的な表現はありませんが、体の関係があるのでR15です。
七歳の時、私は後にお気に入りとなる素敵な場所を見つけた。
そこはいつ行っても色とりどりの花々が咲き誇り、芸術的なまでに整えられた庭園だった。
うちの周りとは全く違う景色に心が躍って、暇を見つけては足繁く通い詰めた。ほんのり甘い花の香り、遠くで聞こえる鳥のさえずり、よくよく見れば蝶や蜂が飛び交っていて、五感全てが満たされているようで、どれだけいても飽きることがなかった。
だから、それに気付いた時は邪魔だったのだ。
隅っことはいえ庭園の端に座り込みガタガタと歯を震わせて、その一カ所だけ暗雲が立ちこめているようなウジウジしたチビッコ。誰もいないとっておきの場所をじっくり楽しみたかったのに、鬱陶しいったらありゃしない。放っておけばそのうちいなくなるかと思っていたのに、チビッコはそこから動こうとしない。
本当は人と会いたくなかったけれどしかたがない。私は目の下まで覆うような分厚いフードを脱いで、しぶしぶ彼の前に姿を見せたのだ。
「ちょっと、泣くなら違うところで泣いてよ」
「な、泣いてない!」
顔を真っ赤にしたチビッコが立ち上がって抗議してきた。確かに、目元は濡れていない。でも、鬱陶しいことには変わらない。私は腕組みをして仁王立ちする。
「どうでもいいから、どっかいって」
「いやだ! も、戻ったら殺される」
チビッコの体がまた震え始める。聞くと、チビッコの母親が病で倒れたという。しかし、病というのは嘘で、本当は毒のせいなんじゃないかとチビッコは疑っているらしい。
「だって、母上はずっと元気だったんだ。あの人は母上が嫌いで、僕が邪魔だから、次は、きっと、僕が殺される」
その時の私は、生まれてから七年、命の危機を感じたことがなかった。パパもママも兄様も私を愛してくれて、周りのおじさんおばさんもみんな優しくて、正直かなり甘やかされていたと思う。
だから、誰かに殺されるなんて、考えもしなかった。
私よりも一つ二つ年下であろうチビッコが可哀想に思えた。
私はチビッコに近づく。そして、そっとその小さな頭をなでた。兄様がよくしてくれるこれが、私は大好きだったのだ。本当はパパがやってくれるみたいに高い高いとかできれば気が紛れるかもしれないけれど、いくらチビッコでも私がやってもたいした高さにならないだろう。あ、でも、あれならできるかな?
今度は背中に手を回してぎゅっと抱きしめた。ママみたいな安心感があるといいのだけれど。
チビッコは一回びくっと体が震えたけれど、ぽんぽんと何度か軽く叩いていたら抱きしめ返してくれた。同じ体温が心地いい。
「今、ここなら大丈夫。安心していいよ」
ざっと確かめたけれど、チビッコ以外の人の気配はない。今から誰か来ても、認識阻害の魔法をこのあたりにかけたから、魔法を使って探らないとこちらの姿に気付かないはず。
魔法は私の得意分野だ。ちょっと疲れるけれど、まあ、今回は特別。チビッコが落ち着く間くらい、私がこの子を守ってあげようじゃないか。
実は当時私の周りには私より年下って存在しなかった。だからこの時初めて私は守るべき相手というのを発見したのだ。だって、私の周りはみーんな私よりずっと強い大人だったから。
どれくらいそうしていただろう。いい加減疲れてきたなあなんてのんきに考えていると、チビッコがそっと離れた。
「もう、大丈夫。ありがとう。あの、あなたの名前は? ぼくは、」
チビッコが名前を告げる前に、私は人差し指でその口を塞ぐ。
「いらないわ。必要ないもの」
きっと二度と会うことはない。そう思っての発言だった。
チビッコは不満そうだったけれど、私が睨みつけるとしぶしぶといった感じでうなずいた。
「だいたい、大事な家族の大変なときに、あなたは何をしているの? こういう時こそそばにいたら心強いんじゃないの?」
「そう、だね。僕、自分のことしか考えてなかった」
「わかったら早く行きなさい」
「うん、ありがとう」
間近で見る満面の笑顔は明るい空の下でキラキラ輝いていて、なんだか眩しかった。
幼い頃のちょっとした小さな思い出。
それで終わるはずだったんだ。
++++++++++++++
チビッコとの再会は、思ったよりも早く訪れた。
だってあいつ、しょっちゅう庭園にやってきて私のことを探しているんだもの。相変わらず鬱陶しい。
私だって暇じゃないのに、いちいち隠れていたら大好きな時間があっという間になくなってしまう。
だから、仕方なく、姿を見せることにしたのだ。
そう、鬱陶しかったからだ。決して、チビッコが持っている甘いおいしそうな何かの匂いにつられたわけじゃない。
「この前は、ありがとう。お礼に、お菓子を持ってきたんだ。一緒に食べよう」
チビッコの手の中の包みには、バターと砂糖がたっぷりのクッキーが入っていた。当時の私にとってはめったに手に入らない超高級品で、思わずごくりとつばを飲み込んだ。「仕方ないわね」と彼の申し出を受け入れたのも当然といえる。
私たちは庭園の花を見ながらその場で座ってお菓子を食べることにした。チビッコは服が汚れることを気にしていたけれど、私は気にしない。まあ、後でママに怒られるんだけど。
ただ黙って食べるのも味気なくて、私たちはいろんなことを話した。といっても、大体チビッコが一方的に話していたように思うけど。私はこっそりこの庭園に潜り込んでいるし、あんまり自分のことを話しちゃいけないって思っていたからね。
チビッコのママが目を覚まし元気になってきていること。
苦しいときにチビッコがそばにいて手を握ってくれて心強かったといってもらえたこと。
自分のことばかりで母親のことを考えていなかったことに気付き、恥ずかしかったこと。
大切なことに気付かせてくれた自分に感謝していること。
改めてお礼を言われてなんだかこそばゆい気分になったことを覚えている。
しかし、何故チビッコがこの庭園で一人震えていたのか理由を聞いた瞬間、そんな温かな感情は吹き飛んでしまった。
「はあ? ここなら誰もいないから安全だと思ったぁ!?」
「う、うん」
突然大声を出した私にチビッコはびくっと震えていたけれど、知ったことじゃない。
「ばっかじゃないの!?」
どんな世間知らずだ。
心底呆れてしまう。
「こんなところ、一番危ないじゃない。この花の影に罠があったら? あっちの木の裏側に誰か隠れていたら? あなた分かるの?」
この庭園はめったに人の訪れない、つまり何かあっても他の人たちに気付かれにくい場所。しかも綺麗に区画分けされていて、隠れ場所が山ほどある。こんなところに突っ立っていたら命を狙う刺客からしたら襲ってくださいといっているようなものだ。
私は気配に敏感で、万が一何かがあっても自分の身を守る方法の一つや二つ持っているから問題ない。でも、チビッコは明らかにそうじゃない。
お気に入りの場所が血だまりになるなんて冗談じゃない。
「大体、殺されるかもって怯えるくらいなら強くなればいいじゃない! 魔力で自分の体を覆えば立派な防御魔法の一つよ。あなた、魔力結構あるみたいだし、それくらい死ぬ気で覚えなさいよ」
「魔法なんて、やり方がわからない・・・」
「しかたないわね、私が教えてあげる」
それは気まぐれだった。
初めてお姉さん風を吹かせて、得意げになっていた自分は後になって思い返すと恥ずかしい。
それでもこのときは、伸ばした手にチビッコの手が重なって、私は満足げに笑ったのだった。
++++++++++++++
チビッコ曰く私の指導はかなりのスパルタだったらしい。
とはいっても、私としては周りの大人に教えられたとおりにやっただけだから、どうも私はずいぶんスパルタで鍛えられていたらしい。おかげさまで私の魔法はパパにだって負けないくらい強いから、文句はないけど。
それでも、チビッコは真面目な生徒だった。特に日にちが決まっているわけじゃなくて、お互い暇なときに庭園で会いましょうくらいのざっくりした約束。週に一度会えばいい方で、私はチビッコにやり方と練習方法だけ教えて後は自主練習に任せていたけれど、会う度に確かに成長していた。
「ねえ、そろそろあなたの名前を教えてほしいな」
「えー?」
私のスパルタ指導で息切れしながら、チビッコが眉を下げていう。
そう、私たちはお互いの名前すら知らない。
でも、それに何の問題があるんだろう。
「たぶん、お互い知らない方がいいわよ」
私の勘がそう告げている。というよりも、こんな小さいのに命を狙われるようなやつ、訳ありに決まっているじゃない。私にだっていろいろと事情があるし、立ち入らない方がたぶん私たちは幸せだ。
「あなたのことをなんて呼べばいい?」
「好きにして」
「・・・じゃあ、コンで」
あら、見る目があるじゃない。
そう、私の髪と目は、一見すると黒だけれど、実は濃紺だ。ママの真っ赤な髪も魅力的だけれど、パパそっくりのこの色を私はとても気に入っている。
「じゃあ、あなたはソラね!」
「そら?」
「ええ、あなたの目、あの空みたいに透き通っていてとっても綺麗。ダメかしら?」
「ううん。ありがとう」
チビッコ、改めソラが照れくさそうに笑う。そのキラキラ光る金髪も、雲一つない晴天のような空色の瞳も、綺麗で綺麗で、やっぱりこの子は眩しいなと私は目を細めた。
+++++++++++++++
「・・・コンは、魔王討伐部隊の一人なの?」
「魔王討伐部隊? なにそれ? そんなのあるの?」
「あ、ううん。なんでもない。そうだよね、子供が入るわけないもんね」
ずるずると続いた交流はもう三年も経っていた。
魔王。
それは魔族の長のこと。
魔族はたいてい人間の国の領土の一部をもらい、領土内でひっそりと暮らしている。この国も、人間が魔族に土地を明け渡していて、たいした交流もなく長い年月が経っている。魔族が何かしたという話も聞かないのに、討伐部隊? 何が起こっているのだろう。
詳しく聞こうとしたけれど、機密事項らしくてソラがもにょもにょと言い訳をして口を閉じようとしてしまう。だから私はここまで聞いて今更だ、誰にも言わないと約束しつつ、魔力をにじませて半ば強引に情報を聞き出した。
聞くと、本格的に始動しているわけではないらしい。反対意見が結構あるとか。そりゃそうだろうね。魔族と人間じゃ力が違いすぎる。
「魔王に、勝てると思う?」
「うーん、まあ、勝てるんじゃない?」
どれくらいの規模なのか知らないけれど、数があれば魔王一人なら倒せるんじゃないかしら? でも、倒して何になるのか疑問ではある。それをそのままソラに聞くと、奪われた国土を取り返すんだそうだ。ふーん、そんなこと考えてるんだ。
「ソラは、魔王を倒したいの?」
人間は魔族を嫌っている。というよりも、怖いのだろう。魔族は人間とは比べものにならないくらいの魔力を持ち、力も強い。それがすぐ近く、同じ国の中にいるのではいつ何をされるか分からない。実際は今までたいした被害はないはずだけど、だからこそ逆に得体が知れないのかもしれない。魔王はこの国の人々にとって恐怖の象徴ともいえる。
私の問いに、ソラは視線を逸らす。
「僕は、魔王は倒すべきものだって教わった。でも、僕は魔王に何かされたわけじゃないんだ。これでいいのかなとは思う。コンはどう思う?」
「うーん、私も、倒さなくていいと思うよ。だって、その討伐部隊とやらも何人死ぬか分からないし、その後どうするの?って思うし」
「ああ、そうか。弱っているときに他の国に攻められたら終わりだね」
(そういう考え方もあったか)
私の意見に違う解釈をしたみたいだけど、まあ魔王討伐に反対なのは変わらないから特に指摘しない。
果たして、ソラに魔法を教えたのはいいことだったのだろうか。
ソラも私と同じ子供だから、すぐすぐ討伐部隊に入ることはないだろう。でも、この調子で強くなったらどうなってしまうのか。
「ソラには、死んでほしくないな」
つい、本音がこぼれた。
ソラは目を丸くして、そして、「僕も」と小さくうなずいた。
「僕も、コンには生きててほしい。僕がコンを守るよ」
「私の方が強いのに?」
「そのうち追い越すよ。僕、頑張るから」
「あはは、期待してるー」
絶対無理だと思うけど、あまりにも真っ直ぐにいうものだから、自然と笑顔になってしまった。
ほんの気まぐれで、あっという間に終わると思っていた交流は、この時思っていたよりもずっと長く続いたのだった。
+++++++++++++++
「コン、愛してる。僕とつきあってほしい」
あれから、五年が経った。
相変わらず私たちの交流は続いている。でも、ソラは魔法教育も行われる学園に通い始めたため、わざわざ私が魔法を教える必要はなくなった。最近ではお互いに魔法をぶつけ合って防御壁が壊れた方が負けという試合をよくしている。庭園を壊さないようにしなきゃいけないから防御壁を何重にも展開しなきゃいけなくて、魔法の練習にはもってこいなのだ。
結果? もちろん私が全勝よ。
それにしても、ソラは何を言い始めたのかしら。
体に傷を付けないように気をつけていたけれど、どこか頭でも打ってしまったのかもしれない。
「僕は本気だから」
私の思考を読まれてしまったのか、ソラが不機嫌に眉を寄せる。いつのまにか私のすぐそばに来て私の濃紺の髪を一房つかみ口付けするように口元へと寄せていた。
チビッコだったはずのソラは最近にょきにょきと背が伸び始めた。今は私と同じくらいだろうか。なんだか悔しいけれど、残念ながら私の背は最近成長を止めてしまった。ソラはパパや兄様くらい背が高くなってしまうのだろうか。顔を見るのに首が痛くなるから嫌なんだけど。
「コン」
現実逃避していた私を、ソラの声が引き戻す。
真剣な声だった。
ああ、彼は本気なんだ。
「私たち、結婚できないわよ?」
「・・・やはり、コンは平民なのか」
知ってた。ソラが貴族だってことくらい。というか、いつもすごい上等な服を着ていたし、口調といいしぐさといい、気付かない方がおかしい。
そもそもこの徹底的に管理された庭園に気軽に来れる時点で貴族の中でも高位なんだろうなって察しがついた。
ちなみに私は忍び込んでいるからそれに当てはまらない。
「出入りの商人の娘か? それとも教師の、」
「ソラ、それを知ってどうなるの?」
私たちは、名前も素性も何も知らない。
必要なかったからじゃない。知ったらこの関係が終わるのが互いに分かっていたからだ。
「もしあなたのいうとおり私が商人の娘だったらどうするの? もう、こんな風に気軽に会えなくなるわよ?」
「それは・・・」
「私は今のままでいいと思ってるの。たまに会う気の合う友人。それでいいじゃない」
「僕じゃ、コンに好きになってもらえない? 自分より弱い男は異性として見られない?」
「そんなこと、ないけど」
確かに、昔は私より強い人がよかったし、兄様みたいな力が強くて頭も良くて優しい男性が理想だった。
でも、今はそんなこと口が裂けてもいえない。
だって、ソラを否定することになるもの。
ソラが私の髪から手を離し、そのまま私を強く抱きしめる。昔は同じ体温だったけれど、今はソラの方が温かい。そして、心臓がバックンバックンいっているのが分かる。
ソラに合わせるように、私の体も熱を持ち始める。
「本当に好きなんだ。コン以外の女性に興味はない。本当は、君に勝つまでいうつもりはなかった。でも、死ぬ前にどうしても気持ちを伝えたかったんだ」
「ソラ、また殺されそうになっているの?」
ソラの胸を押して彼の目をじっと見つめる。
私が防御魔法という自衛の術を教えてから、ソラの命の危機はひとまず去ったという。他にも対策をいろいろとって、母親と二人で協力して互いの身を守っているのだといっていた。私が教えた甲斐あって、ソラの防御魔法はけっこうな強度になっている。私には劣るけど、並大抵の人間じゃソラの魔法は破れない。それなのに、死ぬ前とはどういうことか。
思わず睨みつけると、ソラは苦笑して首を横に振った。
「地方で魔物が多数暴れているんだ。魔王の仕業だろうっていわれている。僕は討伐隊に選ばれた。明日にでも行かなくちゃいけない。今日会えてよかった。最期にコンの顔が見れた」
好きで好きで仕方がないって顔で私の頬をなでるソラ。心臓がぎゅっと鷲掴みされたみたいになる。
もう、どうにでもなれ。
私は思いきりソラを抱きしめる。ソラは一瞬びくりと震えたけれど、すぐに同じくらいの力で抱きしめ返してくれた。
たぶんこれはいけないことだ。未来なんてなくて、ただ自らの欲求に正直になっただけの我が儘な行い。でも、だからこその背徳感があって、どうしようもなく愛しかった。
「この私がつきあってあげるんだから、すぐに死んだら絶対に許さないから」
「! ああ、そうだね。おかしなことを言った。こんな可愛い彼女を残していけるわけない。・・・必ず、戻ってくる」
髪に触れる彼の唇がくすぐったい。
結果から言うと、ソラは生きて帰ってきた。というより、ソラが現地に行ったときには魔物は一体もいなくなっていた。人間がどうこうする前に自主的に逃げていったのだ。
何があっても生きて帰る覚悟を持っていたソラだったけど、まさか何もせずに結果的に旅行しただけになってしまい、次にあったときには複雑そうな顔をしていた。
その間抜けな顔がなんだか可愛くて、私は「おかえり」と声をかけながら、つい笑ってしまったのだった。
+++++++++++
さて、恋人関係になったといっても、私たちの会う頻度は特に変わらなかった。もともとお互い何かと忙しくて、具体的にいつ会おうという約束もろくにできないため、一ヶ月に何回か、一時間も時間がとれればいい方だ。
そんな少ない逢瀬を繰り返しているうちに、三年の月日が流れていた。
前はその時間を試合だったり雑談だったりに費やしていたけれど、つきあい始めてから試合をすることはなくなった。ソラ曰く、「コンに勝つ理由がなくなったから」だそうだ。私としてはなかなか楽しかったから続けたかったのだけれど、相手にやる気がないのだから仕方がない。
いつの頃からか、庭園の隅からガゼボに案内されて、そこで並んで座ってソラが持ってきたお菓子を食べながら話をするのが定番になった。長年お気に入りで通い詰めていた場所でもソラの方が詳しいのがなんだか悔しかったけれど、ガゼボから見る庭園の景色はここから見てくれといわんばかりの完成された美しさがあり、私は夢中になった。ソラがいない時でもそこに座ってただただ庭園を眺める時間が癒しになった。
もちろんソラと話すのも楽しい。
でも、あんまりソラがおいしいお菓子ばっかり持ってくるから困り物だ。ソラがニコニコ見ていてくれるからついついたくさん食べてしまう。この前兄様に「太っただろ?」と直球で指摘されて、「運動すれば肉も落ちる」と地獄の猛特訓が始まってしまった。兄様の楽しそうな恐ろしい笑顔を思い出してぶるりと身が震える。
「コン、どうかした? この菓子は気に入らなかった?」
互いの時間が合わず、実に一ヶ月半ぶりに会った恋人が心配そうに私を見ている。私は苦笑して首を横に振る。
「ううん。毎回お土産までありがと。これも木の実の食感がよくてすごくおいしい。ただ、いつももらってばっかりだし、こう食べてばっかりだと太るなあって思ってさ」
「コンには魔法を教えてもらった恩がある。何をあげたって返しきれないさ。それに、コンはたとえ太っても可愛いし、どんな姿でも僕は好きだよ」
頬に軽いキス一つ。
まったく私の彼氏は彼女に甘くてどうしようもない。もっとどうしようもないのは、そんな言葉、行動で浮かれてしまう自分自身だけど。
「ソラは悪い女に簡単に引っかかりそうね。気をつけなさいよ」
「・・・僕にはコンがいるから心配ないよ」
ソラがむっとした顔になる。
あ、しまったな、失敗した。私は心の中で舌打ちする。
ソラは私の、他の女性との関係を邪推するような発言を嫌う。
でも、しかたがないじゃない。
私たちは秘密の恋人。
貴族の彼には結婚の義務があるだろう。その相手に私はなれない。嫌な気持ちはあるけれど、諦めはついている。それに、私たちはこの庭園でしか会わないから、たとえソラが既婚者になっていても私は気付かない。知らないならそれでいいじゃないか。今のこの二人だけの時間が何よりも大切だ。
久しぶりの逢瀬を台無しにしたくなくて、私は横に座るソラの腰に抱きつく。
いつの間にか、ソラの身長は私を越えていた。兄様と同じくらい背が高くなってしまった。私も、背は伸びなくなってしまったけれど、胸が出てきて、女性らしい体つきになったと思う。ママの娘だけあって、けっこうプロポーションはいいんじゃないかしら?
そして私は、わざと胸を押しつけるようにぎゅっと腕を回してソラに触れる。
「あなたの気持ちを疑っているわけじゃないわ。私と同じくらい、愛してくれてるでしょう?」
「・・・いや、僕の方が愛しているさ」
ソラの両手で頬を包まれて、顔を上げさせられる。そのまま、口づけが降ってきた。目を瞑って受け入れる。ああ、心地よい。
どんどん深くなるそれに夢中になっていると、気付けば横たわっていて、熱に浮かされたような顔をしたソラと目があった。私は小さく微笑んで、ソラの首に腕を回した。
あとは、まあ、そういうことだ。
口づけを受けながら、ふと、ガボゼを囲むように防御魔法がかけられていることに気付く。ソラの魔法だ。私はそっと、その外側に、それこそ庭園全てを包み込むような大規模で強力な防御魔法をかける。
誰にも、邪魔されたくなかった。
+++++++++++
「すまない、こんな場所で」
全てが終わった後、多幸感に包まれながら互いに乱れた衣服を整えていたところでソラが頭を下げる。
確かに固いところで横になっていたから背中が痛いけれど、私は体が頑丈だし、問題はない。それに、大好きな花の香りの中で恋人と抱き合うのはなかなか悪くない経験だった。
正直にそのことを告げると、ソラは眉を下げたまま小さく笑った。
「コンらしいな。こんな手ひどいことをした男、罵ってくれていいのに」
「幸せだったもの。否定したくないわ」
「・・・コン」
ソラが、両手で私の手を包み込む。その顔をのぞき込むと、これまでに見たことがないくらい真剣な目をしていた。
ドキリとした。
先ほどまでとは違う、嫌な予感で。
「君を傷物にした責任をとらせてほしい。名前を教えてくれ。ご両親にも挨拶がしたい」
ああ、これが狙いだったのか。
私は目を伏せる。
バカな人。
先を望まなければ、ずっと、秘密の恋人でいられたのに。
「・・・大丈夫よ。パパもママもそういうの気にしないから」
「いや、いくら平民だからってそんなことはないだろう? 子供ができたかもしれないのに」
「できてないわ。たぶん、私に子供はできない」
「そ、れは、別にコンが平民でも不妊でも僕はかまわない。身分が気になるなら、知り合いの貴族の養子にしてもらう手もある。コンは何も心配しなくていいんだ。僕と結婚してほしい」
ずるい人。
こんな手段をとるなんて、私以外の女性だったら大問題よ。
でも、私たちが私たちでなければ、案外これですんなりうまくいくのかもしれないわね。恋人同士なんだもの。
残念ね、ソラ。
「あなたは王子様なのに?」
ソラが息を呑む。
あなたの素性くらい、知ってたわよ。
だから、秘密の恋人になるしかなかった。
百歩譲って平民ならともかく、私は、ソラのお嫁さんになれない。
ソラの手を振り払おうとするけれど、強く握られているからうまくいかない。いつのまに、こんなに力が強くなったんだろう。
長い間、私たちはなれ合いすぎてしまった。
分かっていたのに。
これは、この胸に痛みは、その代償なんだろう。
「・・・確かに僕は王の子だ。でも、コンのためなら王子をやめてもいい。ずっと、そばにいたいんだ」
ソラが本気なのは分かる。そう簡単に折れるつもりがないことも。
ああ、本当におしまいね。
私は、初めてソラの前で魔法を使うのをやめた。
ソラが目を見開いて驚きのあまり手を離す。その隙に私は立ち上がった。
頭には二本の角。
耳の先はとがっていて、犬歯は牙と呼べるほど発達している。
ずっと隠していた私の正体、分からないなんて言わせない。
「私は平民じゃないわ。魔族なの」
ソラは気付くべきだったのだ。
人間の事情はよく分からないけれど、王宮の庭園に何度も気軽に足を運べる存在が、ただの平民な訳ないんじゃない?
まあ、魔族は魔族の土地から出ないと思われているからね。事実こんな人間達の土地のど真ん中でうろうろしている魔族はそうそういない。だから私が魔族だとは想像もしなかったんだろうね。
私は得意の魔法で転移してここまできていた。そして常に変身魔法で角や牙なんかを人間のものに変えていた。
ソラが見ていたのは、偽りの私だった。
「バイバイ、ソラ」
正体がばれちゃったからには、もう会えないね。
本当は別れ際に愛の言葉の一つでもあげたいところだけど、彼の将来を考えて、わざと蠱惑的な笑みを浮かべて手を振るだけに留めた。騙されたのだと、思ってくれるといいけど、難しいだろうな。
最後の無駄な悪足掻き。
私はソラに見えないように苦笑をして、転移魔法で家まで帰る。
そして、その足でパパの元へ向かった。
ソラと私の未来はなくなっちゃったけど、ソラが幸せになるように、私は私なりに頑張ってみる。この私が手放してあげたんだから、ソラはこの国をまとめ上げて幸せにならなければならない。
そのために、私が力を貸してあげる。
もともとそのつもりで下地は作っていたけれど。
「パパ、いえ、魔王様」
いつもはただの優しい父親だけど、私の声が真剣なことに気付いて今は厳しい魔王の顔をしている。公私の切り替えくらいできないと魔王なんてできないよね。
私も今は、魔王の娘じゃなくて彼に従う一魔族の一人になる。
「提案があります」
ソラが死ななくて済むように、私があなたを守ってあげる。
+++++++++++
魔王とは、魔族の一族の長のことで、闘争本能のある実力主義の魔族では一番強いものとほぼ同じ意味だ。
でも、私のパパは違う。
一番強いおじさまが魔王を嫌がって、ナンバー2だったパパに押しつけたのだ。ちなみにおじさまは大きな闘技場を建設してそこの主になって毎日のように魔族同士で競い合っている。根っからの戦闘好きなのだ。
パパが魔王になったばかりの頃はナンバー2が魔王になっていることに不満を持っている人は少なからずいたそうで、直々に赴いては(主に拳で)話し合いをして、私が生まれた頃には一族全員に魔王として認められ今に至っている。
先代の考えは知らないけれど、パパが人間と交流を持たなかったのは、魔族内の統治にいっぱいいっぱいで、人間のことなんか気にしていられなかったからだ。
だから、魔王討伐の話を聞いたとき、何をバカなことを思ったのだ。
そもそも人間と魔族は力が違いすぎる。ソラが死を覚悟した魔物の暴走は、ただのある一人の魔族の多頭飼いのペットの脱走だったといえばどれくらいの差か分かるでしょう?
魔王一人を倒すのにかなりの戦力が必要だろう。万が一魔王を倒せたとしても、かなりの死者が出るし、その後に一族最強の男も、次期魔王候補も、その他魔王よりは弱いけれど人間一人よりは遙かに強い魔族が大勢控えている。もちろん私だってパパが殺されちゃ黙ってない。その相手をどうするつもりだったのだろう。魔王一人倒せたって意味ないじゃない。
だいたい、魔王を倒したって人間側に何のメリットもない。
魔王が領地を奪った? バカも休み休みいってほしい。奪ったんじゃない。こっちはあのほんの一部の領地に固まって住んであげているのだ。
魔族は身に宿る魔力が多いせいで、長い間留まっているとその場がその濃い魔力で汚染されていく。植物も生き物も、その姿形、属性すら変わってしまう。
魔族の住む場所にはあんなに綺麗な優しい色の植物なんてそうそうないし、生き物は全て魔物になってしまう。人間だって魔力が多くないと体を悪くする。
魔王を倒して領地を取り戻せたとして、残りの魔族たちはどうなる? 人間の住む場所へ行くしかなくなる。そして、その場を汚染させていく。結果的に人間は自分の住める場所をなくしていくのだ。
「妹よ、いつまでそんなふてくされているんだ? お前が望んだことだろう?」
「兄様・・・」
漆黒といっていいほど真っ黒な髪と目を持った兄様が私の顔をのぞき込む。眼鏡をかけていてインテリっぽく見えるイケメンだけど、実際はおじさまと似たり寄ったりな脳筋だし、片手に持つ皿にこんもりと盛ってある肉料理がいろいろ台無しだ。
「でも、お前の言ってたとおり、人間と交流を持つのもいいな。肉がうまい」
「でしょう? こーんな格好してお堅いパーティーなんか出ることになるとは思わなかったけど」
私は妙に長くて動きづらいドレスの裾を摘んでため息をつく。
兄様は苦笑して私の口に肉のかけらを放り込んだ。柔らかくてあっという間に飲み込んでしまう。おいしい。
昔、私がソラと出会ったくらいの頃。
当時魔王はあることに頭を悩ませていた。
それは、人間の住む場所をどうするかということ。
というのも、おじさまから提案があったのだ。
この国を人間から奪い取り、周辺の魔族を呼び込んで巨大な魔族の国を作らないかと。
いろんな強い魔族と戦いたいというおじさまの私欲からの思いつきで、面倒なことは全てパパに押しつけるつもりの正直無責任な発言だった。
しかし、一族最強のおじさまの意見は魔王といえど蔑ろにはできない。
ぶっちゃけ国を奪い取るのはとっても簡単。
でも、そこから魔族が住みやすい国になるのに何年かかることか。
そもそも、人間の住処を奪っていいものか。
そこで魔王は娘の意見を聞くことにした。
娘に国の様子を実際に見てもらって、どうすべきか考えてもらおうとしたのだ。
娘っていうのはもちろん私のこと。
こうして私は一人、人間の住む場所、しかも王宮の中へと放り出された。
当時七歳の子供になんてことをさせるんだと思うけど、理由はいくつかある。
子供の無垢な意見を聞きたかったこと。
私がおじさまにすごーく可愛がられていたこと。
そして、私は子供だったけれど魔力量が多く、転移魔法を得意としていて、魔族の象徴である角や牙を隠す魔法も使える、最も適任な存在だったこと。
私としてもお気に入りの場所を見つけたし、ソラにも会えたことだし、文句はないけどね。
ソラと仲良くなる頃には、国の乗っ取りはやめるべきだとはっきり言った。
こっそり庭園の花を一輪持って行って、こんなに素敵な物があるのに汚すのはもったいないって幼いながらに力説した記憶がある。
そして今回、私はパパに人間との交流を持ちかけたのだ。
私利私欲はあったけれど、もちろん魔族側にもメリットはある。
さっきもいったとおり、魔族が住む場所は魔力で汚染される。植物は辛い物や苦い物が多いし、魔物は肉にえぐみがある。たぶん、人間が食べると毒なんじゃないかな。
だから、人間の食べ物と、こっちは魔物の角とか羽とかそういったもの、人間からすれば珍しい物を物々交換してみるのはどうかと提案してみたのだ。
ソラの持ってくるお菓子はいつもおいしかったし、城下町とか歩いたときに屋台に並んでいた食べ物もすごくおいしそうだった。人間のお金を持っていなくて手に入らなかったのが悔しい。今実際に食べてみて人間の食べ物は本当においしいと思う。
まあ、高級品なのも一因だろうけど。
おおむね私の思惑通りにことは進んでいる。
パパが国王に文を出し、この国の人間と魔族のトップが顔を合わせるまでそう時間はかからなかった。その顔合わせに私も参加した。魔王の娘と紹介される私の姿を見て目を丸くするソラの顔はなかなか面白かった。
人間側はとにかく震え上がっていた。口では魔王討伐~なんていっていたくせに、いざ本物の魔王を目にすると威圧感がハンパなくて、国王含め要人はただ首振り人形に成り果てていた。
というわけで、魔族側にかなり有利な条件で交易が始まることとなった。
でも、これから第二王子を中心として細かな調整を行うそうだから、最終的にはトントンな条件になるんじゃないかな。
だって、ソラは第二王子だから。
「ほら、食ったらそろそろ戻ろう。お前のことを待ってるオスがいっぱいいるぞ」
「えー、まだいるの? 兄様だって逃げてきたんでしょう?」
「まあな。ちょっと睨みつければ逃げちまうくせになんで群がってくるんだか。俺らはただの魔王の子供ってだけなのにな」
「人間はそれが大切なんでしょう? 血筋っていうのを重要視しているみたいだから」
「じゃあ俺は論外だろ。養子なんだから」
「そんなのあっちは知らないでしょう」
魔族と人間はいろいろ感性が違うなぁと思う。
血とかどうでもよくない?
貴族とか平民とかおんなじ人間じゃん。
一番強いのが偉い。それでいいじゃない。単純でわかりやすい。シンプルイズベストだ。
そもそも魔族は数が少ない。
私たち一族だって、全部で300人くらいじゃないかな。それは出生率が低いからだ。子供を産めた女性は一生分の幸運を手に入れたといわれるくらい、なかなか子供を授からない。その代わり、妊娠すればよほどのことがなければ生まれるし、その後は他の生き物みたいに病気とかしないし殺されでもしない限り大人に成長するんだけどね。
だから、魔族にとって子供は貴重で、無条件に守るべき大切な存在だ。
実行するかはともかく、へたに強い大人の人間より、弱くとも子供を集めた方が反撃できないからパパだって楽に倒せるんじゃない?ってくらい。
私は魔王の実の娘ってことで、特別に愛された。そりゃもう甘やかされた。だから、子供なのに殺されそうなソラが信じられなくて、つい助けてあげたくなっちゃったんだよね。
「魔王の子供だからって次の魔王とは限らないのにな」
「兄様は魔王候補として養子になったんだからそうともいえないんじゃない? 私なんて魔王の娘だからって何の権力もないからね。嫁にもらったって何の得もないっての」
「美人を嫁にできるのは得じゃないのか?」
「身内の欲目でしょ」
ソラ以外の人間と交流するようになって知ったことだけど、人間は目鼻立ちも大切だけど、豊かな胸と尻、そして折れるんじゃないかってくらい細い腰が美人のステータスらしい。
私はママに似て胸はあるけれど、正直ウェストはそんなに細くない。兄様の地獄の訓練で太ってはいないけど。ソラは他の女性と比べてデブだなとか思っていたんだろうな。
ああ、さっきから昔の男を思い出したってしょうがない。
「兄様、そろそろ行きましょうか」
ため息混じりに切り出すと、兄様は「そうだな」と肩をすくめた。
めんどうくさい。
パパに魔王の地位と仕事を押しつけたおじさまの気持ちがよくわかる。
用意されていた控え室から会場へと戻る。
今日は夜会だそうだ。お茶会だとか舞踏会だとかルールも作法も何も知らないのになんでもかんでも招待されて鬱陶しい。かといってこちらから交流を持ちかけたから無下にもできない。せめてパパとママだけにすればいいのに、ご家族で~とか家族単位で誘ってくる。
たぶん、兄様と私が目当てなんだろう。どっちも独身だもんね。結婚できれば縁ができるとか考えているんだろう。
兄様と話したように魔王の家族と縁を結んだところで何の得もないのだけれど、人間には分からないのだろう。
ほら、さっそく兄様が着飾ったご令嬢に連れて行かれた。
そして一人になった私にも兄様の言うオス達ご令息がやってくる。顔には出さないけれどうんざりした。
「姫、飲み物はいかがですか?」
私は姫じゃない。
「その青いドレスは黒髪に映えてよくお似合いですね」
私の髪も目も黒じゃない。濃紺よ。
「この宝石、あなたのために手に入れました」
あの庭園の花々の方がよっぽど綺麗よ。
文句は山ほどあったけれど、私はただにっこりと数多くの男達に笑ってみせる。
「私、処女じゃないけど、いいのかしら?」
「「!!」」
反応は様々だ。
顔を赤らめる者。
顔をしかめる者。
憤慨する者。
鼻白む者。
どうにも人間の男というものは処女性を重要視するらしい。
血筋とやらを大切にしているからだろうか。子を身ごもっても誰の子かわからないと問題なのかもね。
だから、この一言でほとんど全ての男が去っていく。おかげで、子供を産めない可能性が高いという最も有力な断り文句はいえず仕舞いだ。
まあ、可能性はゼロではないけど。でも、人間の女が魔族の子を産んだという話はあるけれど、逆は聞いたことがない。実際、ソラとの子供はできていない。一回限りだから、誰が相手でも無理な話だ。
あの幸せだった一時と、その後の胸の痛む別れを同時に思い出して、私は思わず顔をしかめてしまう。もう私の周りには男共はいなかったから問題はなかった。ドレスを着せてくれた人間が教えてくれたけれど、こういった公の場で感情を表に出すのは御法度らしい。
やっぱり、人間との、特に貴族の集まりは面倒ね。
鮮やかな色の酒の入ったグラスをとり、私はそっとバルコニーへと抜け出す。認識阻害の魔法をほんのりかけたから、誰も私の行動に気付かない。
バルコニーには誰もいなかった。
人間の酒はおいしいけれど、酒精が低くてどれだけ飲んでも酔えやしない。
外は暗くて大好きな庭園はちっとも見えなかった。
バルコニーの手すりにもたれかかり、私はただソラの髪のような綺麗な月を見上げていた。
++++++++++++
まさか、ソラが第二王子だったとはね。
そりゃ、高貴な人なんだろうとは思っていたけれど、次期王太子候補筆頭だったなんて、こっそりと王宮に忍び込んでその事実を知ったときは動揺でうっかり魔法が解けそうになった。
あと、絶対年下だと思っていたのに同じ年だったっていうのにも驚いた。
ソラの母親は側妃で、第一王子は正妃の子だから、普通だったら第一王子が次期国王となるだろう。人間は血筋と生まれた順番が重要らしいから。
でも、残念ながら第一王子はバカだった。魔王討伐を声高に叫んでいたのが彼の母親の実家である侯爵家だといえばまあ想像がつくだろう。第一王子も魔王討伐に大賛成していたらしいが、実際にパパの姿を見て真っ先に逃げ出し、挙げ句の果てにいの一番に私を口説いてきたのが彼である。王子なのに小物臭がすごい。
そんなわけで、学も武も魔法も何もかも優れた第二王子を支持する派閥が多く存在している。
バカな王はそれはそれで扱いやすいだろうけれど、まかり間違って戦争でも起こされては魔族としても厄介だ。ソラの方が長年私といたことだし魔族に対して友好的で、平和な国を築き上げてくれるだろう。
私はソラとは暮らせない。
それもこれもソラが悪いんだ。
ずっと一緒になんて望んでしまうから。
一時の恋人ならばよかった。
私がソラの住む場所に長く留まると汚染される。逆にソラが私の住む場所に来ると、人の身にはきつい環境だろう。いくらソラが人間にしては魔力が多いといっても所詮人間だ。その命を縮めてしまうかもしれない。
私に言い寄る男達はそこら辺どう考えているのやら。
ソラには末永く元気で幸せに暮らしてほしい。
その未来に私が邪魔になるというのなら、しかたない、彼から姿を消そう。
昔から甘やかされて生きてきた。そんな私が、誰かのために身を引くなんてね。
私は苦笑してグラスの中の酒をくるりと回してから一気に飲み干す。シュワシュワとしていておいしい。でも、こんなんじゃ足りない。
カツン
わざとだろうか、背後で靴の音がした。
人の気配には気付いていた。たぶん、人間の男だ。
認識阻害の魔法をずっとかけていればよかったと後悔した。バルコニーに入ってから人がいなかったため解いてしまっていたのだ。
私は振り返らずに声をかける。
「あいにく、私は処女じゃないわよ? さっさと他の女のところにいったら?」
背後の人間がどこかにいったら酒のおかわりをもらってこよう。
空っぽのグラスを見つめながらそんなことを考える。すると、背後から手が伸びてきて私のグラスを取り上げた。失礼な奴だな、乱暴に追っ払ってやろうかと手に魔力を込め始めたところで気付く。
清涼感がありそれでいてほんのり甘い、よく知った匂い。
「知っているよ」
うそ。
どうして。
参加者にいないことは確認していた。
だって、再会したって何もないもの。未練が出るだけだ。一生会わない方がいい。
それなのに、どうして、
「もしも僕以外の相手に体を許していたとしても関係ないよ。いや、でも相手は教えてほしいかな。たとえ魔族でも殺してやりたい」
「・・・そんな相手いないわよ」
「それはよかった」
振り返れない私を背中から包み込むように抱きしめてくるのは、よく知った体温だった。
「結婚しよう、コン」
ちがう、うれしくなんかない。
胸の高鳴りなんて、感じてない。
ときめいてなんて、いないんだから。
「・・・王太子候補が魔族と結婚していいわけ?」
「だからこそだよ。それだけの重要人物が魔王の娘と婚姻関係を結べば、これ以上ない友好の証になるだろう?」
「それは、そうかもだけど」
「父上には許可を取った。魔王様も、コンがいいといえば認めてくれるとおっしゃってくださった。コン、僕と結婚して?」
「・・・なに、勝手なことしているのよ」
バカだ。
二人の王子どっちもバカってどうなの? 第一王子のバカは王妃の血筋かと思っていたけれど、実は国王の血だったのか。え、この国大丈夫?
「ソラが王様にならないと、国が滅ぶんじゃない?」
ちょっとソラでも大丈夫か心配になってきたけれど。
ソラが背中越しにふっと笑ったのが分かった。
「僕の友人が兄上の側近だったり文官や騎士団の要人だったりになってもらう予定だから問題ないよ。たとえ頂点が愚かでも周囲がうまく転がしてくれれば問題は起こらない」
「・・・ソラ、友達いたのね」
本当に、私はソラのことを何も知らない。
私たちの関係はあの庭園で完結していたから。
あの美しい空間で私は満足していたのに。
していたはずだったのに。
「あなた、長生きできないわよ?」
「僕はコンに出会わなければとうに死んでいた。君のおかげで今ここにいる。コンのそばで死ねるなら本望だよ」
「いやよ。早くに未亡人なんてごめんだわ。すぐに再婚するから。相手はいっぱいいるのよ」
「それは困るな。じゃあ、何がなんでも長生きしよう。とりあえず、新居は人と魔族の領地の境目にしてもらえるよう交渉しようかな。それに、僕は魔法の腕と魔力量は国内一とも言われているし案外なじむと思うよ」
もう、認めるしかないじゃない。
ソラの言葉が嬉しい。
また会えて嬉しい。
抱きつきたい。
抱きしめてほしい。
もっともっと、そばにいたい。
「愛しているわ、ソラ」
振り返って、正面から抱きつく。すぐに抱きしめ返してくれるその力のなんと強いことか。
あんなにも弱いチビッコだったくせに。
今だって、ううん、きっと生涯、私よりも弱いくせに。
力が全ての魔族で、しかも魔王の娘でありながら、人間相手にこんなにも胸が高鳴るなんて思いもしなかった。
人生何があるか分からない。
「僕も、愛しているよ」
小さな囁きが耳をくすぐる。ふふ、と自然に笑みがこぼれた。壊さないように、きゅっとソラの背中に手を回す。
「コン、今度こそ名前を教えて?」
「もう知ってるでしょ?」
「コンの口から聞きたい。僕の名前も教えるから」
私たちは出会ってから長い月日が経って恋人にまでなったけれど、本当のつきあいはこれから始まる。
今までよりもっとずっと長い時間の中でお互いの知らないことを少しずつ知っていくんだろう。
もう、隠し事は必要ない。
背伸びをしてソラの耳元へと顔を近づけて、私はそっと自分の名前を教える。
お気に入りの場所で見つけた少年は、いつの間にか、私の一番大切な伴侶となった。