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林檎姫

作者: 白雪鈴子


 アップルパイにタルトタタン、林檎ジャムのクッキーに林檎のジュレ──

 あの子の好きな、林檎のお菓子。

 


 

 柔らかな日差しが瑞々しい若葉を包む、のどかな昼下がり。

 庭に面した風通しの良い一室で、女王は一人ティーカップを傾けていた。

 白い丸テーブルには薔薇模様のティーセット。

 お茶菓子はレモンの形のケーキとドレンチェリーが宝石のように煌めくクッキー、それからひんやりとした林檎のコンポート。

 

 王の後妻としてこの国の妃となり、しばらくしてその夫を亡くしてしまった為、自らが国を導く立場にならざるを得なかった彼女は、ひとときの安らぎを感じられるこの時間を何より大切にしていた。

 王との間に子はなく、ただ一人、前妻の遺した姫がいたが、女王との折り合いは悪く、紆余曲折あって他国へと嫁いでいった。

 

「よいしょっと」

 

 不意に目の前に美しい少女が腰を下ろす。

 黒檀の髪、雪のように白い肌。

 血のように赤い唇の端がきゅっと引き上がった。

 

「ねえおかあさま、聞いてちょうだいな」

 

 他国に嫁いだ、折り合いが悪いはずの継子が、当然のように話しかけてくる。

 

「やだ貴女、今日も来たの?」

「向こうのお義母様ったら、私に常識がないだのセンスが悪いだのグチグチうるさいの」

「許可してないのに勝手に話始めないでちょうだい」

「大体、国も違えばしきたりも作法も変わるんだから、常識とか言われても困るのよね。その辺踏まえて発言して欲しいわ」

「貴女も私の発言を踏まえて欲しいわ」

「嫁ぐってほんと大変ね、おかあさま。まったく知らない人達と生活しなくちゃいけないのだもの」

「あら、少しは私の苦労が理解できた?」

「喉乾いちゃったわ。あ、そこのあなた!私にも紅茶くださいな」

 

 こちらの話をまったく聞かず、その上図々しくも侍女に勝手にお茶を頼む継子に、女王はため息を吐いて困惑顔の侍女にもう一つカップを持ってくるよう指示を出した。

 

「あ、林檎!これ林檎でしょう?」


 侍女が紅茶を注いでいる間にも絶えず囀ずっていたかと思うと、しっかりテーブルの上も確認していたらしい。

 継子の弾んだ声に、女王は眉根を寄せた。

 

「別に貴女の為に用意したわけではないのだけど」

「私、林檎大好き」

「あらそう」

「まあ、おかあさまったら知ってるでしょう?だって私の好物だからあの時持ってきたんだもの」

 

 継子がこてんと首を傾げて笑う。

 

「ひどいわ、好物で殺そうとするなんて」

「貴女が勝手に喉につまらせたんじゃないの。私は…」

 

 仲直りのつもりで持っていったのよ、という言葉は飲み込んだ。


「別に殺すつもりはなかったわ」

 

 そう言って一口紅茶を啜る。

 継子は幼子のように頬を膨らませた。

 

「でもおかあさま、私を殺す気だったじゃない。だから私はお城から逃げたのよ」


 責める言葉に女王は瞼を閉じる。

 あの時は確かに、殺したいと思っていた。

 慣れない立場、後妻ということで寄越される様々な視線、そして懐かない前妻の子。

 初めて会った時は、なんて愛らしい子だろうと思った。

 その小さな丸い頭に、柔らかな頬に、触れたいと思った。

 けれどその子は頑なに彼女を受け入れず、触れることは愚か話すことすらままならなかった。

 そんな中、唯一の拠り所であった夫が他界してしまった。

 深い哀しみと疲労、重圧や思惑…そして拒絶に追い詰められた彼女は、感情の全てが憎しみに塗り替えられ壊れていったのだった。

 だが継子が城から姿を消したことで、我に返った。

 必死で居場所を突き止めて、一国の女王が護衛も付けず出歩くわけにいかないので変装して、継子の好きな林檎を持って迎えに行ったのだ。

 けれど中々言い出せず、結局林檎だけ渡して帰ってしまった。

 だから、まさか、その林檎を喉につまらせて死ぬだなんて思いもしなかったのだ。

 

「…そうね。あんな事態を引き起こしたのは私のせいね。悪かっ…」

「でも王子様に会えたからラッキーだったわ!」

「聞きなさいよ人の話を」

「王子様が待ってるから帰るわね」

 

 唐突に立ち上がると、継子は庭へ続く窓に走り寄った。

 

「そんなに走ると転ぶわよ」

 

 無邪気な様子に、ふと、我が子を嗜めるような言葉が出てしまう。

 はっと息を飲んだ女王に、継子は振り返ってうふふと笑った。

 

「ごきげんよう、おかあさま」


 そしてそのまま庭へ躍り出ると目映い日差しの中に溶けていった。

 

 女王は緩慢な動きで立ち上がると、窓際へ寄ろうと足を踏み出す。

 ふと、何かに引っ張られるようにして、先ほどまで継子が座っていた席に目をやった。

 

「結局、口を付けていないじゃないの」

 

 継子の為に用意されたティーカップの縁を優しく指で辿る。

 そうして、彼女が消えた庭を見つめた。

 

「明日はどんな林檎のお菓子を用意しようかしら」

 

 毎日やってくるあの子は、結局いつも口を付けないのだけれど。

 

 それでも女王は毎日お菓子を用意する。

 

 アップルパイにタルトタタン、林檎ジャムのクッキーに林檎のジュレ。

 様々な林檎のお菓子を。

 あの子の好物を。

 だってこの時間は、大切な時間なのだから──

 


 午後の光の中、庭では溢れんばかりに咲いた白いモッコウバラが、ただ静かに花びらを散らしていた。

 

 

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