思わぬ展開-2
早いほうがいいから、という本田さんに退社後に引っ張られて連れてこられたのは閑静な住宅地の中にある一軒家。コンクリートむき出しの壁にぽツンポツンと丸いガラス窓が並んでいる。いかにも建築デザイン会社という感じ。話によると一階が事務所で二階三階が住宅になっているそうだ。
通された応接間で本田さんの二十年来の友人という社長と対面した。細身のスーツを着た、おっとりとした話し方の感じのいい女性だった。本田さんのイメージとは全然違う。いや、全然違うからこそあんがい馬が合うのかもしれない。
「噂通り、素敵なお嬢さんね」
本田さんに紹介されて頭を下げたあたしに、にこやかに笑みを浮かべた。いただいた名刺には「マドカデザイン代表取締役 金崎まどか」と書いてある。
「どこまで聞いているかしら」
「ほぼ説明はしているわ」
と本田さん。
ええと、ここにきてからあたしまだ返事と相づちくらいしかまともにできてないんだけど。
「そう。なら話は早いわね」
ポンと手を打って話し出した内容は、本田さんから聞いた話そのまま。そうしてどこからともなく電卓を取り出し、社員扱いで諸手当はもちろん保険もありで、勤務時間や月の手取りのおおよその金額といった待遇の話を、おっとりした印象がうそみたいに怒濤の勢いで言葉をつないでいく。
この押しの強さはさすが本田さんのお友達だ。多分三十分くらいはひたすら話を聞いていただろうか。締めの言葉のように、
「――どうかしら。来てもらえるかしら?」
期待いっぱいの視線が前と左側から注がれた。
ええと。
ここで「やっぱりやめます」とは言えなくて、ましてや少し考えさせて、といった中途半端な回答はさらにできなくて、
「ぜ、ぜひよろしくお願いします」
ひきつりそうになる笑顔を必死で取り繕いながらそう答えるしかなかった。
ありがとう、と金崎さんが明るい笑顔を浮かべて言った時、応接間のドアをノックする音が聞こえ、次いで開いて、
「そろそろお茶が冷めたころだと思ってお持ちしました」
細身で背の高い男性がそう言ってはいってきた。お盆の陰から左手の薬指に銀の指輪が見えた。骨ばった手がぎこちない仕草で茶卓を運ぶ。
「ちょうどよかった。吉井君、来月から働いてもらうことになった山田花さんよ。よろしくね」
吉井君、と呼ばれた男性はあたしを見て穏やかにほほ笑んだ。
「これが噂の里美さんの後輩ですね。はじめまして、吉井虎太朗です」
「あ、こちらこそよろしくお願いします」
人懐っこいその笑顔についつられて会釈を返した。
パンッと鋭い音が頬をたたいた。
目と鼻の先にごつい手があった。どうやらさっきの音は目の前で手をたたいた音だったようだ。
「目が覚めましたか」
なんとなくトゲがある口調で龍之介が言った。
「ところで、あなたがなんでここに?」
ここ、というのはマドカデザインの事務所に、ということだろう。むしろそれはこっちの台詞だと思うんだけど。
「グッ、モーニーン!」
勢いよく開いたドアから吉井さんが朝から異常なテンションで入ってくる。
「あれ、龍くんに花ちゃん、どうしたの、こんな入口で突っ立って?」
言われてみればそうだ。入り口の所で龍之介と鉢合わせ、立ち尽くしていたのだ。ちょうどあとから入ってきた吉井さんが後ろにいるのでなんとなく息苦しい。
「あの……」
戸惑ったあたしの声よりも、たぶん目の前の龍之介の顔のほうがわかりやすかったのだろう。吉井さんは一人納得した様子で、
「ああ、二人は初対面だったよね。彼は鈴木龍之介くん。うちの三人目の設計士だよ。で、龍くん、彼女がこないだから話していた、今日からリカちゃんの代わりに事務で入る子だよ。名前は――」
「山田花子さん」
「花、です。子はつきません」
いったい何回間違えれば気が済むんだこの男は。
上目づかいに睨んでみるが、向こうはあたしのことなんて眼中にないようで吉井さんと視線を合わせている。
その吉井さんは龍之介があたしの名前を言い当てたのに驚いた様子だった。
「二人、知り合いだったんだ?」
それなら話が早い、これから仲良くよろしくねとのんきに笑うその横っ面を思いっきりひっぱたいてやりたい衝動を必死でこらえて、彼がさっき言った言葉を何度も反芻した。
三人目の設計士、ってことは。
ようやく状況を理解したあたしに向かって、龍之介は今まで見たこともないくらいとびっきりの笑顔を浮かべて、
「これからよろしくお願いします、山田さん」
あたしはまるで蛇に睨まれた蛙にでもなったように身動きが取れなかった。




