ベッドに入って
懐かしさを覚える九十年代のヒットナンバーに耳を傾けるふりをしながら正面に座る龍之介を盗み見た。
――というか、この店のチョイスはどうなのよ。
こちらから相談を持ちかけたことを棚に上げて、提案者の顔を思い浮かべると心の中で舌打ちする。『ここがお勧めです!』とメールにもかかわらず力強く言い切った千紗の言葉を信じたのに。
霞がかったような店内は食欲をそそる匂いで充満していて、家族連れのにぎやかな声が時々聞こえてくる。きちんと仕切られた空間の真ん中にテーブル。その中央あたりに金網が据えてあり、その上でじゅうじゅうと音を立てながら肉が焼かれていて、時折、ちらりと脂を吸った炎が肉をなめる。
これじゃあムードもへったくれもないわよ。
ぐい、とグラスの中身を流し込むと、喉が焼ける感覚のあとに芋焼酎独特の香りがクンと鼻に残る。息を吐いてそれを逃がすと箸を取り、焼けた一切れを口に運んだ。
本来ならきっとおいしいはずの上カルビも今は緊張でほとんど味がしない。というか、たぶん今ならゴムを食べさせられたってカルビと間違えるに違いない。
龍之介はと言うと、特になにも聞いてくることもなく、黙々と肉を焼いては平らげていく。
肉を焼いているからいいものの、でもやっぱりいたたまれない。緊張を紛らわせるためだけにいつになくハイペースでお酒を飲む。
「そんなに飲んで大丈夫ですか?」
と、龍之介が聞いてきたのは六杯目のお代りを頼んだときだった。あんまり食べていなかったのもあり、ちょうどいい具合に気持ち良くなってきた頃合いだったので、なんとなく水を差された気がして唇を尖らせる。
「焼酎ガバガバ飲む女は嫌いですか?」
それを聞いた龍之介は驚いたように動きを止めた。
なに言ってるのよ、あたしは。
自分の発言に驚いてどうにかしてごまかそうと理性が働き始めるより早く、酔いに任せて口が勝手に回る。
「チューハイやカクテルじゃなくて、焼酎や日本酒を飲む女はダメですか?」
「べつにそれは好き好きですからいいと思いますよ」
「……ありがとうございます」
店員さんが運んできたグラスを早速口に持って行きながらちょっと頬を膨らませる。適当に言われた気がして癇に障った。
どうせ本当はドン引きしてるに違いないのに。
ふと、そこで会話が切れた。さっきまでの無言とは比べものにならないほどのプレッシャーを感じて、何か話さなきゃと話題を探して視線を彷徨わせる。龍之介を見れば、相変わらずマイペースに肉を焼いている。
というか、なんであたしだけこんなに緊張してるわけ?
そう思ったとたんに意味もなく怒りがこみ上げてきた。
「……鈴木さんは、ずるいです」
口から転げ出たのはそんな言葉だった。
龍之介は眉根を少し寄せてこちらを見る。一瞬言葉を飲み込みかけたけど、口が勝手に動き出す。
「いつもなんにも喋らないで、黙ったままで。なにを考えてるのかわからなくて、どうしていいかわからないときに、たまに口を開いたと思えば妙なことを言うし、なんなんですか」
「妙なことを言っているつもりはないんですが」
「鈴木さんにはそのつもりがなくても、あたしには妙なことなんです」
じっと下から睨みつけるように見ると、箸を置いた龍之介はグラスに手を伸ばす。
「す、好きだとか言って、あたしの反応を見て楽しんでるんでしょう」
誰かあたしを止めてください。これ以上何か言う前に。
でも現実であたしの目の前には龍之介しかいなくて、止めてくれる人間は誰ひとりいないのだ。
「そう言われるたびにあたしがどれだけ緊張するか、わかってます?」
「好きだから好きと言ってなにが悪いんですか?」
「すっ……」
だから今、そういうこと言うなっていったばっかりなのに、なんでこの男は言うのよ。
落ち着け。落ち着けー、あたし。
冷静になろうとグラスの一口飲み込む。とたんに喉が焼けるように熱いけれど、今はそんなこと気にしてられない。ドン、とグラスをテーブルに置いて、
「だから、そういうことを言われると、もう、どうしていいかわからないんです。これ以上言わないでください」
「どうしてですか?」
理由を教えてください、と龍之介は言う。
見つめられていると自覚すると急に身体が熱くなる。いや、これは酔ってるからだ。喉を潤そうと焼酎のグラスを持ち上げかけるのを、龍之介の手が遮った。
「山田さん?」
龍之介の瞳は、どこかこの状況を面白がっているようにも見える。
知ってるくせに。
この男はあたしの気持ちなんてとっくにお見通しで、そのうえで知らんふりをしていたのだ。
ふっと息を吸うと、
「……好きだからです」
もうどうにでもなれ。
「好きなんですよ。悪いですか」
ほとんどわめくように言って焼酎を一気飲みする。
あ、まずい。
空きっ腹で飲んでたせいでとうに限界を超えてしまっていたのにそれでも何とか理性を保っていたのは緊張していたためだ。その緊張が解けて今までのツケが回ってきた。
「べつに悪いとは言ってないですよ」
こみ上げてくるものを感じてトイレに向かう後ろで龍之介が満足そうにつぶやくのがかろうじて聞こえたのが最後だった。トイレまで自力でたどり着けたのかさえ、記憶にない。
あたし、洗剤変えたっけ?
慣れない香りが意識を浮上させた。
頭が重い。身体がだるい。
飲みすぎた翌朝はいつもこう。そのたびに反省するくせに、半月もすれば同じことを繰り返すのは、結局は反省していないからだと思う。
瞼を閉じたまま、次からはもっとしっかり節度を守って飲もうと誓うのも、何度めだろう。
まあでも、昨日は仕方ないわ。飲まなきゃやってられなかったのも事実だもの。
ため息を吐いて起き上がる。
――あれ?
見慣れない風景が目の前に広がっていた。テレビも本棚も机もタンスも確かにあるし、生活感満載なんだけど、あたしの部屋ではない。
どこだ、ここ?
見慣れないはずなのになぜか既視感を覚える風景に嫌な予感がしないこともないけど、まさか。
「おはようございます」
打ち消しかけた考えを決定付けるように背後からかけられた声に驚いて飛び上がる。
この、声は。
恐る恐る振り返れば、そこに立つのは予想通り龍之介。なぜか上半身だけ裸で、マグカップを片手にこちらを見ている。
思い出したくない記憶がよみがえってきて、はっとして自分の格好を確認する。よし、服は着てる。
胸をなで下ろすと龍之介が笑う気配を感じた。
「昨夜はなにもしてませんよ。安心してください」
そう言ってマグカップをテーブルに置くと大股で近づいてきて、ベッドに腰掛ける。
身を引こうとしたあたしは腕を掴まれてベッドに押し倒された。……というか、待って、この状況はやばくないですか?
「あ、あの、昨夜はいろいろとすみませんでした」
「謝る必要はありませんよ」
間近に迫る龍之介の笑顔に身がすくむ。
「ええと……。ちょっと近すぎません?」
もう少しだけでいいから離れてほしくてそういえば、
「そうですか?」
と龍之介はそっけなく言うばかり。
そうですかじゃなくて。なんだか今、あたしものすごく貞操の危機を感じてるんですけど。
「あ、あの、鈴木さん……」
「お互いの気持ちもわかったことですし、もっと親密になってみませんか?」
耳元でそう囁かれると、心臓がどくどくと早鐘を打ちだす。
「し、親密になるには、いろいろとまだ順番があると思います!」
すると龍之介はわずかの間考えるそぶりを見せたあと、身を起こした。
よ、よかった。
ほっと胸を撫で下ろすあたしを見て、
「順番……。そうですね。そう焦ることもないか……」
「あの……?」
ぶつぶつと呟いていた龍之介は、ひたとあたしの顔を見て笑みを浮かべた。
「覚悟しておいてください」
覚悟って何のですか――。
蛇に睨まれた蛙のごとく固まったまま、喉の奥で叫んだ。
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございます。
中途半端な! と言われそうですが、とりあえずこの二人のお話はこれでおしまいです。またひょっこり続きを書く気になればこちらに載せようと思っていますので、その時はよろしくお願いします。




