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体感温度、氷点下

 誰それ。

 振り返ったまま固まったあたしの様子など全く見えていない吉井さんは龍之介に向かってにこやかに話を続ける。

「それにリカちゃんも元気そうでよかったよ。辞めてから全然顔出さないし、心配してたんだよね」

 吉井さんの背中の向こうに見える龍之介の顔は、さっきより一段と冷ややかなものに変わっていた。

「……何の話ですか」

 短く聞き返す声も今まで聞いたことがないくらい低く不機嫌そうだ。

 しかし吉井さんには龍之介の醸し出す氷点下のオーラが見えていないんだろうか。とくに気にした様子もない。

「またまたぁ。昨夜の花火大会の話だよ。赤い浴衣の女の子と一緒にいたでしょう。後ろ姿しか見えなかったけど、あれは絶対リカちゃんだよね」

 赤い浴衣ですって。それってつまり、昨夜キスしてたあの女の人が龍之介の彼女ってこと?

 彼女がいるくせにあたしに向かって好きとか言ってくるなんて、どんだけ気が多いのよ。というかそれって浮気相手としてってことだよね。信じられない、ひどくないですか。

 龍之介はイラついたようにため息を吐いた。

「人違いです」

「そんな、今更照れなくてもいいじゃない。二人が付き合ってることはみんな知ってるんだし」

 世話焼きな親戚のおばちゃんのような口調と仕草で吉井さんはポンポンと龍之介の肩をたたく。

 みんなって、あたしは初耳ですが。

「リカとはずいぶん前に別れました」

 チラリとあたしの方を一度見て、龍之介は低くそう言った。

 ちょっと待って。なんでそこであたしを見るのよ。

「えっ、そうなんだ? てっきりまだ続いているもんだと思ってた」

 じゃああれは人違いかな、とぶつぶつ呟いて、吉井さんは首をかしげている。

「リカちゃん美人さんだったのに、もったいないことしたねぇ」

 へえ、美人の彼女がいたんですね。いや別にいい年なんだし、彼女の一人や二人いてもおかしくはないけどさ。なんとなく胃の上あたりがもやもやしてくる。

 これはきっとあれだ。蚊帳の外に置かれているからだ。

 気持ちを切り替えようと、勢いよく湯気を吐き始めたやかんの火を止め、まずカップに注ぐと次いでコーヒーを淹れ始める。ゆっくりとお湯を注ぐ手が止まったのは吉井さんの次の一言のせいだ。

「でもなんで別れたの?」

 興味津津と言うよりも、話のついでといった口調だった。

 あたしは思わず吉井さんの背中に顔を向けて、慌ててコーヒーに視線を戻す。それでも耳だけは二人の会話に集中させる。

 龍之介がため息を吐くのを感じた。

「べつに。単に興味がなくなっただけです」

 一瞬、やかんの熱湯をぶっかけてやろうかと思った。しなかったのはかろうじて理性が働いたからだ。衝動は抑えられたけど気持ちはおさまらなかった。

「それってひどくないですか」

 話題の「リカちゃん」をあたしは知らないけど、興味がなくなったとか、理由になってない。同じ女としてそんな理由で振られるのって許せない。

 吉井さんは驚いた顔をして、いきなり会話に入ってきたあたしを振り返った。

 龍之介は眉間にシワを寄せてこちらを見返している。

「そうですか。今までもたいてい同じパターンだったんですけどね」

「そ……っ」

 同じような別れ方をしてきたですって?

 怒りに震える左手を握り締めて、

「じゃあなんで付き合うんですか?」

「べつになんとなく」

 しれっと言って龍之介は視線を外した。

 信じられない。男の人はなんとなくで付き合えるものなんですか。

「……好きだからとか、そういう動機はないんですか」

 すると龍之介はうんざりしたように、

「今更そんなこと。処女じゃあるまいし」

 なんですと?

 吉井さんの爆弾発言以上の衝撃だった。何を言われたのか理解できなくて、その意味を脳に到達したとき、キレるという感覚がわかった気がした。

「龍くん!」

 慌てて吉井さんが割り込んでくる。

「言いすぎだよ。花ちゃん、気にしなくていいからね。ほら、龍くんも謝って!」

 必死でなだめようとしてくれてる吉井さんの声も言葉として理解できない。

 黙り込んだあたしは、どう言い返してやろうかと頭の中でひたすら考えていた。そのわずかの時間のあと、震える息を吐き出すと龍之介に向かって、

「――セクハラです」

 はじかれたようにこちらを向いた龍之介を睨みつけると淹れかけのコーヒーに意識を戻す。ぬるくなってしまったコーヒーを温めておいたカップになみなみと注ぐと龍之介の机にドンと置いてやる。

「コーヒーをどうぞ」

 嫌味ったらしく笑みを浮かべてそう言うと、もう一度コーヒーを淹れるべくやかんに水を足した。



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