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 せっかく屋敷の地下に遊園地があるのだからそこで遊んできたらいいんじゃないかしら。そんなシエナの提案で、オリーブとスプルース男爵の初デートはお家デートになった。オリーブとスプルース男爵は長い廊下を進み、屋敷の地下室へと足を踏み入れた。重たい鉄製の扉を開け、長い階段を降りた先に広がっていた旧式の遊園地の光景に、二人は賛嘆の声をあげる。


「そういえば今日、シエナさんはお屋敷にいらっしゃらないんですか?」

「いいえ、自室で新聞広告に書かれていた仕事をやっているんです」

「なるほど、以前聞いたことがあります。今日はどのようなお仕事を?」

「木目を……木目を数えているんです。自分の部屋にある檜の椅子にじっと顔を近づけて」


 オリーブはそう答えながら、ちらりとスプルース男爵へと視線を向けた。男爵は二十代後半の若々しい男性で、鼻は高く、彫りが深い顔立ちをしている。背はオリーブよりも頭ひとつ分大きく、両腕の長さが揃っておらず、右腕だけが数センチだけ長い。襟に刺繍が入ったモーニングコートの中には灰色のウエストコートを着込んでいて、革靴は磨き上げられて光沢を放っていた。第一印象としては品の良さを感じることができたが、逆に言えば形式的に整いすぎていて、彼がどのような人物なのか測りかねるような佇まいでもあった。


 二人はどこかよそよそしい会話を続けながら、地下室の遊園地を歩いて行く。メリーゴーランドのそばで立ち止まり、スプルース男爵が乗ってみますか? とオリーブに問いかける。動いてませんよとオリーブが答えると、動いてないのだから今が乗るチャンスなんですよとさらに男爵が笑う。男爵に手をとってもらいながらオリーブはメリーゴーランドを囲む柵を乗り越え、一番近くにあった馬の乗り物に横乗りをした。幼い頃、従姉妹と遊園地へ遊びにいっていた時は必ず乗っていたんです。男爵が誰に聞かれることもなくそう言った。


「従姉妹はテレビタレントをやっていたんですが、テレビロケの中で命を落としました。アフリカで野生のライオンと戯れるという企画で、そのロケの最中にライオンが興奮して、従姉妹の首元を爪で思いっきり引き裂いたそうです。従姉妹はすぐさま病院に運ばれましたが、出血多量で死んでしまいました。そして、従姉妹の腕を食いちぎったライオンも射殺されました。人を襲ったライオンはその場で、それができないのであれば後日射殺されると言うのがしきたりのようです」

「可哀想ですね」

「従姉妹がですか? それともライオンが?」

「どちらもです」


 オリーブの返答にスプルース男爵が頷く。


「ええ、本当に可哀想です。ほんの短い時間の間にライオンに襲われた従姉妹と従姉妹を襲ったライオンのどちらもが命を落としてしまったことが。そして、オリーブさん。あなたは従姉妹に似ています。憂げに目に覆い被さるまつ毛も、湧き出る儚げな雰囲気も。ちなみに確認なのですが、オリーブさんはテレビタレントではないですよね?」


 違いますとオリーブが答えると、それはよかったとスプルース男爵が安堵の表情を浮かべる。スプルース男爵が先に馬から降り、違う馬に腰掛けていたオリーブに手を差し伸ばす。オリーブはその手を取り、馬を降りようとした。しかし、足掛け部分を踏み外し、そのままバランスを崩したオリーブは小さく悲鳴を上げながら、スプルース男爵の胸の中に倒れこむ。


 スプルース男爵がオリーブを受け止め、オリーブは彼のたくましい胸元に顔を埋める形となった。スプルース男爵が今日のためにつけてきたシトラスの香りを嗅ぎ、そのままオリーブは顔をあげ、彼の顔を見上げた。そして、その状態のまま二人は見つめ合う。オリーブはその時すでに、人生何度目かはわからない恋に落ちていた。彼の悲劇的なエピソードも、さりげない優しさも、すべてが彼女の心を掴んで離さなかった。失礼。スプルース男爵が目を逸らし、そのままオリーブの身体を支えながら立たせてあげた。


「もう少し遊園地の中を歩いてみましょう。ひょっとしたら動いているアトラクションがあるかもしれない」


 スプルース男爵がそう提案して、オリーブとともに再び地下室の中を散策し始める。遊園地の敷地はどこまで歩いても続いていて、終わりが見えない。アトラクションに関しても、入り口付近には複数固まっていたものの、奥へ進めば進むほどアトラクション同士の間隔は広くなり、建設予定地という看板が立てられた空き地が目立っていく。20分ほど歩いてようやく遊園地を囲む塀が見えてきて、もう少し近くへ寄ると、その塀は結局壁に描かれた絵でしかないことがわかった。


「大叔母様はきっと遊園地が好きだったんでしょうね」


 地下室に住むと言われていているアルメラルラ家の大叔母。その言い伝えを聞いたスプルース男爵は、自分を納得させるように頷いた。歩き疲れた二人は近くに設置されていたベンチに腰掛け、改めて遊園地の敷地を見渡した。敷地面積だけは広いのに、各アトラクションはその面積に不釣り合いなほどに規模が小さく、また安っぽい。塗装が剥がれたコーヒーカップは周りを空き地で囲まれていて、受付小屋はプレハブ小屋のように簡素だった。


 スプルース男爵がベンチから立ち上がり、一人で壁に向かって近づいていく。そして、身体を前屈みにしてじっと壁を見つめると、何かを発見したのか小さな感嘆の声をあげた。


「耳を澄ますとまるで壁が呼吸しているかのよな音が聞こえてきますね。屋敷自体が生きてるみたいだ」

「呼吸をしてるということは、生きているんじゃないですか?」

「なるほど。そうだとすればこの屋敷は何を食べて栄養をとっているんでしょう」

「大事に世話をされているわけでもなく、損してばっかりなので、割りを食っているんじゃないですか?」


 スプルース男爵が頷き、そっと手を壁に近づけていく。そして、手をかざした壁の部分が水面のように波打つのを見た瞬間、何かを感じ取ったオリーブが反射的に悲鳴をあげる。


「駄目っ!!」


 その声が届くと同時にスプルース男爵が右の手のひらが地下室の壁に触れる。その瞬間、沼に引き摺り込まれたようにスプルース男爵の右手が壁の中にのめり込んでいった。屋敷の壁は獲物を捕まえた捕食動物のように彼の手を掴み、そのまま自分の中へとスプルース男爵自体は引き込もうとし始める。彼は全身の力を使って、手を壁から引っこ抜こうとするが壁が彼を引き込む力の方が強く、少しずつ少しずつ右腕が壁の中へとのめり込んでいく。顔面蒼白になったオリーブが立ち上がり、スプルース男爵に駆け寄る。彼女もまたスプルース男爵の右腕を掴み壁から引き摺り出そうとした。スプルース男爵の叫び声が地下室の中に響き渡る。男爵の右腕はすでに肘部分まで引き摺り込まれている。


 オリーブの脳裏に、シエナが地下室の扉前で見つかったと話したメイドの右腕が思い浮かんだ。断面すら綺麗に引きちぎられたメイドの白い右腕。壁の力は弱まることがない。一方で、男爵とオリーブの体力は確実に消耗し始めていた。壁に対抗する力が弱くなっていき、男爵の腕が壁の中に引き摺り込まれていくスピードがあがっていく。オリーブの手が汗で滑り、彼女の男爵の腕を引っ張る力がなくなる。壁が男爵を勢いよく引き摺り込んでいく。オリーブが恐怖で叫び声を上げた。


「お願い、大叔母様! 助けて!!」


 オリーブの声が地下室内に響き渡った時、まるで時間の流れが止まったかのように壁は男爵の腕を引きずることを止めた。反動で、男爵が身体ごと後ろへ倒れ込み、壁の中に埋まっていた腕が引き摺り出された。男爵は顔中に汗をかいていた、オリーブは泣きながら彼の身体に抱きついた。二人はお互いに顔を見合わせ、そして先ほどまで自分たちを中へ引きずる込もうとしていた壁の方を見る。絵が描かれた壁には先ほどのような波紋はなかったが、その代わりに、少女の姿をした影が張り付いていた。オレンジと髪の長さも背丈も同じ影は二人の方をじっと見下ろし、そしてぷいっと顔を背ける。


 そして、オレンジの影は壁の中を走って、その場を去っていった。可愛らしい笑い声をあたりに響き渡らせながら。

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