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「重要な話って何? この屋敷から出て行けとかそういう話? やっぱりみんな私が邪魔者でいなくなってしまえって思ってるのね。人は自分の思ったことをそのまま口にしないだけの分別はあるけれど、その気遣いが時にはより深い痛みを生むことにどうして無関心でいられるのかしら」
オリーブは反射的に言葉をまくしたて、それから両手で顔を覆ってわっと泣き始める。違うわよとシエナが答え、オリーブの肩を抱き寄せた。
「あなたにまた縁談の話が来てるの。お相手は港区のタワーマンションに住んでるスプルース男爵という方で、いつの日かの社交会であなたを見つけて、一目惚れしたそうよ」
オレンジがひゅーっと口笛を吹いた。「これで何度目? 」オレンジが茶化すようにシエナに尋ねると、「滑り止めよ」とシエナが返す。
「この前の恋愛で散々な目に遭って、自殺してやるって散々荒れてたじゃない。今度こそ、本当に死んじゃうわよ」
「やめなさい。オレンジ。今度はうまくいくかもしれないじゃない」
「うまくいかないかもしれないじゃない」
「オリーブ、あなたはどう思う? 一度会ってみる? 断る? 長い付き合いのある家というわけじゃないから、あなたが嫌というなら断るのでも全然大丈夫よ」
いつの間にかオリーブが目の端についた涙をそっと手で拭う。それから少しだけ考え込んだ後で、「一度会ってみるわ」と消え入るような声で返事をした。
「ねえ、シエナ。私はどのみち一人では生きていけないし、生きていけるとしても、こんな辛いことばかりの人生を一人で生きていきたいとはどうしても思えないの。死ぬことはもちろん怖いけど、辛い気持ちを抱えたまま生き続けるということも同じくらいに怖いことだわ。だとしたら、私のやることは一つよ。私と一緒に生きてくれる誰かを見つけて、少しでもその怖さをわかちあうこと。ただそれだけ」
シエナはため息をつきながら立ち上がり、オリーブへと歩み寄る。シエナのローヒールが床を擦り、小さな傷ができた。
「オリーブ、何度も何度も言うわ。あなたは素敵な女性よ。確かにちょっと面倒くさいところはあるけど……美人で、優しい心の持ち主よ。二十代になったばかりなんだから、もっと自分に自信を持ちなさい」
「自信なんて持てるものなら持ちたいし、お金で買えるんならいくらだって払うわ」
シエナがオリーブの頭をそっと自分の胸に抱き寄せた。オレンジはソファに腰掛けたまま、左目の時計の針のリズムに合わせ、足をぶらぶらと揺らした。彼女よりもひとまわり背の高い影も、オレンジの動きに合わせて足を揺らす。オレンジが右足を上げれば影もそれに合わせて右足をあげ、左足を上げれば左足を上げる。試しにオレンジが右足を上げるふりをして、左足を上げるというフェイントをかけても、オレンジの影は一瞬だけ反応が遅れただけできちんと彼女の動きに合わせることができていた。
「とりあえず一度会うってことで話を進めるわ。人との関わりを拒絶しても何も変わらないから。人を苦しめるのは人だけど、人を苦しみを救えるのも人だけだからね」
「ありがとう、シエナ」
「どういたしまして、可愛い私のオリーブ」
シエナはそう言って、オリーブの小さな額にそっと口付けをした。オリーブの目が潤んで、弱々しい微笑みを浮かべる。自分の部屋でお裁縫の続きをするわ。オリーブがお返しにシエナの額に口づけをし、そのままスカートの裾をひらりと舞い上げながら自分の部屋へと戻っていった。
シエナが肩を落としながらソファへと戻り、オレンジの隣へ座った。「もう身体は大丈夫?」とシエナがオレンジに尋ねると、オレンジはシエナの方を振り向き「おかげさまで」と返事を返す。それからオレンジは何かを言いたげな表情でシエナをじっと見つめる。シエナが笑いながら「どうしたの?」と尋ねると、オレンジは何でもないわと答える。
「大丈夫そうなら私も自分の部屋に戻るわ。今朝も新聞が届いたから、それに書いてある仕事をしなくちゃいけないから」
「ねえ、シエナ」
「何?」
「さっきのやつ、私にしてくれてもよくってよ」
「はいはい」
シエナが腰をかがめ、オレンジの額に優しく口づけをする。オレンジはじっと目をつむり、それから満足げな表情を浮かべてお礼を言った。
「ありがとう、シエナ」
「どういたしまして、私の可愛いオレンジ」
そう言ってシエナは背を向けた。そのまま彼女はすたすたと足音を響かせながら、オレンジを残して書斎から出ていった。