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「はーい、皆様こんにちは。本日は、アルメラルラ家の三女、オレンジさんのお部屋から中継をお送りしておりまーす」
ブラウンと姪のカナリアがひまわり畑で涙を流し合っていた頃。休憩のため自室へと戻っていたオレンジのもとへ、以前と同じ撮影クルーが姿を現した。同じ女性タレントがカメラに向かって簡単な説明を行い、椅子に座っていたオレンジへとマイクを向ける。スプルース男爵の一件でくたくたに疲れ切っていたオレンジは彼女らを追い返す元気もなく、ただただ不機嫌な表情を浮かべることで抗議の意を表していた。
「一体、何の用?」
「特に用件はありません。でも、せっかくですから、前回お伺いしたことの続きについてお話ししていただけませんか?」
「前回の続きって何よ」
「オレンジさんが未だにお姉さんの死を受け止められてないっていう話です」
この前の周りくどい言い回しではない、直接的な言葉。タレントはおどけるでもなく、真剣な表情でオレンジの顔を見つめていた。
「オリーブが死んでからもう五年も経つのよ。そんなわけない」
「こういうのは時間の問題ではないと思いますね。事実、この屋敷の時計は全部針が止まってますし」
女性タレントが周りをぐるりと見回しながら指摘する。
「じゃあ、逆に聞くけど、私があなたの言う通りオリーブの死を受け止められてないとして、一体それに何の問題があるわけ?」
「問題はありますよ」
「何よ!」
「あなたの心が傷ついたままだからです」
わかったようなこと言わないでよ。オレンジは顔を背けながら吐き捨てたが、その口調が弱々しいことに自分でも気がついていた。オリーブの口からこぼれた言葉が頭の中で再生される。この屋敷ではあらゆることが起きるし、あなたの想いが強ければ、あなたの望みを叶えてくれる。オリーブがあの部屋で朽ちることなく存在し続けることは、自分が望んでいるからではないだろうか。オレンジの頭の中にそんな疑問が浮かんだ。
「私にはわからないの。どうしてオリーブが死んでしまったのか、どうして死なないでって一言すら言えなかったのか
」
「自殺した理由なんて他の人にはわからないですし、自分なら自殺を止められたと考えるのはおこがましい考えですよ」
「じゃあ、どうしたらいいのよ!」
「祈ってください。あなたとお姉さんの過ごした過去に思いを馳せながら。そして、忘れないでください。お姉さんのいない未来を生きながら。悲しみを受け入れるということはそういうことです。そうしなければ、時計の針も、あなたの未来も、進むことはありません」
「……そんなこと、私にできるの?」
「あなたは強い人間です。あなたが思っているよりもずっと。私はそのことを知ってます。大事な家族を守ろうとする強さをずっと見てましたから」
オレンジが顔を上げ、それから彼女の目を見る。彼女の目に映っていたのは、オリーブが死んだ時のあの日の自分の姿。オレンジは一瞬、それから目を逸らそうとしてしまう。でも、グッと唇を噛み締め、オレンジはあの日の自分と向き合い続ける。彼女の瞳の中で、昔の自分がふっと肩をすくめて笑みを浮かべた。それから少しだけ嬉しそうな表情で何かを呟いた後、背を向け、ゆっくりとその場から立ち去っていく。瞳の中の昔の自分が何を言ったのか。オレンジにはわからない。だけど、彼女のその口は、ありがとうと動いているような、そんな気がした。
「あ、そうそう。先ほどの話に関連して、一つだけ伝えようと思ってたことがありました」
タレントが沈黙を破って、オレンジへと語りかける。
「先ほどは従兄弟のスプルース男爵が色々とご迷惑をおかけしてごめんなさい。私からもきちんと言っておきますね」
彼女はそれからオレンジの足元から伸びる影へと視線を落とし、おいでと呼びかける。影はゆっくりとオレンジの足元から分離し、それから音も立てずにタレントの足元へと近づき、くっついた。オレンジは改めて目の前の人物へと視線を向ける。それで初めてオレンジは、彼女の首もとに巨大な引っ掻き傷がついていることに気がつく。
さようなら。彼女はそう言ってオレンジの部屋を出ていった。そして、扉が閉められる音が鳴ると同時に、オレンジの部屋の中、いや屋敷中にある時計の針が、長い長い沈黙を破って、一斉に動き出す。それはオレンジに向けた合図だった。オレンジは動き始めた時計を見渡し、それから自分が行くべき場所を悟る。
オレンジは部屋を飛び出し、屋敷の廊下を走り出す。目的地は決まっていた。二階東の廊下の突き当たり。オレンジは息を切らしながら、走り続け、オリーブの部屋の前で立ち止まる。オレンジはゆっくりと呼吸を整えた後で、大蜘蛛によって壊された扉をくぐり、何かに導かれるように中へと入っていった。部屋の中に入った瞬間、いつもはまとわりつくようなこもった臭いがせず、風に運ばれたすみれの花の匂いがした。
風の流れを感じ、オレンジは不思議に思った。オリーブの部屋の窓はいつも閉められていて、風が吹き抜けるということはない。オレンジの胸がざわつく。しかし、それは不安や恐怖ではない、何かを期待させるかのようなそんなざわつきだった。オレンジが階段を上り始め、そして、その足取りは階段を踏み越えるたびに軽くなっていく。そして、オリーブの部屋に入った時、真っ先に目に入った棺の中には、人型の跡がついたすみれの花だけが残されていた。風が吹こみ、オレンジの視界の中を紫色の花びらがそっと舞い上がり、視界を覆った。
オレンジは風が吹き込んでくる窓の方へと顔を向けた。視線の先にいたのは、窓枠に腰掛け、屋敷の中庭を見下ろすオリーブの姿だった。オリーブは自ら命を絶った時と同じ姿で、肩にはすみれの花びらが一枚、乗っていた。
「心の底から死のうと思ってたの。本当よ?」
オリーブが顔を中庭へ向けたままオレンジにつぶやいた。
「もし死ねなかったら死ぬまで同じことを繰り返してやろうと思ってたし、それだけ絶望に打ちひしがれていたの。だから、私は私の部屋で首を吊って死んだの」
オレンジは不安で胸に手をあてる。そして、少しだけためらった後で、不安げな口調で彼女に尋ねた。
「今もまだ……死にたいと思ってる?」
「自分でもわからない。でも、少なくとも一回死んでみたらあの時の気持ちなんてなかったみたいに忘れちゃってるっていうのが正直なところなの。ひょっとしたらまた近いうちに同じような絶望を感じるかもしれないし、その時もまた前と同じように死にたいという気持ちになるかもしれない。死んだままの方がよかったと思う日が来るかもしれない。でもね、生き返ってよかったことは、今一個だけあるの」
オリーブがようやくオレンジの方へと顔を向ける。その表情はオレンジが昔見たのと同じ、穏やかで優しい微笑みだった。
「綺麗になったね、オレンジ。大きくなったあなたを見られただけでも、本当に生き返ってよかったと思う」
馬鹿。オレンジのその言葉は嗚咽に埋もれて誰も聞き取ることができなかった。オレンジは泣いていた。生まれて初めての涙は自分自身でもコントロールできないほどに次から次へと溢れ出し、手で拭い切れなかった涙が一雫、ぽつりと足元に滴った。堰き止めていた感情が、目を背け続けていた感情がオレンジの小さな胸の中で渦を作っていた。
「悲しかった。心がぐちゃぐちゃになるくらいに」
オレンジの押さえつけていた感情が言葉になってこぼれ出す。オリーブは窓枠から降り、オレンジの元へと歩み寄る。オレンジは涙でぐちゃぐちゃになった顔をあげ、それからオリーブへと抱きついた。オリーブが華奢な腕でオレンジを抱きしめ、オレンジもまたオリーブを抱きしめ返す。二人がいる部屋の窓から風が再び吹き込み、二人の再開を祝すように、すみれの花びらが数枚、舞い上がった。




