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 アルメラルラ家の長女シエナは夢を見ていた。


 夢の中でシエナは、工場の前に立っていた。工場の壁は淡いベージュの波板スレートでできていて、上に覆い被さっている折板屋根はエメラルドグリーン色をしている。入り口と思われるシャッターは七割ほど開かれていて、中からは地響きのような機械の稼働音が聞こえてくる。後ろから近づいてくるトラックのエンジン音に気が付き、シエナは振り返る。すると、工場の門から一台のトラックがゆっくりとしたスピードでやってきていて、そのまま速度を落としながらシエナの横を通り、工場の中へと消えていった。


 少しだけ迷った後で、シエナはトラックを追いかけて工場の中へと入っていった。工場の中は外から見た時よりも何倍も広く、そして照度の強い照明のせいで真夏の砂浜のように明るかった。右を見ると、何も乗っていないベルトコンベアが動いている。シエナはそこへ近づいていき、ベルトコンベアをじっと観察する。


「おぞましいでしょう? 資本主義を象徴しているこのベルトコンベアというものは」


 振り返るとそこにはシエナよりも頭一つ分ほど背の低い小さな男が立っていた。男はカーキ色の工場作業着を着ていて、鼻は丸く、そして唇は左右非対称で、右側だけ上向いている。誰ですか? シエナが尋ねると、男は自分の右胸を指さす。そこには板金のプレートが縫い付けられていて、『最強の施設長』という単語が印字されていた。


「えっと、つかぬことをお聞きするんですが、これは夢ですか?」


 彼の自惚れきった板金プレートを引きちぎった後で、シエナがおずおずと尋ねる。ええ、その通りです。これはあなたの夢の中です。施設長がプレートを引きちぎられ、穴が空いた右胸のポケットを恥ずかしそうの隠しながら答える。


「あんまり夢は見ない方なんで不思議です。一体、この夢は何を象徴しているんでしょう」

「夢に意味を求めるのは現代人の悪い癖ですよ。夢は夢です。意味ありげに見せかけているだけの現実世界よりもずっと、美しく、ピュアです」

「ピュアですか」


 失礼。そこで施設長がくしゃみをする。工場内の壁にくしゃみの音が反射して、その残響が工場に広がっていく。せっかくですから、工場の中を案内しましょう。施設長がシエナに提案し、目が覚めるまで特にやることのないシエナもその申し出を快諾した。


 二人が工場の奥へと歩いていく。中は広く、機械の駆動音は絶えず響いているにもかかわらず、工場には施設長以外の人間は誰もいなかった。トラックの運転手がいるのかもしれないと思ってシエナは周囲を見渡してみるが、先ほど中へ入っていったはずのトラックが見当たらない。なぜだろうと思った後で、夢の中でそんな辻褄合わせをすること自体に馬鹿らしさを感じ、シエナは自分の首をかく。


「昔はここで沢山の労働者が働いていたんです。今ではもう全ての工程が機械で自動化され、ここには私と高価な機械があるだけです。言い換えるなら、孤独の代わりに高い生産性を、人から承認の代わりに高い利益率を得たというわけです」

「幸せですか?」

「幸せではありませんが、お金はあります」

「幸せはお金で買えないとよく言いますものね」

「私から言わせたら逆ですね。お金で幸せを買えないのではなく、幸せじゃお金を稼げないのです」


 シエナの横でプレス機のランプが緑色に点灯し、灰色の煙を吐き出しながら何かをゆっくりとプレスしていく。灰色の煙はどこか焦がしたカラメルのような匂いがして、換気扇が回っている天井へと登っていくのではなく、足元の方へとゆっくりと沈んでいく。シエナは横にある機械へと近づき、ベルトコンベアに流されて機械の投入口へと運ばれていく物体を観察してみた。ベルトコンベアによって運ばれていたのは、みたこともない黒い物体で、まるで二次元の絵画を見ているかのような、質感や立体感、それらあらゆるものが欠けている物質だった。


「この工場では矢印を作っています」


 ここで作られているものは何ですかというシエナの疑問に施設長が答える。


「矢印型のシールとか標識を作っているんですか?」

「いいえ、違います。この工場では実存を持った物体ではなく、矢印という『概念』を生産しているのです」

「ちょっと待ってください」


 シエナが頭を指先で抑え、眉を顰める。眉と眉の間に細かなシワが浮かび上がった。


「概念なんて、別に一つあれば十分ですし、大量生産する必要はないのでは?」

「何を言ってるんですか? 一つで事足りるものを大量生産することが、資本主義の本質なんですよ」


 そのまま施設長はベルトコンベアが流れる方へとシエナを案内していく。ベルトコンベアの上には先ほどの黒い物質が均等な大きさと形に揃えられていて、コンベア自体が小刻みに振動しながら、それら物質をすべて同じ方向、同じ感覚に並ぶように微調整を行っている。


 二人はベルトコンベアに沿って歩き続けた。入り組んだ配管を潜り、指紋認証付きの扉を開け、手すりが錆びついた鉄骨の階段を登っていく。機械の音は工場の奥へ進むほどに大きくなり、吐き出される灰色の煙の色は少しずつ濃くなっていった。

 

「近いうちに誰かが死ぬと思います」

「え?」

「え? ああ、いや、この工場の話です」

「紛らわしいですね」

「ところでなんですが、そろそろあなたが夢から覚める時間だそうです」

「何でそんなことがわかるんですか?」


 施設長が階段の手すりを手で掴み、もう片方の手で工場の壁に取り付けられた液晶パネルを指さした。シエナがそれへ視線を向けると、そこには夢から覚めるまでのカウントダウンが表示されていて、それを見る限りではあと50秒程度で夢が醒めるらしかった。


「何か意味のあるものとか、教訓めいたものとかに夢の中で出会えると思ったんですけどね」

「最初にいった通り、夢に意味を求めすぎるのは現代人の悪い癖ですよ。意味のあるものや教訓はいつだって現実の中にあるのです」

「たとえば?」

「『たとえば』?」

「いえ、具体的に現実のどこにそういうものがあるのかをご存知だったらと思って」

「ああ、だったら。あなたの寝室にある鏡台をどけてみてくだくさい。きっとお望みのものが見つかると思いますよ」


 はあ、とシエナが相槌を打つ。もう二度と会うことはないでしょう。施設長はそう呟き、シエナの前でピシャリと手を叩く。そのタイミングでシエナは目を覚ます。彼女は寝室のベッドの上に寝ていて、窓からは白みを残す朝陽の光が差し込んでいた。


 シエナは透けたベージュ色のネグリジェを着たまま、ベッドから這い出し、そのまま寝室の壁際に置かれた鏡台へと近づいていった。アルメラルラ家の女性一人一人に与えられた、アンティークものの鏡台。シエナは寝ぼけ眼を擦った後で、鏡台の両橋を手で持ち、そのまま力を込めて位置をずらしはじめる。力の弱いシエナが十分ほどかけてようやく鏡台の位置をずらし、隠れていた部分が露わになった。シエナは舞い上がる埃をものともせず、壁際に膝立ちし、ぐっと壁に顔を近づける。


 鏡台に隠れていた壁にはこんな言葉が彫られていた。


『結局、神様はいませんでした。ご愁傷様!!』


 そのタイミングでシエナの部屋にメイドがやってきて、先ほど地下室のそばでオレンジが倒れているのが見つかったという報告が行われた。

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