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 スプルース男爵という名前を聞いた瞬間、ブラウンは驚きでぐっと唾を飲み込む。隣にいた少女が知り合い?と尋ねると、首から下しかないスプルース男爵については知り合いだとブラウンは答えた。そしてそれから、自分が知っている範囲で男爵について少女に説明を行う。


「ふーん、頭だけが屋敷に食べられたから、首から下と頭が別れちゃったわけね」

「これってよくあることなの?」

「このお屋敷じゃ何が起きても不思議じゃないからね。でも、頭と身体が別れても生き続けてるってのは、それだけ生に執着しているってことだと思うわ。普通なら頭だけになった時点で、人生を諦めてそのまま死んでしまうことが多い気がするから」


 少女の言葉を聞きながら、ブラウンはスプルース男爵の頭部を箱から取り出し、自分の胸に抱き抱えた。頭はずっしりと重たい。顎のあたりをブラウンが手で支えると、息苦しいのか、男爵は小さなうめき声をあげる。ブラウンはちょっとだけ迷った後で、箱の中に敷き詰められていたクッション剤を取り出し、床に敷いた後で、男爵の頭が仰向けになるようにそっと置いた。男爵はありがとうとブラウンにお礼を言った後で、乾いた咳をする。その咳は痰が絡まった時のような健康的な咳ではなく、病を連想させるような掠れた、痛々しい咳だった。


「私は大切な人を探してるんだ。何が起きても不思議ではない、この屋敷で」


 咳が治まった後で、スプルース男爵は自分を見下ろす二人の子供に向かってぽつりとつぶやいた。ブラウンはスプルース男爵と自分の叔母であるオリーブとの間で起こった悲劇を知っていた。だから、ブラウンはスプルース男爵に対して、大切な人というのはオリーブのことかと尋ねてみたが、それに対して、男爵はゆっくりと首を横に振った。では、大切な人とは誰なのかとさらに聞いてみると、男爵は少しだけ躊躇った後で、それはもうこの世にはいない、自分の従姉妹だと答えた。


「従姉妹はテレビタレントをやっていたが、テレビロケの中で命を落としてしまった。アフリカで野生のライオンと戯れるという企画で、そのロケの最中にライオンが興奮して、従姉妹の首元を爪で思いっきり引き裂いてしまったんだ。従姉妹はすぐさま病院に運ばれたんだが、出血多量でそのまま帰らぬ人となってしまった」

「でも、それとこの屋敷と一体何の関係が?」

「この屋敷では何が起きても不思議ではない。地下に遊園地ができようとも、猫が骸骨姿で歩き回ろうとも、この屋敷ではあらゆることが起きうる。もちろんその中には、死んだ人間と再び会うことも含まれている。この屋敷の噂を聞いたのは、まさに私が失意の底に沈んでいた時だった」


 スプルース男爵の語りにブラウンはじっと耳を傾ける。しかし、スプルース男爵がもう一度乾いた咳をして、言葉が途絶えたタイミングで、隣にいた少女が腕を組みながら話に割り込んでくる。


「じゃあ、さっきブラウンが言っていたオリーブって女性と婚約の話を進めていたのも、結局はそれが目的だったっていうこと? つまりさ、その亡くなった従姉妹にもう一度会うためにこの屋敷に近づいたって風に聞こえたんだけど」

「君の言うことも半分は合っている。オリーブを愛していたことに嘘はないけれど、心のどこかではやはり亡くなった従姉妹の亡霊を探し彷徨っていた。彼女には本当に悪いことをしたと思っているよ。屋敷にこうして頭を食べられてしまったのも、結局はそんな自分をこの屋敷が罰するためだったのかもしれない」


 部屋の中に気まずい沈黙が流れる。スプルース男爵の話を、幼いブラウンがすべて理解できたわけではない。それでも、スプルース男爵の後悔と悲しみに沈んだ表情を見ていると、どうしようもなく哀れみの感情を抱かずにいられなかった。まだ会いたいの? ブラウンが小さな声で呟く、スプルース男爵は器用に顔をブラウンの方へと向け、それからゆっくりと瞬きをした。


「今もなお、こうして生きながらえていると言うことは、そういうことだろうな。そして、それは頭だけになった私だけではなく、私と切り離されてしまった身体もひょっとしたら同じように考えているのかもしれない」

「自分の身体なんだから、同じことを考えるのが普通じゃないの?」

「人間の身体はそんな単純なものではないさ。それぞれ部位が別々の意志を持って、それぞれに違った性格がある。私は比較的穏やかで内省的な性格をしているけれど、首から下の部分は逆の性格をしている」

「逆?」

「目的のためなら手段を選ばないような冷淡な性格をしているんだ。私たちが二つで一つだったときはお互いにバランスを取っていたから良かったものの、私がいなくなった今、彼が何をしているのかすごく不安だ」


 ブラウンはそこで、自分の母親とスプルース男爵、男爵と言っても頭の方ではなく、胴体部分の男爵が婚約の話を進めていることを突然思い出す。スプルース男爵が自分の母親に近づいているのも、ひょっとしたら、オリーブの時と全く同じ理由からなのかもしれない。ブラウンは自分が知っているスプルース男爵の姿を思い浮かべる。首から上がない、どこか飄々とした振る舞いのする男。表情を読み取ることができないため、彼が何を考えているのかわからない。淡々とした語りの中からは、嬉しいという感情も、悲しいという感情も見えてこない。直接喋ったことは数回しかなかったが、ブラウンの印象として残っているのは、どこか得体の知れない不気味さだけだった。


「名前を探すついでに、一緒にその従姉妹を探すのはどう?」


 少女の提案にブラウンは現実へと引き戻される。スプルース男爵は少女の方へと顔を動かして、怪訝そうな表情を浮かべる。その表情には、そんなにすぐに見つかるものなのかという疑いが含まれていたが、少女は大丈夫と自分の毛先を指先で弄りながら答える。


「強い気持ちを持って探せば、この屋敷は答えてくれる。もちろん、気まぐれだから、あなたの望んでいるもの全てを叶えてくれるとは思わないけど、この屋敷に住んでいる私にはわかる」


 いいでしょ? と少女が今度はブラウンに問いかける。ブラウンはその問いかけに頷きつつも、ついさっき思い出したばかりのことを少女に伝える。今日はスプルース男爵の頭から下と自分の母親のお見合いがある日で、早く戻らないとみんなが心配してしまうということ。しかし、少女がブラウンの言葉に対してきょとんとした表情を浮かべるだけ。ブラウンはその表情を見ながら、胸がざわつくのを感じた。そして、少女は少しだけ間を空けた後で、ブラウンにそっと語りかける。


「大丈夫よ、そんな心配しなくても。きっとあっちの世界では、あなたのことを誰も探してなんかないからさ」

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