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ブラウンと少女はそれから少しずつ打ち解け、おしゃべりを楽しんだ。ブラウンは自分がどういう経緯でこの場所にやってきたのかはもう覚えていなかったし、そのことを考えるという発想自体がなくなってしまっていた。少女がしてくれる自分の知らない場所についての話は好奇心を刺激したし、この屋敷で起きた荒唐無稽な出来事は聞いてて純粋に楽しかった。それでも、ふと少女が名前を落としてしまったことを思い出し、ブラウンは少しだけ心配してしまう。少女が言った通り、自分の名前を無くしてしまうということは、これからずっと誰も自分のことを呼んでくれなくなってしまう。そのことを考えるだけで、少女のことをなんとかして助けてあげたいという気持ちになるのだった。
「じゃあさ、今から一緒に私の名前を探すのを手伝ってよ。いいでしょ? いわゆる私の名前を探しに行く探検ね」
半ば命令口調の言葉にブランは少しだけむっとしつつ、探検という言葉に心誘われてしまう。ブラウンがわかったと返事をすると、少女は立ち上がり、ブラウンの手を握って無理やり立ち上がらせる。
「じゃあ、早速だけど、あなたに最初のミッション。部屋の扉を出て書斎に出たら、右手に暗室があるの。まずはそこへ行きましょう。なんかね、そこから人みたいな声が時々してるんだよね」
少女はブラウンの手を握りながら歩き出す。ブラウンは少女の言葉を聞きながら、本当はその暗室とやらに一人で行くのが怖いからわざわざ探検という言葉を使っているのではないかと疑った。しかし、それがその通りだとしても、ブラウンにとっては別にどうでもよかった。大事なのは、この探検ごっこであり、少女と一緒に無くしたものを探すという遊びだった。
梯子階段を少女が先頭で登っていき、そのまま上の書斎に出る。ブラウンが周りを見渡すと、そこは自分が知っている書斎よりもずっと物が少なく、いつもオレンジが座って読書をしている年代物のソファがなければここが書斎だとは見分けがつかないほどだった。興味深げに書斎の中をぐるりと見回すブラウンの手をピシャリと叩き、少女が右手にある暗室の方へと指を指す。
少女がブラウンの背中をそっと小突き、ブラウンが渋々暗室へゆっくりと歩き出す。部屋の中は灯りがなく、真っ暗で何も見えない。扉を開けると、錆びついた蝶番が軋む音が響いた。ブラウンが一歩部屋の中へと足を踏み入れる。そして、その瞬間に、部屋の奥から確かに人らしい呻き声のようなものが聞こえた。ブラウンが反射的に肩を震わせ、後ろにいた少女へと顔を向ける。少女もまた同じように人の声を聴き、不安そうな表情を浮かべていた。灯りはどこ? とブラウンはやっとことで声を絞り出して尋ねると、少女はニ、三歩横へと移動し、壁際に設置されていたランタンを手に取った。それから慣れた手つきで中に入っていた蝋燭に火をつける。薄橙色の淡い光がランタンを中心に広がり、暗室の中を少しだけ明るくしてくれる。
暗室の中は雑多な荷物置き場となっていて、洋服ダンスや革の椅子が埃を被った状態で置かれている。しかし、部屋の中に人の姿はない。荷物が多いせいで死角となる場所は多いものの、大人が隠れられるスペースはない。ブラウンが耳を澄ますと、もう一度奥から人の呻き声が聞こえてくる。それは決して子供の甲高い声ではなく、低い、大人の男性の声。ブラウンはぐっと唾を飲み込み、恐る恐る声がする方へと近づいていった。
ブラウンは自分と同じ背丈の洋服ダンスの前で立ち止まる。そしてブラウンの目の先にあったのは洋服ダンスの上に乗せられた、両手で抱え切れるほどの大きさの金属の箱。蓋はされていないが、高いところにあるため中身は見えない。ブラウンは背伸びをして、箱の角と角を掴んで引き寄せる。箱はずっしりと重かったが、ブラウンは身体全身で箱を抱き抱え、そして、上からその箱の中身を覗いた。
箱の中に入っていたのは、大人の男性の頭部だった。目が閉じられ、口は半開き。髪はオーデコロンで綺麗に整髪され、その清潔感から品の良さが伝わってくる。少女がブラウンの肩越しに箱の中身を覗いて、何これ? と不愉快そうに眉をひそめる。すると、少女の声に反応して、箱の中に入った頭部がかすかに動き、ゆっくりと目が開いていく。そして、じっと自分を覗き込むブラウンと少女へと交互に視線を向けた。
「君たちは誰だ?」
箱に入った頭部がそう尋ねたので、ブラウンは自分の名前を告げる。それから「あなたの名前は?」と問い返すと、箱に入った頭は答えた。
「どうも初めまして、お坊ちゃん、お嬢ちゃん。私の名前は、スプルース。爵位は男爵だ」




