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 カナリアはブラウンを探していた。かくれんぼをしているわけではない。スプルース男爵を交えた会食の時間が近づいているからだった。


 数日かけてダチョウから人間の姿へと戻ったシエナは、より一層スプルース男爵の縁談話に乗り気になった。先方もまんざらではないらしく、カナリアやオレンジの気持ちを置き去りにして、話はとんとん拍子に進んでいた。


 邪魔をするなら今日の会食だわ。今でもなお自分の母親と得体の知れないスプルース男爵との婚約に反対していたカナリアは、心の中でそう呟く。なぜそれほどまでに婚約を反対しているのか、自分でもよくわからない。新しいパパを迎えることが嫌というわけではなかった。遊び相手が増えてくれることは嬉しいことではあったし、仮にスプルース男爵ではなく、例えば隣の屋敷に住んでいるティールとシエナが結婚するというのであればむしろ進んで賛成に回ると思う。問題はシエナの婚約ではなく、スプルース男爵本人にあった。いつも挨拶を交わす程度で、直接話をしたことはないし、彼の人となりを知っているわけではない。それなのにそこまで彼に対して強い警戒心を抱いているのは、自分でもよく理由がわからなかった。しかし、ブラウンを探し屋敷を歩き回っていたその時、なんの前触れもなくその理由らしきものに思い至った。


 私がなぜかあの人を嫌ってる理由。それはきっとこのお屋敷全体がスプルース男爵のことを良く思ってないからだわ。


 カナリアは階段の手すりにそっと手を置き、高い屋敷の天井を見上げた。吹き抜けの階段の下からカナリアは屋敷の階数を数えてみると、今日は三階建てになっていることがわかる。普段は五階まであり、階数が減るのは決まってアルメラルラ家の誰かもしくはメイドの誰かが病気で寝込んでしまった時。そしてそれから、スプルース男爵が叔母であるカナリアの遺体を見に、この屋敷へやってくる時だけ。


 毎日姿形を変える屋敷の変化を、カナリアはこの屋敷の住人の中で最も敏感に感じ取ることができた。そして、その変化を毎日観察しているうちに、みんなが無秩序だと勝手に考えている屋敷の変化にはちょっとした法則のようなものがあることに密かに気が付いていた。いや、法則というと少し誤解がある。この屋敷はまるで人間のような感情変化があると言った方が正しかった。屋敷の変化は多種多様で、それら全てを説明することはできない。ただ、この屋敷の階数に関してだけは、カナリアは自信を持って説明することができた。屋敷が悲しんでいたり、警戒していたりする時、この屋敷の階数が少なくなってしまうということを。


 でも、どうしてこの屋敷がスプルース男爵のことを快く思っていないのかはわからない。カナリアはブラウンを探しながら、そのことについて考えてみたが、答えはどれだけ考えても出てこなかった。そして、その答えと同じくらい、ブラウンの居場所もわからない。カナリアはブラウンを探すのを諦めて、書斎へと向かった。しかし、書斎にいたのは会食用にお洒落をしたオレンジだけでブラウンの姿はなかった。


「あと、2時間くらいしたらスプルース男爵が来るからね」


 オレンジは雑誌から顔を上げないまま、カナリアに向かってそう言った。念のためカナリアはブラウンがどこにいるのか知らないかと尋ねてみるが、オレンジからは素っ気ない返事が返ってくるだけ。森の中で迷子になってるわけじゃないんだし、お腹が空いたらひょっこり顔を出すんじゃない。オレンジはあくびを噛み殺しながらそう答えたが、他人から止められたら止められるだけ、カナリアの何としてでもブラウンを探し出してやろうという気持ちは強くなった。


 カナリアは呑気な自分の叔母を置いて、書斎を出る。そしてそれから、自分が探していない場所を一つだけ思い出す。あの部屋だけはまだ見ていない。勝手に入っちゃダメだからねとオレンジから口喧しく言い付けられている、あの部屋。カナリアは音を立てないようにそっと書斎の入り口から中にいるオレンジの姿を窺う。オレンジはソファにもたれかかり、他人の不幸が大袈裟に描かれている雑誌を退屈そうに読んでいる。あの様子だときっともう10分ほどはここから出ないだろう。カナリアはそう考え、書斎から、二階の突き当たりにある、オリーブの遺体が眠る部屋へと向かった。


 きっとブラウンはそこにいるわと根拠のない自信を持ったまま、カナリアは階段を登り、二階に上がる。しかし、廊下へと足を踏み入れたその瞬間だった。まるで世界全体が水の中へと沈んで行ってしまったかのように、あたりが静寂に包まれる。カナリアは眉を顰め周囲を見回し、大袈裟に地団駄を踏んでみたが、すべての音が床に敷いてある絨毯に吸われてしまい、音ひとつしない。呼吸の音すら、腕を動かす時の衣擦れの音すら、風が窓枠を揺らす音すらしなかった。カナリアは少しだけ不気味さを感じながらも、今までにだってこれに似たことは散々経験していたため、そこまで深くは考えなかった。


 カナリアは屋敷の広くて長い廊下を歩く。音はしない。そして、いつもなら五十メートルもない屋敷の廊下は、途方もなく長くなっていて、どれだけ歩いても突き当たりの部屋にたどり着くことができない。窓から差し込む陽光も心なしか濁り、床と壁の継ぎ目には日陰で見かけるような茶色い苔がポツポツと生えていた。カナリアはブラウンの名前を呼ぶ。しかし、その声は壁や天井に反射することなく、屋敷の中に吸い込まれていくかように消えていった。


 そして、カナリアがとうとう廊下の突き当たりにある部屋の前へとたどり着く。部屋のドアが少しだけ空いているのに気が付いたカナリアはやっぱりここにブラウンがいるのだと確信した。しかし、中の部屋に入ろうとドアノブに手をかけようとした、その時。何かを感じ取ったカナリアはその場で固まってしまう。自分でも感じたことのない吐き気と気持ち悪さがカナリアの胸の中を駆け巡っていく。まるで身体の中から、押さえ込んでいた何かが溢れ出そうとしているかのような感覚。


 カナリアはゆっくりと何かを感じて後ろを振り返る。カナリアの後ろには、スプルース男爵が立っていた。いつも見ているよりも心なしか一回りも二回りも大きな首なしの身体。首から上がないため、男爵の視線はわからない。それでも、カナリアは直感的に男爵がじっと小さな自分を見下ろしていることを感じていた。得体の知れないその姿が、カナリアの身体全体の産毛を逆撫でさせる。


 2時間くらいしないと来なかったんじゃなかったの?


 カナリアの頭の中にそんな疑問が浮かぶと同時に、スプルースの大きな右手がゆっくりとカナリアへと伸びていった。

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