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「前来た時よりも時計の数が増えてるような気がする」


 ブラウンと共にオレンジの部屋の中へと入ってきたティールが、周囲をぐるりと見渡しながらそう呟いた。ブラウンが、自分の頭ほどの位置にあるティールの右手の袖をぎゅっと両手で掴み、意味もなく引っ張る。引っ張られた袖はだらんと伸びて、ティールの右手の甲を半分だけ隠した。


 椅子に腰掛けて座っていたオレンジは、部屋に入ってきた二人を一瞥した後で、ティールに釣られるように自分の部屋を見回した。ティールの言う通り、オレンジの部屋には置き時計、掛け時計、腕時計、ありとあらゆる時計が無秩序に置かれている。そして、そのすべての時計が、あの日の時刻のままで止まっている。バイオレットの葬儀の夜、自分の右目をスプーンで抉り出した時の時刻に。


「集めてるの?」

「時間がわからない時計なんて、そこの抜けたコップと同じくらいに役に立たないわ。なんで、そんなものを進んでね集めなくちゃいけないのよ。こいつらはね、ゴキブリみたいに勝手に増えてるだけ」


 そう言って、オレンジは立ち上がり、本棚の中段に無造作に積み上げられいた腕時計の山へと近づいていく。そして、ティールとブラウンが見ていることを確認した上で、その腕時計の山をゆっくりと崩していった。二つの腕時計の下に隠れるようにして置かれていた、羊水に濡れたミニサイズの腕時計を見つける。オレンジは濡れた腕時計をハンカチで優しく拭いてあげた上で、いつの間にか隣に立っていた二人に見せてあげる。


「ほら、子供のG-SHOCKよ」

「産まれたばかりの時計なんて初めて見た。可愛いね」

「そりゃ他人事だからあんたはそう言えるけどね、自分の部屋で勝手にバカスカ出産されるこっちの身にもなってよ」


 オレンジは時計の裏側を確認してから、男の子ねとぽつりと呟き、元の場所へと戻してあげる。ブラウンが無邪気に子供の腕時計へ近づこうとしたので、オレンジはブラウンを後ろから抱き抱え、パパとママから引き離しちゃうと可哀想でしょと優しく注意する。


「ところで、一体どうしたの? 私の部屋に来るなんて」

「これからブラウンと一緒に近くの森に狩りに行くからさ、一緒にどうかと思って。だけど、ただオレンジに会いたいと思ったから会いにきただけでもあるんだ」


 そう言いながらティールは少しだけ前屈みになり、オレンジの右頬にそっと口づけをした。オレンジはティールに身を委ねつつ、お返しに彼の両頬を小さな両手で包み込む。


 バイオレットよりも二年ほど遅く産まれたティールは、自ら時間を食すことで二十五歳になっていた。昔は二歳年下だったのに、今では七歳ほど年上になり、身なりや立ち振る舞いは、ぎこちないながらも大人の男性らしいものとなりつつあった。オレンジは自分の両手では収まり切らないティールの顔から手を離し、そのまま自分の頭の高さにあるティールの胸板に移動させる。それからオレンジの身体にくっついたブラウンと見比べてから、あんたも昔はブラウンみたいにちっちゃかったのにねと感慨深く呟いた。


「時間が経てば色んなものが変わっていくんだよ、オレンジ。身体だって、事実だって」

「グロテスクね。まるで低予算のB級スプラッター映画みたい」

「移り変わりゆくこと自体に善悪であったり、良い悪いなんてものはないと僕は思うね。それを好意的に受け取るのか、残酷なものと受け取るのかは、その人の価値観でしかない」


 わかったようなこと言わないでよ。オレンジはため息をついた後でティールの身体をそっと押し、自分から離す。ブラウンがティールの袖をもう一度掴み直して、早く狩りに行こうとせがみ始める。


「また猟銃で鳥を撃ち落とすのを見せてよ。ねえ、オレンジは知ってる? ティールってすごく銃を打つのが上手いんだよ」


 ティールは何か言いたげな表情でオレンジを見つめた後で、そのままブラウンに引っ張られるがまま部屋を出ていった。部屋に残されたオレンジはもう一度椅子に腰掛けた後で、先ほどまで読んでいた本を再び読み始める。けれど、先ほどんティールの言葉が頭の中をぐるぐると駆け回り、活字に全く集中ができない。オレンジは苛立たしげに本を置いた。


 そして、オレンジが本を置いたそのタイミングで部屋の端っこに置かれたテレビの電源がつく。オレンジは机の上に置かれたリモコンで無理やり電源を落とそうとするが、テレビ側が頑としてオレンジの命令を聞いてくれない。そのままテレビは自分自身でチャンネルを切り替え始め、オレンジが見たくもないロケ番組を映し出す。


『えー、本日はこちら。アルメラルラ家のお屋敷に伺っておりまーす』


 若い女性のテレビタレントがカメラに向かって愛想いい笑みを向けて、そう言った。テレビに映し出された見覚えのある光景にオレンジは慌てて立ち上がる。番組の左隅には生中継という文字が表示されていて、じっと耳を澄ませると、部屋の外からテレビクルーたちの騒々しい足音が聞こえてくるような気がする。女性タレントが、敷かれた絨毯のセンスの良さを誉めながら、階段を登っていく。そして、テレビタレントの口から、『オリーブさんのご遺体』という言葉を聞いた瞬間、怒りと焦りが入り混じった感情のまま、オレンジは部屋を飛び出していった。


 オレンジが廊下を駆け抜け、バイオレットの遺体が安置されている突き当たりまでたどり着くと、そこではすでに先ほどのテレビクルーが部屋の前に陣取っていた。撮影許可なんて出してないわよ! オレンジはそう叫び、まさにドアノブに手をかけようとしていたタレントの手を横から掴んだ。邪魔されたタレントは少しだけムッとした表情を浮かべる。しかし、自分の手を掴んでいるがこの屋敷に住むオレンジだということに気がつくと、獲物を見つけた猫のような不敵な笑顔を浮かべる。


「なんと、ここで素敵なゲストにやってきていただきました。このお屋敷にお住まいのアルメラルラ・オレンジさんです!」


 タレントの機転に合わせてカメラマンがオレンジにカメラを向ける。オレンジは反論しようとするが、隣に立っていたタレントがオレンジの言葉を遮るように言葉を投げかける。


「さて、オレンジさんにお聞きしたいんですが、どうして五年前にお亡くなりになられたオリーブさんのご遺体をこの部屋で大事に安置したままなのでしょう? 火葬や土葬できちんと埋葬するのが一般的な弔い方じゃないんでしょうか?」

「それは……あんたたちには関係ないでしょ」

「そんな自分達には関係のないことを視聴者を求めているんですよ。まあ、この中継はこのアルメラルラ家の中のテレビにしか放送されてませんけどね」


 女性タレントが大袈裟に肩をすくめ、耳にかかった横髪をいじらしく耳にかける。それからオレンジの目を見つめた後で、再びどうしてですかと質問を投げかけた。カメラマンがオレンジの顔をアップで抜く。彼女の口からこぼれる一つの言葉も逃さないように、音声担当がオレンジの真上にガンマイクを移動させる。オレンジは自分の右手を無意識のうちに胸へと持っていき、まるで誰かに助けを求めるように左右へ目を泳がせた。先ほどまで聞こえていた音が消えてなくなり、周囲が静寂に包まれる。それはまるで屋敷全体がオレンジの言葉に耳を澄ませているかのようだった。オレンジの頭の中にオリーブの綺麗な死体が、そしてそれに覆いかぶさるように、花火の光に照らされた最愛の姉の首吊りの光景が思い浮かぶ。


 こうしておけばいつかお姉さんが生き返ってくれるとでも思っているんですか? タレントの意地悪な質問に、オレンジはかすれるような声で違うと答えた。本当に? 問い詰めるような質問。オレンジは目を逸らし、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。


「オリーブが死んだのは五年前よ。全部終わったことだし、もうなんとも思ってないわ」


 オレンジの横顔にカメラマンがカメラを近づける。オレンジがキッとカメラを睨み返す。カメラのレンズに反射した自分の顔がワンテンポだけ遅れて睨み返してきて、それからゆっくりと溶けて、見えなくなる。


 嘘つき。


 タレントの捨て台詞とともに、オレンジの周りを囲んでいたテレビクルーが霧のように消えていった。オレンジは自分の苛立ちに駆られるように屋敷の壁を蹴る。誰もいない広い廊下の端っこで、足先の鈍い痛みだけが残されるのだった。

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