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シエナのいつになく真剣な表情を見て、オレンジは少しだけ眉を顰める。双子のことかなと思いながらオレンジがシエナの横に腰掛けると、シエナは後ろ髪を不安げに触りながら、ゆっくりと口を開く。
「オレンジは……スプルース男爵のことをどう思ってる?」
「男爵? どうって言われても……少々堅苦しいところがあるだけの、そこらへんにいる貴族って印象だけど。でも、どうしたの急に」
「相手方の家から縁談のお話があったの」
「誰と誰のよ」
「私と、スプルース男爵よ」
その言葉を聞いた瞬間、オレンジはひゅーっと口笛を吹き、そのままソファの背もたれに倒れ込んだ。冗談でしょ? とオレンジが右目を細めながら聞くと、シエナは何も言わずにただ首を横に振った。
「妹の元婚約者と結婚なんて、破廉恥すぎるわ。一昔前の昼ドラじゃないんだから。そんなのシエナらしくないわ」
「そうね、私も最初はそう思って断ろうとしたの。でもね、冷静になって考えてみたら、それほど悪くない話かもしれないわって思ったの」
シエナがオレンジから目を逸らしながら答える。
「ブラウンとカナリア、二人にはやっぱりお父さんが必要だと思わない?」
シエナの言葉にオレンジが大きくため息をつく。それからオレンジは身体を起こし、シエナの顔を両手で包み込んだ。かつてオレンジが子供自体に、シエナがよくそうしていたのと同じように。
「いい? 聞いてシエナ。ブラウンとカナリアはいい子だし、父親がいなくてもきちんと育つわ。自信を持ちなさいよ
。実際、私が物心ついたときにはお父さんとお母さんはいなかったわ。でも、シエナとオリーブがいてくれたからこうしてきちんといい子に育ったんじゃない」
「オレンジは自分が良い子だって本気で思ってるの?」
「良い子の解釈は人それぞれよ」
オレンジが右目でシエナをじっと見つめる。シエナもそれに答えるようにして見つめ返し、二人の姉妹は長い間見つめあった。先にシエナが目を伏せ、ありがとうオレンジとぽつりとつぶやく。
「でもね、オレンジ。私はやっぱり心配で心配で仕方がないの。父親という存在を知らないまま育ったあの子たちがきちんとまともな大人になれるのか。ほら、エディプスコンプレックスとか何とかっていう言葉もあるように、特に男の子のブラウンには、自分が生きていくべき指針となる男親が必要じゃないかってここ最近ずっと考えているの。心配しすぎて、最近はもう頭痛がひどくって。ああ、もうまた始まった!」
そう言ってシエナは眉間に皺を寄せて人差し指でこめかみを押し始める。オレンジが耳を澄ますと、確かにシエナの頭からはズキズキという頭痛の音が聞こえてくるのがわかった。何て声をかけようか。オレンジがシエナに語りかける言葉を考えながらシエナの肩へ優しく手を置いたタイミングで、オレンジの後ろから声が聞こえてくる。
「私もオレンジと一緒よ。私たちにパパなんていらないわ」
オレンジとシエナが声のする方へ振り向くと、そこには双子の姉であるカナリアが立っていた。
「いつからそこにいたの? カナリア」
「だから、何度も言ってるように、あんまり私をその名前で呼ばないでよ。むずむずしちゃう」
カナリアは不機嫌そうな表情で毛先をくるくると回し、二人に近づいてくる。それからシエナの横に音を立てながら腰掛け、浮いた両足をぶらぶらさせながらいじけた口調で言葉を続ける。
「私とブラウンは今のままで十分楽しくやってるし、よく知らない人が勝手に私たちの間に入ってくるのなんて信じられないわ」
「知らない人じゃないわ。スプルース男爵よ。カナリアだって何度も会ってるでしょ?」
「あの人なら尚更よ。だって、あの人、何考えているかわからなくて不気味だわ」
そういうことは言わないの。シエナがカナリアの頭を優しく撫でながら優しく諭す。オレンジもシエナの言葉に同調しつつも、心の中ではカナリアと同意見だった。姉が死んでからもこの屋敷に足繁く通い始めるその姿は、始めこそ好感を持って受け入れられたものの、何年もこうして通い続けているのは自分にはよくわからない。そして、よくわからないこそ、そこに不気味さを感じてしまうし、何か別の目的があるのではないかと疑いの気持ちを抱いてしまう。
「ねえ、カナリア。わかってちょうだい。私はね可愛いあなたたちのためを思って、真剣に考えて考えて、こうした方がいいんじゃないかなって思ってるのよ」
「ママは考えているんじゃなくて、心配しているだけでしょ」
「そんなこと言わないでよ……。ああもう、また頭が痛くなってきたわ」
シエナが頭を抱えながらゆっくりと立ち上がる。心配のしすぎよとオレンジがシエナに伝えると、シエナはそういえば隣の部屋に頭痛薬があったはずだわとよろよろと書斎に隣接する暗室へと歩いていった。心配になったオレンジがシエナについていこうとするが、シエナは頭痛で顔をしかめながらも優しくそれを制止する。シエナが暗室の扉を開け、その後、ゆっくりと扉が閉まる音がした。幼いカナリアが服の裾を引っ張りながら、呆れた表情でオレンジを見上げた。
「オレンジもスプルース男爵っていう人、苦手でしょ?」
「まあね、でもこれをシエナに言ったら、また頭痛がひどくなるから内緒よ」
「苦手だったらきちんとそれをママに言ってよ。このままじゃ、私があの男爵をパパって呼ばなくちゃいけなくなるのよ。そんなのあまりにも酷だわ。そんな状況になったら……私、泣いちゃう!」
「あなたが泣いてるのなんて生まれた時以来見たことがないわ。カナリアが泣くようなことがあったら、きっと死んだ人がびっくりして生き返っちゃうでしょうね」
オレンジも男爵が自分の義兄になることに抵抗はあるものの、それでもやはりシエナの気持ちが第一だと心の中では思っていた。これは当人たちの問題だし、シエナの決意が固いのであれば自分が口をだすことはできない。オレンジがため息をつき、シエナが入っていった暗室へと視線を向ける。それから、頭痛薬をとりにいっただけなのに、まだシエナが戻ってこないことにオレンジが気がつく。
「どこに薬があるかわかってないんじゃないかしら」
オレンジの思考を察したカナリアが暗室の扉へと駆け寄っていく。扉の前で一度立ち止まり、シエナの名前を呼ぶが、なかなか返事が返ってこない。カナリアはもう一度シエナの名前を呼び、それからゆっくりと暗室の扉を開ける。カナリアは扉の隙間から、電気がついた暗室の中を見渡しした。
部屋の中にシエナの姿はなかった。その代わり。狭い暗室の中では、一羽の大きなダチョウがバタバタと羽を羽ばたかせながら、忙しなく動き回っていた。




