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「ねえ、オレンジ! 子供たちをどこかで見なかった!?」
書斎でくつろいでいたオレンジが顔をあげると、そこには慌てた様子のシエナが肩で息をしながら立っていた。オレンジは手に持っていた雑誌へと再び視線を落とし、落ち着き払った態度で知らないわとシエナに返事をする。オレンジは右目にはめた眼帯を触りながら、屋敷のどこかで遊んでるんでしょと言葉を続ける。シエナもオレンジは本当に知らないのだと早々に見切りをつけ、二人の名前を呼びながら書斎を出て行った。
オレンジは遠ざかっていくシエナの足音を聞きながらため息をつく。もう五歳児なんだからそこまで心配しなくても大丈夫よ。オレンジが何度そう言っても、シエナの心配性はなかなか治らなかった。双子の母親だからなのか、それともただ単純にシエナがそういう性格をしているからなのかはわからない。母親というものを知らずに育ったオレンジにとって、世の中の母親は何をどのように考えているのかなど、なかなか簡単に想像できるものではなかった。
「シエナはどっか行っちゃったわよ」
シエナの足音が聞こえなくなったことを確認してから、オレンジはどこに向けてでもなく、そう語りかけた。その言葉に反応して、本棚の影からひょっこりとブラウンが姿を現す。まだ五歳になったばかりの少年の顔立ちは少女と見間違ってしまうほどに中性的で、瞳はアルメラルラ家に代々受け継がれる空色をしている。寝癖のような栗色の癖っ毛を片手でもどかしそうに触りながら、ブラウンはオレンジの元へと小走りで駆け寄っていく。そのまま叔母であるオレンジの隣へとポスンと腰をおろすと、オレンジが手に持っている雑誌を興味津々な目で覗き込んだ。
「何を読んでるの?」
「知り合いでもなんでもない他人の噂話について書かれた絵本よ」
「面白いの?」
「ちょー面白いわ。他人事だから余計にね」
構って欲しいのかブラウンが足を揺らす。カナリアと遊んできたらとオレンジが提案すると、今ちょうどカナリアとかくれんぼをして遊んでるのだとブラウンが教えてくれた。
「鬼がママで、見つかったら負け。だけど、僕とカナリアは別々の所に隠れなくちゃいけないんだ」
「あんたがそうやって遊ぼうって言ったの?」
「ううん。何かして遊ぼうよって僕がカナリアに言ったら。カナリアがこの遊びを教えてくれたの」
「考えたわね」
「何が?」
「なんでもないわ。じゃあ、私が新しいルールを追加してあげる。シエナに見つかっちゃいけないのはそのままで、これからはあんたも鬼でカナリアを探すの。見つけたらあんたの優勝。はい。よーいスタート」
オレンジが手を叩くと、ブラウンがソファから降り、そのままシエナと同じように書斎を出ていく。その元気な姿を微笑ましく思いつつも、素直すぎて逆に心配になってしまう。しかし、それでも問題児であるもう一人と比べたらまだマシだった。先ほどのシエナの表情を思い浮かべながら、オレンジはふうとため息をつく。そして、ページを開いたままの雑誌を裏返しでテーブルに置き、その場で大きく伸びをした。それからゆっくりと思い腰をあげ、もう一人の可愛い姪っ子を探しに書斎を出て行った。
シエナが双子の兄妹を産んでから、五年という月日が経っていた。オレンジは亡くなった姉と同じ歳になり、向日葵の種と一緒に生まれていた赤ん坊は達者に口が聞けるまでに成長していた。しかし、長いようで短い時間が過ぎ去ってもなお、オレンジは自分の心の中がぽっかりと空いたままになっているような気がしてならなかった。それが何なのか、そしてそれが時間とともに消えていくものなのかはわからない。それでも、大事な何かをどこかへ落としてしまったまま、どこかを旅しているような、そんな気持ち悪さだった。
オレンジはそんな考え事をしながら屋敷の中を歩いていく。きっといつもと同じ場所だろう。オレンジはそうあたりをつけ、目的地へとまっすぐ進んでいく。屋敷の一階へと降り、そのまま中庭へと出る。中庭からさらに奥へ進んだ場所に、向日葵畑があった。それらはシエナが出産した向日葵の種を撒き、育ったものだった。一般的な向日葵と姿形は全く変わらないものの、最初の夏に花を咲かせて以降、一度も枯れることなく咲き続けている。夏を過ぎ、秋、冬が来ても、向日葵は萎れることもない。
「カナリア」
オレンジが向日葵畑に向かって名の名前を呼んだ。しかし、返事はない。もう一度だけ呼びかけた後、オレンジは諦め、畑の中へと足を踏み入れる。そして、注意深く足元を見ながら畑を進んでいき、畑の真ん中あたりで仰向けで横になっているカナリアを見つけた。薄いピンク色のドレス型ワンピースを身につけ、カナリアは胸の前で両手をお腹の所へ置いている。そして、うっすらと開いた目から、頭上で咲く向日葵と、その隙間から見える空を眺めていた。オレンジが姪の名前を呼ぶ。カナリアがゆっくりと顔を上げ、不思議そうな表情でオレンジを見つめた。そして、自分が呼ばれているのだと理解してようやく、大袈裟に長いため息をついた。
「何度も名前を呼んだんだから、返事くらいしてよ」
「ごめんね、オレンジ。時々、私がカナリアっていう名前なのを忘れちゃうの。だってね、カナリアっていう名前がどうしても私の名前っぽくないんだもの」
姪のカナリアははにかみながら返事をする。二人のそばに生えていた一本の向日葵がキョロキョロとあたりを見渡すように頭を動かし、すぐに他の仲間たちと同じ方向へ向き直って動かなくなる。オレンジは自分の姪をじっと見下ろした後で、深いため息をつく。それから姪のカナリアと同じように自分も畑の上へと仰向けに寝転がった。
「私はずっと納得がいってないの」
「何がよ?」
「ママが言ってたけど、アルメラルラ家の人たちはみんな色の名前が付けられるんでしょ?」
「ええ、そうよ」
「世の中にはたくさんの色があるわけでしょ? ピンクとか、赤とか、グリーンとか。それなのにさ、どうしてこの名前を私につけたわけ?」
カナリアは納得できないのか不機嫌そうに眉をひそめる。まだまだここから動きそうにないな。姪の不満げな表情を見つめながら、オレンジはそう判断した。風が吹いて頭上の向日葵の花が同じ方向へと一斉に揺れる。葉と葉が擦れ合う音が、心地よかった。
「あのねえ、カナリア。あんたもちょっとはブラウンを見習って五歳児らしく振る舞ったら?」
「いやよ。ブラウンってばバカっぽいんだもん。お金持ちに飼われた犬みたい」
「口だけは達者ね」
「ママも言ってたわ。オレンジにそっくりだって」
オレンジが身体を横に起こし、カナリアの左頬を優しくつねる。カナリアもオレンジの方を見て、戯れ合うように笑い、お返しとばかりにその小さな手でオレンジの左頬をつねる。それから二人は見つめ合い、差し合わせたように笑い出す。
「ねえ、カナリア。そんなに自分の名前が嫌い?」
その問いかけに、カナリアが再び空を見上げ、応える。五歳児のわりにカナリアはすごく大人びているとオレンジは思った。口達者ぶりはオレンジに似ていて、顔はシエナに似て美形で、それから物憂げに何かを考えている表情は自殺したカナリアにそっくりだった。
「嫌いじゃないの。でもね、なんだからそれが別の人の名前みたいなの。私は本当は別の名前で、それがわからないから渋々カナリアって呼ばれているみたいな感じ」
「みんなから何度も何度も呼ばれ続けてたらそのうち気にならなくなるわ」
「そんなもんなの?」
「そんなもんよ。私にも自分の名前が呼ばれているのか、食卓に置かれた果物のことを言っているのか、すんなりわからない時期もあったわ。その時ほど天国にいる私のパパとママに会いたいと思ったことはないわ。どうして自分にそんな名前をつけたのかとっちめるためにね。人はね、そういう理不尽を経験して大人になっていくのよ」
ふうんとカナリアが呟く。そして、再びオレンジの方を向いて、じっと彼女の顔を見つめる。それからそっと手を伸ばし、オレンジの左目を覆っている眼帯に触れた。
「今日のオレンジの眼帯すっごく可愛い」
「ありがと」
「ちょうだいよ」
「カナリアの右目をくれたらね」
「さいてー」
オレンジとカナリアがもう一度くすくすと笑う。中庭を再び風が吹き抜けて、二人の笑い声に合わせるように向日葵の花が揺れた。




