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「ほら、これなんか似合ってるんじゃない?」
シエナに促され、オレンジは手鏡で自分の顔を確認してみる。鏡に映っている自分の右目があった場所には、アルメラルラ家の紋章が刺繍された眼帯がつけられていた。最初にシエナが用意してくれたのは海賊の船長がはめているような黒の単色の眼帯だったから、模様付きのおしゃれな眼帯にオレンジも少しだけ嬉しい気持ちになる。
「オリーブだったらもっと上手くできたかもしれないけど……どうかしら」
「ううん、私は好きよ。ありがとう、シエナ」
オリーブという名前に少しだけ心が揺らぎつつも、オレンジは気遣いでも何でもない率直な感想を伝える。シエナが手を伸ばし、オレンジの眼帯の位置を微修正しながら微笑む。オレンジがふと視線を下げると、そこには臨月に入ったシエナのお腹があった。だぼだぼなワンピースの上からでもはっきりとわかるくらいに膨らんだお腹は、一般的な妊婦のお腹よりも心なしが大きい気がした。双子らしいわ。オレンジが以前、不思議に思って尋ねたとき、シエナはどこか不安そうな表情でそう答えてくれた。
「そういえばさっきスプルース男爵が顔を見せにきてくださったわ。出張先のお土産を持ってきてくれて、オリーブの顔を見てそのまま返っていったけど」
「顔を見せにきたっていうのはおかしくない? だって、屋敷に頭が食べられて首無しになったんだから、もう見せる顔がないじゃない。それにさ、私たちもあの首無しの身体になれちゃってるけどさ、男爵って口もないのにどこから声を出してるわけ?」
「さあ、お腹から声を出してるんじゃない?」
シエナがテーブルの上に置いていた他の眼帯を片付けていく。オレンジは手鏡を動かし、色んな角度からシエナに作ってもらった眼帯を鑑賞する。今まで右目に埋め込まれていた時計はなくなり、おしゃれな刺繍の入った眼帯の向こうにはぽっかりと空いた空洞があるだけ。それでもオレンジはそのことについて別に気にしてはいなかった。
「オレンジ。あんまりこういうことを面と向かって話すのは柄じゃないけど、あなたに伝えておきたいことが二つあるの」
「何よ、改まって」
シエナがゆっくりと身体をオレンジの方へと向き直らせる。オレンジが半分冷やかしのつもりで茶々を入れたが、いつになく真剣な表情なシエナを見て、思わず言葉を飲み込んでしまう。
「一つ目。そんなことないっていうかもしれないけど、オリーブが死んだことについて、あなたは自分で思ってるよりもずっと傷ついてるわ。自分の右目を抉ったのだって、時計の針がうるさかったからってあなたは言ったけど、どうしてもそれだけが理由だとは思えない。口は悪いけど……オレンジが優しいってことを私はきちんと知ってるし、出産が近い私に気を使わせたくないって思って無理してるんじゃないかって私は心配なの」
「人の心配してる暇があったら自分のことを心配したら? マタニティブルー真っ只中のシエナに言われても響かないわ」
「そうやってはぐらかすのはオレンジのダメなところよ」
オレンジが反論しようと口を開こうとするのを、シエナが人差し指でそっと制止する。
「だけど、忘れないで。オレンジは私にとって大事な大事な妹。その気持ちは昼と夜が入れ替わって、世界から月と太陽が無くなってしまっても変わらないわ。私が伝えたいのは、それだけ」
シエナが両手でオレンジの小さな顔を包み込む。オレンジは少しだけ照れながら、ゆっくりとシエナの両手の温もりを感じた。検討するわ。とオレンジが小さく答えながら、そっとシエナの両手を外す。
「じゃあ、伝えたいことの二つ目は何?」
オレンジが肩をすくめながらおどけた口調で答える。しかし、その問いにシエナは何も答えず、じっと自分のお腹に手を当てるだけだった。
「ねえ、シエナ聞いてる? 二つ目の伝えたいことって何?」
「……十」
「え?」
シエナは自分のお腹に手を当てたまま呟く。
「九……八……七…」
「ねえ、シエナ? 何なの?」
オレンジはシエナの顔を見つめ返した後、彼女が座っているソファへと視線を落とす。すると、シエナが腰掛けている部分が、水で濡れていることに気がつく。水で濡れた部分が少しずつ広がっていき、塩分を含んだ生臭い匂いが周囲に漂っている。破水。その単語がオレンジの頭に思い浮かぶ。
「六……五……四…」
オレンジは恐る恐る顔をあげ、シエナの顔をもう一度見つめた。シエナは顔をあげ、オレンジを見つめ返していた。それから二人は見つめ合い、お互いに頷き合う。
「三……二……一」
そして、カウントダウンが終わると同時に、シエナの陣痛が始まった。




