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 屋敷の地下へ続く長い廊下。オレンジは肉部分がなくなり随分と体重が軽くなったシーグリーンを抱き抱え、歩いていた。隣にはティールがいて、屋敷の中を物珍しそうにキョロキョロと観察している。


「外から見た時よりも、中はずっと広いんだね」

「外見だけ立派な建物よりかはマシじゃなくて?」


 オレンジの言葉にティールはなるほどと頷く。また時間を食べたのか、ティールは数週間前に出会った時よりもさらに数センチほど身長が伸びていた。食べた時間の量をきちんと計算すると、自然に摂取した時間を含め、今はオレンジのちょうど1歳年下の年齢らしい。いくら身体だけがでかくなっても、それだけじゃ歳上だとは認められないわ。オレンジが自分よりも背が高くなったティールを見上げながらそう言うと、ティールは少しだけ照れ臭そうに笑い返した。


「今日は隅田川の花火大会があるって言うのは知ってる?」

「ええ、知ってるわ。オリーブがスプルース男爵と一緒に見るんだって言ってたもの」

「恋人同士で花火鑑賞だなんて素敵だね」

「そうかしら? 炎色反応を見て一体何が楽しいのか私にはさっぱりだわ。それも、私たちとじゃなくて、数ヶ月前に初めて出会った男と見るっていうのよ。信じられる?」

「……怒ってるの?」

「怒ってない!」


 オレンジの足元から伸びる影が退屈そうに背伸びをする。そんなやりとりをしているうちに二人は地下室へたどり着く。地下室は前にやってきた時と一ミリも変わっていなかった。だだっ広い空き地。回転しないメリーゴーランドとコーヒーカップ。曇天が描かれた高い天井。一度来たことのあるオレンジと違い、初めてここを訪れたティールは感嘆の声をあげながら、周囲を見渡していた。不思議と奇跡が起こるお屋敷だと言われていることはあるね。ティールの感想に、オレンジはそうねとそっけない返事を返す。


 それから二人は当初の目的通り、ここで無くしてしまったオレンジの影を探し始める。オリーブから遊園地デートの話は前もって聞いていたため、オレンジはティールに決して壁には手で触れないようにと厳重に注意した。ティールも、右腕だけになったメイドの話や肉体を失ったシーグリーンの話しは聞いていたため、オレンジの言葉を重々しく受け取った。アルメラルラ家の人間以上に、この屋敷の異常さを噂で知っていたティールは、それらが単なる御伽噺ではないということをきっちりと理解していたからでもあった。


 二人はまず、オレンジが倒れたメリーゴーランドの受付へと向かった。先にティールが裏に周り、そこに置いてあった時刻のズレた時計をそっとうつ伏せにし、それからオレンジを呼ぶ。オレンジは記憶を頼りにあたりの地面を注意深く観察したが、そこに自分の影の姿はない。コロコロとどこかに転がってしまっていったのだろうと、メリーゴーランドの下などをしゃがみ込んでのぞいては見たものの、それでもやはりオレンジの影は見つからない。もっと別の場所を探してみようか。ティールがオレンジにそう提案したその時だった。


『そんなところにはないわよ』


 聞き覚えのない女の子の声にオレンジとティールは顔をあげる。二人は慌てて周囲を見渡したが、人の姿が一切見えない。空耳だろうかと、二人が困惑した表情で見つめあったタイミングで、ティールが地下室の壁を指さして驚きの声をあげる。ティールが指差した先。そこの壁には、オレンジと同じ背丈の女の子の影が映っていた。私の影! オレンジが叫ぶと同時に影はこちらに背を向け、そのまま壁を伝って、二人から離れていく。


 オレンジはその影を追いかけて走り出す。少し遅れて、ティールもオレンジを追いかけるように走り出した。壁の中の影は二人を遊んでいるかのように、速度を早めたり、遅くしたりしながら、捕まることのない絶妙な距離感を保つように走っていく。自分の影にからかわれているという屈辱に、オレンジはついムキになってしまう。それでも、オレンジが必死に追いかけ続けているうちに、影との距離は少しずつ縮まっていく。そして、十分に手が届く範囲に影へ近づいたタイミングで、オレンジは壁に手を伸ばし、そのまま影を壁に張り付かせたまま動けなくすることに成功する。オレンジの右手で押さえ込まれた影が、壁の中でじたばたともがき、それから観念したかのように動きを止める。


「やっと捕まえたわ。あんたに用があって、ここまで来たのよ」


 オレンジが影にそう語りかける。オレンジを追いかけていたティールがようやく追いつき、捕まった影を見つけて、ほっと安堵のため息をつくのが聞こえた。


『あなたはこの影に用があるのかもしれないけど、他にやることがあるんじゃなくって?』


 先ほどと同じ声に、オレンジの身体がぴたりと止まる。誰もいないはずの地下室で聞こえるその声に、オレンジの胸がざわつき始める。あなたは誰? オレンジは天井を見上げ、声を不安げに震わせながら尋ねてみたが、返事は返ってこない。そして、そのタイミングでオレンジはあることに気がつく。自分が今、影を押さえつけるために、地下室の壁に手をついてしまっていることを。


「オレンジ!」


 ティールが叫び、それと同じタイミングでオレンジは壁についているはずの手が何かに強く引っ張られる感覚を覚えた。視線を壁に戻すと、自分が手をついた壁はまるで液状に変化し、ずぶずぶと自分の右手がそこへと沈んでいくのがわかった。ティールがオレンジの左腕を強く掴み、壁から引っ張り抜こうとするが、それでも壁がオレンジを引き摺り込もうとする力の方が強い。オレンジの手首、肘、二の腕がゆっくりと、しかし着実に壁の中へと入り込んでいく。ティールが呻き声をあげながら、オレンジの名前を叫び続ける。


 沈んでいく自分の腕をじっと見つめながら、オレンジもまた必死に抜け出そうともがいた。それでも、追い詰められた恐怖が一周して頭が冷静になったタイミングで、抵抗をやめ、自分の後ろにいるティールへと視線を向けた。そして、オレンジは自分の左腕を勢いよく振り、左腕を握り締めたいたティールの手を振り解く。ティールがバランスを崩し、背中から転んだ。引っ張る力が失われ、オレンジを壁の中へ引き込むスピードが速くなる。


「オレンジ!」


 壁に身体全体が引きずり込まれる直前、ティールの叫び声がオレンジの耳に届き、消えていった。

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