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『例の男の子と一緒に、屋敷のどこかに落としてしまった私の名前を探すことになった。男の子は私よりもちょっと歳下で、アルメラルラ家の血筋ではよく見られるような綺麗な空色の瞳をしていた』


 適当に開いた日記の一行目には、こんな言葉が書かれていた。書斎の下に隠されていた秘密の部屋。そこで見つけた大叔母様の日記をオレンジは退屈しのぎに読んでいる。日記帳は経年劣化で端の方がボロボロになり、色も褪せてしまっていた。それでも、ギリギリ文字は読めないことはなく、オレンジは普段は見れないような人のプライベートを覗き込むような感覚を楽しんでいた。夜は深く、屋敷の全ての人間が寝静まっていた。染み入るような静寂の中で、オレンジの右目の時計の音だけが、カチコチとやけに大きな音で響いているような気がした。


 オレンジはあくびをかみ殺し、秘密の部屋で見つけた日記を読み進めていく。


『このアルメラルラ家のお屋敷では何が起こっても不思議じゃない。それはわかってはいるんだけど、まさか大事な名前を落としてしまうとは思ってもいなかった。名前がなければ誰も私を呼ぶことができないし、誰も私を呼んでくれない。例の男の子が偶然このお屋敷に来てくれなかったら、私は名前を落としてしまったということすら忘れてしまっていたかもしれない。そうなったらきっと、私は私が存在していることすら忘れてしまう。死ぬことよりも恐ろしいことはきっと、私が存在していたこと自体が忘れ去られてしまうこと。死は人の心に何かを残してくれる。少なくとも』


 オレンジは日記を読みながら、ぼんやりとここで出てくる例の男の子とは誰だろうと考えた。妙に大人ぶった書き方だけど、筆跡を見る感じではこの日記を書いているときの大叔母様の年齢は私と同じくらい。例の男の子はさらにその歳下だと書かれているから本当にまだまだ子供なのだろう。オレンジは日記を流し読みしていく。しかし、そこに書かれていたのは、どこを探しても名前が見つからないということ、そして要領の掴めない観念的、抽象的な意見だけ。そこに時々例の男の子の描写が挟まる程度で、地下室や地下室にある遊園地についての記載はない。これはただの日記で、役に立つ情報なんてものは書かれてないんだろう。オレンジは大きなため息をつき、大きく伸びをした。


 そしてその時。コン、と部屋の窓ガラスに小石がぶつかる音が聞こえてくる。オレンジは日記をベッドの上に放り投げ、部屋の窓を開けて、下を見る。そこではいつものようにティールがオレンジの部屋を見上げていた。オレンジが窓から姿を表すと、ティールは嬉しそうに微笑み、手を振った。


 眠れない夜に飽き飽きしていたオレンジは、退屈を紛らわせるために誰かと話したいという気持ちになっていた。オレンジは下にいるティールに向かって、中庭の倉庫に立てかけてある梯子を持ってくるように伝えた。ティールが慌てて中庭の倉庫へ走っていく中で、オレンジは窓から見を乗り出し、窓の下にある出っ張り部分に足をかけた。夜風は冷たく、オレンジの寝着の裾を優しく揺らす。しばらくすると、ティールが梯子を持って戻ってきた。それから二人で協力して梯子の端を部屋の窓に固定し、オレンジはティールを自分の部屋へと招き入れた。


 ティールが梯子を登り、オレンジが手を差し出して部屋の中へ入るのを手助けしてあげる。ティールはひょいと窓わくを飛び越え、オレンジがティールの身体を受け止める。ティールはありがとうと簡単なお礼を言いながら身体を離した後で、何かの違和感を覚えたオレンジは、彼の頭から爪先までをじっくりと観察した。


「あんたってこんなに背が高かったっけ? 何日か前に会った時はもっと小さかった気がするんだけど」

「成長したんだよ、人間だから」

「私より二歳も年下が人間を語るなんてお笑いだわ」

「二歳年下じゃないよ、今は君の一歳年下になったんだ」


 オレンジがティールの反論に眉をひそめる。


「君の言う通り、時間を食べたんだ……。一年分だけだけどね。まだまだ食べるのが大変で、たくさんはなかなか食べきれないけど……君が望むような年上の男性になるために頑張ってるんだ」

「そう。いい心がけね。じゃあ、ご褒美をあげる」


 オレンジはそう言うと、表情を変えないままティールの右頬にそっと口付けをする。ティールは一瞬状況が理解できず、間を置いた後で両頬を恥ずかしさと嬉しさで紅潮させた。子供同士の他愛もないスキンシップのつもりでやったオレンジもまた、ティールの予想外の反応に驚き、自分もまた妙に恥ずかしさを感じてしまった。静かな闇夜に、オレンジの右目の時計だけがチクタクと音を立てる。オレンジは妙な気まずさを振り払いかのように、ティールの足の爪先をぎゅっと強く踏みつける。ティールが痛みで表情をしかめ、恍惚とした感情から無理矢理現実に引き戻された。


 オレンジとティールはベッドの縁に腰掛ける。オレンジは地下室の遊園地の話から、さっきまで読んでいた大叔母様の日記の話まで、感情豊かにティールに語った。ティールはオレンジの話を最初は真剣に聴きながらも、途中から飽きてきたのか、浮いた両足を振り子のように上下に振り始める。それからふと足元を見つめ、窓から差し込む月光に浮かび上がる自分の影と、そしてオレンジの足元からのびる、明らかに彼女の身体よりも一回り大きな影に気がつく。


「君の影ってこんなに大きかったっけ?」

「私の影は地下室で無くしちゃったのよ。で、その代わりに誰のかもわからない影がくっついてるってわけ」

「このお屋敷なら何が起きても不思議じゃないからね」

「この屋敷が周りからそんな風に思われてるなんて知らなかったわ」

「そうなの? 少なくとも僕たちの周りでこのお屋敷のことを知らない人はいないよ。不思議が当たり前に起きて、そして奇跡を起こしてくれるようなお屋敷だって、皆んな噂している」

「その奇跡のせいで、私は影を無くしちゃったわけだけどね。こんちくしょう」


 あんたもこのお屋敷に興味があるの? そうオレンジが問いかけると、ティールはもちろんと無邪気に笑いながら返事をする。オレンジはふーん、とまるで興味がないかのような相槌を打ちながらも、あることを思いついていた。自分に惚れていて、ある程度のわがままなら何でも聞いてくれる横の少年。オレンジがティールの名前を呼び、彼がオレンジの方へ振り向く。近くで見るティールの瞳は、日記に登場した例の男の子と同じ空色をしていた。


「ねえ、今度、私と一緒に屋敷の地下室に行ってくれない? 私の影を取り戻したいの」

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