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彼女の続き  作者: 鮎彦
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第1節 秋津となめには不思議な噂があった。

 秋津となめには不思議な噂があった。

 それは彼女を少しでも知っている人間が聞けば誰もが鼻で笑うか、あるいは同情から気の毒そうな顔をして聞かなかったふりをする、そんな噂話でクラスの連中が話しているのを俺が偶然耳にしたときも思わず吹き出しそうになってしまった。


『秋津となめは全身にびっしりと刺青を入れているらしい』


 それがクラスで囁かれていた噂だった。

 言われてみれば彼女は近頃いつも黒いストッキングを履いて首筋から手首まで覆い隠すような黒いインナーを着こんでいた。

 しかもそれらを決して脱ごうとせず、なんでも体育の時間でも体操着の下に着たまま授業を受けているという話だった。

 クラスの連中もなぜ急にそんなことをし始めたのかと不思議に思ったらしく、あるとき一人の女子がなぜいつも黒いインナーを着こんでいるのかと理由を尋ねた。

 しかし秋津となめは、彼女は人から話しかけられたときによくそうするのだが、媚びるようでもあり同時に他人との関りを拒絶するようでもある、曖昧なつくり笑いを浮かべて答えを濁すだけだった。

 彼女がそんな調子だったのも噂につけ入られる余地になったのだろう。

 インナーを脱がないのは刺青を人に見られないようにするためだ、などとまことしやかに囁かれるようになってしまったのだ。

 でも多くの人間はそんな噂はまともに受け取っていないようだった。

 なぜかといったら秋津となめはクラスに友達らしい友達もいない、目をやればいつも教室の隅で小説かなにかを黙然と読んでいるような地味な女子で、とても刺青を入れるなんて思い切ったことをするようには見えなかったからだ。

 俺も最初はその噂を、秋津をよく思わないクラスの女子が嫌がらせで流したものだと思って聞き流していた。

 しかしある日を境にその噂は俺にとって無視することのできない、特別な意味を持つものになった。


 その日は俺の自宅謹慎処分が明けての久しぶりの登校日だった。

 朝、教室に入るとそれまで雑談していたクラスの連中が一様に黙ってしまい部屋の中はしんとなった。

 言い忘れていたが先に「秋津となめはクラスに友達らしい友達もいない」なんて言ったがクラスに友達がいないのは俺も一緒で、しかも孤立具合でいったらこちらの方がよほど上なのだった。

 その日は謹慎明けの初日だったこともあり、クラスの皆がこちらをどう扱ったらよいのか困惑してるのが手に取るように分かった。

 俺はしらけた教室の空気を苦々しく思いながらも黙って自分の席に着いた。

 するとある一人の男子が近寄ってきた。


「久しぶりだな、加藤。

 なんで学校休んでたんだよ」


 俺が自宅謹慎をくらっていたことくらい知っているだろうに、わざと知らないふりをして聞いてきたこの男は若木というクラスメイトだった。

 コイツのことは以前からいけ好かなかったのだが、今日またその意を新たにせざるをえなかった。

 忌々しく思って返事しないでいると、


「心配してたんだぜ。

 また爆発にでも巻き込まれたんじゃないかってさ」


 若木はおちょくるように言った。

 すると遠巻きに眺めていたの若木の友人たちが乾いた笑い声を上げた。

 俺はこれまで教室で何十回と味わった不愉快な感覚を久しぶりに思い出した。

 若木の言った「爆発」というのは、少し前に駅前の書店が爆発した事件のことを指している。

 俺は爆発があった現場に居合わせて事件を実際に目にしていた。

 しかし爆発がどうのと言っている当の若木は、そんなことは全く信じていないのだ。

 爆発があった翌日、俺はクラスの皆にその事件のことを話した。

 するとその日からすっかり嘘つき扱いされることになってしまった。

 たしかに爆発を目撃した直後に俺は気を失ってしまい、気づいたときには爆発の痕跡は何一つ残っていなかった。

 吹き飛んだはずの書店も元通りになっていたし、悲鳴を上げていた通行人たちも何事も無かったかのように歩いていた。

 しかし爆発は間違いなくあったのだ。

 この目で見たのだから疑いようが無い。

 しかし若木たちは何度言っても話を信じてくれなかった。

 そして信じてくれないばかりか、その日からことあるごとに俺のことを馬鹿にするようになった。

 クラスの間では「爆発」という言葉はすっかりこちらをからかうときの符丁のようになってしまった。


「もういい加減、作り話だったって認めろよ。

 証拠も何も無いのに誰が爆発の話なんて信じるんだよ」


 勝手に俺の机の上に腰掛けながら、若木は呆れたように言った。


「嘘なんて吐いてない。

 たしかに証拠を示すことはできないけど、爆発はあったんだ。

 それは事実だから否定しようがない。

 作り話だと言ったら逆にそれが嘘になる」


 言い返すと若木は暫し黙っていたが、やがて聞こえよがしに長い溜息を吐いて仲間たちの元に戻っていった。

 若木が離れたあとも他のクラスメイトたちは俺を遠巻きにしながらなにやら小声で囁きあったり、無視するふりをしながら背中の目でこちらの様子を窺っていた。

 そんなクラスメイトたちの態度に腹の底からふつふつと怒りが湧き上がってきた。

 やがて怒りを堪え切れなくなった俺はクラスの連中を睥睨(へいげい)すると大声で怒鳴った。


「何であんなにデカい爆発だったのに誰も見てないんだよ。

 本当は誰か見てた奴がいるんだろう?

 知らないふりをして俺を嗤ってるんだろう?」


 怒鳴り終えると教室に痛いような沈黙が訪れた。

 誰一人として言葉を発するものはいなかった。

 俺は黙り込むクラスの連中の顔を一人ずつ順番に睨んでいった。

 誰もがこちらを見ようとせず、皆平静を装うことで俺に対して一片の支持も与えるつもりのないことを示していた。

 しかしそんな中、ひとりだけ周りと違う反応を示している奴がいた。

 それが秋津となめだった。

 彼女だけが俺と一瞬目を合わせた。

 合わせて、すぐに目を伏せたのだ。

 彼女はこちらから顔を背けると取り繕うように机の上にノートを広げ始めた。

 しかしその動作はぎこちなく、そわそわしていて不自然だった。

 まるで何かをごまかそうとしているかのように見えた。

 俺は直感的に、こいつは爆発のことを知っているな、と思った。

 その時から彼女は重要な証人候補となったのだ。

 彼女が皆の前で爆発を見たと話してくれれば、嘘つき呼ばわりするクラスの連中に俺が間違っていないことを認めさせることができるかもしれない。


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