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4 砂糖の北斗七星

 怪しまれないように、週に3日に一度だけ、俺は塔を訪れる。


 「また来たの?」

 「ええ、来てしまいました奥様」

 「もう来ないでって言ったわ」

 「ええ、そうしてまた来ると申しました」


 この会話も今では慣れたものだ。いつものあいさつのようなもので、俺は扉の隙間からボトルを突き出す。


 「体調は変わりありませんか?」

 「大丈夫よ。身体は丈夫なの。あなたこそ、誰かにばれてはいない?」

 「大丈夫です。塔の見張りは警戒心を母の腹に置いてきているようで」


 すっかり顔見知りになった警備員たちは俺が来るのを喜んで迎えるようになった。毎回おいしいスープや食べ物を持ってくるのだ。犬の餌付けは完了した。そのうえ最近では塔に出入りした人間や時間まで俺に話してくれるようになった。ここに奴らを配置した奴は見る目という者がとことんないらしい。俺にとってはまったく好都合なのだが。


 「奥様、あなたは幸せですか?」

 「幸せよ。生きてるだけで十分だもの」


 この会話もまた、いつものことだった。

 そう言われてしまうと俺は今日も今日とてただ空のボトルを持って帰るしかできない。



 ペルラの現状についてはアルジェント男爵にも伝えている。厳密に言えば話をしたわけではないが郵便配達員に扮して男爵邸に手紙を届けているのだ。あの男爵が読んでいないはずがない。

 男爵もおそらく何らかの手立ては考えているだろう。そのために俺が伯爵家に潜り込むように手引きしたのだ。ただそう簡単に俺に言うはずもない。



 「ベルシュタイン、これやるよ」

 「ありがとうございます! ……何ですか、これ?」

 「金平糖って言うお菓子だ。街へ行ったら売ってたんだ。輸入菓子だから珍しいぞ」


 手のひらに落とされたのは石のようなものだ。白い色はどうも砂糖の色らしい。鼻先を近づけて嗅ぐが、あまり匂いもしない。


 「お前のその初めて見たものに対する反応が犬だな」

 「ええ……癖みたいなものです」


 ものが腐ってないか判断するには鼻が一番頼りになる。生きていく上での重要事項だ。

 指先で押しつぶすと角がわずかに欠けて白い粉が指先につく。なめとるとなるほど甘い。砂糖の塊のようだった。


 「おしゃれな角砂糖、みたいな感じですかね?」

 「さあ? でもそのまま食べるらしいから角砂糖とは違うだろ」


 俺は紙にくるんでそれをポケットに入れた。


 「持って帰って食うのか? ますます犬っぽい」

 「おいしいものは大事に食べる主義なんです」




 ふと空を見上げると藍色の空には宝箱をぶちまけたように無数の星が光っていた。


 「お疲れ様でーす!」

 「おっ、ベルシュタイン! 今日はなんだ?」 

 「今日はクラムチャウダーでーす」

 「うまそー!」


 警備員たちが寝こけるのをにこにこしながら待つ。


 「そう言えば今日は珍しく旦那様が塔に来てたぞ」

 「……旦那様が。あ、いえ、夫婦だから当然ですね」


 つい低くなる声を無理やり明るくして笑う。

 だが彼らの話を聞いていても伯爵がここへ来ることは本当にまれだ。


 「まあ伯爵が妻だと思ってるかはなぞだけどな」


 男たちは笑い、数分のうちに寝息を立て始めた。




 俺は階段を駆け上がる。何となく嫌な予感がした。


 「奥様、奥様、俺です。ご無事ですか?」

 「いきなり何? 何かあったと思ってるの、ベルシュタイン」


 ノックすると間もなく返事がして、安堵する。荒れた息を整えながらボトルを差し出す。


 「いえ、俺の思い違いですね。気にしないでください」

 「変なの。……あら、これはなに?」

 「金平糖、という外国のお菓子だそうです。昼に同僚からいただきました。砂糖菓子でそのまま食べるのが正解らしいです」

 「ふうん、可愛いお菓子ね」


 他愛もない話をしながら、また俺は空のボトルを受け取った。


 「奥様、あなたは幸せですか?」

 「幸せよ。生きてるだけで十分だもの」


 いつもの言葉だった。けれど立ち去ろうとしたところでペルラから呼び止められる。


 「そういうあなたの幸せは?」

 「……俺は俺の家族が幸せであること、それこそが幸福で、それ以外の何物でもありません」

 「そう、素敵ね」


 珍しい質問に、何となく立ち去れず、扉の前で階段の窓から見える星を眺めていた。



 「ベルシュタイン、手を出して。扉を少し開けるから」

 「え、はい。かしこまりました」


 疑問符を浮かべながら手を扉に差し出す。すると細い手が伸びてきて、俺の手のひらの上で何かを落とした。


 それは透き通った石だった。

 俺がかつて、あの小さなあばら家で何度も見た石だった。


 「奥様、これはっ」

 「金平糖のお礼よ。可愛らしいお菓子をありがとう」

 「……奥様、これは宝石ですね。俺はこれを受け取れません」

 「受け取って、そしてもう二度とここへは来ないで」

 「奥様、」

 「次来たら、今度はあなたのことを伯爵に話すわ。新しく入ってきたベルシュタイン・ディープという料理人が、夜な夜な塔を訪れるって」


 早口で話すペルラの言葉には焦りが滲んでいる。


 一粒の宝石。

 赤くなった薄い手の甲。

 俺はもう我慢できなかった。


 「……奥様」

 「もう行きなさい」

 「今日は外がとても明るいんですよ。星がたくさん出ています。風が強く、雲一つありません。金平糖が光っているみたいなんです」

 「……」

 「ご存知ですか、星に願いを言うとそれが叶うそうですよ」

 「お願い、帰って、もう二度とここへは」

 「願ってください、奥様。どうしたいか。大丈夫、誰も聞いてはいません。誰もあなたを咎めません。どうかこの夜の星にだけは、正直になってください」


 ペルラの言葉を遮り、話す。

 もうこれ以上は待てなかった。


 「あなたの気遣いも強がりも、星には関係ありません」


 幸せじゃないなんて言えないのだろう。

 言ったら誰かに迷惑が掛かる。

 自分を育ててくれた男爵のメンツをつぶすことになる。

 化け物と呼ばれているからいつか殺されてしまうかもしれない。

 殺されるくらいなら、こうして生きている方がいい。


 「奥様、今の生活は幸せですか? 愚かな男に涙を奪われる、この生活が」

 「どうしてそれを……」

 「今日伯爵が訪れたのはあなたの涙でできた宝石を回収するためですね」


 怒りがむくむくと湧いてくる。

 ペルラはきっと、泣かなかったのだろう。こんな仕打ちを受けながらも、泣かないペルラの涙を無理やり奪いに来たのだ。その身体を痛めつけ、零れる宝石を卑しくも拾い集めに。


 「どうぞ光る星に聞かせてください奥様。あなたが何を望むのか。誰も聞いてはいません。誰もかれも眠りについています。愚かな男も、警備員も、誰も聞いておりません。星に願いを呟くことを、咎める者はどこにもいません」

 「……生きてるだけで幸せなの、馬鹿なこと言わないで。これを持って帰ってちょうだい」

 「いいえ奥様受け取れません。あなたの悲しみでできたものなど」

 「いい加減にしてっ!」


 初めてペルラが声を荒らげた。


 「なんなの、なんなのあなたは! 赤の他人なのに、顔も見たことないのにどうして私に構うの! 私は良いの! 生きているならそれだけで、十分よ。私はもう一生分の幸福も、生きていくのに必要な愛ももらってきたわ。それがあれば暮らしていける。これから何があっても、この生活が続いても、今までもらってきたものがあれば、私は絶望しないでいられるの!」


 荒い息遣いと悲鳴のような声が夜を切り裂く。けれどこの高い塔で、その声を聞いている者は誰もいなかった。


 「ベルシュタイン! 私に不幸を突きつけないで! 私はもう十分なの!」

 「奥様」

 「私をもう、引っ張り出そうとしないで……」


 悲壮な声の合間に、小さな硬いものが床を跳ねる音を聞いた。

 泣かせたくはなかったんだ。

 どうか俺は、ペルラに笑っていてほしかった。


 「ペルラ」

 「気安く呼ばないで」

 「……失礼、奥様。明日もきっと空は美しいでしょう。明日、明日が最後です。俺はまたこの塔を訪れましょう」

 「…………」

 「ですがどうか、お考え下さい。自分が本当は何がしたいか。どう生きていきたいか。あなたの人生はあなたのものだ。他の誰のものでもない。愚かな貴族のものでもなければ、口うるさい料理人のものでも、無表情な男爵のものでもない。あなただけのものだ」

 「……」

 「どうか、お忘れなきよう。奥様、辛いなら、どうにも逃げ出したいなら言ってください」


 もう明日が最後なのだ。

 ペルラが覚えていないならそれでいい。でも覚えていてくれるなら。


「口に出して願ってください。必ずあなたに迎えはきます。今度こそ、あなたを守れるようになって」


 ペルラの返事を聞かず、俺は塔を駆け下りた。

 やることは、山ほどある。





 「ご無沙汰しています、旦那さま」

 「またか。毎度毎度なぜ非常識な時間に」

 「それは急を要しているからですよ旦那さま」


 ローシ・イャンターリに扮し、俺は再び男爵邸を訪れていた。使用人たちも二度目ということもあり、見とがめることもなかった。


 「ペルラを連れ戻します」

 「……できるのか?」

 「やります。そしてそのために助力をいただきたく」


 眉間に深く皺を刻んだ。険しい顔だが構うつもりはない。


 「何が欲しい」

 「馬を一頭。できるだけ走るのが早く体力のある馬を貸していただきたい」

 「……それだけか」

 「それで充分です」


 言い切ると男爵は深く深くため息を吐いた。


 「……馬で、逃げると?」

 「ええ、馬で逃げます。最低限の金があればある程度は暮らしていける。国境を越えれば立場のある伯爵はおってこられない」

 「……10年たっても頭はお花畑か、もしくは興奮して我を失っているか、どちらだ?」

 「なっ……!」


 あきれ果てたように言い捨てられ頭に血が上る。


 「できる、」

 「できるわけないだろう。お前は自分の力を高く見積もりすぎているし相手の力を低く見積もっている。どこまで逃げるつもりだ? 逃げた先でどうする? 身分も何もないお前が一からやっていくつもりか? なんのつてもなくペルラを抱えながら。そのうえ伯爵自身は追ってこられなくても適当なものを雇えば国外まで追いかけることは容易だ馬鹿者め」


 言い訳する間もなくあっという間に論破される。胸倉に掴みかかろうとした右手が行き場を失った。

 引っぱたかれたように頭が冷静になる。それと同時に砂漠に投げ出されたような絶望が足元ににじり寄ってきた。


 ではどうしたらいい。ペルラをあのままにはしておけない。

 10年たっても俺は、ペルラのことを守れない。


 「貴様はペルラを連れてアレナリア伯爵の家の敷地から出さえすればいい」

 「え、」

 「塔にペルラはいるな。その付近の壁沿いに覆面の馬車を置いておく。それに乗れ。途中でうちの家紋のある馬車に乗り換えて、追っ手をやり過ごしここへ戻ってこい」

 「……でもそれじゃあんたは」

 「もうご隠居、先代アレナリア伯爵には苦言を呈している。このタイミングで“善意の第三者”がペルラを攫ってここへ連れ戻したとしても、アレナリア伯爵は私を糾弾することはできない。ご隠居もほとほとあきれ果てている」


 涼しい顔でカップを仰ぐ男爵を呆然と見つめてしまった。

 なにかしているとは思っていたが、もうほとんど根回しは終わっているではないか。


 「正攻法でペルラを取り戻すのは難しい。扱いを変える、などと宣えばこちらとしても黙るしかなくなる。ペルラの安全を確保したうえで、ペルラから訴えさせる。そうすれば伯爵も無茶は言えない。私としても突っぱねることが可能だ」

 「……あとはペルラを連れてくるだけか」

 「ああ、残念なことに、お前にしかできないことだ、アンブレ」


 久しぶりに呼ばれた本名はひどく身体に馴染んだ。


 俺は料理人のベルシュタイン・ディープではない。

 妹を幸せにしたい、ただのアンブレなのだ。


 「明日夜、ペルラを連れて敷地の外へ出ろ。なんとしてもだ」

 「……ああ、必ず。あんたを頼りにしてるよ」


 男爵は口の端をゆがめて少し笑った。


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