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3 偽りの多い料理人

 「あ、ごみ捨て行ってきますけど追加のごみありますかー?」

 「大丈夫だ、先にそれ捨てに行ってきてくれ」

 「了解しました!」

 「本当、気が利いて助かるよ。ベルシュタインが入ってきてから仕事が早い」

 「ありがとうございますー」


 へらへらと笑いながらベルシュタイン・ディープは生ごみの入ったバケツを持って厨房から出た。誰もいなくても表情は極力変えない。締まりがなく、目じりは薄らと下げておく。人畜無害そうで、素直な好青年だ。


 アレナリア伯爵家に入り込むのは簡単で、実にとんとん拍子だった。

 幸い料理人は以前にも経験していたし、貴族の家専属にしても男爵家の分家でやってきた。マナーも良識も完璧だ。

 料理人の経験があり、雑用を嫌がらず、こだわりもプライドもない。先輩を尊敬し、主人を敬う即戦力。採用側からすれば垂涎の新人だろう。

 無事潜り込んだ俺は何一つ疑われることなく、着々と今の人間関係に馴染んでいった。



 「そう言えばベルシュタイン」


 仲良くなれば


 「あの話って聞いたか?」


 次から次へと


 「ここだけの話なんだけどさ」


 情報は舞い込んでくる。


 料理人の下っ端では主人たちに会うことは基本的にない。料理について話があっても行くのは料理長だし、料理を持っていく仕事は下っ端には任せられない。

 そう、基本的には。


 偶然厨房でトラブルがあったら、偶然人手が足りなかったら。


 「ベルシュタイン! すまないが料理を持って行ってくれ! こっちは手が足りない」

 「俺がですか!」

 「お前ならそんな粗相もしないだろ! おとなしく、粛々と運んで、すぐに戻ってこい!」

 「わかりました!」


 当然下っ端にもその仕事が回ってくる。


 俺はさっと行ってさっと戻るだけ。持っていくのはコースのメインの仔牛のステーキ。誰かが欠けることなく、家の者の全員が席についていることだろう。

 はやる気持ちなどおくびにも出さず、ただ少し緊張したような面持ちを作って厨房から出た。



 「お待たせしました、メインの仔牛のステーキにございます」


 料理の説明をする料理長を横目にばれない程度にテーブルに視線を走らせる。

 上座に座っているのはこの屋敷の主、ダミアーノ・アレナリア伯爵。やや恰幅はよく、撫でつけられた銀髪は豊かだ。その隣に座るのが妻、スヴェーバ・アレナリア。金髪は長く、鼻先がとがっている。そしてその子供らしい金髪の子供が二人。


 これで全員だ。

 どういうことかと内心訝しむ。ここにいるのは第1夫人一家だ。第2夫人であるペルラがいない。

 だがよくよく考えれば本妻がいるところに第2夫人が加わる和気あいあいとするのはやや無理があるだろうと納得した。これだけ広い屋敷なのだ、別宅があってもおかしくはない。

 悶々と考えつつ落胆を飲み込んだ。ペルラに会えるかと思った期待がしおしおと萎んでいく。


 厨房に戻り、下げられた皿を洗いながら考える。

 別宅にペルラがいる。それは別段おかしくはない。だが俺は一人用の料理など作ったことはない。他の調理人たちだってそうだ。別宅に料理を運んでいる姿を見ていないし、運ぶためのケース等も見ていない。


 「伯爵さまですが、今日初めてお目にかかりました」

 「そうか、お前はずっと厨房にいたからな。銀髪で恰幅が良いのが旦那様だ。って言っても俺もよく知らんがな! 俺たちみたいな一料理人からすりゃ伯爵さまなんて雲の上の存在だからな」

 「今いらっしゃっていたのでご家族は全員ですか?」


 雑談の延長のように手を止めることなくしらばっくれて見せる。


 「あーそうか、ベルシュタインはこの街に来てすぐだからまだいろいろ知らないよな」


 ベルシュタイン・ディープは隣国のジェルマからの難民、という設定になっている。ジェルマに置かれたこの国の外交官の屋敷で働いていたからこの国の料理が作れる、という設定だ。むろん、何から何まで嘘だが、彼らはこれと言って疑いもしていない。


 「いろいろって、なんです?」

 「ちょっと前に旦那様が第2夫人を迎え入れたんだ」

 「そうなんですか、それはおめでたい! でもさっき、それらしい人はいませんでしたが……」

 「ああ、第2夫人は全く別のところで暮らしてるんだ。って言ってもこの敷地内だが」

 「へえ、じゃあ料理もここじゃないところでその奥様のために作ってるんですね」


 さも当然のように聞くとなぜか相手の言葉が止まった。


 どうしたのかと顔を見るとなぜか気まずそうな、なんとも言い難い表情をしていた。

 何かを知っているらしい。そしてそれは俺が知らなくても問題ないことで、むしろあまり知れ渡ることは推奨されていない。だがそれ以上に、この男はそのことを誰かに話したくて話したくてしょうがない。


 「どうかしたんです?」

 「え、ああ、いやぁ」


 「……大丈夫、俺口硬いんですよ。誰にも話しませんし、今は誰も聞いちゃいません」

 「でもなあ……」


 「俺、馬鹿なんで。聞いてもすぐ忘れちゃいますから」


 ねえ、なんですか?

 もぞもぞと男の口がにやける。

 話したいなら話しやすいように水を向けてやろうじゃないか。だらしない口でも、こういう時は役に立つ。


 「実はなあ……」







 「あーくっそ寒いな……」

 「本当にな……早く春になんねえかな」

 「てかなんでこんな塔の見張りなんてしなきゃならねえんだ」

 「俺も早く他の警備とかしてえ」

 「門番以外」

 「門番以外で」


 広い伯爵家の敷地の端に一つの塔があった。石造りの塔は寒々しく、氷のように夜にそびえ立っていた。


 「お疲れ様です!」

 「だ、誰だ!?」

 「あ、俺先月から厨房の方で働いてる者です。よろしくお願いしまーす」

 「そ、そうか」


 唐突に現れた俺に警戒する二人だが、にこにこしながら挨拶をすると拍子抜けしたように返事をする。


 「それで、料理人が何の用だ?」

 「いえね、こんなに寒い夜に警備してる人たちがいるって聞いて、差し入れを持ってきたんですよ」

 「差し入れ、って」

 「俺まだまだ下っ端でまともに料理出させてもらえてなくて、夜に練習とかしてるんです。ね、俺の練習に付き合うと思って食べてくださいよ」


 人畜無害な笑みを浮かべて人懐こく話せば警戒は溶けていく。

 唐突にものをもらうのは誰であろうと抵抗がある。だが相手が誰だかわかって、そのうえ自分のためにもらってほしい、などと言われれば固辞するのは難しい。


 「そ、そうかじゃあ遠慮なく」

 「ボトルは、スープか! 寒いからありがてえな」


 もっとも、そんなもの勤務中に受け取るべきではないのは明らかなのだが。

 へらへらしながら警備員に手を振り離れる。


 そして30分後に戻ってきたら男たちは見事に寝こけていた。


 「誰だか知らねえ奴から何入ってるわからねえもの口にすんなよ」


 男たちの傍を素通りし俺は塔の上へと昇って行った。








 「実はな、二人目の奥様は隅の塔に住んでんだ」

 「塔……? 別宅とか別棟じゃなくて?」

 「ああ、奥様は塔に閉じ込められてる」


 思わず目の前の男の胸倉を掴んでゆすりたくなるが煮えくり返る腸を何とか鎮めた。

 怒るのはすべて聞いてからで遅くはない。


 「……閉じ込められてるって、奥様なんでしょう? なぜ閉じ込めるんです。そもそも何のために結婚したんですかね」

 「ここだけの話、旦那様は奥様のことを“化け物”と言ってるんだ」

 「化け物……?」


 一際声を低めた男に、俺は怒りを抑えきれなかった。手元で皿がぶつかって音が鳴る。一瞬他の料理人が目を向けたが忙しくて特に注意もされなかった。


 「ああ、よくわからんが。その奥様は金を生むんだと。だから旦那様は結婚した。……ほら、あれだよ。今の旦那様は領地の経営が上手くいってねえんだ。税収が落ちてきてる。そのうえ金を借りようにも、旦那様には返してくれるだろうっていう信頼がない。ご隠居様のころは羽振りも良かったんだがなあ」

 「……じゃあ旦那さま結婚したんじゃなくて金を生むガチョウをもらってきたんですね」


 震える声を押さえつけて、何も気にしていない風に笑う。分厚く仮面を塗り重ねて言い聞かせる。俺は今アンブレじゃない、料理人のベルシュタイン・ディープだ。赤の他人の妻のために怒ったりなんかしない。


 「ああ、奥様には気の毒な話だがな」


 気の毒だなんて思っていないのによくもまあいけしゃあしゃあと言えるものだ。その目は主人の醜聞と化け物という攻撃していい存在を面白がっている顔だ。



 その日のうちに夜の敷地内の警備の配置や交代の時間、顔触れを調べ上げて、次の夜には塔への侵入を決行した。


 冷たい塔を登っていく。物音は何もせず、俺の足音だけが響いていた。夜中だが幸い月明りが差し込んで階段を踏み外すこともない。

 目の前に木でできたドアが現れた。どうしようかと逡巡する。この中にペルラがいる。しかしもう俺とペルラは10年も会っていない。俺の人相はあの頃とは全く違う。もし俺を一緒に暮らしていたアンブレだと気が付かなかったら、知らない男が逃げ場のない塔の部屋に押し掛けてきたことになる。それはさぞ恐ろしいことだろう。

 ペルラの状態を確認したい。けれど彼女を怖がらせることは本意ではなかった。


 「もしもし奥様、いらっしゃいますか?」


 軽くドアをノックする。


 「……こんな夜更けにどなたです?」


 ざわり、総毛だった。

 10年だ。10年間一度も会っていなければ声も聴いていなかった。

 子供のころと今ではきっと見た目も声も違うだろう。けれどわかる。これは間違いなくペルラの声が。

 瞼の奥が熱くなる。


 「俺は先月からここの料理人になったベルシュタイン・ディープと申します。奥様にお食事をお持ちしていないのではないかと思って、勝手ながら伺わせていただいた次第です」

 「……食事ならいただいたわ」

 「俺は奥様のために作ってはいないと思います」

 「じゃあ他の方が作ったのよ」

 「いいえ奥様。ただのパンと冷たい水は、食事を作った内に入りません」


 声が止む。どうやら男の言っていた話は本当らしい。


 第2夫人が金を生むのに必要なのは最低限の食事と水なのだと、酔っぱらって上機嫌な伯爵が言っていた、と。だからパンと水以外いらないのだと。

 道理で食事を運ぶためのキャリーケースがないわけだ。パンと瓶だけなら籠、いや袋の一つでもあれば十分だ。


 「奥様、水とパンだけでは体調を崩されます。こんな寒い日には温かいものが必要です」

 「……」

 「奥様、あなたのお姿を拝謁するのは無礼でしょう。ほんの少し扉を開けていただけませんか? スープをお持ちしたのです。そのボトルが入る程度の隙間を、いただけませんか」


 扉の先から返事はない。

 けれど扉から離れたわけでもないらしく気配はあった。表の警備員の数十倍警戒心を持っているようで安心した。


 「妙なものは入っていません。もし何かあれば俺の首をはねていただいて構いません。どうか奥様、スープを飲んでいただけませんか」


 数十分、沈黙は続いた。けれど扉を開けない限り俺が立ち去らないのを察したらしい。ようやくほんの少し扉があいた。

 俺は話した通り、スープのボトルだけを滑り込ませる。顔を見ず、見せず。ただ渡した。


 「飲み終わったら、またボトルを外に出していただけますか? 部屋にそれがあっては、俺が来たことがばれてしまいます」


 しばらくして、もう一度扉が開いて、空のボトルが突きだされた。持ち上げると液体の入っている感覚はなく、飲んでくれたのだとじんわりと喜びが胸の奥に広がった。


 「ねえどうして、どうしてこんなことをするの? 勝手にこんなことをしたら怒られるでしょう?」

 「ええ知られたら怒られます。でも奥様が誰にも言わなければ怒られません」


 屁理屈と思いながらも、ペルラが話しかけてくれたことに舞い上がって舌が回る。自分がこんな目に遭っているのに、見ず知らずの俺のことを心配する性根は今も昔も同じだった。


 「……優しくしても、泣かないわよ」

 「ええ、どうぞ泣かないでください。奥様が泣くと、俺も悲しい」

 「……泣かせに来たんじゃないの?」

 「どうして奥様のことを泣かせようとしましょう。女性に涙を流させるのは不甲斐ない証ですよ。飾り立てるなら涙ではなく笑顔が良い」

 「ひどい口説き文句ね」


 随分な言われようだ。

 ただ無事だけは確認できた。あとはどうやってペルラをここから連れ出すか、だ。

 通ってものを食べさせて、警備員と同じように薬を持って誘拐、アルジェント男爵邸に戻す、という方法もあるが、できれば薬を盛るのは最終手段にしたかった。


 「スープありがとう、おいしかったわ。ええとベルシュタイン?」

 「おほめに預かり光栄です、奥様」


 空のボトルを持って立ち上がる。万が一にも自分で出ていく頃に警備員が目を覚ましている、という事態は避けたかった。


 「奥様、下賤な身の俺ですが、一つだけ質問させていただいてもよろしいですか?」

 「いいわ、なあに?」

 「奥様、あなたは今、幸せですか?」


 扉の向こうで息を飲んだ音が聞こえた。


 『逃げ出したくなったら行ってくれ』

 『口に出して願え』

 『必ず迎えに行く』


 馬鹿な質問だろう。この状態で、金のために結婚させられて冷たい塔に一人閉じ込められる。一体どうして幸福だと言えるだろう。


 「幸せよ」

 「…………どうして、この状況でそう?」

 「屋根があって、守られて、食事もある。それだけで十分よ」


 ペルラの声はそれ以上の質問を許さないような強い意志を載せていた。

 返す言葉もなく、俺は黙り込んだ。


 「……奥様はつつましいのですね」

 「生きているだけで十分よ」

 「馬鹿な質問をお許しください。それでは俺はこれで失礼します」

 「ええ、ありがとう。けどもう来なくていいわ」

 「またおいしいものを持ってお伺いします」

 「来なくていいって言ったの」


 今度こそ返事はせず、俺はボトルを抱えて塔を駆け下りた。

 まだ助けを求めない。これでいいのだとペルラは言う。

 ペルラは助けを必要としていない。複雑に絡まり合う怒りと戸惑いを振り払うように、走った。


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