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2 二人の犯人

 この世界は理不尽だ。

 大抵のことは生まれた場所と環境によって決まり、よほどのことでもない限り、そこの枠から抜け出すことはない。

 だがごくごくまれに、誰かの理不尽さによってその枠から抜け出すことがある。


 「おはようさん、手紙来てるぜ」

 「あらありがとう、アンブレ! 今日も元気ね。若い子はうらやましいわ」

 「はいはいどうも」


 大きな肩掛けバッグから手紙を出して家々を回る。

 俺が掏りをやめてまっとうに働きだしてから早いことに10年が経った。

 12歳だった俺は22歳になり、掏りではなく郵便配達員として生計を立てている。

 あの薄汚い街ではなく、都市部で小綺麗な治安の良い街は、過去の俺のことなど知らない。ドブネズミのような子供がよくもまあこのお上品な街並みに溶け込むことができたものだと、我がことながら嘆息する。


 どれもこれもマウロ・アルジェント男爵のおかげだった。

 端的に言って、男爵は実に真面目だった。いやパン屋の親父に勝る善人であった。

 権力を振りかざし俺から家族を奪った割には実直で、俺との約束を守って見せた。

 あの日馬車でこの街、アルジェント男爵の住む屋敷に直接連れてこられた。ペルラともども、あれよあれよと使用人に身包みを剥がされ、いい匂いのする石鹸で隅から隅まで洗いつくされた。そして綺麗な寝間着着せられベッドへと放り込まれた。あまりのスピード感に俺もペルラも呆然としていた。

 翌日から俺とペルラには家庭教師が宛がわれ最低限の知識と教養を叩きこまれた。

 てっきり翌日にはすぐに俺は屋敷から追い出されるものかと思っていたが、いわく


 「君に仕事を斡旋するのは私だ。まともに読み書きもできない非常識な子供を紹介することなどできない」


 まったくもってその通りだが面食らった。

 男爵が欲しいのはペルラで、どちらかと言えば俺のことは致し方なく口封じのために連れてきたのだ。にも拘わらず至れり尽くせりだ。

 それでも余計なことは言わなかった。ペルラと一緒にいられる時間があるなら、それを断る理由もない。むやみに藪を突きたくはなかった。

 3か月ほどで、俺の振る舞いは男爵から及第点を得た。そして紹介されたのが男爵家の分家の屋敷の使用人だった。

 なるほど男爵からは紹介しやすく、奉公に出ている子供としておかしくはない。


 「今日からここが君の家であり、職場だ。悪いようにはしないだろう」

 「…………」

 「君は私が街で拾った孤児だ。両親を亡くし行く当てがないのを私が偶然見つけ、偶然私の気が向いて拾った。そして教養を与え独り立ちさせたアンブレだ」

 「……ああ」

 「君に妹はいなかった。それが真実だ」


 淡々と俺に告げた男爵におとなしく頷いた。

 覚悟はとうに決まっていた。


 「必ず守ってくれ。あいつが幸せに暮らせていないなら、俺はいつでも攫いに行く」

 「君が攫えるようになるのがいつになるか知らないが、そんなことにするつもりはないさ」


 そうして俺は妹をなくし、天涯孤独な孤児として、貴族の屋敷の使用人となった。



 12歳から18歳まで使用人をしていて、自分が存外器用なことに気が付いた。

 嘘が上手くて、猫かぶりが上手。人前に出しても恥ずかしくない振る舞いができる。客の応対もできれば掃除洗濯も得意。馬の世話もできれば料理もできる。屋敷の使用人となったことであらゆることに手を出すことができ、器用貧乏さをいかんなく発揮させた。

 その甲斐あって18になるころには俺は大抵のことは何でもできるようになっていた。貴族の元へいたこともあり、立ち振る舞いもかつて薄汚い街にいたころとは比べ物にならない。屋敷では食べ物に困ることもなく、寝るところにも着るものにも何一つ不自由しなかった。子供ということもあるだろうが、屋敷では大層可愛がられ、大抵の人間がよくしてくれた。そうでなくとも突然の理由のない暴力に見舞われることはない。


 18を過ぎてからは屋敷を出て仕事を転々としていた。あれこれと違うものを学んでいくのが面白かったのだ。幸い一通りのことはできたし、使用人時代に溜めた貯金で住むところにも困らなかった。もう子供でもないため後見人等を問われることはない。

 どこから情報が洩れているのか知らないが、どこで働いてもなぜか男爵家の関係者が客として来る。見張られている、という威圧感はないが、きっと男爵が調べさせているのだろう。男爵が俺に会いに来ることはない。だが俺の動向自体は知っておきたいのだろう。それで困ることもないので特に文句を言ったことはない。


 俺は12歳から22歳になった。

 ペルラは8歳から18歳になった。


 男爵家から出てから、彼女の姿を一度も見ていない。会いに行こうと思えば、会いに行けるだろう。だが俺が下手なことをすれば、ペルラの迷惑になる。今の俺たちは他人なのだ。分家の屋敷で噂で漏れ聞く程度、街で噂を聞く程度だが、ペルラ・アルジェント男爵令嬢はとても聡明で美しい娘らしい。

 きっともう彼女はやせ細ってはいない。少し古いパンをもらって喜ぶことはない。砂埃にまみれることもない。寒さに震えることもない。

 その事実に安心できることが嬉しかった。


 たとえ二度と会えなくても、もう俺の妹じゃなかったとしても、今でもペルラの幸せを喜べることが、まだ家族として愛せていることが、俺の支えになる。

 ペルラに迷惑をかけないために、俺は赤の他人でいよう。

 でももしもう一度会う機会ができたなら、まっとうな大人として、彼女に会いたい。

 ペルラが心配などしないように。

 いつか万が一の時、俺が迎えに行けるように。





 「そう言えば、男爵のお嬢様が結婚したらしいぜ」


 それは突然のことだった。

 偶然街で出会った分家の料理人とバルに入ったとき、ほんの酒の肴のように奴は言った。


 「……結婚?」

 「ああ、お嬢様も18だからなぁ」

 「誰と?」

 「この街の西の方に大きなお屋敷あるだろ。そこの伯爵だ。確か、アレナリア伯爵、だっけ?」

 「ふうん」


 興味のなさそうな声で返事をしてジョッキを煽った。涼しい表情は得意だ。けれど俺の内心は荒れ狂っていた。


 「……伯爵が、なんで男爵令嬢を? 伯爵からすれば利がないだろ」

 「どうもお嬢様に夜会で会って一目ぼれしたらしい。まあ伯爵さまが欲しいって言ったら男爵じゃ逆らえないよな」

 「やばい奴なのか?」

 「まさか、やばい奴なら男爵様が流石に許さないさ。男爵はお嬢様のことを可愛がってるしな。いざとなったら全力で守ろうとするだろ」


 いろいろと言いたい言葉は酒とともに飲みほした。


 なるほど、やることは決まった。







 「旦那さま、お客様がお見えなのですが」

 「客……? 今日は誰とも会う約束はないと思うが」

 「ええ、アポイントは取っていないと。ローシ・イャンターリさま、北方のレヴノフ王国の外交官だそうです。旦那様とは古い知人だとおっしゃっているのですが、いかがいたしましょう」

 「ローシ・イャンターリ……、わかった。応接室へ通せ。人払いもしてくれ」

 「よろしいので?」

 「構わん。古い知人だ。随分と出世したようだがな」





 「お久しぶりです、旦那様。先ぶれも出さず、急な訪問となりまして申し訳ありません」

 「まったく不躾だ。それも胡散臭い名前を付けて。“嘘”に“琥珀”とは、わかるものが聞けばすぐに正体などばれるだろう。相変わらず他人を小馬鹿にしているなアンブレ」


 にっこりとそれらしい胡散臭い笑みを浮かべた。


 「小馬鹿にしているつもりは毛頭ありません。ただ貴族の当主を突然訪問しても許されそうで、あまり知られていない国の者で、かつ旦那様には何者かわかるようにしたかったので」


 ペルラの結婚の話を聞いてすぐ家へ帰り一番上等な革靴とコートを引っ張り出し、整髪剤と化粧で年嵩を装った。表情は余裕がありそうで、笑うと口元に皺が寄る。目じりは下げるが、目は笑わない。年のわかりそうな首元と手首を隠し、中を着こみ恰幅をよく見せればもう別人だ。


 こちらの国ではあまり知られていない北方の国名の外交官を名乗り、貴族らしく、厳格な役人らしく振舞えば、その辺の人間であればあっという間に信じ込む。詳しく知らないことを聞くと、ついつい相手の言うままになってしまうのだ。それらしく見えれば、たとえ素顔の顔見知りでも、俺の顔が頭を過ることもない。


 生まれつきの貧乏人でも、装いを変えれば騙すことは容易だ。

 そして思惑通り男爵家の使用人たちは怪訝に思いながらも俺を屋敷の中に遠し、男爵だけが俺が何者か気が付いて招き寄せた。


 「それで、わざわざ変装までして何の用だ」

 「なんの用かもわからないか? 耄碌するには少し早すぎるんじゃないのか」


 入念な紳士の皮をかなぐり捨てると男爵はわざとらしくため息を吐いた。


 「ペルラが結婚することになった」

 「……他人事みたいな言い方だな」

 「残念ながら逆らえない相手だからね。あちらは自領持ちの伯爵家。こちらは領を持っていない成り上がりの男爵家。吹けば飛んでしまうさ」


 優雅にティーカップに口をつける男爵に隠すことなく舌打ちをする。


 「それで相手は?」

 「相手はアレナリア伯爵。年は32歳。領地は広大で名産品はブドウ。古い貴族だ。数年前に代替わりしている。妻はスヴェーバ・アレナリア。つまりペルラは第2夫人になった」

 「はあ……?」

 「そこに怒るのか。伯爵家の第2夫人なら一般的には十分な身分だぞ」

 「ペルラを1番に愛さない奴が夫になるのか。それも10以上歳が離れてる」

 「それもよくある話だ。珍しくもなんともない」


 よくあるだとか珍しいだとかそんなことはどうでもいい。


 「大体あんたもあんただ。ペルラを他所にやっていいのか? 子供がいないから欲しかったんだろ。婿をもらうならともかく嫁に行かれて困るのはあんただ」

 「ああ本当に。だが先代の伯爵が私の恩人でね。その息子の願いとあらばそう無碍にはできない」


 恩人、という言葉に妙な違和感を覚えた。いやむしろ10年ぶりに話す男爵は違和感だらけだ。かつて自分にとってあまりに強く、偉そうで恐ろしかった男爵が、いやに人間染みている。男爵家は位が伯爵より低いだとか、恩人がいるだとか。


 久しぶりに会った男爵はかつての記憶よりはるかに人間らしかった。


 「……それで、こんなことを聞きに来てどうする? お前に何ができる。この結婚は一般的に言えば幸福なものだ」

 「…………」

 「ペルラはここで男爵令嬢となり、あらゆる教養を得て、古今東西の言語や文化芸術に造詣を深めた。貴族として立ち振る舞いを覚え、常識を身につけた。約束通り、飢えることなく、屋根や着るものにも困らず、彼女が望むものを私は何でも与えた。……もっとも、彼女が望むものはどれも実用的なものか教養そのものだったがね」

 「……アルジェント男爵、あんたのことは信じてる。あんたはガキでなんの力も持たない俺との約束を律義に守った。ただ攫うだけでも良かったペルラの話を聞いて選択させた。あんたがペルラのことを大事に扱っていたことと、ここでの暮らしが幸福であったことは疑ってない」


 男爵は貴族でありながら愚直だ。いくらでも俺たちを騙せたはずなのに、あくまで対話した。それが対等でなかったにしろ、最低限の誠意を俺たちに示した。


 少しだけ皺の増えた顔を真正面から見据える。

 もうあの頃のように男爵を見上げることも睨みつけることもない。


 「だがその伯爵は別だ。ペルラの幸せを保証しない」

 「神には誓っていたようだが?」

 「この世の神と貴族の誓いはあいにく信用してないんでね」

 「彼女の迷惑にならないよう、会わないんじゃなかったのか?」

 「あっちに俺だとわからないならいいだろ」


 話しながらなんとか伯爵家へと潜り込む算段を立てる。

 今の郵便配達員でも伯爵家の敷地内へは入れる。事務室までだが運が良ければ姿を見られるかもしれない。もしくは郵便配達をやめて伯爵家の使用人として雇われるか。

 今の俺ならいくらでもルートはあった。


 「……伯爵家では今料理人の募集をしているらしい」

 「……はあ?」

 「どうも一人辞めたばかりらしい」

 「…………あんた」


 眉間に皺が寄るのを感じた。男爵は涼しい顔をしてカップを煽る。


 「手頃だろう?」


 口の端をゆがめて笑った。

 どこまでもどこまでも、俺はこの食えない男爵の手のひらの上らしい。


 「そうかい、じゃあ次は料理人にでもなるさ。伯爵家なら食材がよさそうだ」


 ここまで話が聞ければ十分だ、と立ち上がる。捨てた紳士の皮を被り直し、声色を調整する。ペルラがいないこの屋敷に用はない。


 「ところで私は後継ぎがいなくて困っている」

 「そうかよ」

 「ペルラがいたのに取られてしまった。私が手塩にかけて育てていたのに」

 「俺もだよ」

 「何か正当な理由があれば彼女がここへ戻ってくることもできるんだが」


 いっそわざとらしい口調に手を止めた。


 「どういう意味だ?」

 「そのままの意味だ。恩人の息子の言うことだから取り戻すに戻せない」


 アルジェント男爵はペルラが嫁入りすることに納得していない。彼女が戻ってくることを願っている。

 戻ってきてほしいと思うのは後継ぎの問題だけか。


 「……さっきあんた、“一般的”って言葉やたらと使ってたな」

 「そうだったかい、耄碌してるから忘れてしまったよ」

 「白々しい」


 はっきりしない物言いに苛立つ。貴族というのはそういう者なのだろうか。立場として言いづらいことなのだろうが、他人払いまでしているのだからはっきり言えば良いものを。


 「伯爵は決して悪い噂は聞かないよ。ただ領地経営は今の代になってから傾き始めらたしい」

 「…………」

 「君は伯爵がどうしてペルラと結婚しようとしたか聞いているかい?」

 「伯爵が、夜会でペルラに一目ぼれしたって」

 「ペルラに最初に目を止めたのは伯爵の連れていた護衛だ」

 「護衛?」


 鸚鵡返しをしてしまうが、本質が見えてこない。伯爵ではなく、護衛。ならばペルラを欲しがったのは護衛なのか。


 「その護衛が言っていたらしい。アルジェント男爵令嬢は、涙が宝石に変わる奇妙な娘だと」

 「っな……!」

 「すべては探らせたまた聞きだ。真実か否か定かではない。そして遣いを走らせるだけの私は確証を得ることはできないし、今更ペルラを連れ戻すだけの正当な理由もなければ、彼女の幸福の如何を確かめることもできない」


 男爵は口の端をゆがめた。


 「心配だとは思わないか、アンブレ」


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