インスタント肉
俺は命からがら逃げ出した。しかし金をあのじいさんに盗られてしまった。くそぅ、死にかけのジジイだと思って油断した。
生きてさえいれば何とかなるとよく言うが、どうすんだこれ。誰も身寄りのない未来の町で、一文無しになってしまった。あるものと言えば9つのインスタント恋人のタマゴだけ。
なんとなく嫌な予感を抱きながら、俺は仕事を求めてまたあの老婆の仕事場へ行ってみた。
『アルバイト募集』の貼り紙はなくなっており、代わりに『竹田ゆうじお断り』の貼り紙が貼ってあった。
俺はそれでもドアをノックした。返事がないので大声を上げた。
「トカゲのしっぽを赤く塗らせてください! トカゲのしっぽだけを赤く塗らせてくださいよぉ!」
すると老婆が顔を出し、「おめえに塗らせるトカゲのしっぽはねぇ!」と言って塩をかけて来た。
「痛い! 痛い!」
俺は目に塩が入り、泣きながら逃げ出した。
殺風景な街角のコンクリートに座り、俺は溜め息をついた。公園を見つけて休もうと思ったのだが、どうやらそんなものはないようだ。
車は一台も走っておらず、代わりというように4輪のスクーターがたまに通って行った。セニアカーというやつだな。時速15キロぐらいのスピードで、乗っている老人の中にはどう見ても居眠りしているのもいた。
見渡す限り老人ばかりで、若者のいない世界だ。建物も白と黒と灰色ばかりで、混ぜ合わせたらシルバーになる世界だ。
腹が減った。考えたら老婆にインスタントカレーをご馳走になってから何も食べていない。
しかし金はなく、日雇いの仕事にもありつけなかった。
レストランの残飯を漁ろうにもレストランが見当たらない。店はすべてタマゴを売っている店ばかりだ。
俺は自分の足下に置いた風呂敷包みを見た。
中には9つのインスタント恋人のタマゴが入っている。
俺はふと考えた。
『これって作れるのは恋人だけなんだろうか……』
俺は人目につかず、タマゴが爆発しても影響の少なそうな場所を探して、河原の橋の下にやって来た。
柱に打ち付けられた金属のプレートがあった。2031年に完成した橋らしい。50年以上経っているような感じのくたびれた橋だった。
平らな場所にタマゴをひとつ置くと、俺はパスワードと展開方法を記したメモを取り出した。
パスワードを指で刻み、そのままその指でもにょもにょとクロスを切る。他のタマゴの展開のさせ方は知らないが、これとトカゲと赤い塗料の作り方だけはしっかり覚えた。
俺は頭の中で完成品のイメージを描く。イメージしたものが即席でタマゴの中から作り出される。
しかし今回、俺がイメージしたものは恋人の姿ではなかった。
肉だ。
これうまそうだなぁ、食べてみたいなぁ、と常々思っていた、マンガの肉だ。
あの、両方から骨の突き出た、茶色い、丸々とした、アレだ。
これはインスタント恋人を作るためのタマゴだ。作る時にイメージした姿の恋人が出現する。
ならば、恋人ではなく食べ物をイメージすれば、食べ物が出来る筈じゃないか?
俺は今、食欲に支配されていた。
肉だ!
肉が食いてぇんだ!
女なんぞいるかボケェ!
しっかり焼いた、但し肉汁ほとばしる肉を寄越せ!
タマゴが輝き、爆発した。
橋の柱に吹っ飛ばされて叩きつけられた俺は、すぐにその反動を利用して駆け寄った。
ようこそ、肉!
そこには夢に見たあのマンガの肉が出現していた。
そして肉は動き、女の子の声で喋った。
「ゆうじさん、好き」
俺は聞く耳も持たずに肉の両側に突き出た骨を両手で掴むと口を開け、犬歯も臼歯も唇も舌もすべて使ってかぶりついた。
「うぎゃあああ!」
肉が叫び、血がほとばしる。
うまい!
絶妙な火加減で調理されている!
「やっ、やめ……ううっ! うぎいぃいいい!」
悲鳴を上げる肉を俺は無慈悲に貪り続けた。塩加減も絶妙だ。
あぁうまい、うまい。生きるってのはこういうことを言うんだなぁ。
「『うおっ……、ぅぉっ……」
肉の断末魔が小さくなって行く。
うまかった。
あぁ、ビールが欲しいなぁ。
俺は夜空の月を橋の下から見上げながら、満腹感とホームシックに包まれていた。