インスタントホーム
俺の恋人は海の上の空高く飛ばされて行ってしまった。俺は手を伸ばしたが、届くわけもない。
……。
まぁ、いいや。情が移っちまう前でよかったと俺は思い直し、手に持っている風呂敷包みを見た。まだインスタント恋人のタマゴは9つもあるのだ。
しかしその前に住むところが欲しい。産まれてすぐの恋人を一緒に路頭に迷わすのは申し訳ない。この時代に永住する気は今のところないのでインスタントの家でいい。
この時代は確かに便利だが、何をするにもパスワードが必要なのが面倒臭い。まるで何をするにも翻訳アプリが必要な外国にいるみたいだ。
欲しいタマゴを買えるだけ買って、元の時代に持って帰れるのが理想だ。タイムパラドックス? そんなもん知らん。
そう言えばひかりがインスタントホームを買おうと言ってたな。
とりあえずそれを買って、9人のインスタント恋人と一緒に住もう。
ふふ。すべての男の夢、ハーレムってやつだな。
俺は町に戻ると、テキトーに店を探した。どの店でも売っているものはタマゴだけなので、どこでもいいのだ。
看板に『店』とだけ書かれた店のひとつに入ると、老婆の店員が俺をじろりと見た。
「インスタントホームください」
俺がそう言い終わらないうちに老婆は殴りかかって来た。
どこの店でもそうだった。早いところになると俺が店の前に立つなり老婆がドアを蹴破ってドロップキックを放って来た。
どうやら俺を追い出したあの老婆に嫌われると、同じ顔をした町の老婆すべてに嫌われるようだ。
困った。どこの店員もすべてあの老婆なので、これでは今後、俺は買い物が出来ない。
町を歩いている人達は違った。町にはそれぞれ別の顔をした、さまざまな老人が歩いている。
俺はヨロヨロと転びそうになりながら歩いているおじいさんに声を掛けた。
「あのう、すいません」
「なんじゃな? デジタルの時代から来なすったお方」
おじいさんは俺の「すいません」の「ま」にかぶる勢いでそう言った。
「……なんで俺がタイムトラベラーだってわかるんですか?」
「面倒臭いからじゃ」
またこの答えか……。俺はそれ以上聞くのをやめ、気になっていたことを聞いた。
「今は西暦何年なんですか?」
「そんなことに意味あるか?」
「意味はあるでしょ」
「アナログの時代の次がデジタルの時代、デジタルの時代の次がインスタントの時代。それだけじゃ」
そうか。俺のいた時代の、ほんの次の時代なのか、ここは。
「しかし……失礼ですが、どうしてこの時代はこんなにご老人ばかりなのですか」
俺が聞くと、おじいさんは凄く面倒臭そうに、しかし答えてくれた。
「うちの子も、孫も、みんなインスタントドリームを買って、夢の中へ行ってしもうた。子孫を残すモンが誰もおらんから、老人ばっかり残る」
「おじいさんは買わないんですか? インスタントドリーム」
「無理じゃよ。どうしても朝早く目が覚めてしまうからな」
なるほど。老人は目覚めが早いからか。俺はなんとなく納得した。
「ところでお願いがあるのですが」
「なんじゃ」
おじいさんは面倒臭そうに何度も歩き出そうとしながらも、俺との会話を楽しんでいるようでもあった。
「インスタントホームのタマゴを買って来てほしいのです。俺の代わりに」
そう言いながら俺は金を見せた。
「ついでに自分のインスタントほうじ茶も買ってええか?」
「どうぞどうぞ」
老人は歯のない口を大きく開けて笑い、とても嬉しそうにスキップを始めた。
「若者がおらんからワシらの年金ゼロなんじゃ。喜んで、このお金、使わせて貰うぞいっ」
「あ、いや……。あげるわけじゃな」い、と言うのも聞かずに駆け出した老人を俺は追った。
すぐそこにも店があるのに、わざわざ少し離れたところの店に老人は飛び込んで行った。しかしなんて足の速さだ。ついさっきまでヨロヨロと転びそうになりながら歩いていたくせに、金を渡した途端に俺をぐんぐん引き離す勢いで走り出した。
俺は荒い息を整えながら、店のドアを開けて老人が出て来るのを待った。5分ぐらい待った。遠くから窓の中を覗く。老人は老婆と何か話をしている。もう5分ぐらい待った。中を覗くと老人はおらず、老婆がライフル銃を構えてこちらに向けるのが見えた。