第4怪 4時44分44秒③
「来たわよ!」
早朝、4時30分。
2人はその数時間前から、学園の敷地内で息を潜め、寒空の下赤羽根会計がやって来るのを待っていた。ようやく現れた人影に、たからが声を上ずらせたのも無理はない。
昨日から降り続いていた雨は明け方になって止み、グラウンドには所々水たまりが出来上がっていた。夜明け前の校庭は真っ暗で、普段は生徒たちのおしゃべりや笑い声で溢れている校舎も、今はシン……と静まり返っている。そんな時間帯に、たからの目論見通り、会計管理担当・赤羽根忠仁が姿を現した。
「早いですね」
七雲が大きく欠伸をしながら、草むらの陰に身を潜めるたからの元へと戻って来た。彼女は小さく頷き、囁いた。
「ええ。赤羽根くんは真面目過ぎて、子供の頃から『5分前の5分前行動』を続けて行くうちに、今では2時間前にはどんな仕事にも取り掛かるようになったらしいの」
「なるほど。それで、わざわざ登校時間の2時間前に……」
七雲は驚いたような、呆れたような顔を浮かべて頷いた。
当の赤羽根は2人にこっそり見られているとも知らず、まだ誰もいない暗い校門前に脚立を並べ、せっせと『遅刻検問』の準備を始めていた。
「それにしても……」
たからもまた、少し眠そうに欠伸を噛み殺しながら呟いた。彼女ご自慢の艶のある黒髪も、今朝は後ろで結ぶこともしてない、至極簡素なものになっている。
「【時間を止める】だなんて、アンタ一体どうするつもり?」
「もうすぐですね」
七雲はたからの問いかけには答えず、校舎の壁に備え付けられた時計を見上げた。たからもそれに釣られて顔を上げる。東校舎の丸時計は、秒針をゆっくりと動かし続け、今現在午前4時31分を指していた。七雲は嬉しそうに、カバンから真っ黒な小箱を取り出した。
「何それ?」
「これは、【時間停止装置】です」
七雲が箱を開けると、中にはいくつかボタンがついていた。たからがため息を漏らした。
「バカ言ってんじゃないわよ。この科学全盛の時代に、まさか本当にそんな魔法みたいなこと……」
「しっ!」
口を開こうとしたたからを、七雲が指で制した。
七雲が黙って校門の方を指差した。たからが暗闇に目を凝らすと、
「……あれ、何?」
何やら向こうで、大勢の人影が蠢いているのが見えた。
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「何だ、あれは……?」
校門前に設置した脚立の上から、赤羽根が怪訝そうな顔をして暗がりの道路を見つめていた。彼の赤い『AIグラス』の向こうには、清シャルム学園の制服を着た数十名の若い男女が、フラフラと校舎に向けて歩いてくるのが写っていた。
赤羽根は唖然として彼らを見つめた。
その生徒たちは、顔の真ん中に何故か、真っ赤な『違反切符』を貼っていた。昨日まで生徒会長や、赤羽根が遅刻してきた生徒に配っていた『切符』だ。両手を前にだらんと伸ばし、「あ〜……」、「あ〜……」と小さく呻き声を上げているその姿は、まるで中国の伝統的な妖怪・キョンシーを思わせた。
「タチの悪い、冗談だ……!」
その異様な光景に一瞬気を取られた赤羽根だったが、すぐに自分の仕事を思い出し、彼は拡張器を手に大きな声を張り上げた。
『止まれ! 開門は6時30分だ! たとえ妖怪といえども、登校は許可されていない!!』
「あ〜……」
「う〜……」
しかし『違反切符・キョンシー』の群れは赤羽根の制止に全く耳を貸さず、ズルズルと足を引きずりながら前進を続けた。
「あ〜……!!」
やがてキョンシーたちは閉じていた鉄の門に群がり、その隙間から赤羽根に向かって手を伸ばした。突き出された無数の手の蠢きに、流石の赤羽根も薄ら寒いものを覚え始めた。どうやらただの不審者とは、訳が違う。
「やむを得ん。こうなったら、実力行使を……」
彼が脚立を降り、職員室にスタンガンや放水器を取りに戻ろうとした、その時。
「何だ!?」
すぐ背後からガシャアアアァン!! と大きな音がして、彼は思わず身をすくめた。その音が合図だったかのように、目の前のキョンシーたちが一斉にピタリと動きを止めた。赤羽根が慌てて振り返ると、東校舎の3階の窓ガラスが、13枚、全部廊下側から粉々に砕かれて割られていた。
「一体、何なんだ……?」
赤羽根が校舎に目を凝らし、ゴクリと唾を飲み込んだ。
異様なのは、その後だった。
割られたガラスの破片が、何故かそのままの形で、下に落ちることなく空中で固まっている。赤羽根はあんぐりと口を開けた。さらにその窓ガラスの上、丸い壁掛け時計は、『4時44分44秒』を指したまま、動かなくなっていた。
「そんな……」
彼は急いで自分の『AIグラス』と、それから左腕の『スマートウォッチ』を確かめた。
時刻は、4時44分44秒。
……そのままだった。赤羽根がしばらくデジタル表示を眺め続けても、時計はそれ以上進まなかった。
「こ、故障か!? そんな、バカな……」
不測の事態に冷や汗を感じつつ、彼はもう一度校門の方を振り返った。キョンシーたちは鉄格子の隙間から手を伸ばしたまま、ピクリとも動かない。辺りは暗闇の中、シン……と静寂に包まれていた。まるで、時が止まってしまったかのように……。
「う……!?」
赤羽根は思わず後ずさりした。
彼の踵が、グラウンドに出来ていた水たまりに触れたその瞬間、
「うわああああぁ……っ!?」
水たまりは一気に凍てつき、あっという間に氷になってしまった。当然の出来事に、赤羽根は思わず悲鳴を上げ尻餅をついた。彼のカバンから、ぬかるんだ土の上に中身がぶち撒けられる。すると、再びガシャァアアアアン!! と大きな音がして、彼は顔を青ざめさせたまま東校舎を振り返った。
その瞬間、赤羽根は驚いて目を見開いた。
先ほど確かに空中で静止していたハズのガラスの破片は、まるで何事もなかったかのようにすっかり消え去り、窓は元通りになっていた。時計の針は44からゆっくりと45の位置まで登り、止まっていた時が、再び動き出した。そして……。
「あぁぁぁあああぁ〜ッ!!」
「ひっ……ひぃいっ!?」
目の前で固まっていたキョンシーたちも動き出し、さらに勢いを増してガシャガシャガシャ!! と鉄門を揺さぶり始めた。
「何なんだ……何なんだこれはぁあっ!?」
「オイ!!」
パニックになる赤羽根に、校門の向こう、群がるキョンシーの群れのさらに奥から、突然怒鳴り声が響き渡った。
「どうなってんだよ!? ンだ、こいつら……!?」
「君は……!」
そこにいたのは、二神晴人だった。新聞配達用の原付バイクにまたがって、二神が目の前の”あり得ない”光景に顔を歪ませていた。
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「ホントにどうなってるの、これ?」
一連の騒動を草むらの特等席で眺めていたたからが、呆然とした顔でそう呟いた。隣で七雲が色めき立った。
「これこそ正にオカルト、学校の怪談ですよね。夜中の4時44分44秒に学校の時間は止まり、その間に校舎にいた生徒は、”悪しきモノ”たちによって恐怖の異世界に引きづり込まれる……!」
「真面目に答えなさいよ。”ユピテル”!」
興奮気味に鼻息を荒くする七雲を軽くあしらって、たからは『AIグラス』のデジタル・ノンセクション・アシスタントを呼び出した。
『お呼びでしょうか、お嬢様』