《刑事課長・朝見陽一の事件簿》 第二話 京都一人旅の女
短編推理小説
《刑事課長・朝見陽一の事件簿》
第2話 京都一人旅の女
京都一人旅の女1;プロローグ
1995年4月上旬の夕刻 JR京都駅
夕方5時前。
東京発新大阪行きの新幹線のグリーン車から和服姿のひとりの女性が京都駅ホームに降り立った。
結城かすりの着物に塩瀬の名古屋帯を締め、和服としては洒落た軽装である。
手には小さな白銀の和装ハンドバックを持っている。
烏丸中央改札口を出た和服の女性は塩小路通りの赤信号で青になるのを待ってから通りを渡った。
そして、名店街のある9階建ての駅前ビルのエレベータに乗った。
そして、7階でエレベータを降りた。7階には京都Tホテルのフロント・ロビーがある。
「いらっしゃいませ。」
「香取君代です。」
「はい。香取様、お待ちしておりました。本日よりダブルルーム4箔のご予約で承っております。それでよろしいでしょうか?」とフロント係りの女性が言った。
「はい。」
「それでは、この宿泊者カードにご住所とお名前をご記入ください。」
「ところで、荷物は着いておりますか?」
「失礼いたしました。2個のスーツケースが到着しております。お部屋にお運びしておきました。」
「そうを、ありがとう。」
宿泊者カードへの記入が終り、フロント係が部屋のキーを渡した。
「5階の511号室でございます。地下には大浴場もございます。良いご旅行になりますようにお祈り申し上げます。」
「ありがとう。」
ルームキーをハンドバックに入れ、和服の女性はロビーの北サイドにあるコーヒーラウンジへ入った。4人掛けの円形テーブルに一人で座り、男のウェイターを呼びミルクココアを注文した。
京都Tホテルのミルクココアは牛乳とココアと砂糖のブレンド具合が絶妙でグルメ雑誌に名品として紹介されたこともあった。
女性は和服を着なれている様子で、ココアを嗜んだ後ウェイターを呼び、ビルに部屋番号と署名を書いた。そして、エレベーターに向かって歩いて行った。
京都一人旅の女2;依頼
京都府警本部 刑事部組織犯罪対策国際課
朝見陽一が事務机に向かって座って、書類を読んでいる。
机上の電話が鳴った。
「おはようございます。京都府警本部 刑事部組織犯罪対策国際課でございます。」
「おはよう、朝見君。刑事局長の橘倖史朗です。」
「はい。何かご用でしょうか?」
「うん。ちょっとお願いが出来たので電話したのだが・・。」
「承ります。」
「実は、私の従兄が京都に住んでいるのだが、警察に相談したい事があるようなのだ。社会的立場があって極秘に対応して欲しいと言っているのだが、朝見君、受けてもらえるかね?」
「はい、承知しました。」
「それでは、電話番号を伝えるから、君から電話を掛けてくれるかね。今なら、電話の前で待っていると言っていた。」
「畏まりました。ところで、御親戚の方のお名前は?」
「ああ、失礼した。橘徳七と云います。」
「はい? 橘徳七さんですか・・・?」と陽一が訊き直した。
「そう。橘徳七ですが、何か?」
「橘証券の方ですか?」
「そうです。浅見君はそれを知っていたのかね・・・。」
「ちょっとお尋ねしてよろしいでしょうか?」
「何を改まって訊きたいのかね?」
「橘財閥の創始者は橘公徳さんでしょうか?それとも、橘徳七さんでしょうか?」
「はっはっは・・。公徳と徳七ね。なるほど、なるほど。」と刑事局長は笑いながら言った。
「何か、間違っていますでしょうか?」
「どちらも正しいです。」
「はあ、如何云う事ですか?」
「橘財閥は両替商が始まりです。江戸時代から明治初期までは両替商が今で云う銀行の役目をしていました。しかし、明治新政府によって為替会社や国立銀行が設立されることによって両替商はその役目を徐々に終えて行きます。江戸末期に京都の貧乏国学者の家に生まれた橘徳七は若くして両替商の大坂屋に奉公に入りました。お金を稼いで家族を養うのが目的でした。学問が出来て優秀だった徳七は明治初期に大坂屋の養子になり、大坂公徳と改名しました。養子になると同時に京都伏見にあった大坂屋伏見支店の運営を任されます。しかし、その1年後に大坂屋本店の主人である大坂弥兵衛が死亡し、未亡人は両替商の廃業を決意しました。そこで、大坂屋を譲り受けて、両替商・橘商店を名乗り、名前を橘公徳としました。しかし、銀行に両替の役目を奪われ、明治中期になって両替商は手形割引などの為替両替の手数料でなんとか存続します。公徳の長男は信太郎と云い、東京と大阪に出来ていた証券取引所に興味を持っており勉強をしていました。そして、信太郎の知識と度胸を使って株式売買で大儲けをした橘商店は株式会社となります。この時、橘公徳は名前を養子になる前の橘徳七に戻しました。だから、橘徳七は橘公徳でもあるのです。その後、国債や公債を扱い、事業を拡大して行きました。そして隠居し、信太郎に2代目徳七を譲ります。この時から橘家の当主は代々、徳七を名乗ることになるのです。
2代目徳七は大正時代になって橘銀行を創立し財閥の基礎を固めました。彼は橘銀行の中に証券部を設立します。戦後の財閥解体で橘銀行は無くなりましたが、2代目徳七は証券部を橘証券株式会社にし、京都伏見に本店、大阪天満橋に支店を置いて創業しました。現在の橘証券社長の徳七は3代目です。私の従兄である3代目の本名は橘正和と云います。だから、隠居すると徳七から正和に名前を戻すことになるでしょう。」
「そう云う事ですか・・・。」と陽一は三条亭の隠居から見せられたアルバム写真の橘公徳と遠藤係長から聞いた橘徳七が同一人物であることを納得した。
「ところで、君の細君と二人のお子さんも3月末頃に京都へ引越したそうだが、元気かね?」
「はい。元気に生活を始めました。娘の智美はノートルダム幼稚舎に入園して8日から通園する予定です。雅人はよちよち歩きですが元気です。」
「それは何よりです。それで、奥さんはどうかね?」
「幼稚園のバスがマンション前に来てくれるので、送り出した後はお寺巡りをすると息巻いております。今週は母が京都に遊びに来ていますので、密かにその算段をしているようです。母に子供たちをまかせて、出かけるようです。」
「そう云えば、和子君は京都の寺社巡りが好きだったよね。」
「はい。主だった寺院は参観したようですが、まだまだ見ていないお寺や神社がある様で京都観光の本を更に何冊も購入して研究をしているようです。」
「そうですか。まあ、元気で何よりだね。はっはっはっはあ。」と刑事局長が笑った。
京都一人旅の女3;橘別邸訪問
京都市左京区の橘別邸
橘別邸は三条通りを滋賀県大津市方面に向かった東山の麓にある南禅寺の北側にあり、俗に南禅寺界隈別荘と呼ばれる明治新政府が南禅寺から召し上げた地域に造られた別荘地の中にある。2代目徳七によって大正末期から昭和初期にかけて築造された橘別邸は大庭園であり、庭を囲むように大玄関、大書院、書斎、能舞台、大茶室など大きな木造建築が列なっている。庭の中央には琵琶湖疏水を引きこんだ大きな池がある。
琵琶湖疏水は琵琶湖の水位が京都市内より高い事を利用して京都市内に物品運搬用の水路を巡らすために明治時代に東山にトンネルを通して作られた水路である。水路は南禅寺の東側を北に向かって流れ、俗に哲学の道と呼ばれる堤を通って北白川にでる。北白川から西に下って堀川に至り、堀川通りを南下して鴨川から伏見まで繋がっていた。
戦前はトンネル内を高瀬舟が通り、滋賀県の大津と京都の間で人物や荷物を運んだ。南禅寺の東側に水路トンネルの出口があり、蹴上げと呼ばれる場所がある。蹴上げは、高瀬舟をトンネルの高さまで引き上げる場所でインクラインと呼ばれる高瀬舟を台車に載せてトンネル入り口まで引き揚げる為の線路があった。蹴上げには発電所も作られた。
また、橘別邸の南側を流れている水路を挟んで公益法人の橘財団が運営する橘美術館がある。
橘美術館は戦前の橘財閥の創業者である橘公徳が収集していた美術品を中心に展示されている。能面、茶道具、桃山期の絵画の掛軸などが展示の中心である。
別邸の西側前を通る公道から幅広のアプローチを少し歩くと瓦屋根を載せた大玄関繋がる大きな門がある。朝見陽一は橘徳七から電話で言われた通りにその大きな門の手前にあるやや細い横道に入り、少し歩いてやや小さい瓦屋根の通用門をくぐって敷地内に入った。そこに、中年男性が立っていた。
「朝見様ですね。大谷と申します。この庭園を管理しております。」と男は陽一に挨拶した。
「朝見陽一です。よろしくお願いします。」
「それでは、ご案内いたします。」と言って男は庭先を歩いて行った。
陽一は男の後について歩いた。
「こちらにお入りください。」と言って男は数寄屋造りの建築物の玄関扉を開いた。
木の縦格子が十数本入ったガラス引戸を開けると玄関間に中年男性が待っていた。
「朝見様、ようこそお越しくださいました。橘徳七でございます。どうぞ、お上がり下さい。」
陽一は靴を脱ぎ、玄関間に上がり、脱いだ靴を横の玄関壁側に置き直した後、廊下を歩く徳七の後を付いて行った。そして、和風の応接室に入った。畳の上に赤い毛せん(絨丹)が敷かれ、その上に6人掛けの黒光りする木製テーブルが置かれている。
「どうぞ、お掛けください。」と云って徳七が椅子をひいた。
「ありがとうございます。それでは。」と云って陽一が座った。
別邸内の建築物の事やいとこ(従弟)の刑事局長と少年の頃に遊んだ話など、少し昔の雑談をした後、徳七が用件を話し始めた。
「ところで、用件ですが・・・。」と、やや遠慮がちに言い始めた。
「はい。どのような事でしょうか?」
「4月初めから祇園の甲部歌舞練場で『都をどり』が演じられています。」
「はい。その事は知っております。4月30日までの開催と聞いています。」
「『都をどり』は明治5年から始まったのですが、その理由は東京遷都で京都経済が衰退していくのではないかと云う危機感からです。当時の京都知事やお茶屋の主人たちが協力し、京都博覧会を盛り上げるのを狙って京舞が演じられました。『都をどり』が行われる甲部歌舞練場がある地域は、江戸時代は建仁寺の境内でしたが、上知令や神仏分離令に伴い多くの寺院の土地が明治新政府に召し上げられて民間に払い下げられました。この別邸のある地域も元は南禅寺の土地で、塔頭寺院が多くあった場所です。」
「仏教をないがしろにした廃仏毀釈の考え方が影響しているのか・・・。」と陽一は思った。
「現在の祇園甲部は四条通りの南側一体ですが、明治14年までは四条通りの北側で、花見小路の東側にある祇園東も祇園甲部でした。甲部から分離した時は祇園乙部と称しましたが、江戸時代は近江国の膳所藩の京屋敷などがあり、祇園花街があった場所です。現在の祇園甲部は明治時代になってからの新しい花街です。」
「京都の花街の歴史は室町時代まで遡ると聞いたことがあります。」
「それは『上七軒』と呼ばれる花街の事ですね。『上七軒』は北野天満宮を再建する時に残った機材を利用して作られた、北野地区にある花街です。応人の乱の頃に西軍の本陣があった場所です、現在は西陣と呼ばれ織物業者が多い地域です。上七軒歌舞練場では『北野をおどり』が3月末から4月上旬に行われます。江戸時代初期からお茶屋が始まった祇園東では、秋に八坂会館で『祇園をどり』が上演されます。『都をどり』は井上流の京舞ですが『祇園をどり』は日本舞踊の藤間流です。」
「いろいろとあるのですね。」と陽一は感心しながら話を聞いている。
「前置きが長くなりました。この祇園の歴史の裏側で、縄張り争いが続いてきました。もともと祇園地域では京都と関係があった侠客・会津虎徹組が勢力を保っていますが、江戸時代から花街があった祇園東では近江の膳所藩の関係者がつくった組織・大津組が根を張っています。また、祇園甲部は建仁寺の門前で縁日の屋台などを出していた的屋たちが作った組織も影響力を持っています。そして、そのバックに神戸の山菱組の姿が見え隠れしています。」
「大きく分けて三つの組織が縄張り争いをしている訳ですか。」
「はい。祇園地区やその周辺地域にはお茶屋のほか、新興のバーやクラブも出来ており、そのバックで暴力団などの勢力争いが発生しています。京都観光に来る人々に怪我でもされたら大変です。また、各組織の組員たちの小競り合いが大きな事件に発展して京都祇園のイメージが悪くなるのをお茶屋組合の方々が心配して、私に相談に来られました。私としても社用で祇園のお茶屋さんを接待に使う事が多いので、この問題を放置しておくわけにもいきません。朝見課長さんのお力で何とか平和裏に争いが無くなるようにして頂けないでしょうか?」
「なるほど。私の妻も京都の寺社が好きですから、京都の国際的な観光イメージを良くするように対処してみます。この種の問題解決には数年間はかかると思いますが努力をしてみます。」
「よろしくお願いします。」
「承知いたしました。」
「ところで、庭園にご興味があれば、別邸内をご案内いたしますが。」
「本日は遠慮いたしますが、職務の休日にでも妻と一緒にご案内していただければありがたいのですが。」
「承知いたしました。いつでもどうぞ。朝見様は愛妻家でいらっしゃいますね・・。」
「はあ。単なる恐妻家かも知れません・・・。」
「ははははっ。恐妻家であることが一番平和であるかも知れませんね。」
京都一人旅の女4; 京都大原三千院・寂光院
午前九時過ぎ、京都Tホテルのフロント
「おはようございます。」とフロントの女性クロークが言った。
「大原に行きたいのですが、駅前のバス乗り場の何番からバスは出ていますか?」と水色のスラックスに淡いピンク色にYシャツ姿の女性が511号室のキーを渡しながら訊いた。
「はい。少しお待ちください。御調べいたします。」といって女性クロークは手元にあるバス乗り場の資料を見た。
「京都バスのC3乗り場から17系統の大原行きにご乗車してください。今からですと、午前9時17分発車のバスには間に合いませんから9時42分のバスになります。C3乗り場はここです。」と女性クロークが駅前のバス乗り場地図を指しながら言った。
「まだ、30分余りありますね。」と壁時計を見ながら女性客が言った。
「はい。ラウンジでお待ちください。」
「そうね。ありがとう。」と女性は言って、コーヒーラウンジに向かって歩いて行った。
そして、受付係の女性は受付引継ぎメモ表に『511号室:行き先 :三千院』と記入した。
午前十時前に京都駅前を出た京都バスは四条烏丸を右折し、四条河原町を左折、そこから河原町通りを北上して河原町三条を右折し、京阪電鉄三条駅前を左折して川端通りに入り、鴨川沿いを北上して下鴨神社南端の出町柳から高野川沿いを北北東に走って修学院駅前から白川通りに合流し、花園橋を右折し国道367号線に入り、比叡山に登るケーブルカーの駅がある八瀬駅前を通過し、大原へ向けてバスは走った。国道367号線は古くは鯖街道と呼ばれ、福井若狭湾で水揚げされた鯖を京都に運ぶ街道筋であった。
京都市左京区大原の三千院
香取君代は終点でバスを降りた。その時、腕時計の針は午前10時55分を指していた。
他の降車客に交じって君代は大原バス停から茶店や土産物店などがある道をブラブラと東方向へ10分くらい歩いて三千院の門前に着いた。
天台宗の三千院は8世紀に最澄の開基である比叡山の延暦寺の東南地区に円融房と称した小さな御堂を建てたのが起源である。その後、比叡山の麓の坂本などに遷され、場所を転々とした後、明治4年に現在地に遷され、『三千院』と命名された。真言宗と異なり、天台宗は皇室との結びつきが強く、代々皇族が住職を務めた。本尊は薬師如来である。円融房に最澄自彫りの木造・薬師如来を祀ったのが本尊の始まりである。呂川と律川と呼ばれる小川に挟まれてある現在の三千院の境内敷地には広々とした庭園や荘厳な建築物がある。
小川の呼び名は仏教儀式で使う天台声明音楽の「呂律」から取ったようである。
君代は石段を上がり、高い石垣の壁が左右にある御殿門に入り、門のすぐ横にある受付で拝観料を払った。
石垣は穴太衆と呼ばれる石工集団によって組上げられた。穴太衆は安土桃山時代に活躍した石垣職人の集団で加藤清正の築城などに貢献した。祖先は古墳の築造に携ったと謂われている。
君代は客殿に上がり、お坊さんの説明を聞きながら明治の京都画壇の画家たちによって描かれた襖絵を鑑賞した後、客殿の縁側上から鑑賞庭園・聚碧園の円形とひょうたん形の池を眺めていた。
「疲れた心が癒されるみたい。この気持ちがずっと続けばあの人の事は忘れられるのに・・・・。」と君代は思った。
その後は客殿で一時間ほど掛けて般若心経の写経を行い、宸殿にまわり、有清園に降りた。そして境内の庭園をゆっくりと散策しながら往生極楽院と呼ばれる簡素な御堂の裏にある弁天池を眺めていた。
「水面に映る樹木がゆらいでいるわね。苔むす山肌の木立の中から水が流れる音が聞こえ、木漏れ日が苔の上をゆっくりと動き、なんとなく幻想的な雰囲気。」と思いながら君代の心は癒されていった。
君代は金色不動堂の横にある和心堂で抹茶を嗜んだ後、円融房の前を通り、御殿門から三千院を出た。時刻は午後2時を過ぎていた。
京都大原寂光院
大原バス停から西に向かって15分くらい歩くと天台宗尼寺・寂光院に着く。
寂光院は、平清盛の娘で源平の合戦に於いて壇ノ浦で死亡した安徳天皇の母親である建礼門院徳子が平家一門の菩提を弔う為に晩年を過ごした寺院として有名であるが、元基は聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立した寺である。初代の住持は聖徳太子の乳母であった玉照姫であり、出家して彗善比丘尼を名乗った。その後の代々の住持は皇室に関係した家系の姫君が務めたと謂われている。建礼門院徳子は真如覚比丘尼と称した。
香取君代は木製両開きの扉門を入り、石段を昇って寺門をくぐり本堂にお参りをした。
その後、寺院の東側外にある建礼門院の陵墓に登り、参拝してから帰路に就いた。
そして、帰路にある食事処『みゆき茶屋』で京都名物・ニシンそばと大原発祥のシバ漬けを食べ、空腹を癒した。
江戸時代、北海道で漁れたニシンは北前船で海運され、若狭で下ろされて鯖街道を通って京都に運ばれた。山に囲まれた盆地の京都では乾燥したニシンは保存食として重宝された。江戸末期に四条大橋東北側「北座」にあった芝居小屋が明治に入って四条大橋東南側の「南座」に移転した時に江戸末期創業のそば屋・松葉が南座の一角で甘露煮ニシンを蕎麦に浸けて提供したのがニシンそばの発祥とされている。
食事の代金を支払い、君代が茶屋を出たのは午後4時前であった。その時、後から女性の声がした。
「もしもし、お忘れ物ですよ。」
君代が振り返ると小さな紙の土産袋を右手にかざしているひとりの女性が目に入った。
紙袋は京都名物・八つ橋の文字が書かれている。
そして、君代が答えた。
「はい、何でしょう?」
「この紙袋をお忘れになったようですが・・・。」
「それは私のものではありませんわ。」
「でも、あなたがお座りになっていたテーブルの下にある手提げ物置台に残されていましたが?」
「そうですか。でも、私のものではありません。」
「違いますか・・・。紫色の風呂敷包みが入っているので何か貴重なものが入っているのかと思いましたもので、慌てて御声をおかけしたのですが・・・。そうですか、違いますか。失礼致しました。」
「お店の方にお渡ししたら如何ですか。」
「そうですね。そうしますわ。」と声をかけた女性は言ってから店内に戻って行った。
京都大原バス停
茶屋から道なりにぶらぶらと歩いて君代はバス停に到着した。
「次のバスが来るまで20分もあるのか・・・。」と君代は思いながらベンチに座った。
すると、目の前に自家用車止まった。
運転している女性が助主席側の電動窓ガラスを開けて言った。
「どちらまで御帰りですか?」
君代は立ち上がってガラス窓から運転席を覗き込んだ。運転席には『みゆき茶屋』で声をかけてきた女性が座っている。
「あら、先ほどはどうも。」と君代が言った。
「京都市の街中まででしたらお送りしますが・・・。」と運転席の女性が言った。
「ほんとうですか?」
「はい。遠慮なくどうぞ。」
「バスが来るまでまだだいぶ間があるので、助かります。」と言って君代は後部座席に乗り込もうとした。
「助手席にどうぞ」と運転席の女性が言った。
助主席に香取君代を乗せた車はバス停を離れ、京都市街へ向けて走り始めた。
「どちらまで御帰りですか?」と運転の女性が訊いた。
「京都駅前にある京都Tホテルに宿泊しております。そこへ帰ります。」
「私は地下鉄の北山駅近くに住んでいますから、そこでよろしいですか?」
「北山駅とはどのあたりですか?」
「JR京都駅から真直ぐに北に上がった、地下鉄烏丸線の終点駅です。地下鉄一本で京都駅まで戻れます。」
(※1995年時点では烏丸線は北山駅が終点であった。1997年に国際会館まで延伸された。)
「そうですか。それでは北山駅までお願いします。」
「承知しましたわ。」
「あなたは京都の方ではないですね。」
「はい。この3月に東京から引っ越してきました。」
「御主人の転勤ですか?」
「ええ、そうです。でも、京都のお寺巡りが好きですから、願ったり叶ったりですわ。」
「それは、よろしいですわね。」
「あなたも、今回のご旅行はお寺巡りですか?」
「まあ、そんなところですかね・・・。」と君代が意味ありげに言った。
「何か訳有りですか?」
「まあ、それは秘密と云うことで。」
「失礼しました。立ち入った事を訊いてしまいました。」
「御子さんはいらっしゃるのですか?」
「はい。娘と息子が居りますわ。今日は東京から母が来ておりますので、母に預けてお寺参りですわ。」
「それは、ラッキーですね。」
「はい。ラッキーです。はっはっは。」と和子が笑った。
「それで、先ほどの手荷物はどうされました。」
「茶屋の御主人にお預けしました。」
「何かお菓子でも入っていたのですか?」
「それがですね。驚き・桃の木・山椒の木です。あの紙袋の中にあった風呂敷包みの中味は札束でした。しかも、百万円の束が10束です。」
「えっ、一千万も入っていたのですか、あの紙袋に。本当ですか?」と君代は聞き返した。
「ほんとうに、そうなんですよ。それで、お店の御主人は110番に電話されていました。私は、警察が来ると長居になると思い、直ぐに茶屋を出てきました。スイーツは食べ終えていましたから直ぐに代金を払って、急いでお店を出てきました。」
「まあ、警察は根掘り葉掘り訊きますからね。でも、紙袋に一千万円を忘れるなんてね・・・?」
「何なんでしょうね・・?」
「私と同じで、訳有りですかね?」
「そう、訳有りでしょうね・・、きっと。」といって二人は笑いあった。
その後、二人は取り留めのない四方山話をしながら車は北山駅前に到着し、二人は別れた。
「あっ。お互いに名前を聞かなかったわね・・・。まあ、袖すり合うも多少の縁。それで良いかも・・。」と朝見和子は思いながら、車を自宅に向けて走らせた。
京都一人旅の女5; 夜明けのコーヒー
午後9時過ぎ 京都Tホテル内のバー
シャワーを浴び、ホテル6階にあるレストランで夕食を済ませた君代はバーに来ていた。
カウンター席には夫婦連れの男女と男性一人の3人が座っている。7つあるテーブル席は2人ずつ2組の男性客がそれぞれテーブルに座っている。
君代はカラオケのTVモニターを見ながらマイクを握っている。
そして、作詞;山口洋子 作曲:平尾昌晃による『アメリカ橋』を歌っていた。
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 久しぶりだねと 照れて笑いあって ♪
♪ アメリカ橋のたもと ふと通う温もり ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪・・・・・・・・・・・・ 思い出続く♪
♪・・・・・・・・・・・熱かった青春 ♪
♪ 君は変わらない 月日が過ぎても ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪・・・・・・・・・・・帰らない青春 ♪
♪ アメリカ橋のたもと それじゃと手をあげる ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪・・・・・・・・・・・あの頃が青春 ♪
『アメリカ橋』は東京JR山手線・恵比寿駅の南側にある跨線鉄橋である。
現在は昭和45年に改名され『恵比寿南橋』と呼ばれている。
明治37年(1904年)、アメリカ・セントルイスであった万国博覧会で展示されていたアメリカン・ブリッジ社の鉄橋を明治39年に鉄道省作業局が買い取り、大正15年(1926年)に現在地に架設して現在に至っている。
※著者注記;アメリカ橋は現実では1998年に発売された歌曲ですが、本小説では1995年時点で、すでにカラオケで歌われていることにしました。
香西君代がマイクを置いてカウンター席に戻った。
すると、カウンター席に座っていた男性がカラオケモニターの前に立った。
そして、THE JAYWALKの歌曲『何も言えなくて・・・夏』
(作詞;知久光康 作曲:中村耕一)を歌い始めた。
♪ きれいな指してたんだね 知らなかったよ ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 時がいつか二人をまた 始めて会った日のように導くなら ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 私にはスタートだったの あなたにはゴールでも ♪
♪ 涙浮かべた君の瞳に 何も言えなくて まだ愛してたから ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 短い夏の終わりを告げる波の音しか聞こえない ♪
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 背中にそっと さようなら ♪
歌い終えた男性は君代の後ろに来た。男は30歳前後と思われる容姿をしている。
「こちらに座ってもよろしいですか?」と男が訊いた。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えまして。」と言って男は君代の隣の椅子に座った。そして、バーテンにウォッカギムレットを頼んだ。
「お1人でご旅行ですか?」と男が訊いた。
「ええ。」
「お寺巡りでも?」
「そんなところですわ。あなたは?」
「私は京都市内に住んでいます。」
「京都でお仕事ですか?」
「はい。こう謂う者です。」と云いながら名刺入れから取り出した小さな名刺を差し出した。
「祇園花見小路新橋東入ル クラブ『桜』 ホスト 滝口 徹」と名刺に書かれている。
「滝口と仰るのですか・・。」と君代が名刺を見ながら呟いた。
「本日は僕の休養日です。明日はお店に出ております。よろしければお越しください。」
「まあ、気が向けばね。」と君代が軽く言った。
「不躾で失礼ですが、水商売の方とお見受けいたしましたが、間違っていますでしょうか?」
「なかなか鋭い観察眼をお持ちですわね。」
「商売柄、いろいろな女性のお相手をしておりますから、自然と身に着いた能力でしょうか・・・。」
「そのようですわね。できれば、そのような能力はない方が良いのかも知れませんわね。」
「確かに。純な心に憧れますね・・・。」
「そう、純な心にね・・・。」と君代も思った。
商売柄、二人は話の種を多く持っているから話は弾んだ。
京都の観光地の話や自分たちの仕事からみの話をしばらくした後、滝口が運転免許証サイズのカードをポケットから取り出して言った。
「僕の証明書です。」
「仕事柄このようなものも必要なのね。」とカードを手に取った君代が言った。
「まあ、安心してもらえますから。」
君代が黙って証明書の文面内容を目で追っている。
証明書には次のように書かれている。
『 パイプカット証明書
滝口 徹氏 は当院において精管結紮手術を実施したことを
証明します。
なお、この証明書は避妊を保証するものではありません。
避妊能力については、直近3カ月以内の精子検査報告書を参照してください。
医療法人社団 高宮協成会・山科クリニック(角印)
院長 医学博士 山科良治 』
「これが先月の精子検査報告書です。」と言って滝口が君代に、折りたたんであったA4サイズの紙を見せた。
報告書には結果表が書かれており、
『1mLのサンプル10種。各サンプル1mL中に精子は各0個』となっている。
「ふーん。完璧ね。」と君代が言った。
「まあ、そう云うことです。」
「これを見せて、私を誘ってます?」と君代が言った。
「はっはっは・・・。別にそう云う意味でお見せしたのではありませんが、そう受け取られましたか。」
「考え過ぎかしら?」
「まあ、ご旅行中のアバンチュールを求めてもよろしいのでは?」
「やはり、誘ってるわね。」
「話題を変えましょうか。」
「そうね、『夜明けのコーヒー』でもご一緒しましょうか?」
「それは、好い話ですね。」
「私の部屋はここよ。」と言って君代は滝口に宿泊している部屋のキー番号を見せた。
「511ですね。それじゃ、後程に。」と言って滝口はカウンターを離れ、会計を済ませてバーを出て行った。
午前4時過ぎ 511号室内
情事を終え、君代は部屋に備え付けの電気ポットでお湯を沸かした。
そして、持参していたインスタントコーヒーの粉を二つのカップに入れ、お湯を注いだ。
「はい。」と言って君代が滝口にコーヒーカップを渡した。
「ありがとうございます。」
「ところで、あなたがバーで歌った曲は、あなたの経験かしら?」と君代が訊いた。
「そう聞こえましたか。まあ、ご想像にお任せします。」
「そう。」と言って、君代はコーヒーをすすった。
「アメリカ橋に何か思い出でもお有りですか?」と滝口が言った。
「想像にお任せするわ。」
「そうですね。はははは・・。」と滝口が笑った。
二人は何となくアンニュイな感覚を共有し、黙ってコーヒーを飲んでいる。
君代は一夜のアバンチュールを楽しんでいた。
「いつもながら、事の後のこの気だるさは何なのかしら・・・。」と思いながらコーヒーを飲んだ。
※著者注記;夜明けのコーヒーとは
元宝塚女優でシャンソン歌手・越路吹雪嬢(故人)がフランスに
行った時、
『夜明けのコーヒーを二人で飲みませんか?』とフランス人男性
から誘われた。
彼女は明け方にその男性を訪問した。すると、
『今頃何しに来たのですか?』とその男性は言った。
『夜明けのコーヒーをご一緒に飲むために来ました。』
と彼女は言った。
『夜明けのコーヒーを二人で飲むと云う意味は
夜を一緒に過ごすという事です。』
とフランス人男性が説明した。
当時彼女の付き人であった作詞家の岩谷時子氏(故人)は
この話を聞いたことを覚えて居て、
ピンキーとキラーズが歌ったヒット曲『恋の季節』に中で、
このフレーズを歌詞にした。(BS放送の某TV番組より引用)
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 夜明けのコーヒー 二人で飲もうと ♪
♪ あの人が言った 恋の季節よ ♪
ちなみに、夜が明けてからの二人がどうなったのかは話に無い。
京都一人旅の女6;
京都府警本部 刑事部組織犯罪対策国際課 午前9時過ぎ
遠藤係長が浅見陽一に電話で呼ばれて部屋を訪問していた。
事務机の椅子に座っている浅見に対し、机の前で遠藤が直立して話している。
「何でしょうか、課長?」と遠藤係長が訊いた。
「実は、昨日の午後4時ころの事ですが・・。」と朝見陽一が言った。
「はい、何か事件でも?」
「私の妻から聞いた話なのですが、大原の寂光院近くにある『みゆき茶屋』という食事処で大金の忘れ物がありました。」
「大金と云いますと?」
「一千万円です。」
「へえ、一千万も。」と驚いたように遠藤が呟いた。
「この件で110番通報を受けた警察官の報告書を調べてほしいのです。」
「何か事件の匂いでもしはりますか?」
「いえね、その一千万円が紙袋に入っていたらしいのです。それがちょっと引っかかります。」
「紙袋に一千万も。畏まりました。早速、忘れものの報告書を調べてみます。」
「お願いします。」
一時間後
「忘れ物は客席のテーブルの下あったのを隣の席に座っていた女性客が発見し、店主に渡してすぐに帰って行ったそうです。一千万の札束は紫色の風呂敷に包んであったそうです。店主に届け出た女性の名前や素性は不明です。」と遠藤係長が言った。
「その女性は私の妻です。」と陽一が言った。
「ああ、左様で・・・。」
「それで、忘れものをした人物は現われたのですか?」
「遺失物担当部署に確認しましたが、まだ現われていないそうです。一千万円の忘れ物が発見される以前にその席に座った客は男女4人組と女性2人組と男と女が一人づついたそうですが、どの客が忘れたのかは不明です。」
「その4組8名の風体・歳格好とかは報告されていますか?」
「はい。正午前に4人組の男女は30歳前後。午後1時前に女性2人は50歳と20歳くらいの親子風だったそうです。その後、午後3時半頃に来た一人の女性客は30歳代くらい。その女性の数分前に来たもう一人の男性客は30歳代くらいだったそうですが、主人がお茶を出すと直ぐにその席から別の席にすぐに移ったそうです。そのすぐ後に女性がその席に座ったそうです。それぞれの服装ははっきり記憶に残ってなかったようです。」
「その3時半頃の30歳代の女性は私の妻が話をした人物ですが、名前は聞かなかったようです。ただ、京都Tホテルに宿泊していると言っていたようです。それに、その女性は忘れ物の紙袋は自分のものではないと言っていたそうです。席を移った男性は何故に席を移ったのでしょうかね?」
「さあ、報告書にはそれは書いておませんでした。でも、女性の方は京都Tホテルに宿泊ですか。ちょっとホテルに行って名前と住所を聞いてみましょか?」
「そうですね、念のためにそうしてもらえますか。ところで、お店に監視カメラの録画はなかったのですか?」
「それは報告書には書かれてませんよって、監視カメラは無かったと思われます。」
「その他に何か書かれていますか?例えば、他の席に居たお客の事などは・・・。」
「いえ、それだけでおます。別の関の事は書いておまへん。」
「そうですか・・。」
「はい。申し訳ありません。」
「遠藤さんが謝る必要はありません。」
「恐縮です。」
「ところで、ワインリバーのバーテンの動きはどうですか?」
「樋口秋雄ですね。まだ泳がせておますが、目立った動きは有らしません。」
「竹中は樋口の事は何も言っていないのですか?」
「はい。殺しは認めましたが『樋口なんか知らん』の一点張りでした。まあ、口の堅い奴ですわ。」
「山菱組の組長狙撃の指示を龍昇会組長の吉本征司が鳴川清次に命じたかどうかは、何か話しましたか?」
「『そんな話は知らん』と言い張っとりました。一課としては山菱組組長に対する殺人未遂の教唆で吉本を逮捕したいのですが、証拠もありませんよって、どん詰まりですわ。取り合えず、谷村浩一殺害容疑で送検しましたが、山菱組組長襲撃の共同謀議での取り調べは期限切れでおます。」
「滋賀県朽木村の古民家に隠れている吉本組長の動きは如何ですか?」
「4課と一緒に活動してる藤田からの報告では、特に目立った動きはないようです。大阪市内や京都市内に出向くこともあらしません。山菱組の連中が大阪の事務所や九条の竹中産業の周辺をうろちょろしてまっさかい、妙な動きはできしませんようです。」
「兵庫県警は動いているのですか?」
「ややこしなったらあきませんよって、今のとこ、兵庫県警や大阪府警、滋賀県警には朽木村の古民家のことは連絡しておりません。」
「そうですか。」
「その後、山城組の事務所に樋口は集金に来とりますか?」と遠藤が訊いた。
「谷村浩一の死後、どうも会津山城会の組員はワインリバーには出入りしなくなったのではないですかね。会津山城会の事務所に樋口は現われていません。しかし、山菱組の組員と思われる男が時々出入りしていますね。」
「やっぱり、山城会と山菱組はつるんどりますな・・。」
京都一人旅の女7; 祇園万茶屋
祇園町南側甲部にある万茶屋 午後6時過ぎ
京都花街連盟会長で万茶屋の第12代目当主・美浦宗右衛門に招待された橘徳七と朝見陽一が御座敷に座って居る。
陽一と徳七は万茶屋の事務所兼応接室で美浦宗右衛門からの花街地域の現状を聞いた後、お座敷に招かれていた。
黒光りする柱や欄間、床の間にある古風な掛軸の水墨画、明治維新の文化人が揮亳した扁額の文字などが茶屋の歴史を感じさせる。今から300年余り前の創業と云う。
現在、祇園と呼ばれる地域は四条通りを挟んで北側の花見小路通りの東側地域を『祇園東』と呼び、南側の花見小路通りの東側地域を『祇園甲部』と謂う。花見小路通りは明治時代に造られた通りで、それまでは花見小路通りの一筋西側にある大和大路通りから東側が祇園花街と称されていた。この時に忠臣蔵に登場する『一力亭』は現在の四条花見小路の角地に移転した。江戸時代当時の屋号は『万屋』と称していたようであるが、人気を拍した歌舞伎・仮名手本忠臣蔵の七段目では一力茶屋として登場したのを期に『万』の文字を『一』と『力』分解して『一力亭』に改称した。
ちなみに、『祇園東』は明治14年に『祇園甲部』から分離した当時は『祇園乙部』と称していた。
祇園の始まりは鎌倉時代の祇園社(現在の八坂神社)の門前町の賑わいとされている。
応仁の乱後には当時の建仁寺境内を取り囲むように水茶屋として復興した。江戸時代には京都所司代より花街としての許可を受けて営業が行われた。
明治時代に入り東京遷都で京都が寂れることを心配した一力亭の9代目当主・杉浦治郎右衛門や京都府知事・長谷信篤、京都大参事・槇村正直たちは明治5年京都博覧会を開催し、その時に京都甲部歌舞会を設立し『都をどり』を演じて見せ、現在に続いている。
祇園のお茶屋は割烹専門店から取り寄せた料理を客に出す。舞妓や芸妓たちは置屋から呼ぶ。
金屏風の前の芸妓が弾く三味線と祇園小唄に合わせて二人の舞妓と芸妓が井上流日本舞踊の京舞を披露している。
♪ 月はおぼろに東山 ♪
♪ 霞すむ夜ごとの篝火に ♪
♪ 夢を誘よう紅桜 ♪
♪ しのぶ思いを振袖に ♪
♪ 祇園恋しや だらりの帯よ♪
♪・・・・・・・・・・♪
♪・・・・・・・・・・♪
踊りを終えた舞妓と芸妓が二人に挨拶をし、徳久利をつまんで二人にお酌をしている。
「今般は無理なお願いをお聞きいただき、有難うございます。」と美浦宗右衛門が陽一に頭を下げた。
「お礼を申される必要はありません。ご依頼の問題は暴力団対策として警察が対応しなければならない事柄です。まだ問題が解決できるかどうかは判りませんが全力で対応いたします。」
「いえいえ。橘はんのお話では優秀な方で間違いなく問題解決していただけると聞いております。」
「橘さん。そんな話をされたのですか?」
「はい。従弟の倖史朗から太鼓判をもろてますよって。」
「刑事局長がそんなことを。参りましたね・・。」
「まあ、浅見様。今は問題の事は忘れてお座敷を楽しんで下さい。」と宗右衛門が言った。
「有難うございます。しかし、私は公務員ですので後ほどこの御座敷の費用はお支払いいたしますのでよろしくお願いいたします。贈収賄事件にならないようにお願いします。」
「そうですな。余計な事をして仕舞いましたな。それでは、この3人の割り勘と云う事でよろしいでしょうか、橘様。」
「はい。それで行きましょう。朝見さんにはとんだご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」
「いいぇ。一度、祇園で遊んでみたいと思っていましたので、良い機会を設けていただき感謝しています。」
「そう云うて貰いますと気が楽になります。」
京都一人旅の女8;
朝見陽一の自宅 午後8時半過ぎ
祇園から帰った朝見陽一が妻の和子と話をしている。
「和子が紙袋を見つける前のお茶屋の店内にいた人たちの事を何か覚えているかい?」
「店内にいたお客ですか・・・?」
「そう、どのような男女が何人くらい居たのか?」
「どうだったかしら・・・。」
「君が車に乗せた女性が席に座る前に、一人の男が座ってすぐに席を移ったらしいが、それは覚えているかい?」
「私があのお茶屋さんに入ったときにはあの女の人はすでに席に座って居たわ。まだ、お蕎麦は出て来ていなかったけれど。」
「そうか。それでは、席を移った男性が紙袋を持っていたかどうかも判らない訳か?」
「そうね、判らないわ。何か事件が関係しているの?」
「いや。別にそう云う事じゃないが、持ち主が現れないのがちょっと気になってね。」
「まあ、警察官だから気になるのは致し方が無いわね。」
「うん、気になるな。」
「そう云えば、お茶屋の御主人が110番通報した時に、一人の男の人が支払いをしてお店を出て行ったわ。その男性が同じ紙袋を持っていたわね。」
「一千万円の入っていた紙袋と同じものか?」
「そう。全く同じ紙袋だったわ。『この人も八つ橋が好きなんだわ』と思ったのよ、その時。でも、紙袋の中身は何も入っていないようだったわね。何か軽そうだったのが印象に残っているわ。」
「どんな男だった?」
「うーん。何も覚えてないわね。別に気にしていた訳ではないもの。」
「年齢とかは?」
「そうね。年寄りではなかったわね。18歳以下でもないわね。」
「20歳以上で60歳以下だったと云うことか。」
「もう少し若いかな。50歳以下だわね。それ以上は判らないわ。」
「服装は?」
「うーん。スラックスを穿いていたようだったけれど、よく覚えてないわ。人間の記憶力って、いい加減ね。」
「自分の事を言っているのか?」
「まあ、そう。」
「・・・・・・・・」陽一は何も言えなかった。
京都一人旅の女9;
京都府警本部 刑事部組織犯罪対策国際課 祇園座敷の翌日の午前10時ころ
朝見陽一は橘徳七と美浦宗右衛門から受けた相談への対処方法を考えていた。
「表面上は祇園祭の山鉾巡行の順番がくじ引きで決めている鉾町問題だが、裏にある問題は祇園などの花街地域にある茶屋や新興のバー・クラブに対する暴力団の縄張り争いだろう・・・。さて、どこから斬り込むのがいいのだろう・・・。警察としてどうするか・・・。国際観光都市である京都の評判を落とさない方法を考えねばならないな。温故知新で行くか・・・。」
朝見陽一が事務机に座って考えを巡らせていると、ドアーをノックする音がした。
「はい。どうぞ、お入りください。」
「失礼いたします。」と云って遠藤係長が入ってきた。
「例の1千万円の忘れ物の件ですが。」
「何か判りましたか?」
「昨日の夕方に京都Tホテルに行ってきました。宿泊していた女の名前ですが、宿泊カードで確認しました。一昨日に三千院に行った宿泊客に香取君代と云う女性がいました。年齢は不明です。住所は東京都渋谷区恵比寿4丁目○○−○○−701でした。住所の表示から何処かのマンションの7階に住んどるのんとちゃいますかな。ロビーの受付嬢の話では午後から嵐山見物に出かけたそうで、夕方にはまだ帰っとりませんでした。明日の夜まで宿泊するらしいどす。本人に会うて確認でけしませんどしたが、間違いないのとちゃいますかな。」
「『かとり きみよ』とはどのような漢字を書くのですか?」
「これどす。」と言って、遠藤は警察手帳に書いてあるメモを陽一に見せた。
「なるほど、そうですか。」と呟いて、陽一は何かを考えるように天井を見上げた。
「何か、思い出す事でも?」と遠藤が訊いた。
「ええ、まあ、ちょっと昔の知人の名前を思い出したものですから・・。」と歯切れの悪い返事をした。
「同じ名前でっか?」
「まあ、同姓同名と云う事もあるでしょう。」
「まあ、ようある事どすな。」
「連絡先の電話番号は何番でしたか?」
「はい。03−○○○○―○○○○どす。」
遠藤係長が部屋を出て行った後、朝見陽一は自分の知っている香取君代の事を思い出していた。
「君代ちゃんとは小学校から高校まで同じ学校での同級生だった。同じクラスになったのは小学校の5年生と6年生の時だったな。中学校では僕と同じバスケットボール部だったが、都立H高校の時は硬式テニス部に入っていたな。私がバスケットの練習を終え、下校時には同じ電車に乗ることもあったな。地下鉄の永田町から有楽町までは女子のテニス部仲間と一緒に居たが、有楽町から王子までの京浜東北線では時々同じ車両に乗って学校の先生の話や授業の話などをしたものだった。そう云えば、いつもテニスラケット1本を持って通学するのは何故かと訊いたことがあった。返事が奮っていたな。『ファッションよ』と、呆気ら漢とするような事を平然と言っていたな。そう云えば、H高校では決まった制服が無かったからファッショナブルな格好良い服装でいつも通学していたな。男子生徒の注目の的だった。別に恋心は抱いていなかったが、ちょっぴり好意はあったかな・・。そう、あれは高校2年の夏休み中だった。君代ちゃんの家は仕出し弁当や駅弁を作って企業やJRの駅に配達する商売をしていて食中毒を発生させた。100人近くの患者が出て、その内の老人2名が死亡した。君代ちゃんのお父さんはその賠償で走り回り、過労で倒れ、そのままお亡くなりになり、賠償金を作るためにお母さんは弁当工場を売却したのだったな。君代ちゃんはH高校を退学してお母さんの実家のある長野県に転居して行ったと云う事だった。その後の消息は判らないままだな。君代ちゃんのテニス仲間も長野県の何処に行ったのかは知らないと言っていた。この恵比寿に住んでいる香取君代が僕の知っている君代ちゃんなのだろうか・・・。恵比寿ね・・・。東京に行った時にでも、ちょっと寄ってみるか・・。」
京都一人旅の女10; アメリカ橋公園殺人事件
東京都渋谷区恵比寿にあるアメリカ橋公園 4月下旬 早朝
アメリカ橋公園はアメリカ橋の東北部角にあり、恵比寿ガーデンプレイスの北向いにある小さな三角形の広場である。恵比寿ガーデンプレイス開設の1か月前に平成6年(1994年)9月に開園した。石畳の在る公園で樹木も生い茂っている。
その公園の樹木の陰に男性が血を流して倒れているのが散歩をしていた近隣住民によって発見された。警察と救急車が来た時には腹部に3発の銃弾を受けていた男はすでに死亡していた。
ジャケットの胸ポケットに入っていた名刺入れの名刺から死んでいた男は京都の祇園でホストをしている滝口徹ではないかと推定された。
遺体発見の3日後に警視庁渋谷中央署に捜査本部を設置することが決定した。
一方、渋谷中央署の捜査一課の刑事たちは遺体発見後から、ただちに情報収集に向けた初動捜査に動いた。
京都一人旅の女10; 警視庁の捜査活動1
京都府警捜査一課の会議室、午後4時過ぎ
渋谷中央署の沖永刑事と足立刑事が京都府警捜査一課を訪問していた。
「東京よりのわざわざのお越し、御苦労さまです。本来ならば刑事部長の応接室でお話をしたかったのですが、昨年に急きょ設置された組織犯罪対策国際課の部屋に使用されていますので、このむさい会議室で対応させていただき申し訳ありません。」と京都府警の捜査一課長が挨拶した。
「いいえ。こちらからの無理なお願いをお聴き頂き、感謝しております。」
「それでは、お知らせ頂いた滝口徹に関する現在までの調査結果を遠藤係長から説明させていただきます。」
「午前11時から午後3時まで動いた結果ですのでまだ十分な調査は出来ておりません。悪しからずご理解ください。」と遠藤が言った。
「いえいえ。急なお願いを聞いて頂き感謝に耐えません。」
「滝口徹は32歳です。祇園花見小路新橋東入ルにあるホストクラブ『桜』のホストで間違いおませんでした。3日前から5日間の休暇を取っているとのことでした。行先については聞いていないというのが主任ホストの京谷三郎と云う男の話でした。クラブ『桜』のオーナーは京都の中堅建設会社『平安土建』の社長で上村雄一郎・65歳です。10年前に廃業した喫茶店を買い取り、ホストクラブ『桜』を開業しています。『平安土建』は昭和32年の創業で、社長は2代目のようです。大手ゼネコンの下請けや京都府下の店舗・マンションの建設の実績があります。滝口徹は『平安土建』が所有している賃貸マンションに住んでいます。そのマンションは四条大宮を北に上がった処にあります。滝口の出身は福岡県と云う話ですが、実家の住所など詳細はまだ調査しておりません。以上がホストクラブ『桜』で訊きこんだ話です。以上です。」
「ありがとうございます。」
「明日は午前中に市役所へ行って滝口の出身地の住所を調べ、その後にクラブ『桜』へご案内します。『平安土建』の事務所へは行きはりますか?」と遠藤が訊いた。
「滝口の実家の状況によっては福岡へ向かいますので、明日次第です。被害者の遺体確認を親族にお願いすることになりますから。」
「今日は何処に宿泊されますか?」と捜査一課長が訊いた。
「まだ、決めておりません。どこかを紹介していただけるとありがたいのですが。」
「部屋はせまいですが、この近くに京都府警が優先契約している旅館がありますからそこにしますか?」
「助かります。お願いします。」
「遠藤、『旅館わびすけ』に電話してくれるか?」
「はい。」と言って遠藤は席を立ち、会議室にある電話に向かって歩いた。
「ところで、聞きなれない部署名ですが、組織犯罪対策国際課と云うのはどのようなことをされているのですか?」と足立刑事が訊いた。
「警察庁からの要請で昨年の12月に急きょ出来た部署です。警察庁から出向の課長が一人で活動されてます。そこにいる遠藤係長と藤田と云う刑事が時々手伝いをしとります。」
「国際課の活動のことは『禁句』でっせ、課長」と遠藤が電話の前から叫んだ。
「禁句とは?」と沖永刑事が呟いた。
「警察庁より国際課の活動内容については極秘にせよとの指令が出ております。我々にも活動内容の情報はありません。まあ、遠藤と藤田はある程度知っているようですが課長の私にも話してくれません。」と課長が苦笑いした。
「そうですか。警察庁から課長が出向されているのですか・・。」
「ええ。警備局外事課におられた朝見と云う方が国際課の課長で京都に来はりました。」
「えっ、朝見さん。朝見陽一さんですか?」足立刑事が言った。
「ええ、そうですが、浅見課長さんをご存じでっか?」と遠藤が言った。
「ええ。数年前にあった事件でお世話になった方です。」
「そうですか。」
「部屋にいらっしゃれば挨拶したいのですが、確認できますか?」
「聞いてみましょか。」と言って遠藤は国際課に電話を掛けた。
「はい。組織犯罪対策国際課でございます。」と朝見陽一の声が受話器から聞こえてきた。
「一課の遠藤です。」
「ああ、遠藤さん。何か?」
「今、警視庁から足立と云う刑事さんが府警に来られてますが、朝見課長に挨拶したいそうです。今、そちらに行っても大丈夫でっか?」
「渋谷中央署の足立刑事さんですか?」
「そうどす。」
「いいですよ。お待ちしています、と伝えてください。」
京都府警 刑事部組織犯罪対策国際課
遠藤の案内で足立刑事と沖永刑事が国際課に来てソファーに座っている。遠藤も横に座っている。
「あの時はお世話になりました。」と足立刑事が言った。
「あれは私たち外事課の仕事でもありましたので渋谷中央署には感謝しています。」と朝見陽一が言った。
「どんな事件どしたんですか?」と遠藤が朝見に訊いた。
「ヘロインの密輸ルートを押さえた事件でした。」
「もう少し詳しく教えてもらえますか?」
「遠藤さんも勉強家ですね。」と陽一が言った。
「お願いします。」
「あれは今から6年くらい前でしたかね。」
「そうです。1989年で日本のバブル経済が絶頂に達していた時代でした。」と足立が言った。
「私が外事課の係長でK国への資金流出ルートの調査をしている時でした。当時、幾つかのパチンコ店のオーナーに的を絞って追跡調査をしていました。ある時、日本海で渋谷にあるパチンコ店のオーナーが所有するクルーザーに乗って日本海上でK国の漁船と接触する現場を押さえました。外見は漁船でしたが実情はK国密売組織の密売船でした。そのクルーザーには広域指定暴力団・堺連合傘下の渋谷を縄張りにする道玄組の組員も載っていて、ヘロインの取引をしている現場でした。外為法違反と禁止薬物所持で緊急逮捕し、渋谷中央署に連行しました。」
「その時の捜査4課の担当刑事が私でした。ヘロインは東南アジアのB国で精製されK国人組織に売られて日本に持ち込まれている一つのルートでした。」と足立が言った。
「堺連合と云うのは東京の日本橋に本部があるのでしたね。」と遠藤が言った。
「そうですが、それが何か?」と朝見が訊いた。
「いえ、最近、京都に進出を狙うとると4課から聞いてまっさかい、ちょっと訊いただけでおます。」
「堺連合は関東地方の暴力団や博徒、的屋で構成する暴力組織連合体で、元締め的存在が日本橋に本部事務所がある堺組です。」と足立刑事が遠藤に説明した。
「堺連合が京都進出を画策しているのですか・・・。」と朝見が考えるように呟いた。
その後、足立刑事と沖永刑事が京都に来た訳を陽一に話した。
京都一人旅の女11;警視庁の捜査活動2
アメリカ橋公園殺人事件捜査本部、5月2日、午後1時30分頃
捜査員が40名の体制で捜査本部が設置された。
警視庁の監察官が捜査本部長、副本部長は捜査一課長である。
第1回目の捜査会議が開かれている。
「お手元にある資料の様に、被害者の滝口徹・31歳の実家は福岡県太宰府市五条2丁目○−○○にあります。両親は健在で父親はサラリーマンです。本日の午前中、母親に遺体確認をしてもらいました。被害者は一人息子で、高校を卒業してすぐに京都に出てきたようです。京都河原町通りにあるの『古城』という喫茶店でアルバイトのウェイターを1年半くらいした後、10年前、ホストクラブ『桜』の開店と同時にホストになったようです。高等学校は男女共学で女生徒に人気があったという事です。毎年、正月には必ず帰郷していたそうです。住所は京都市中京区四条大宮上ル藤岡町○○で『平安土建』が所有するマンションに住んでいました。『平安土建』の社長の上村雄一郎・65歳がクラブ『桜』のオーナーです。滝口はクラブ『桜』では課長ホストと呼ばれる存在だったようです。遺体発見の3日前から5日間の休暇を取っており、何かの目的で東京に来たものと思われます。以上です。」と沖永刑事が説明した。
「何かの目的とは何が考えられますか?」と捜査本部長が全員に向かって訊いた。
「・・・・・」全捜査員が沈黙している
「では、次に鎌田刑事。被害者の東京での足取りを説明してください。」と副本部長が言った。
「はい。鎌田です。被害者の滝口は4月26日の午後8時過ぎに渋谷駅近くにあるホテル『グランドバレー』に3泊4日の予定でチェックインしています。その3日後の4月29日の午前6時過ぎに近くの住民によって遺体で発見されました。宿泊しているシングルの部屋を調べたところ、銀座のデパート『京松屋』で購入したと思われる香水がありました。レシートは無かったので購入日時は不明でしたが、デパートの監視カメラの録画映像で確認したところ4月27日の正午前に30歳がらみの和服を着た女性とデパートに入って来たようです。デパートを出たのが午後2時過ぎで、8階にある食堂で食事をしたと思われます。食事をした店の映像は無かったのですが、訊きこみの結果、和食処『美濃庄』で昼の懐石料理を食べています。お手元に配布してある2枚の写真が監視カメラの録画映像から写し取った女性の姿と顔の拡大写真です。解像度の低いビデオ映像のため、顔の細かいところは不鮮明ですが、この女性を知っている人物なら誰だか判断は出来ると思われます。『美濃庄』の店員の話では30歳から40歳くらいの美人だったそうです。その他の足取りは現在のところはっきりしていません。」
「渋谷駅や恵比寿駅周辺の監視カメラ映像は調べたのですか?」
「はい、現在録画映像を調査中ですが、現在のところ滝口と思われる映像は発見出来ておりません。以上です。」
「当面、和服女性の素姓を追いかけてください。渋谷、新宿、日本橋、銀座などのクラブのホステスなど水商売の人間と、ホストの客と云う事もありうるので、クラブ『桜』の顧客も調べてください。有閑マダム、セレブなども調べてください。」と捜査副本部長が言った。
「それでは、ご苦労ですが足立刑事と沖永刑事は再度京都に行ってクラブ『桜』で聞き込みをしてください。京都府警には私の方から連絡をしておきます。」
「判りました。連絡をよろしくお願いします。」と足立刑事が言った。
京都一人旅の女12;
京都府警 刑事部組織犯罪対策国際課 午後3時ころ
朝見陽一と遠藤係長が応接ソファーに座って話している。
「現在は事件がないので国際課の調査活動を優先して行動出来ますます。まあ、先日のアメリカ橋殺人事件で警視庁からの依頼がありますが、それほど時間を必要としませんよって、朝見課長さんの指示を優先できます。」と遠藤が言った。
「それは助かります。まだ藤田さんは朽木村に隠れている龍昇会の吉本組長をマークしているのですか?」
「はい。4課と共同して動いとります。」
「竹中産業はまだ龍昇会の企業舎弟のままで存続していますか?」
「社長をしとった竹中が逮捕された後、菊川信司と云う男が社長になっとります。4課からの情報では株主の投資ファンド・ライジングドラゴン社の重役をしとった奴ですわ。そやから、今でも、竹中産業は龍昇会の企業舎弟そのものどす。そやけど、竹中産業から商品を購入する会社は減っているそうどすわ。そのうちに潰れますやろ。」
「そう願いたいですね。しかし、彼らも新しい販路を探して何か手を打ってくるでしょう。密輸したとはいえ、合法的な会社を手放すとは思えません。そのうち社名を変えて企業活動を継続してくるでしょう。」
「なるほど、そんなもんどすかね。」
「まあ、それはそうとして、国際課の今後の活動ですが・・。」
「はい。如何しはります?」
「会津山城会を含む京都の暴力団の動きを探っていきたいのです。」
「具体的には?」
「今年の祇園祭の山鉾の巡行の順番に絡んで暴力団が動いているようなのです。推測ですが、他府県の暴力団が祇園界隈への進出を狙って裏で画策しているのではないかと思っています。」
「巡行順を理由にいちゃもんを着けようとしとるんですか・・・。昔から長刀鉾が先頭で、その他の山鉾の順番はくじ引きと決まっとりますが・・。」
「それが、今年は何か揉めているそうです。その裏に暴力団や的屋組織が絡んでいる可能性があります。その状況を早急に確認したいのです。」
「如何しますかな・・・。」
「取り合えず、会津山城会に焦点を当てて情報を得たいのです。そこで、藤田さんにも動いてもらいたいのですが。」
「藤田を4課から呼び戻しますか。」
「できますか?」
「4課との共同活動は私に任され取りますから、担当を誰ぞに変えますわ。」
「お願いします。」
「任しとくなはれ。明日の朝、藤田と一緒にまた来ます。」
「判りました。」
「それで、遠藤さん。」と陽一が言った。
「何でっか?」
「警視庁からの依頼はいいのですか?」
「はい。先日東京で殺されたホストの滝口徹と一緒に歩いとった女性に関する情報が見つかれば警視庁に連絡するだけどす。どこの女とも判らんのどすから捜し様があらしませんわ。京都の人間かどうかも判らん女性でっせ。昨日、足立刑事と沖永刑事に同行して、祇園のクラブ『桜』の人間に聞き込みをしたんどすが、誰も知りませんどした。京都人ではなさそうですわ。」
「その女性が判れば、滝口徹が東京に行った理由が判明するのですか?」
「それはどうですかね・・・? 滝口の遺体が発見された前日に銀座のデパートで二人が一緒に歩いている姿が監視カメラの記録映像に残っとったらしいんですわ。これが、その女性の写真ですわ。」と言って遠藤はポケットから写真を取り出して陽一に見せた。
「これは・・・。」と陽一は写真の顔を見て呟いた。
「何か?」
「この写真、預かっていいですか?」
「はい。もう一枚有りますよって、どうぞ。でも、顔見知りですか?」
「例の一千万円の忘れ物を見つけた時に私の妻が大原で出会った女性かどうかを確認してみたいのです。」
「はあ・・・?それは・・。唐突でおますな。」
「そうですか。唐突ですかね・・・。」と陽一は言いながら、香取君代の面影を写真に見出していた。
朝見陽一の自宅 午後8時半過ぎ
陽一が和子に写真を見せている。
「確かに大原で会った方に似ているけれど、この写真では顔の輪郭が少しぼやけているのではっきり断言はできないわね。でも、雰囲気は似ているわね。」
「そうか。似ているか・・・。」
「この女性は何かの事件の関係者なの?」
「容疑者や参考人ではないのだが、話を聞きたい人物ではあるのは確かだ。まあ、それ以上の話はできない。」
「話をした印象から、そんなに悪い人ではないと思うわ。むしろ、あっけらかんとしていたのが印象に残っているわね。たぶん真っ正直な性格じゃないかしら。」
「呆気ら漢としているか・・。」と思いながら朝見陽一は香取君代を思い浮かべた。
「足立刑事の為にも、なるべく早い段階に恵比寿に行かないといけないな。」と陽一は考えた。
京都一人旅の女13;
京都府警 刑事部組織犯罪対策国際課 午前9時15分頃
朝見陽一と遠藤係長、藤田刑事が応接ソファに座って話している。
「昨日の夕方、課長とのお話の後、京都Tホテルに行ってきました。」と遠藤が言った。
「どうでしたか?」
「はい、フロント係りに確認をしました。香取君代は和服が似合う女性だったらしいです。しかし、顔立ちを覚えている者は居りませんでしたので写真の女性が香取君代かどうかは不明のままです。」
「その件は私が確認します。この打ち合わせの後、国際課の調査活動のため東京へ出張します。今日から4日間ほど京都を留守にしますので、よろしくお願いします。」
「東京のどちらへ?」と藤田が訊いた。
「東京都内の多摩川流域にある稲城市と云うところでちょっと調べ物をしてきます。その前に香取君代が住んでいる恵比寿のマンションを訪問してきます。結果次第で足立刑事には私の方から連絡しますので、遠藤さんと藤田さんはこれから依頼することに専念していただきたいのです。何か急用ができましたら、私の実家に電話を下さい。これが電話番号です。昼間は外に出ていますが、夜には帰って来ます。」と言って陽一がメモを遠藤に渡した。
「畏まりました。それでご依頼の内容は?」
「これを見てください。」と言って陽一はある週刊誌を二人に見せた。
「スキャンダル専門の『京都フォーカス』でっか。」と遠藤が呟いた。
「あまり知られていませんが、この週刊誌を発行している『鳥羽出版社』は会津山城会の企業舎弟です。」
「そうですか。知りませんどした。」
「主な3つの株主は民間会社を装っていますが、資金はすべて会津山城会から出ています。」
「そうなんですか。」と藤田が言った。
「この記事を見てください。」と言って陽一は雑誌の付箋をしてあるページを開いた。
それは『祇園祭の山鉾巡行をめぐる黒幕を斬る』と題した記事であった。
「山鉾巡行を決めるのはくじ引きでしたが今年は異論が出ていると書かれており、その騒動の黒幕が某建設会社の社長と書かれているのですが、その会社名や社長の名前が書かれていません。お二人にはこの記事の真偽を調べて欲しいのです。会津山城会がその建設会社を恐喝するつもりで書かれた記事かも知れません。特に、捜査4課には判らないように行動してください。」
「どこから手をつければよろしいでっか?」と藤田刑事が訊いた。
「記事の内容で確認したい事があると云う理由で鳥羽出版社に行ってください。」
「何を聞けばよろしいのどすか?」
「ある建設会社の汚職事件の捜査と云う事にして、記事の某建設会社が何処なのかを訊き出してほしいのです。それと、鳥羽出版社の内情や記者などの顔を見てきてほしいのです。何人くらいの社員がいて、会社の部署構成など何でも気に着くことを調べて来てください。祇園祭の山鉾巡行の件はこちらからは話し始めないで下さい。相手が話したら踏み込んで聴いてもらっても良いですが、くれぐれも積極的な姿勢は見せないようにお願いします。警察が鳥羽出版社に関心を持っていることは気取られないように、くれぐれもお願いします。」
「なかなか難しそうどすが、判りました。」
京都一人旅の女14;
東京都渋谷区恵比寿のマンション『メゾンテラス』
京都駅で午前10時過ぎの新幹線に乗り、新横浜で降り、JR横浜線の菊名で東急東横線に乗り換え、朝見陽一が渋谷に到着したのが午後1時30分過ぎであった。JR山手線で恵比寿駅には午後2時前に到着した。前年の秋に開業したばかりの複合施設・恵比寿ガーデンプレイスを訪れる人の群から逃れ、静かな住宅街を歩いて恵比寿4丁目にあるのマンション『メゾンテラス』に着いたのが午後2時過ぎであった。
『メゾンテラス』は8階建で、1階は管理事務所や集会所などがあり2階からワンフロアーに10戸づつ、合計70戸が居住する中型高級マンションであった。玄関扉の鍵は暗証番号形式であるが、平日の午前10時から午後4時までは1階玄関ホールの管理事務所に事務員が在籍しており、玄関扉は開いていた。玄関にある集合郵便ポストの701号室箱には香取君代の名前が表示されているのを朝見陽一は確認していた。そして、管理事務所の受付に挨拶した。
「701号室の香取様を訪問したいのですが、ご在宅でしょうか?」
「貴方はどちら様ですか?」
「京都府警の朝見と申します。」と言って陽一は警察手帳を開いて身分証明書を提示した。
「これは、刑事さんでしたか。香取さんがお勤めに出て行かれるのはいつも4時前頃ですからお部屋に電話してみます。」と言って男性事務員が電話を取った。
「管理事務所ですが、香取様ですか?」
「そうです。」
「今、受付に京都府警の刑事さんがお見えですが、お部屋にご案内してよろしいですか?」
「刑事? 用件は何か聞いていただけます?」
「御用件は?」
「京都の大原で会った1千万円の忘れ物の件でお話をうかがいたいのですが。」
「1千万円の忘れ物の件らしいです。」
「ああ、あれね。良いわよ。7階に上がってもらって、ドアホンを押すように言ってくださいな。」
「承知しました。では、電話を切ります。」
「あちらのエレベータで7階に上がり、701号室のドアホンを押してください。」
「ありがとうございます。」と言って陽一は3台あるエレベータホールに向かった。
メゾンテラス 701号室内
室内に案内された陽一は応接間のソファーに座った。
「今、コーヒーを入れますから、少しお待ちください。」
「お構い無く。」
「私は、出勤する前にコーヒーを飲むことにしてますの。お気になさらずに。」
「そうですか。それではお言葉に甘えます。」
しばらくして君代がコーヒーを御盆に載せて運んで来て、応接テーブルに置いた。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
「お砂糖とミルクは?」
「いえ、コーヒーはブラックにしてます。」
「あらそう。ところで、どこかでお会いしましたか?」と君代は砂糖をカップに入れながら訊いた。
「たぶん。」と陽一が言った。
「やはり。なんとなく見覚えがありますわ。でも、お名前が出てきませんの。ごめんなさいね。」
「朝見陽一です。」
「あっ。朝見君!」と高校時代の面影を感じて君代が叫んだ。
「そう、僕だよ、君代ちゃん。」
「あっはっはっは・・・。お久しぶり。」
「相変わらずだね、君代ちゃんは。」
「何が相変わらずなのよ?」
「その呆気ら漢としたところさ。」
「ええっ、そうかしら。私のどの辺が呆気羅漢なのよ。」と言って君代はコーヒーカップに口をつけた。
「H高校からの帰えりの京浜東北線車内で君代ちゃんの要望で試験結果の見せ合いをしたのを覚えているかい?」
「そんな事あったかしら?」
「君代ちゃんが得意とする社会課と英語だけだったけれどね。」
「ああ、そうだったわね。思い出したわ。」
「君の社会はいつも95点くらいで、英語も90点以上だった。僕はどちらも90点の手前だった。車内でこの点数を大きな声で比べるて『勝った』と叫ぶもんだから、周りの乗客がいつもくすくす笑っていたよ。」
「あはは。そうね、私、記憶力が良かったから自慢したかったのよね・・。」
「そう。君の記憶力は抜群だった。」
「記憶をする時はね、他の記憶と関連付けるのがコツなのね。そのためには広く浅い知識を持つことと、身の廻りを観察する習慣を着ければいいのよ。」
「なるほどね。その記憶で京都大原の食事処で見た光景を思い出してほしいのだが・・・。」
「一千万円の入っていた生八橋の紙袋の忘れ物があったお店のことね。」
「そう。周りにどのような人間が居たかを思い出してほしいのだが。」
「そう言われても、試験勉強じゃないからそれほど集中していたわけでは無いのよね。」
「君代ちゃんの自分の周辺を観察する能力は衰えてしまったのかな?」
「朝見君は相変わらず挑発的ね。その性格は警察向きだわね。」
「まあ。それは冗談として、思い出してくれないかな。」
「例えば、何か訊いてくれる?」
「周辺の席に座っている人だけでは無く、店の外に居た人とかで気になる人は居なかった?」
「うーん。気になることね・・・・・・。そう云えば、私の隣の席は忘れ物を見つけた女性だったけれど、その向こうに居た男性はなんとなくそわそわ、きょろきょろとしていたわね。なんとなく店の外を気にしていたようだったわ。」
「何歳くらいの男だった?」
「うーん、そう来るのか・・・。30歳代かな・・・。うん、そんな雰囲気ね。」
「店の外には何があったのかな?」
「二人の男性が木立の陰で立ち話をしていたわね。そう、お店に入る前からその二人の男性は居たのよね。私がニシンそば食べて出てくるまでいたから30分以上そこに居たみたい。同じ場所で、まるで刑事が張り込んでいたみたいにね。あっははっは。朝見君も張り込みしてるの?」
「まあ、それも仕事だからね。」
「御愁傷さま。」
「君代ちゃんには敵わないな。ところで、出勤が夕方と云う事は水商売でもしているのかい?」と陽一が単刀直入に聞いた。
「相変わらず鋭いわね、朝見君は。」
「まあ、ちょっと聞いてみただけさ。」
「そうよ。今は銀座のクラブのホステス。銀座と云っても新橋に近い場所だけれどね。」
「クラブの名前は?」
「『プリンセス』よ。お客様で来店してくれます。」
「まあ、それは無いと思うね。捜査の為なら行くけれどね。」
「有り難くないお客ね。」
「悪いね。」
「ほんと。」
「有り難くないついでにもう一件訊きたいのだが、良いかな?」
「だめって言っても、訊くんでしょ。」
「まあ、そうだね。刑事だから。」
「遠慮なくどうぞ。」
「この近くのアメリカ橋公園で殺人事件があったのを知っているかい?」
「そうらしいわね。この近くのコンビニの店長さんから聞いたわ。ピストルで撃たれていたそうね。あまりテレビのニュースとかは見ないから詳しいことは知らないわ。」
「滝口徹と云う京都の祇園でホストをしている男が殺されていた。」
「えっ、今、何て言ったの?」と君代が訊き返した。
「殺されていたのは滝口徹だ。」
「ほんとに?」
「知り合いかな。」
「ええ、まあ。京都に行った時に知り合った人よ。」
「それじゃ。この写真は君かな?」と云って陽一が上着のポケットから例の写真を取り出して見せた。
「来ている和服は私のものと同じだわね。」
「滝口とこの写真の女性が銀座のデパートを歩いている時に監視カメラに記録された映像から写し取ったものだ。渋谷中央署の刑事から預かった写真だ。」
「それなら、この写真の女性は私だわね。警察って、すごいのね。」
「捜査するのが仕事だからね。」
「それで、君代ちゃんに訊きたいのは、滝口が東京に来た理由を知っていれば教えてもらいたいのだが。」
「それは聞いてないわ。渋谷駅近くホテルに宿泊しているとは言っていたけれど、旅行の目的は知らないわ。まさか、私に会うためとは思わないけれどね。」
「滝口はこのマンションを知っていたのかい?」
「それは無いと思うわ。教えて無いもの。銀座のお店の場所は教えておいたので、お店に来たのよね。その翌日に、銀座のデパートに案内したのよ。そう、香水の手土産を買いたいから相談に乗って欲しいと言われたのよね。女性の好みは良く判らないから選んでほしいと言われたのよ。それで、一緒にデパートに行ったのよ。お昼はデパートの和食処で御馳走になったけれどね。その食事の後、デパートの前で分かれたわ。」
「滝口が女性の好みは良く判らないと言ったのかい?」
「そうよ。」
「ふーん。京都のどこで滝口と知り合ったのかい?」
「京都Tホテルのバーよ。」
「声をかけたのは君代ちゃんから?」
「まさか。見知らぬ人に対して、そこまで積極的ではないわ。滝口さんから声をかけてきたのよ。話が弾んで意気投合したのは確かだけれどね。」
「滝口と話していて彼の経歴などは話に出なかったかな?」
「そうね。九州福岡県の出身で高校を卒業してすぐに京都へ出てきてアルバイトをしていた時に松宝映画社京都製作所のニューフェースのオーディションに応募して落選したみたい。私も高校卒業後に長野から東京に出て来たのは東竹映画の女優のオーディションに合格したからだったので、境遇が似ていたので意気投合したのよ。」
「君代ちゃん、女優をしてたの? なぜ女優をやめて水商売に転身したの?」
「セリフを覚えるのは得意だったけれど、決められた役の性格を演じることが出来なかったのよ。与えられたどの役も同じ性格というか、自分そのものになっちゃったのよね。いつも監督から叱られっぱなしで、役者には向いてないと気が付いたの。女優を辞めようかと悩んでいる時に『プリンセス』のホステス募集の広告が目には入って、それを見て応募したら合格しちゃって、それで水商売。」
「水商売は君代ちゃんの性格に合っていたのかな?」
「まあ、そうみたい。ホステスを楽しくやっているわ。そんなところね。」
「それは良かったね。いや、今日は有り難とう。多いに参孝になったよ。」
「朝見君のお役に立てて、良かったわ。」
「それで、滝口の事件を捜査している刑事がもう一度確認に来るかも知れないがよろしく頼むよ。」
「もう一度話すの・・・。」と君代が嫌そうに言った。
「ごめんね。僕は殺人事件の捜査員で無いから。捜査員は君が犯人でないかどうかを自分の感覚で確認するのが習性になっているのでね。」
「私が疑われる訳ね・・・。」と弱ったなと云うように君代が言った。
「まあ、そう云う事だね。でも、僕からは知り合いの刑事に無実だと思うと言っておくよ。」
「お願いね。『プリンセス』に来られるのはちょっと困るわね。」
「それから、君代ちゃんと僕が同級で知り合いだったことは捜査に来た刑事には黙っておいた方が良いよ。変な先入観を与えると良くないから。まあ、訊かれたら正直に答えて良いけれどね。」
「判ったわ。」
「このコーヒー、ほんとうに美味しかったよ。」
「そうでしょ。私が考えたブレンド割合のコーヒー粉を店の人に作ってもらったのよ。」
「流石、君代ちゃんだね。じゃあ、これで失礼するよ。そろそろ出勤の時刻だろ。」
「そうね。じゃあ、玄関まで送るわ。」
「それじゃ、ここで。」
「それじゃ、また。」
二人は軽く手を上げてマンションの玄関先で別れた。
朝見陽一の遠ざかる背中を見ながら、君代はH高校時代の帰り、王子駅を出て朝見といつも別れた時の情景を思い出していた。
「朝見君のバカ。『何か訊いてくれる?』って言った時に『僕の事をどう思う?』と訊いて欲しかったのに。他の事には鋭いのに、女心にはホント鈍感なんだから、もう・・。高校時代とちっとも変らないわね。でも、私って呆気羅漢に見えるのかしら? 仏教用語の羅漢は修行中の聖者って意味だから、まんざらでもないわね。私も聖者に負けないようにしっかり京都のお寺を訪問して修行しなくっちゃ。呆気羅漢とね。あっはっは・・。」と呟いた。
一方、朝見陽一は足立刑事に「君代ちゃんの事をなんと伝えるのが良いのかな?」と考えながら恵比寿駅に向かって歩いた。
京都一人旅の女15;
夕刻4時半ころ 渋谷中央署の捜査一課会議室
朝見陽一と足立刑事が話している。
「判りました。それではこう云う事にしましょう。私が朝見さんに呼び出されてご一緒に恵比寿のマンションに行き、香取君代さんから事情を聞いたことにして捜査本部には報告いたします。」と足立刑事が言った。
「無理を言って申し訳ないですね。」
「いいえ。朝見さんが無実と仰るのですから、それに間違いはないと思います。むしろ、滝口徹が香水の土産を買った相手のセレブを突きとめる方が重要だと思います。」
「そうですね。」
「その為には、もう一度、祇園のクラブ『桜』に行って滝口徹の顧客に関する情報を集める必要があります。特に関東在住の顧客が居たかどうかを・・。」
「その通りですね。」
「それで、京都府警にはもう少し協力をお願いしなければなりません。朝見課長からも捜査一課によろしくお伝えくださると有難いのですが。」
「判りました。私から言うよりも刑事局長から言ってもらうようにします。」
「えっ。刑事局長にお願いできるのですか?」
「はい。大丈夫です。今、橘刑事局長からのご依頼で私がある事件の解決のお手伝いをしていますから、否とは仰らないでしょう。明日の朝、警察庁に出向いてお話をしておきます。」
「それは心強いです。よろしくお願いします。」
「何か用事でも発生したら、ここに電話してください。実家の電話番号です。明後日まで実家に泊っています。」と云って陽一はメモを足立刑事に手渡した。
京都一人旅の女16;
夕刻7時ころ 銀座のステーキレストラン「マツヒロ」の個室
ステーキに野菜サラダと黒ビールで食事をしながら二人は話している。
「京都は慣れましたか、朝見君」と警察庁警備局長の村越栄一が言った。
「まあ、だいぶん慣れてきました。」と朝見陽一が答えた。
「細君とお子さんはどうですか?」
「妻も寺巡りなどをしながら京都生活をエンジョイしています。子供も幼稚園に慣れて、楽しそうにしております。」
「それは何よりです。」
「ところで、スイスで死んでいた松崎重成に関して新しい情報は有りますでしょうか?」
「松崎重成の戸籍や住民票を調べ、松崎家と上野家の関係が判ってきました。松崎重成の住んでいた川崎市多摩区登戸のアパートと稲城駅近くにある上野家とは5Kmくらいしか離れていない。松崎は自転車で上野家までよく来ていたようだ。実は登戸には別の問題がある。」
「別の問題とは?」
「戦前から戦中にかけて陸軍科学研究所登戸出張所、俗に登戸研究所と呼ばれる陸軍省管轄の建物があった場所です。」
「確か、今は明治大学生田キャンパスがある場所ですね。」
「その通りです。昭和14年(1939年)に設立された登戸研究所のあった場所は上野家が所有していた土地だったのです。」
「上野家が供出したわけですか。」
「まあ、強制的に国が奪ったと言った方が正しいかな。それでも敗戦前はかなり広大な土地を持っていたらしい。戦後のアメリカ主導による農地改革で、家屋だけの土地になってしまったようだ。」
「当時の陸軍に逆らう者はいなかったですからね。」
「まあ、上野家も明治新政府によって所有を認められた土地だから政府に返還したようなものだ。上野家の土地は江戸時代には徳川幕府の天領であった場所です。郷士であった上野家は新田開発をした土地で稲作を含めた農業に従事し、稲城地域の6ケ村の大名主で村民が幕府に納める年貢米の取りまとめをしていたようです。ところが幕末、敗色が濃い徳川幕府に見切りをつけ、西郷隆盛が率いる東征軍による街道沿いの村々に出された食糧や人馬供出の要請に協力したようです。」
「徳川幕府ではなく官軍に就いた訳ですね。」
「官軍は東海道、東山道、北陸道に分かれて東征し江戸を目指しました。西郷が率いる東海道東征部隊は静岡(駿河)から山梨(甲斐)の甲府に入り甲州街道を江戸に向かう分隊を作りました。その分隊に協力したのが上野家です。西郷が本陣を置いた東海道品川宿の手前にある荏原村へ行く連絡通信員の道案内をしたのが上野家の先祖だった。この為、上野家は明治政府の要人たちと懇意になり、明治政府から稲城地域の土地を与えられることになったようだ。上野家は鎌倉時代には武蔵七党と呼ばれた武士集団の中の児玉党の武士であったらしい。」
「上野家は明治政府の要人の知人だった訳ですか。」
「だから、昭和に入っても陸軍には積極的に協力していたようだ。戦前から上野家に出前などをしていたウナギ屋が稲城駅近くにあり、そのウナギ屋のご隠居が戦時中の上野家のことを詳しく知っているようだ。そのご隠居の話では松崎重成の祖父は上野家の下男だったらしい。戦後、重成の父親も上野家に住み込みで働いていたらしい。現在の上野家の主人は忠雄と云い、淳と云う一人息子がいたらしいが三年前くらいに家を出て外国に行ってしまったと云うことだ。上野淳と松崎重成は子供のころから一緒に遊んでいたらしい。その上野淳はどこの国に行ったのですか?」
「外務省の記録を調べたところ就労ビザを取得してドイツに行ったようだ。」
「ドイツですか・・・。」
「松崎重成が上野淳に会いに行った可能性も考えられるが調査で判っているのはここまでです。上野淳に関しては外事課で調査中です。それから、主人の上野忠雄は何を訊いても知らないと言うだけだったそうだ。何か秘密があるのだろうが、それが何なのかは不明です。」
「松崎重成と上野淳の関係を詳しく知っているのはウナギ屋のご隠居ですかね。」
「まあ、そうだね。ウナギ屋の正確な場所は総合情報分析室の秋山君に訊いてみたまえ。」
「七係の秋山さんですね。」
京都一人旅の女17;
京王相模原線稲城駅近くのウナギ屋、午後2時過ぎ
朝見陽一がうな重を食べながら老人と話している。
「そうすると、松崎重成は大学を出た後、上野家の家屋管理をしていたのですね。」
「そうです。重ちゃんの両親が亡くなってからは御主人の忠雄さんが重ちゃんの面倒を見ていました。上野家の離れにずーっと住んでいて、大学の授業料も忠雄さんが出していたようですよ。」
「そのころ、上野忠雄さんの息子の淳さんはどうされていたのですか?」
「淳ちゃんは重ちゃんより3つか4つくらい年上で、重ちゃんが大学に通いだした時には東京都内の会社に就職して働いていたようです。忠雄さんの話では貿易会社か何か、そう、大きな商社に入ったという話でした。えーと・・・、商社の名前は忘れました。ところが、有るとき、淳ちゃんが外国に行くと言って家を出たのです。忠雄さんと淳ちゃんはかなり揉めたようですがね、結局、淳ちゃんは上野家を出てしまいました。その後の淳ちゃんの事はよく知りません。」
「それはいつごろですか?」
「今から3、4年前でしたかね。忠雄さんが嘆いていました。そう、嘆いていたと云えば、重ちゃんがたびたび蔵の物を何処かに持ち出して、蔵の中がさびしくなったって言ってましたね。そのころの重ちゃんは大学を卒業してからは登戸に住んでいましたね。重ちゃんはワルだって忠雄さんはこぼしてました。」
「松崎重成は登戸に住んでからの仕事は何をしていたのですか?」
「登戸から自転車に乗ってきて上野家の家屋や蔵や庭などの管理、手入れをしていましたが、あるときからきっぱりと辞めたようです。それでも時々は上野家に来ては居たようですがね。現在、管理人を引き継いだのは丸山とか云う人で、昔から上野家に出入りしていた人の子孫だそうです。上野家と云うのは鎌倉時代からの武士だったそうで、その家来だったのが松崎家であり丸山家だったらしいです。」
「そうですか、武士の家柄ですか。」
「徳川幕府の御家人では無いから、郷士とよばれ、農民と同じだったって忠雄さんが言ってましたけどね。」
「松崎重成は上野家の管理人を辞めてからは何をしていたのか、ご存じですか?」
「いや、よく知りません。」
「松崎重成は上野家の蔵から持ち出したものをどうしたのかご存知ですか?」
「まあ、骨董屋にでも売り渡してお金に換えていたのではないですかね、よく知りません。」
「どんな品物を持ち出したのですかね?」
「さあ、忠雄さんからは何も訊いてません。そう云えば、一度、重ちゃんがこの店にウナギを食べに来た時に訊かれた事がありました。」
「何を訊かれたのですか?」
「『まだ上野家には外国人が訪ねて来るか?』ってね。」
「上野家に外国人が来たことがあるのですか?」
「ええ、男の人が御一人、時々来てましたね。いつもウナギの出前を持って行きましたよ。」
「白人でしたか?」
「ええ。ヨーロッパから来ているとか忠雄さんが言ってましたね。」
「何しに来ていたのですかね?」
「さあ、それは知りません。最近は重ちゃんの姿を見かけなくなりましたね。如何しているのかな・・・。」
「実は、ヨーロッパのスイスでお亡くなりになりました。」
「えっ。重ちゃんが死んだ・・・。ほんとですか?」
「はい。事実です。湖に浮かんでいるのが発見されました。」
「あれまあ、そうですか・・・。」
話の間にうな重を食べ終えていた陽一が言った。
「いろいろとお話ししていただき有難うございました。」
「いやいや、如何と云う事はありません。」
「お勘定をお願いします。」
「レジでお願いします。おーい、お客さんがお帰りですよ。」
京都一人旅の女18;
京都祇園花見小路新橋東入ル ホストクラブ『桜』 午後4時過ぎ
開店前の準備にはいっているクラブ『桜』の扉を開けて3人の刑事が中に入った。
「まだ、準備中ですが。」とホストの一人が言った。
「京都府警の遠藤です。」と言って警察手帳を見せた。
「これはどうも。」
「マネージャーは居てはるか?」
「事務所に。呼んで来ましょか?」
「いや、事務所へ案内してくれますか。」と足立刑事が言った。
「何の御用です?」
「滝口徹さんのことについて訊きたいのです。」と沖永刑事が言った。
「前に来はった刑事さんですか?」
「そうや。」
「それでしたら、どうぞ。」と言って、ホストは3人を事務所に導いた。
ホストクラブ『桜』の事務所
「これは刑事さん。まだ何か調べることがあるのですか?」とマネージャーが言った。
「滝口徹の顧客の名前と住所を知りたいのだが、判るかな。」
「盆暮れに付け届けをする顧客リストがありますから、ちょっと待って下さい。」と言ってマネージャーはスチール棚を開け、書類ファイルを取り出し、ページを捲った。
「これです。滝口の顧客リストです。」
3人の刑事はファイルを覗き込んだ。
「68人も居てるんか。滝口はんはえらい人気やな。」とA4サイズで2ページにわたる滝口の顧客リストを見て遠藤が言った。
「全国に亘ってますね。」と沖永刑事が呟いた。
「『そうだ、京都に行こう』のTVコマーシャルのおかげで女性には人気があるんですよ。」
「名前の前に付いている印は何ですか?」と足立刑事が訊いた。
「二重丸は独身者で必ず贈る女性です。一重丸は御亭主がいてはる女性ですから、滝口徹で無く滝口徹子の名前で贈る女性です。御亭主にホストクラブに出入りしていることが判るとトラブルが発生しますよってね。」
「なるほど、考えとるな。」と遠藤が感心して言った。
「リストのメモを取らせてもらいますよ。」と足立刑事が言った。
「刑事さん。そこのコピー機でコピーしてあげますわ。」とマネージャーが言った。
「それは助かります。」
「開店前に刑事さんに長居されたら準備が遅れますから。」とマネージャーが皮肉を言った。
「そら、済まんこっちゃな。」と遠藤が言った。
「コピーを貰ったらすぐに退散します。」
「それはおおきに。」と謂いながらマネージャーはファイルから顧客リストのページを外した。
「コピーは2部たのむで。」と遠藤が言った。
「2部ですか?」
「そうや。警視庁の分と京都府警の分や。」
「はい。判りました。」
クラブ『桜』を出た足立刑事と沖永刑事は東大路通りでタクシーを捕まえ、京都駅に向かった。
二人の刑事を見送った後、遠藤は木屋町方面へ歩いて行った。
京都一人旅の女19;
東京行き新幹線ひかりの中
自由席のシートに二人の刑事が座ている。
沖永刑事は居眠りをしているが、足立刑事はクラブ『桜』で受け取った滝口徹の顧客リストのコピーを眺めている。
「これは・・・。竹井春子、住所は東京都渋谷区恵比寿南一丁目のヒルコートレジデンス909号室。竹井春子は境連合堺組の組長の女だった。捜査4課の所属だった6年前、境連合傘下の道玄組のヘロイン密輸に絡んで堺組が背後で指示を出したのではないかと云う事で組長の周辺を捜査した。指示の証拠は出なかったが、あの時、竹井春子が道玄組の組員とホテル『グランドバレー』のロビーで会っている場面を見た。会話の内容は判らなかったが組員が度々うなづいていた。『グランドバレー』は滝口徹が宿泊していたホテルだ。ヒルコートレジデンスからアメリカ橋を渡るとアメリカ橋公園がある。竹井春子が住んでいるマンションで滝口徹は竹井春子と会っていたのかもしれないな・・・。では、何故に滝口徹はアメリカ橋公園で殺されたのか?現場の血痕の状態から推測して、他の場所で殺されてから運ばれたとは考えられない。堺組か道玄組が関係しているのか? 京都府警の遠藤係長の話では堺連合が京都進出を画策しているらしいが・・・。滝口徹とは何者なのか? 滝口徹と竹井春子の関係は単純にホストと顧客の関係だけなのか? 滝口徹の周辺を洗う必要があるな・・・。竹井春子は今でも堺組の組長の女なのかどうか?」と足立は考えを巡らせていた。
渋谷中央署
午後8時過ぎに渋谷中央署に戻った足立刑事は朝見陽一の実家に電話をかけた。
「はい。朝見です。」
「渋谷中央警察署の足立と申します。陽一さまはいらっしゃいますでしょうか?」
「お待ちください。兄さん、電話。」
「誰から?」
「渋谷中央警察署の方から。」
「はい。陽一です。」
「渋谷中央警察署の足立です。」
「何か在りましたか?」
「はい。実は、滝口徹の顧客リストをクラブ『桜』から手に入れたのですが、その中に堺組組長の女である竹井春子の名前がありました。5年前、朝見課長は竹井春子に関して調査されていましたよね。」
「よく覚えていましたね。当時、渋谷のパチンコ店を監視していた時に現れた女性です。確か、竹井春子は横須賀の出身で堺組組長の堺寛一と同郷です。横須賀で小さなスナックを開いていた時に、まだ中学を出たばかりで縁日などで遊んでいた堺寛一と知り合い、堺の面倒を見た女性です。堺寛一より7歳くらい年上だったと思います。竹井春子の両親はK国出身で、戦前に日本に働き口を求めて来たようです。堺寛一を堺組組長に押し上げたのは竹井春子だとの噂がありましたが真偽の程は不明です。ただ、戦後生まれの竹井春子は的屋稼業をしていた父親の関係で、その筋の人物たちと関係が深かったようです。そういう観点で堺連合を見れば噂も真実かもしれません。今、覚えていることはそんなところです。もっと詳細を知りたければ警察庁警備局の記録を調べる必要があります。」
「ありがとうございます。夜分にお電話をして申し訳ありませんでした。」
「いいえ。お役に立ちましたか?」
「はい。」
「そういえば、竹井春子の住むマンションはアメリカ橋のすぐ近くでしたね。」
「その通りです。」
「なるほど。滝口徹の殺人に竹井春子が関与している可能性がある訳ですね。」
「はい。先入感は危険ですが、可能性は多いにあると思います。」
「京都府警でお手伝いすることがあれば私に連絡を下さい。遠藤係長と藤田刑事が動いてくれると思います。」と陽一は言いながら、祇園の問題に堺連合が関与している可能性を考えていた。
京都一人旅の女20;
京都府警 刑事部組織犯罪対策国際課 午前10時頃
朝見陽一と遠藤係長、藤田刑事が応接ソファに座って『鳥羽出版社』話している。
「『京都フォーカス』の記事あった某建設会社とは、なんと『平安土建』どした。」と遠藤が言った。
「『平安土建』とは祇園のホストクラブ『桜』のオーナーが社長をしている会社でしたね。」
「某建設会社の汚職の捜査で訊きたい事があって来たと言うたら、総務部の奴が『京都フォーカス』の記事の件と勘違いして話しよったんですわ。」
「それはラッキーでしたね。オーナー社長の名前は上村雄一郎でしたね。」
「その通りどす。相手も『平安土建』の汚職相手の名前を知りたがりよったんですが、守秘義務で押し通しました。何せ、何のネタもない話どしたからね。」
「それで、その総務部の奴が言うには、上村雄一郎は市会議員の玉木茂蔵を支援しとるそうですわ。玉木茂蔵は丹波篠山を地盤とする議員どす。まあ、それ以上の情報は集められ前んでした。」
「鳥羽出版社の組織形態などは判りましたか?」
「まあ、四課に聞くなと云う事でしたので詳しくは判りませんでしたが。会社は雑居ビルの4階のワンフロアを借りとりました。社員が居る場所の広さは、12畳くらいで、総務部と社会部と編集部がありました。事務机は2列×3卓の6卓が3部あり、全部で12卓でした。ですから、各部署が6人づつで構成されとるようです。部長もその6卓の一つですわ。あと、社長室と書かれたドアーがありましたが、中は見えませんどした。私らが訪問した時は7人が事務所に居りました。女性が2名と男性が4名。それと総務部長1名ですわ。6人掛けの応接テーブルも12畳の部屋の片隅にあって、そこで総務部の奴と話をしました。話し声は部屋中に筒抜けですわ。密談するなら場所を変えんとあきまへん。」
「そうですか。いや、大変役に立つ情報を取って頂いて有難うございます。」
「いやー。そう仰っていただけると苦労した甲斐があります。」
「いえ。本当にありがとうございました。」
「それで、一千万円の方はどうでしたか?」と遠藤が朝見に訊いた。
「係長、一千万円云うて、何でんねん?。」と藤田刑事が訊いた。
「ああ、お前は知らんかったな。大原の食堂で一千万円の忘れ物があったんや。それを見つけはったんが朝見課長の奥方や。」
「それは何時の事でっか。」
「4月上旬やった。藤田が4課と一緒に朽木村の龍昇会組長を監視している頃や」
「その食堂云うて、『みゆき茶屋』とちゃいます?」
「なんや、知っとるんかい。」
「竹中武文の後が釜で竹中産業の社長になった菊川信司を尾行しとる時でした。菊川が大原付近を朽木村に向かって車を走らせとったんですが、急に左折して寂光院のほうへ行きよったんですわ。尾行を気付かれたみたいでしたが、とにかく尾行を続けたんですわ。そしたら、菊川の奴、『みゆき茶屋』の近くの有料駐車場に車を止めて、紙袋を持って行きよったんですわ。私らは外の木陰から中の様子を注意しながら見ておったですが、女性が二人出てきて忘れ物がどうとか言うて騒いどりましたが、二人は別れ、そううちパトカーが来て一千万円がどうのと言う声が茶屋の中から聞こえた後、菊川が出て来よりました。持って入った紙袋は持って出て来よりましたのでそのまま尾行したんですが、結局、途中越えから琵琶湖大橋を渡り、そのまま京都に帰って来よりました。その日は空振りでした。」
「その紙袋は八ツ橋の土産袋ではなかったですか?」と朝見が訊いた。
「さあ、そこまでは注意しとりませんでしたが、小さめの紙袋でおました。」
「たぶん、一千万円を入れていた紙袋は二重にしてあったのでしょう。尾行されているのに気が付いた菊川は、職務質問を受けて一千万円を見つけられるのを恐れたのでしょう。外側の紙袋を抜いて、如何にも紙袋を持っているように見せかけようとしたのでしょう。たぶん、朽木村に居る組長に渡すお金だったのでしょう。尾行している刑事が『みゆき茶屋』に入ってきて所持品を改められた時を想定して、はじめに座った席の手荷物置台に1千万を隠し、すぐに別の席に移った。ところが、はじめの席に香取君代が座ってしまい、彼女が出て行く時に忘れものと思った私の女房が紙袋を持って彼女追いかけた。と云ったところでしょう。」
「そう云う事どすか。それで落とし主が現れんかったんどすな。」と遠藤が肯くように言った。
「身を隠している龍昇会組長の生活資金を朽木村に届けるつもりだったのでしょうかね・・・。」
京都一人旅の女21; 自首
渋谷中央署の玄関
捜査本部の刑事たちが竹井春子に関する訊き込みを始めた二日後の事であった。
暴力団員風の男が渋谷中央署の玄関に現れた。
「どちらに用事ですか?」と、警備杖と呼ばれる白樫製の長棒を持った門番の警察官が訊いた。
「これや。」と言って、男はポケットからサイレンサー付の拳銃を取り出した。
「たあー」と大声で叫んで、身構えていた警察官は警備杖で拳銃を払った。
そして、男に向かって警備杖を構えた。
「何をしやがる。」と男は叫んだ。
大声を聞いた警察関係者が数人、署内から飛び出してきた。
「自首や。アメリカ橋公園の殺しは俺や。」と男は叫んで両手を警察官に向けて差し出した。
京都一人旅の女22; 捜査本部終結
アメリカ橋公園殺人事件捜査本部
「自首してきたのは、安藤卓也、28歳。道玄組のヒットマンだ。殺しは自分の意思でやったと言っている。動機は『アメリカ橋の狭い歩道ですれ違った時に滝口がぶつかって来たのに謝らなかった。滝口は酒に酔っていたが、腹が立ったのでアメリカ橋公園に引きずり込んで、持っていた拳銃で撃った。夜中近くで公園内には他に人は居なかったので殺した。警察が動き出して道玄組や堺連合に迷惑を掛ける訳にはいかないので自首してきた。』と供述している。真偽は不明だが、安藤が自分から供述を覆すことはないだろう。遺体から取り出した銃弾の線条痕と安藤が持っていた拳銃の線条痕は一致した。実行犯は安藤だろう。」と捜査本部副部長が言った。
「誰かの替え玉、あるいは堺組の指示があったと云う事はないのですかね。」
「安藤卓也に関しする捜査4課からの情報では、様々な事件に関与している可能性があるが証拠が上がらない。アリバイ証言などもあるようだ。安藤は道玄組のヒットマンであることは間違いない。」
「その男が今回の事件では自首して来たと云うのは、腑に落ちませんが。」
「そうは云えるが、これ以上の無駄な経費は使えない。刑事部長とも相談して、ここは捜査本部を閉じる方向で検討することになった。後は、捜査4課における堺連合の調査、監視に任せることになった。以上だ。皆さん、御苦労さまでした。」と捜査本部長が終結宣言をした。
京都一人旅の女23; エピローグ
福岡県太宰府市の西鉄太宰府線五条駅、午後2時ころ
京都府警の朝見陽一に電話して滝口徹の実家の住所と電話番号を確認した香取君代が西鉄太宰府線五条駅の改札を出た。
青味掛った紫色の地味な一紋生地の和服ながら格調がある帯を締めている君代は駅から4分ほど歩いたところにある家のチャイムを鳴らした。滝口家にはあらかじめ電話を入れ道順を聞いていたので迷わずに着いた。
「はい。」
「先日、お電話を差し上げました香取君代でござます。」
「お待ちください。」
玄関のドアが開き、滝口徹の母親が香取君代を屋内に招き入れた。
仏壇には『釈 愛献院楽与徹道居士』と書かれた位牌が置かれている。
御供えを置き、焼香を済ませた君代が母親に挨拶をした。
「徹さんとは短いお付き合いでしたが、教わることが多くありました。特に、他の人に対する愛情の向け方には徹さん独特の優しい雰囲気がありました。感謝しております。」
「わざわざ東京からお越しいただきありがとうございます。徹もあの世で本当に喜んでいる事と思います。毎年、正月には私たち夫婦にお土産を持って帰って来てくれました。ほんとうに良い子でした。人にうらまれるような事もなかったと思います。正月には高等学校時代のお友達とお酒を飲んだりして楽しかったと言っては帰って来たものでした。それが、こんな事になってしもうて・・・。本当に悲しいです。ああ、すいません、下らない事を申しました。ところで、本日は何処かにお泊りですか?」
「はい。この後、太宰府天満宮にお参りをし、博多にあるホテルに一泊いたします。」
「そうですか。お気を着けてお参りください。道真公のご加護がありますようにお祈りいたします。」
「ありがとうございます。」
太宰府天満宮
君代は菅原道真の廟である天原山安楽寺の楼門があった場所にある天満宮楼門の本殿に向かう参道の途中にある太鼓橋の上から心字池を眺めている。心字池には太鼓橋・平橋・太鼓橋と3つの橋が掛っており、それぞれが過去・現在・未来を表しているとされる。
「過去・現在・未来を表す橋か・・。私の未来はどうなるのか知ら・・・。この池の水面を見ていると、何故か長野の鬼無里村を思い出すわね。白髭神社近くの宮沢のほたる祭りが懐かしいわ。高校2年の夏から卒業した年の夏に東京に出るまでの2年間に住んだ場所。飛鳥時代に奈良から遷都を考えられた水無瀬の里が飛鳥時代に鬼退治をして鬼が居なくなったので、平和な里の意味を込めて、鬼無里と名前を変えた。鬼無里はお母さんの生まれた村。お母さんは元気かしら。東京に出てきて以来、一度も帰っていないわね。今年の夏は帰らなくては・・。あのお公家様の里に・・。」と君代は第二の故郷の事を思い出していた。
京都一人旅の女24; エンディング
京都市北区の朝見陽一の3LDKの自宅マンション
妻の和子は1歳の雅人を寝かせる為に和室で添い寝をしている。
年小組の幼稚園児である智美と陽一はリビングのソファーに座ってテレビの歌番組を見ているが、陽一は疲れからか、うたた寝をしている。
テレビからは、永六輔作詞、いずみたく作曲の『女ひとり』の歌声が聞こえている。
和服が似合う3人の女性演歌歌手が1番、2番、3番と順番に歌い継いでいた。
♪ 京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり ♪
♪ 結城に塩瀬の素描の帯が ・・・・・・・・♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 京都 栂尾 高山寺 ・・・・・・・・・・♪
♪ 大島紬につづれの帯が ・・・・・・・・・♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 京都 嵐山 大覚寺 ・・・・・・・・・・♪
♪ 塩沢かすりに名古屋帯 ・・・・・・・・・♪
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第2話 京都ひとり旅の女 完
軽井沢 康夫
2019年 10月29日 午後5時25分 脱稿
参考文献;遺譜(上)(下) 内田康夫著 角川書店 2014年7月31日 初版発行