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約束

  姫川美夜は俺が五歳の時にうちの隣に越してきた。

 うちの両親が共働きの為夜遅くまで帰らなかったせいで、ほぼ毎日美夜の家にお世話になっていた。


  ほんとは俺なんか構う必要なんて、これっぽっちもなかったのに俺を本当の息子のように扱ってくれて美夜とは兄妹みたいに暮らしてきた。

  俺はそんな美夜や父親である昌宏さんと母親である美代子さんの事が大好きだった。


  それはとてもとても幸せで、それまで家族と接する事がほとんどなかった俺に家族の形や、幸せ、大切さ、他にもたくさんの事を教えてくれた。


  毎日毎日、姫川家に入り浸って居たというのに家を訪れる度嫌な顔ひとつせず全員で優しく迎えてくれた。


それは幸せを絵に描いたような理想の家族で、

  初めてだれかの家に泊まったお泊まり会に昌宏さんに泳ぎ方を教えて貰ってやっと泳げるようになった市民プール。まともに泳げもしないのに浮き輪で調子に乗って溺れかけた川遊びや、四人で暑さに負けず盛り上がったスイカ割り。たくさんのお菓子と笑顔を貰ったハロウィン、サンタ姿の昌宏さんとサンタ姿の美代子さんがプレゼントを届けてくれたクリスマス。美夜と美代子さんからのチョコにドキドキしたバレンタイン、返す物が見つからなくて失敗したホワイトデー。

 笑顔で卒業した卒園式、最高の笑顔で迎えた入学式、まだまだ挙げたりないくらいの初めてを経験させてくれた。


いつの間にかこの幸せがずっと続くんだって、そう思っていた。というかそう願っていた思い込んでいたんだ。


  俺と美夜、美代子さんの三人でスーパーで買い物をし終え、家へと帰っている途中で大雨が降り出すものだから雨宿りのためにデパートへ入った。

  すると運悪く当時指名手配中だった通り魔に出くわした。


  俺も美夜も恐怖で足がすくんで完全に動けなくなってしまいその場で死を覚悟した。

 そんな状態の俺達を、美代子さんはなんとか抱きかかえ見つかりにくい通路に俺達を隠すと、


「ここで待っててね。きっと大丈夫だから」


 そう言って自らを囮にして、通り魔の注意を引き通報してから一人で逃げ回った。

  だが、途中で段差につまづいて転んだ美代子さんに煽られて興奮が増した犯人が襲い掛かった。


  目の前で美代子さんが刺されているのに誰も助けようとしない、もちろん俺も例外ではなかった。

  おぞましい程の吐き気に襲われその場で息を潜める事しか出来なかった。


  俺がそこで動けていれば。いや俺が行った所で被害者が増えるだけだったろう。きっとそんな事美代子さんは望んでなかったと思う、俺達を守る為に自らの命を囮にして逃がしたんだから。


  少し遅れて駆け付けた警察官が別の人を襲おうとしている犯人を取り押さえ、事件はあっけなく幕を閉じた。美代子さんのおかげで他に犠牲者がでることはなく、血塗れの美代子さんはすぐに救急車に乗せられた。


 救急車の中で、俺はただじっと美代子さんの手を握っていた。最初から諦めるなんて事はしたくなかった。けどなんとなく美代子さんの命を、生きている美代子さんを感じられる最後のチャンスだと悟ってしまった。


「美夜、翔吾、あなた三人とも……大好き……」

「俺もだよ、美代子さん! そんなのやだよ!? もっと一緒に色んなとこ行こうよ! まだまだ思い出作りたいよ! 俺らを置いてかないでよ……っ!」


  そう、俺が言うとこっちを向いて俺の頭に手を乗せていつもの様に笑った。


  事件から20分後、11月25日、17時49分美代子さんは息を引き取った。

  美夜も昌宏さんも何も言わなかった、ただひたすらに泣いていた。


 ありふれた、それでいてとてもとても幸せな日々。それを一瞬にして奪った犯人はあっけなく逮捕され、一度は執行猶予が付けられたものの最終的に極刑が言い渡された。


  でも、そんなの許せないじゃないか。

 相手は誰でも良かったらしい、一人で死ぬのが嫌だった。だから、どうせなら誰か道連れにしてやろうと思った。


 なんていう、自分の事しか考えられないようなクズ中のクズのクソみたいな思考のせいで美代子さんは……!

 あの時感じたこれまでにない怒りは未だに覚えている。

  ふざけんなよ……っ!

 何故、なんで美代子さんが殺されなくちゃいけないんだ?


 一人で死にたくなかったから? なんだよ、それ!

 お前みたいなクズが、お前みたいなクズの気まぐれで……俺の、いや、俺達の大事な大事な家族を奪ったんだぞ!?

 なあ、返せよ! 俺達の家族を返せって言ってんだろうが!

 お前はいいよな! こんな事したくせに結果的に望み通り死ねたんだからさ!


 思い出すだけで、怒りがふつふつと蘇ってきてしまう。

  いつまで経っても、それこそ既に実刑された今も、決して美代子さんが帰る事はない。


 そして、この怒りを忘れられる日はまだ来ない。

  既に犯人が居なくなった今復讐する事すら叶わないんだから。


  突然の別れはまだ小さかった俺達にはとても耐え難いもので、俺は行き場のない悲しみとやり場のない怒り、この世の理不尽さをたった7歳で嫌という程思い知らされた。


  だけど美夜はあれから3年間ずっと人前では泣く所を見せなかった。

  あの時からまるでいっさいがっさい感情も表情も全てが消えてしまったかのように。


 だから俺は10歳の時に美夜とこんな約束をしたんだ。


  「どうして、どうしてだよ……お前は美代子さんが居なくなって悲しくないのかよ!?」


  「悲しいに決まってるよ」


  「じゃあ、なんで平気な顔で居るんだよ!」


  「こうしてないと、気持ちが収まらなくなるから……」


  「そんなのいいから泣けよ! 泣いてくれよ……! 我慢なんかしてんじゃねぇよ!」


  「泣かない。天国にいるお母さんが安心できるように私だけでも笑って見送らないといけないの。みんな泣いてたらお母さんが心配しちゃうでしょ?」


  「なんだよそれ、一人で背負い込み過ぎだろ……

じゃあ辛い時は、俺が美夜の代わりに笑う。だから、そしたらその間は美夜も好きなだけ泣けるだろ?」


  「うん、そうだね……ぐすん……っ。うわぁぁぁああ……! お母さん、お母さん……! ずっと、ずっとずっとみんな一緒が良かったのに……なんで、なんでなの……もっともっと、みんなといっぱい楽しい思い出作りたかったのに……もっと甘えたかった。遊びたかった、笑って欲しかった。叱って欲しかった。褒めて欲しかった。まだたくさん話したい事だってあったのに、それから、それから……どこに行っても忘れないから! 大好きだよ、お母さん……!」


  それがあれから初めて見せてくれた美夜の本音だった。一番辛かったはずの美夜が、3年間ずっと溜め込んできた嘘偽りのない年相応の気持ち。

 あの時から一度だけ自分の中の気持ちを一生懸命吐き出した瞬間だった。

 それまで一人で抱え込んで誰にも吐き出せず、どれ程辛かっただろう。


 美夜の感情や表情は今の所相変わらずだけれど、美夜が辛い時、俺が近くで笑っていられるように。本当に辛い時、美夜が壊れてしまわないように、美夜に笑顔でいてもらうために、これからもずっと美夜のそばに居ようと決めた。

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