表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

連想的に色々な社会問題についてつづるエッセイ

 小説投稿サイト「小説家になろう」で、MBSラジオ短編賞という企画が立ち上がりました。これは、どうもあまり人気のないジャンルに光を当てようってものらしく、その狙いは明白なんじゃないかと僕は思っています。

 「小説家になろう」は、異世界ものにジャンルが偏っていまして、多様性があまりありません。もし仮に、“「小説家になろう」=異世界もの”なんて印象を世間の皆さんに抱かれてしまったなら、まるで一発ギャグが飽きられるとともに消えていくお笑い芸人のよーに、異世界ものが飽きられると同時に寂れていってしまう危険性があります。

 だから、ジャンルの多様性を広げようってことなんじゃないでしょうか?

 まぁ、もっとも、“異世界もの”って意外にしぶといジャンルなんじゃないかとも僕は思っているのですがね。「実は“異世界もの”って物語の基本なんじゃないのか?」っていうくらいに、異世界をテーマにした作品って遥か昔から人間社会にたくさんあるものなんですよ。

 誰でも知っていると思うので日本昔話を例に取ると、“かぐや姫”は月の世界の住人という異世界との邂逅の物語と解釈できますし、“桃太郎”は異世界からやって来たヒーローが、鬼ヶ島という異世界に鬼というモンスターを倒しにいく物語ですし、“浦島太郎”は竜宮城という異世界へ行く物語です。

 異世界関連の物語が非常に多い理由を、民俗学者達は、政治的な観点から説明していたりします。支配者側の人間が、異世界という“外”の世界を描くことで、社会の統治に利用しようとしたとかなんとか。

 これは一面を観れば正しいのだろうと僕は思っています。ですが、「もっと生物学的な観点から説明可能なんじゃないのか?」とも考えていたりします。

 生活範囲を広げるというのは、“生物の生き残り”の上で重要です。食糧の量には限界があるので、ある程度繁殖してしまったなら、別天地を目指さざるを得ないからですね。そのような行動を促す為、異世界へ憧れる本能が人間には組み込まれている可能性だってあるのじゃないでしょうか?

 実際、アフリカで誕生した人類は、その生活範囲をどんどん広げ、現在では南極大陸以外の全大陸で生活しています。

 本能に組み込まれているからこそ、異世界ものというジャンルは、強いのじゃないかと思うのですよ。

 しかしそれでも「小説家になろう」の異世界ものへの偏りはちょっと驚くべきレベルかもしれません。少し前はもっと色々なジャンルがありましたしねー。一体いつの間にこうなってしまったのか、不思議なくらいです。

 それには或いは、“正のフィードバック”と呼ばれる現象が関係しているのかもしれません。

 これは入力(原因)が出力(結果)に影響を与える現象のうち、それを更に強めるように働くものをいいます。例えば、人が集まると様々な点で有利になるので、より人を集める力が強くなります。それが繰り返されるうち、都市が形成されます。

 もしかしたら、「小説家になろう」でもこれと似たような現象が起こったのかもしれません。

 異世界ものを好きな人が、「小説家になろう」でならたくさん異世界ものを読めると考え、集まるようになる。すると、読者がいるって事で、異世界ものの書き手が更に「小説家になろう」に集まるようになり、それが更に読み手を集めるようになった……

 このような現象が繰り返し起こると急激に変化を引き起こしますから、比較的短期間でそれが起こったように思える点も説明できます。

 一応、断っておきますが、別にそれが悪いって言っている訳じゃないんですよ? これはただただ原因に対する仮説を述べているに過ぎません。

 

 ただし、この“正のフィードバック”によって起こる「あるタイプの人々の集中」が、社会問題になってしまうケースもあるにはあるのですがね。

 

 少し前、日本でもニュースになっていたアメリカの“Q”って知っていますか?(ストリートファイターのキャラクターじゃないですよぉ。知っている人、そんなにいないと思うけど)

 この“Q”は、トランプ大統領の熱烈な支持者を自称していて、トランプ大統領はこの世を支配している富裕層に立ち向かう為に現れた救世主だとかそんなトンデモにしか思えない陰謀論を唱えています。

 そして更に驚くべきことに、この“Q”には熱烈な賛同者が数多くいるのだそうです(話題になっていたのは少し前なので、今でもそうなのかは知りません)。

 現代社会の問題点の一つに、フェイクニュースが大して検証もされずに信じられてしまうというものがありますが、これはその典型例でしょう。因みに、フェイクニュースの正体の少なくとも一部は、広告収入の為にアクセス数を増やそうという好ましからざる連中の仕業だとされています。或いは“Q”もそうなのかもしれません。別にトランプ大統領を支持している訳じゃなく、トランプ大統領支持者が好みそうな嘘を流して、その支持者達にページを観てもらおうとしているだけなのかも。

 いえ、詳しい事情は何にも知らないので、全然違うのかもしれないのですがね。

 このような現象が起こってしまうのは、フェイクニュースを信じる人達が、“正のフィードバック”によって一部に集まって、情報を共有してしまうからでもあるしょう。

 そしてこれには“デイリーミー現象”も関わっているのではないかと思われます。

 これは、“ある種の人達が、自分達にとって都合の良い情報ばかりを自分達の間で流し合い、それ以外の情報をシャットアウトしてしまう事で、思想が以前よりも偏っていってしまう現象”のことです。

 権力者側が、国民をコントロールする為に情報統制を行うというのはよく言われる話ですが、誰も何も情報統制していなくても、人々の間での相互作用によって、勝手に統制されているような状態にどうやらなってしまうようなんです。

 これ、ちょっと問題ですよねぇ……

 その昔、ネットが普及しさえすれば、人々は平等に偏りのない情報を受け取れて、適切な判断が下せるようになるやも…… みたいな事が言われていたんですが、どうやら夢物語だったようです。

 これは他人事なんかじゃなくて、この日本でも充分に心配される話でしょう。マスコミをも巻き込んで、情報が偏っていってしまうなんて現象が既に起こってしまっているかもしれません。

 ちょっと一例を出しましょう。

 韓国の徴用工問題って知っていますよね?

 戦時中に無理矢理日本企業によって働かされた韓国の労働者達が、日本企業に対して賠償をしなくてはならないと韓国の最高裁判所が判決を出してしまった問題です。

 一見すると、まるでもっともな判決のように思えますが、実は日本は既に韓国に対して賠償金を支払っていて、賠償責任があるのは韓国政府のはずなんです。それなのに、何故か韓国の最高裁判所は日本企業に対して賠償金の支払いを命じてしまった。

 これは日韓の間で半世紀にも渡って守られて来た約束を反故にしたって話でもありますから、日本からしてみれば「おいおい、そりゃ、ねーだろ、韓国さんよ」ってな話になる訳ですよ。

 これを僕が知った第一報は、「韓国政府が最高裁判所に対して、このような判決を出すように促した」というものでした。

 それで僕は「なるほど。韓国の文政権はちょっと困ったもんだな」と思ったんです。

 いえ、従軍慰安婦問題がむし返された時に、「裁判所の方が韓国政府に対して問題の解決を命じた」という報道を観たからなんですがね。韓国の裁判所ってどうも国民の人気によって判決内容が変わってしまうらしいのですが、韓国に遵法精神がない一例として、それが取り上げられていたんです。

 当時、親韓派のNHK(飽くまで“当時”ですよ? 今はどうだか知りません)が、この問題で韓国批判をしていましたから、僕はその内容を信じました。

 ところが今回は裁判所主導じゃなく、政府主導っていうじゃありませんか。

 が、しかし、それからちょっと経って、今度は「三権分立があるから、韓国政府は裁判所の決定には逆らえない。その事情を汲み取らなくてはならない」みたいな話が出て来たんですね。しかも、日本人の有識者の一部からも似たような主張があった。

 「え? 徴用工問題は、韓国政府主導じゃないの?」

 って、それで僕は困惑しました。

 「さて、一体、どっちが正しいんざましょ?」ってなもんですよ。

 ネットで検索してみても、信頼のおけるソースが見つけられなかったので、僕はそれについての判断を保留にしました。

 (あ、ここでちょっと注意点です。

 時々、分かっていない人がいますが、情報不足時の正しい判断は「分からない」です。決めつけてはならない。そうじゃないと、判断を誤ります。ちゃんと気を付けていても判断を誤ってしまうことはよくありますが、それがもっと酷くなってしまいます)

 でもって、つい最近です。

 ようやく信頼できそうな情報を見つけました。

 どうやら、第一報の「徴用工問題は、韓国政府主導」が正しかったようです。

 辛坊治郎さんの『大マスコミが絶対書けない事 この本読んだらええねん 光文社』って本(タイトル長くないですか?)の中で、徴用工賠償命令の最高裁判決を出した判事は文政権が送り込んだ人物って説明されてあったんですよ。まぁ、つまり、判決は韓国政府の意向だったってことです(辛坊治郎さんが間違っていたら、アレですけども)。

 三権分立を尊重も何も、そもそも徴用工判決自体が、三権分立を壊した結果出された判決なんですね。もし三権分立を尊重したいのなら、韓国政府の影響を取り除いた状態で裁判のやり直しをしなくちゃダメでしょう。三権分立は、韓国政府を庇う理由にはなりません。

 ただ、ですね。

 これ、一般の韓国人にも当てはまる内容なんでしょうか?

 いえ、すいません。

 僕は韓国についてそれほど知りません。随分前に、「少しは知っておかなくちゃ」と思って、図書館で見つけた本を一冊読みましたが、ぶっちゃけ、その内容もあまり覚えてはいません。

 だから、“分からない”のですが、実際問題、韓国ってどこまで反日なんでしょうか?

 いえ、すいません(何故か、何度も謝る僕)。

 もし、日本企業に対して賠償を命じたこの徴用工判決で、文政権の支持率が回復したなんて話があったら、そりゃ一般の韓国人に対しても「おいおい、ちょっと待て」って話になるんですが、僕はそんな話を知りません(僕が知らないだけかもしれませんが)。

 軽くネットの記事を読んでみた限りでは、一般の韓国の人達はこの徴用工問題にそれほど関心がないとされていました。もちろん、それだって何らかの目的で歪められた偏った情報である可能性もあるので、簡単に信用する訳にはいきませんが、韓国人の日本への旅行が増えていたり、日本食ブームだったりと、反日とは思えないようなエピソードは確かにあるようです。

 更に言うと、この日本企業への賠償金の支払いを命じた判決を受け、元徴用工1100人が、日本企業ではなく、韓国政府を提訴したなんて事件も起こりました。既に韓国に賠償金を支払ったという日本側の主張が正しいのならば、この行動は大いに納得できます。

 だって、徴用工に支払われるべき賠償金をちょろまかした盗人は韓国政府なんですよ? その盗人である韓国政府が、責任を日本企業へと押し付けようとしている。感情を逆なでするのは当然でしょう。

 日本企業を訴えた元徴用工がたったの4人だったのに対して、文政権を訴えた元徴用工は1100人。数も桁外れに違います。

 これを見る限りにおいては、少なくともこの徴用工判決に関して言うなら、一般の韓国の人達は日本の敵って訳じゃないように思えます。

 これ、日本の一部の方々の認識とかなり違いませんか?

 何度も繰り返し断っていますが、僕は韓国についてそれほど詳しく知りません。だから、僕の得た情報が印象操作等をされている可能性はあります。

 が、少なくとも「日本の一部の人達は、公平に韓国に対する情報を集めようとはしていない」とは言えるのじゃないかとは思っています。

 基本的に、情報は疑ってかかる必要があるって頭に叩き込んでおきましょう。

 

 そして、この「ネットが普及したからといって、社会の中を平等に情報が巡る訳じゃない」という問題は、専制主義国家がこれからどうなっていくかを考える上でもとても重要であるはずです。

 

 中国という国があります。

 まぁ、説明するまでもないかもしれませんが、この国は建前上は今でも共産主義を名乗っていますが、少なくとも経済面では資本主義を受け入れました(ま、そもそも、共産主義経済理論なんてものは存在していないのですがね)。そして、政治面でも、共産主義と言うよりは専制主義と言ってしまった方が正しいでしょう。

 共産主義国家を名乗る国はかつて多くありましたが、すぐに滅びてしまったり、専制主義や独裁政治に堕してしまったりで、今では消えてしまったと考えるべきだと思います。

 さて。

 その中国の最大の特徴は、なんと言ってもその規模の大きさでしょう。広大な国土と莫大な人口を抱えています。これは間違いなく脅威なのですが、同時に弱点でもあります。

 専制主義であるからこそ貧富の差が激しく、その格差が不満となり、体制を維持できない程の状態に陥ってしまう危険性があるからですね。

 そして、インターネットという情報を高速広範囲に伝達してしまう道具は体制維持の邪魔になるはずなんです。体制側にとって不都合な情報が、一気に拡散してしまうかもしれない。

 だから僕はずっと前からその点に注目をしていたんです。「果たしてどうなるのだろう?」と。ところが、驚くべきことに、深刻な問題はまだあまり発生していません(いや、ま、色々と事件は起きていますがね)。

 中国が莫大な予算をかけて、総監視社会と呼ばれる程の徹底的な監視体制をつくり上げている点は知っていましたが、それにしたってこれは凄い事です。中国ってこういう面での能力は本当に高い(高くなくて、良いのに……)。ただ、これには本当の貧困層はネットを使える環境にはないだろう点も影響しているだろうし、先程述べた自然に起こってしまう情報の偏りに助けられたという一面もあるはずです。

 最近では中国は監視カメラ及びにAIまで使って人間の信用力を判断していますが、これ、ほぼ間違いなく体制に背く人間の監視も行っていますよね?

 既にSFにでも出てきそうなディストピアが現実化しちゃっている感じです。

 が、しかし、ですね。

 それなら中国の体制がまったく安泰なのかと言えばそれも違うのじゃないかと僕は思っています。

 専制主義ならではの不効率と言うか、余計な負担を増やしてしまう問題点は確実に存在していて、それが国全体の足を引っ張ってしまってはいるでしょう。

 分かり易い例を挙げます。

 “一人っ子政策”って知っていますよね? 人口の増加を抑える為、かつて中国では子供を一人しか生んではならないという法律があったんです(その影響で、経済が成熟する前に高齢社会になってしまうという深刻な問題もありますが、今回はその話ではありません)。そして、本当に一人しか子供を産んでいないか監視する為にある「中国計画出産協会」という組織が中国にはあるんです(強制的に堕胎させたり、罰金を課したりと、色々と悪い噂のある組織なんですがね)。

 ちょっと前に、この一人っ子政策は廃止されました。中国でも高齢社会問題が深刻だからでしょう。ところが、それでも出産制限は残ってしまったんです。

 何故なのか?

 もし仮に、出産制限を完全に撤廃してしまったなら、中国計画出産協会の仕事がなくなってしまいます。数が膨大なので、その影響は計り知れません。そこで出産制限を残し、彼らの仕事がなくならないようにした…… なんて疑いがあるのだそうです。

 これが本当だったなら、中国は自ら首を絞めています。別のもっと有意義なことに労働力を回した方が絶対に良いに決まっています。彼らに支払われる労働賃金は社会全体の負担になっている訳ですし(と、思って久しぶりに検索をかけてみたら、今後は完全に出産制限を撤廃し、元中国計画出産協会は反対に出産奨励を行うようになるなんて記事が出てきました。ただ、どちらにせよ、あまり良い労働力の使い方ではないでしょう)。

 こんなのはほんの氷山の一角に過ぎず、専制主義国家ならではの意味のない負担増はまだまだたくさんあるはずです。凄まじい資源を無駄遣いし、中国バブル経済が生み出してしまった“高級ゴーストタウン”なんてものもありましたしね。

 しかも、中国は近年に入り、かなり労働賃金が高くなってきました。ちょっと仕事関係で小耳に挟んだのですが、それで中国(と韓国もらしいですが)を避けている会社があるそうです。今後、中国から撤退する企業はもっと増えていく可能性はかなり高い。安価な労働力というアドバンテージがなくなった中国の今後は、予断を許さないと言って良いでしょう。

 アメリカとの貿易戦争もどうなるか分かりませんし。

 

 ただ、こういった“国”が原因となって発生してしまう無駄…… 社会的負担は何も専制主義国家ばかりにある訳じゃありません。

 国民からの抑止力が働きにくいので、より深刻なだけで、民主主義のこの日本にだってもちろんそれはあるんです。

 

 現在(2019年5月)、日本では高齢ドライバーによる事故が数多く起こっていますね(他の年齢のドライバーも事故を起こしていますが)。その事で高齢ドライバーに対し「免許を返納しろ!」という批判が起こっています。これに一理ある点は否定できないと思います。

 ですが、それでもそういった声を聞く度に、僕は複雑な気持ちになるんです。

 何故なら、“自動ブレーキ”を普及させたなら、こういった痛ましい交通事故は防げていたかもしれないからです。

 検索をかけると直ぐに記事が出てきますが、2016年の段階で、既に交通事故を60%も削減できたというデータがあります。

 「自動運転はちょっと一足飛びに過ぎるにしても、それなら自動ブレーキだけでもまずはもっと性能を伸ばし、普及させたら良いのじゃないか?」

 この話を聞けば、誰でもそう思うでしょう。

 ところがどっこい、なんとその自動ブレーキの普及に待ったをかけているのは国交省のようなんです(これも検索をかけるとすぐに記事が出てきます)。

 国交省は信号機と車との連動での自動ブレーキ機能の実現を図っていて、それには莫大な予算が必要になります。当然ながら、その計画によって利権団体を産み出せる訳で、それは天下り先の一つになります。つまりは、国交省にとって金になるんです。

 しかし、車だけで高度な自動ブレーキ機能を実現されてしまったなら、この計画がおじゃんになってしまいます。だから国交省はそれを邪魔をしている…… と言われています。

 自動ブレーキを普及させなかったなら、交通事故の犠牲者が出るのは分かり切っている訳で、ならばこの国交省の態度は、“未必の故意”に当たるのじゃないでしょうか?

 防げる事故を、防いでいない。

 簡単に言っちゃえば、ある意味では、交通事故の本当の犯人は、国交省であるとも表現できるって話です。

 さっさと自動ブレーキの性能のアップし、普及させていたなら、一体、どれだけの数の命が救えていたのでしょう?

 許しておくべきじゃないと僕は思います。

 その昔、厚生労働省が、天下り先確保のために、国民にエイズウイルス入りの血液製剤をばら撒いてしまったという信じられない事件がありましたが、今でもあまり変わっていないのかもしれません。

 と言うか、酷くなっている?

 更に付け加えておくと、世界で最も早く自動ブレーキ機能を開発したのは、実は日本企業らしいのですが、国交省の邪魔によって開発をストップさせられていたことで世界をリードできませんでした。国交省の所為で、大きなビジネスチャンスを逃してしまったってことになります。

 もちろん、ネットの記事で知ったこの内容が間違っている可能性もありますが、辛坊治郎さんのエッセイでも何度も似たような内容が出て来るので、恐らくは正しいと僕は判断しました。

 そして、更に怖い事実があります。

 今現在、国際的には自動ブレーキ機能の義務化まで話が進んでいるのですが、にもかかわらず、これだけの事故が起こっている最中なのに、何故かニュース番組でこの話が取り上げられたのを僕は見た事がないんです。

 「この事故、自動ブレーキで防げていたんじゃないの?」

 って、似たような事故が起こる度に僕は思っているので、ニュースの内容をよく注意していたのですが、防ぐ手立ての案として自動ブレーキが出て来ないのですね。唯一見つけたのは、自動運転技術を学んでいる学生の声として紹介されたものだけです。

 これ、おかしくないですか?

 2016年度の世界報道自由度ランキングで、日本が72位だった時、ちょっとばかり話題になっていましたが、2019年度の世界報道自由度ランキングでも相変わらずに67位と政治汚職が深刻な韓国よりも低く、“顕著な問題がある”とされています。

 (このニュースからして、そもそもあまり報道されていませんが)

 もしかしたら、情報が規制されちゃっていませんかね?

 先程の自動ブレーキの義務化には日本も賛成しているのですが、もしかしたら、日本政府はまだ交通インフラがこれに入る余地を残そうと画策しているのかもしれません。その手段が固まるまでは、車だけで自動ブレーキ機能を充分なレベルにする訳にはいかないと、報道に規制をかけている。

 飽くまで想像ですがね。

 

 報道規制と聞いて、信用しない人もいるかもしれませんが、報道規制されている国の人間はその自覚がないのが普通です。自覚があったら、それは報道規制が失敗しているって事ですからね。そして、実際、人権擁護法案、特別会計といった有名な事例があり、特に原子力発電所関連は、原子力コストの嘘、ドライキャスク、フランスの原発縮小等々、報道規制ではないかと疑わしき事例が数多く存在しているんです。

 そして、つい最近もそんな事例の一つがありました。

 

 以前、僕は原発のテロ対策について調べていた時期があったんです。働きながらですから、それほどの時間は割けませんでしたが、それでもニュース記事はもちろん安全基準について書かれたファイルまで読んだのを覚えています。

 その中で“外部冷却装置”というものが出てきました。正直言って正体不明で、何の事やら分からなかったのですが、大型の放水機の画像がありましたし、テレビ番組では実際に放水している映像まで流していたので、恐らくはその通りに大型の放水機のことなのだろうと僕は予想しました。

 ところが、つい最近のニュースでは放水機という説明はなく、遠隔操作で冷却を継続できる装置で、未だ完成に成功したケースはないとされていたのです。

 「なんじゃ、そりゃ?」って、それを聞いた瞬間、僕は思いましたよ。

 もしかして、どんな設備にすれば良いのか見当もつかないから、放水機のような画像や映像を出して誤魔化していたって事ですかね?

 もし、そうなら到底受け入れられない話です。

 しかも、です!

 このテロ対策の為の設備、原発稼働から5年の猶予を与えられていたとあるじゃないですか! それで、猶予期間が迫っているので原発を停止しなくちゃいけないとかなんとか。つまり、今の安全基準が仮に守られていても怪しいのに、それにすら達していない状態で、これまで原発は稼働されていたって事です。

 もし仮に、僕が見逃していたのなら謝るしかありませんが、以前、調べた時にはそんな話は少しも出てはきませんでした。小泉元首相が原発に反対しているのは有名な話で、日本の原発のテロ対策の脆弱性にも言及しているのですが、この「5年の猶予」の話題について触れたものを僕は読んだ事がありません。実行はされなかったもののベルギーでテロリストが原発も標的の一つとしていたなんてニュースが流れましたが、その時も日本のテロ対策について触れられてはいませんでした。

 いかにも「テロ対策の設備も完成していない状態で日本の原発大丈夫なのでしょうか?」とかなんとかニュースキャスターやなんかが言いそうなのに。

 一体、どうなっているのでしょう?

 素直にこれを想像するのなら、テロ対策をしていないまま原発を稼働させるなんて報道をする訳にはいかないので、その情報を隠蔽したってなるのじゃないでしょうか?

 その国民を舐め切った態度には恐怖と怒りを覚えますが、それ以上に安全意識に対する鈍感さには悲劇を通り越して喜劇的な印象すら僕は受けます。

 当時…… いえ、今でもテロ組織の活動は活発ですし、何より日本の近くには北朝鮮というちょっと何をするか分からない国があるんです。

 “大韓航空機爆破事件”って知っていますか? これは北朝鮮がソウルオリンピックを妨害する為に行ったとされるテロ行為です。航空機を爆破しちゃったのですね。その他にもいきなり韓国に砲撃を開始したり、日本人を拉致したり、最近ではトップが自分の実の兄を毒殺したりと、はっきり言って正常な国とはとても言えません。

 そして、そんな正常とは言い難い国である北朝鮮の工作員がこの日本にたくさん潜伏しているという不安があるんです。そんな状況下で、テロ対策もしないまま狙われたら国が半壊しかねない原発を稼働させているって、ちょっと有り得ない話だと思うんですが。

 (ま、今回、公表した上で停止させようとしているってことは、流石にまずいと思ったって事なのかもしれませんがね)

 まだ、似たような話はあります。

 最近になって外国人労働者の受け入れ強化を国はし始めましたが、原子力発電所でも外国人労働者を採用するというのです。

 原発で働く労働者が、何重にも中間会社を経ているって話を知っていますか? 僕がこれを知ったのは数年前ですが、改善したなんて話は聞かないので恐らく今も同じなのじゃないかと思います。この状態は非常に問題で、実際に原発で働いている人が何処の誰なのか分かり難くなってしまうんです。

 (IT業界でも似たような話があるので、僕はよく知っているのですが。あるインド人が「入国管理局に行く」と、言って休んだきり、二度と出社して来なったり…… どーなったんだろう?あの人?)

 つまり、原発で働いている人の正体が実はテロリスト(または工作員)だったなんて事も起こってしまうかもしれないって話です。

 こういう事を書くと、差別を助長してしまいかねないので嫌なんですが、外国人労働者を雇うことで更にその危険性が上がってしまうかもしれません。

 大丈夫なんでしょうか?

 ……と、思っていたら、つい先日のニュースで、原発で外国人労働者を働かせることを当面見合わせるという話が出ていました。

 流石に危機感を抱いたのかもしれませんね。

 分からんけど。

 因みに、原発で外国人労働者を採用する理由は、労働力不足だそうです。実は数年前に僕はこれを予想していて、“原発のメリットデメリット”ってエッセイにもそれを書いていたりします。

 高齢社会ですからね。

 当然、そうなるのじゃないかな? と。

 因みに「当たったのに、誰も褒めてくれないなぁ……」と思って、その“原発が労働力不足”ってニュースが出ていた時期に久しぶりにそのエッセイのアクセス数を調べてみたら、ちょっとだけ上がっていました。

 少しは評価してくれた人がいたのかも……

 

 さて。

 高齢社会での労働力不足が問題なのは、何も原発に限った話ではありません。日本社会全般の問題点だと思ってくれてかまわないと思います。

 しかし、ここに一つ朗報があるですね。

 まぁ、知っていると思いますが、ここ最近でAIに代表される機械化の急激な技術発達があって、その普及を行ったなら、労働力不足を解消できるのかもしれないんです。

 

 「――機械に職が奪われる」

 そんなニュアンスで、機械化の進展が受け取られているケースもあり、その所為で大失業時代を迎えるのじゃないかと考えている人達がいます。

 ですが、これには反論があって、「機械による自動化で労働力が余ったのなら、新たな仕事が生まれるので心配いらない」と主張している人達もいるんです。

 さぁ、どうなるのでしょう?

 僕は個人的には「それは、どうなのかな?」と思っています。現在の技術や文化では、既に商品への需要は飽和状態を迎えている可能性の方が高いのじゃないでしょうか? なら、もし言われているような機械化が本当に起こったなら、それを受け入れられるだけの労働市場が直ぐに生まれるというのは、いくらなんでも楽観的に過ぎる気がします。

 また、「機械化すると言っても完全に機械化する訳ではなく、“機械+人”の組み合わせで仕事をするようになるんだ」という主張もあります。僕はこれについては詳しくなかったので、

 『人間+マシン AI時代の8つの融合スキル 東洋経済』

 という本を読んでみたのですが、確かに機械との協働で労働需要がある点は確かなようですが、それで全ての労働需要を満たせるという根拠は何も示されてはいませんでした。

 つまり、どれくらいの規模かは分かりませんが、機械化によって失業者が発生する可能性はありそうだよってな話です。

 ただ、これ、もちろん、裏を返せば、機械化で労働力不足問題を解消できるって話でもあって、高齢社会を迎えて労働力不足に苦しんでいる日本にとっては都合が良いのです。生産性が伸びて、一人当たりの労働賃金が上がれば、年金問題をも解決できるやもしれません……

 んが、ところが、ですね。

 実は日本はAIの後進国と言われているのですよ。

 そして、最早ロボットでもそれほど進んでいるとは言い難い状況です。

 労働力不足の日本では、機械による自動化が必要とされているのに、その日本で機械による自動化関連の技術発達が遅れているんです。どうも、かつての成功体験にしがみついてしまって、民間でもその発想が生まれ難くなっているようです。

 このままでは絶対に駄目です。

 なんとか打開しないと。

 民間でその動きが鈍いっていうのなら、国が動いて促してやらなくちゃいけないはずですが、こっちもとても鈍い。

 いえ、それどころか、もしかしたら、国が邪魔している疑いすらもあるんです。

 国が当てるAI等への研究予算はとても少ないらしいですし、先程、自動ブレーキ機能を国が邪魔している疑いがあると述べましたが、これが自動運転でも似たような事情があり(と言うか、ほぼ同じ話ですが)、やっぱり邪魔しているかもしれないんですね。

 先程述べたようにこれについては辛坊治郎さんが何度もエッセイで書いているし、ネットでもそんな説を訴えている人がいるのですが、GPS及びに、道路に電磁誘導線を埋め込んでそれを車が探知して走るという、つまり交通インフラありきの自動運転を国交省は計画しているようなんです。これが実現できれば、やはり利権団体…… 天下り先ができますね。

 国交省としてはそれが欲しい。

 その為には、車の力だけで自動運転車なんて実現されてしまう訳にはいかない、だから邪魔をする…… と、どうやらそんな理屈のようです。

 先程断った通り、自動ブレーキの話と一緒です。

 一応断っておきますが、現在、日本に更なる交通インフラを整備するだけの膨大な資源を割けるような余裕なんてありません。財政問題が厳しいですし、様々な公共設備が老朽化していて、造りなおさなくちゃなりませんから。しかも、そんな事業に力を入れていたら車の技術発達を阻害してしまうので、ビジネスとしてもイケていません。世界的に既に自動運転実用化まであと一歩のところまで来ていますが、それを取り入れる事での労働力不足解消も難しくなります。

 今、物流業界は労働力不足に苦しんでいますが、もし自動運転が普及したなら、その問題は一気に解決するんですよ。

 逆に失業が問題になりかねない程です。

 他でも自動化を進めたなら、やっぱり生産性が上がり過ぎてしまって、失業問題が深刻になるかもしれませんね。

 ――って、だから、さっきも書いたように、それが駄目なんだよってな話でもあるんですが。

 ただし、この事実を悲観する必要はありません。何故なら、解決方法はちゃんとあるからです。

 

 本当に機械に職が奪われてしまって、労働力が余るのであれば、その労働力を必要とされている他の分野に充てれば良いんです。

 

 プラスチックゴミ問題が、ここ最近、よく話題になっています。僕が子供の頃から問題視されていたのに、「おいおい、まだ全然解決に向けて進展していないのかよ、どららー」的な感は否めない訳ですが、とにかく、大問題です。

 ところが、これ、技術的には既に解決可能なんですよ。“自然界で分解するプラスチック”は製造可能で、コストさえかければ代替えはできるはずだからです。

 もちろん、その余裕がなければ無理ですが、もし機械化による自動化が進展したら、その余裕ができちゃいますよね?

 社会で上手くコントロールして、労働流動性を高めたなら、理論上はだから解決可能なんです。

 「別の種類の仕事をそんなに簡単にできるようになるのか?」って思いますか?

 ところがどっこい、実は日本企業はずっと昔からそれをやって来ているんですよ。終身雇用で、従業員をクビにしないのが当たり前だった日本企業は、技術者に営業の仕事をしてもらったりとか、労働流動性については既に実績があるんです。

 日本でできるんだったら、他の国でも可能なはずでしょう?!

 もちろん、これは他の様々な社会問題にも応用可能です。今現在、水産資源の獲り過ぎで、世界中の海で生態系が危機的に状況に陥っていますが、これを解決する為には養殖を基本とするしかありません。

 漁業っていうのは、ぶっちゃけ生産のコントロールをしていない猟と同じで、陸では遥か昔に牧畜への転換がなされたのに対し、海ではまだまだ自然界の動物を獲り続けるってことをし続けているんです。今後、発展途上国が経済発展をし続けて、その旺盛な需要のままに海の資源を獲り続けたなら、壊滅的な事態になるのは分かり切っているでしょう。

 だから、水産資源ビジネスの基本を“養殖”に切り替える必要があるんです。

 そしてその為にも、機械化によって余った労働力を養殖に割くという手段が使えるんです(一応、断っておくと、養殖はけっこうなスピードで普及しています。まだ充分じゃありませんけどね)。

 もちろん、それだけじゃなく、長期冷凍保管技術の発達や、情報技術を活用しての、物流の中間業者を省くといった取り組みも実施すれば、現実性が更に増します。

 あ、ちょっと説明しておくと、日本は特に多いと言われているのですが、物流には製造者と小売店の間を仲介する中間業者がいます。ま、問屋さんの事ですね。インターネットを活用すれば、これらの業者を省けますから、その分、商品が安くなるんです。

 え? 「そんな事をしたら、失業者が出てしまうじゃないか?」 ですか?

 安心してください。

 さっきと話は同じです。

 そうしたら、また、何らかの社会問題を解決できるような仕事をしてもらえば良いのですよ。

 そういった仕事はいくらでもあります。

 例えば再生可能エネルギーの普及だとか、児童虐待の防止だとか、医療介護福祉だとか。

 何? 「金がかかるじゃないか?」 ですか?

 それも安心してください。お金と資源は違います。資源は減りますが、お金は減りません。ただただ、世の中を循環しているだけです(だから、僕はこのエッセイ内で“金”って言葉を避けて、極力“資源”って言葉を使っていたのですがね。気付いた人いるかな?)。

 ま、もちろん、自由市場に任せたままじゃ社会問題を解決できるような有意義な場所で労働力を活用するなんて無理でしょうから、国に大いに指導力を発揮してもらう必要はあるでしょう。それでその為の新しい“通貨の循環場所”を創り出す必要はありますが、理屈の上では絶対にこれは実現可能です。

 通貨っていうのは循環している。その機能を動かす為には、まるで心臓が血液を巡らせて、手や足、胃や肺や脳を機能させているように、通貨を循環させてやらなくちゃならないんですが、国の立場であればそれが可能だからです。

 だって、税金を徴収して、通貨を巡らせ、警察や消防署、自衛隊などを国は機能させているでしょう? もちろん、僕が述べて来た事を実現させるには、民間もその流れに組み込まなくちゃいけませんから、同じやり方って訳にはいかないでしょうが、それでも同じ原理的でいけるはずです。

 さんざん貶してきましたが、国には優秀な能力を持った人がたくさんいるんです。その能力の使い方は間違っていますがね。それを正しい方向に使ってもらうよう、僕らは促さなくちゃならないんですよ。絶対に。

 

 因みに、これをもっと抽象的に表現すると、「無駄に使っている資源をもっと他の有意義な場所で使ってやろうじゃないか!」って話になります。

 そして、これはもっともっと他の話ででも同じ事が言えるはずなんですよ。

 

 世界全体の軍事費の総額っていくらか知っていますか?

 なんと、2016年で約1兆6860億ドルと推計されているんです(2019年5月 ウィキペディア情報)。

 先程述べたように、金額なんで、資源とは異なりますが、それでもこれはどれだけの資源が軍事に使われているかを示す参考値にはなります。

 そして、それだけの資源を他で有効に活用できたなら、世界中の飢えで苦しむ人々だって簡単に救えるし(飽くまで、参考値ですがその為に必要な額は1年間で980億ドル)、世界の砂漠化の進行を止められるし(参考値、87億ドル)、世界中の人達に基礎的な教育を受けさせる事だって可能なんです(参考値、60億ドル)。

 つまり、軍事にかけている資源さえ他で使えたなら、貧困問題も環境問題も大幅に改善が可能ってな話です。

 軍事なんてのは、ぶっちゃけ人間VS人間の問題でしかなく、物理的な限界がある訳でもなんでもありません。僕らの間だけで何とかできる程度の問題であるはずなんですよ。

 もちろん、これは原理的な話を言っているだけの理想論です。

 現実には人間は強欲で小心で直ぐに疑心暗鬼に陥り、他を支配しようとし、充分な自己コントロール能力を持ってもいません(僕も含めて)。軍事で使われている…… いえ、世界中の意味もなく無駄に使われている資源を他のもっと有意義なことに使おうなんて簡単にはできないでしょう。

 しかし、それでも、その為に行動をする事を諦めてはいけないと思うんです。

 

 『小説を書き、それを他人に読ませる』

 

 それはその為の手段の一つでもあります。

 小説とは、小さな説。個人的な説のことですからね。

 

 ところで「小説家になろう」という小説投稿サイトがあります。このサイト、とても人気があるのですが、ジャンルがある一部に偏ってしまっているんです。

 ちょっと残念ですね。

 たくさんの人に読んでもらって、世の中に良い影響を与える事こそが小説の価値であり役割でもありますが、そのままではそれを果たせそうにはありません。

 ところがですね。そんな「小説家になろう」にMBSラジオ短編賞という企画が立ち上がったのですよ。これにはどうも人気のないジャンルに光を当てようって狙いがあるようなんです。もしも、この企画が成功して少しはサイトに多様性を出せたなら、そんな小説本来の役割を果たせるようになるかもしれません……

 

 ――と、連想が一巡したところで、そろそろお開きにしたいと思います。

 それでは。

ちょっと実験的に書いてみました。

成功しているかどうかは分かりません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い書き方だと思います [気になる点] 起点となる文章や起承転、キーワードをもう少し統一すれば落語のように流れる文になるのではないでしょうか 題一つあたりの文章を減らすと読みやすくなると…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ