10話
本日2話目。
「やっ、久しぶりー。この前はなんかごめんね、取り乱しちゃってさ」
朱音さんと会ってすぐに、僕たちは結果を悟った。
ダメだったのだ、と。
「いえ、あの時は僕たちも無神経だったし」
僕はそれでも、普通を装って言葉を発する。ダメである可能性も十分考えていた。落ち着こう。まだ、今日は15日だ。
「いやいや。突然キレられてビックリしたでしょ? いやぁ、反省反省。えっと、またサイゼでいい?」
「はい。君もいいよね?」
「え、あ、うん」
彼女はあまり普通を装えてはいなかった。僕たちは微妙な空気を引きずったまま、サイゼリアに入店した。
例によって、注文はドリンクバーとフライドポテト。選んだジュースは、3人とも前回と同じだった。
「それで、今日はどんな用? あたしの遺書に誤字でも見つかった?」
朱音さんのノリはやはり軽い。それが、死を見据えることで、悩みを全て捨ててしまっているゆえなのかもしれないと感じた。
「やっぱり死ぬ気なの?」
そう訊くと、朱音さんの顔は明らかに曇った。これでは前回の二の舞だ。でも、ほかに何を言えばいいのかもわからない。
「君たちは、まだ、あたしの自殺を止めようって思ってるんだね。でも、ごめん」
小心者の僕は、その言葉に重ねる言葉を持たない。押し黙ってしまう。
「あたしさ、もう、壊れそうなんだよね。8月31日に死ぬんだって気持ちだけで、今日を生きてる。自分から出てる糸って、ずっと視界の中にあるからさ、この黒いの」
朱音さんは自分の胸の前で不自然に手を握った。そこにはきっと糸があるのだ。
「糸の色を変える。変えられる」
それは彼女の呟き。
「私たちは、糸の色は変えられるって朱音さんに!」
「変えられないよ。糸の色は、変えられない」
彼女は突如、僕の腕をとった。
「私たち、付き合い始めた」
「……へ?」
朱音さんはポカンとした顔になり、それから、僕と彼女の間にある空間を凝視した。
「残念だけど、君たちは緑だよ」
「赤い点々とか」
「運命の糸は単色って決まってるんだ。いや、でも。へぇ、付き合い始めたんだ。それって、あたしがキューピッドってこと?」
朱音さんは微笑んだ。その微笑みに、強く握れば簡単にひび割れてしまいそうな、脆い印象を受けた。
「赤になって、色は変えられるって」
彼女の声は弱々しかった。泣きそうに聞こえた。僕は自由な左手で彼女の頭を撫でた。それが僕の精一杯だった。
「ほんとにカップルなんだね。あっ、赤色で繋がってないからうまくいかないなんてことないんだよ。世の中には、運命の糸なんて繋がってない人と付き合ったり結婚したりしてる人もいっぱいいるから。
と言うより、半分くらいの人は運命の糸なんて1本も出てないんだよ。運命の人なんて、どの意味合いでも珍しいの。
それに、君たちから赤色は出てないから。きっとうまくいく。緑のカップルも、素敵だと思う」
付き合えば赤色が繋がる。そんなことはなかった。
「君たちは運命で繋がった親友で、努力で恋人にもなった」
そう言われてしまうのなら、僕たちがすべきだったのは。糸の色を変えるのに必要だったのは。
「糸の色を変えるには、親友ではなくなる必要があった」
親友のままに恋人になっても、それは運命のサポートを受けつつ、別の関係を自分で築いたに過ぎない。
「そんなこと。ねぇ、無理して絶交なんてしないでよ。その綺麗な緑色を消そうなんて思わないで。君たちの友情は一生モノ。今無理して離れても、あたしが死ねばすぐに元に戻る」
「僕たちのこの数日間は、無意味だった」
「あたしの自殺を止めるという意味では。でも、無意味じゃない。綿原くんには可愛いカノジョができたし、桜夏さんには優しそうなカレシができた。
そして、あたしにも素敵な思い出ができた。恋のキューピッドになるなんて、あたし、初めて」
僕も、彼女も、何のために。
「いいなぁ。あたしにも運命で結ばれた親友とか、いたらよかったなぁ。運命の友情。憧れる」
運命。結局、運命ってなんなんだ。このペアは親友。このペアは恋人。このペアは殺し合えって。ふざけんなよ。
でも、運命なんてないって、僕はそう言うことができない。もう、できない。
「本当はさ、8月1日に死ぬ予定だったんだ。でも、死ねなかった。海で、遺書と一緒に入水自殺って思ったんだけど、ダメだった。だから、31日に書き換えた遺書だけ流して、ちゃんと死ぬ方法を考えることにしたんだ。
あの失敗は苦い思い出だったんだけど、あれのお陰でこんな素敵な思い出ができた。最後にいいことがあったのは、運命からのせめてもの慈悲かな」
僕たちがしたことは、朱音さんが心置きなく死に向かうための下準備だったとでも言うのか? そんなのって。
「ごめんね。生きるって言ってあげられなくて」
なんだよ、これ。これじゃあ、僕たちにはもうどうしようもないじゃないか。1週間、的外れなことをして、それだけだった。なんだよ、それ。なんだよ。
「8月31日まで」
その声は、僕の隣から。僕の腕を掴んで、震えるその口から。
「8月31日まで、まだ2週間ある! 私は運命には負けない!」
すごいよ、君は。
本当に、彼女はすごい。小心者で、ヘタレで、どうしようもなく情けない僕とは違う。
「え」
朱音さんは涙が溜まった目をこすった。何度も涙を拭う。
「あぁぁ。そっかぁ。……ありがとう。ごめんね。なら、次は8月30日に会おっか」
朱音さんの笑う顔は、僕の心を抉った。この人に死んでほしくないと、その想いが込み上げる。
「あたし、今日は帰るね。ちょっと、やることできたから。また、ね」
朱音さんは、まるで死亡フラグでも立てるように去っていった。あたしは死ぬ気なのだと強調するかのように。
「どうしよう」
朱音さんが去っても、彼女と僕は手を握り合っていた。彼女の手は震えていた。
「目標を見失った感じではあるよね」
「どうしよう」
「やれることはあるよ。落ち着いて考えよう」
本当にやれることがあるのか。僕にはわからなかった。
「どうしよう」
彼女の目から、涙がこぼれた。
僕には彼女にかける言葉が紡げない。彼女を落ち着かせる言葉が、朱音さんを救える言葉が、自分を動かす言葉が、紡げない。
「死んでほしくない」
「うん」
「助けたい」
「うん」
「でも、どうすればいいのかわからない」
「……うん」
「どうすればいい?」
その場を沈黙が支配した。その時間は、永遠のように感じた。
*
「おはよ」
「おはよう」
キティに餌をあげるために、僕たちは10時に生物室に集まった。
昨日は何もできなかった。
僕たちに何ができるのか。何かできるのか。その部分からもう、わからなかった。
でも、残りの15日を無駄にするわけにはいかない。
「話し合おう。朱音さんをどうやって生かすのか」
「うん」
行動をしなくては、運命には勝てない。
「運命の糸の色は、変えられなかった」
「そうだね。君と僕は、運命に結ばれて親友になったけど、恋人になったのに運命は関係なかった。だから、運命の糸は赤くはならなかった」
どこまで運命が見張ってたかなんてわからないけど。僕たちが恋人になったのは、運命ではなく、朱音さんの力であることは間違いがないのだ。
「もう、直接介入するしかないと思う。朱音さんの家族に、両親と真凛さんに会おう」
「うん。覚悟を決めよう。間接的にどうにかするのは無理だった。だから、僕たちは朱音さんに直接関わる」
「そう。朱音さんは、私たちの関係を変えた。だから、私たちだって、朱音さんと真凛さんの関係を変えられる」
「僕たちはまだ、運命と戦える」
昨日打ちのめされた僕たちは、それでもみっともなく足掻く。可能性があるうちから諦めてたまるか。
「君、今回はヘタレじゃないね」
「そんなことない。内心ビクビクしてるよ」
でも、逃げない。逃げてはいけない。
それから僕たちは、朱音さんの家族に接触する方法を話し合った。朱音さんが、それをよしとするとは思えなかったので、その点を綿密に。
結論はなかなか出ず、一時中断してお昼ご飯となった時。
ほぼ無意識に確認したスマホの画面に映った、ネットニュースの見出し。
『鎌倉にて、女子校生飛び降り自殺』
僕の手は、そのニュースを確認していた。
僕の目は、その記事を映していた。
僕の頭は、その意味を理解していなかった。
『——神奈川県鎌倉市在住の葉月朱音さん(16)の遺体が——』
僕の意識は、そこで途切れた。