8.2話
完結後に加筆しました。
「先生、恋ってなんですか?」
「なんだ? 真剣な話って言うからついてきたのに、その意味不明な質問。倫理の課題か何かか?」
職員室で顧問を捕まえた僕らは、無理矢理に生物室へと連れてきた。とりあえず話す役は彼女に任せて、僕は関係ない感じで座っておく。……なんか、彼女に悪い気はするけど。
「私たち、真剣に悩んでるんです。経験者である先生の話を聞かせてください!」
「この場で恋バナしろって? なんだ? 新手の教員いじめか?」
顧問は完全に困惑した様子だ。いきなり「恋ってなんですか」と訊かれれば、困惑するのも当然。
「おい、綿原、お前のカノジョ何言ってんの?」
「えっと、わからないことは先生に訊くというのが高校生かなという結論に達しまして……」
その結論に達したのは、僕ではなくて彼女だけど。僕はなんとなく顧問の顔から目をそらした。
「それで恋って何かって。やっぱり教員いじめだろ! なに? お前ら、俺のこと嫌いなの?」
「先生のことを信用してるからこんな質問してるんじゃないですか。で、恋ってなんですか?」
「いや、なんなんだ、この状況?」
それから僕たちは、朱音さんのことは伏せて、付き合いたてだけど恋というものがわからなくなって云々という、なんともアレな状況説明をすることになった。
「お前ら、なに? バカップルぶりを俺に見せつけたいの?」
状況を把握しての顧問の第一声はそれだった。
「それとも、2人とも単にバカなのか? 勉強はできてもそういう話になると全然ってのを地で行くのか?」
「後者なんで、バカな私たちに恋とは何かを教えてください」
彼女がそう言って頭を下げた時の顧問の気持ちは、その表情から簡単に伺えた。こいつ、めんどくせぇ。そう顔に書いてあった。僕としては彼女のこういうところも、別に嫌いではないけど。
「いや、それを真剣に考えてる時点で、たぶん恋してるから大丈夫だって」
顧問はかなり投げやりにそう言い放つと、席を立ってこの場から逃げようとする。
「先生、もっとわかりやすく!」
「知らん! バカに付き合ってる時間は俺にはない!」
「暴言だー!! 教師が言っていいセリフじゃなーい!!」
「おい、綿原! お前はこいつよりは常識あるよな? いいか、カノジョの暴走はちゃんと止めろ。いいな?」
いや、僕が怒鳴られるのはちょっと納得いかない。……こいつよりはって、僕も常識ない認定?
「いや、無理ですよ。彼女が僕なんかに止められるわけないじゃないですか」
「なんか、私が超問題児みたいな話になってない!?」
「綿原、お前ならやれる。できる。頑張れ。頼む」
「せんせーい、なんか私の扱いひどくありませんか?」
「それを言う前に、自分が俺をどう扱っているかを考えろ。俺はなんでも答える便利な道具じゃない」
なんかもうぐちゃぐちゃだった。わかりきっていたことではあったけど、この顧問に訊いてみるという選択は完全に間違いだった。顧問が端的に恋を語ってくれるはずもなく、結局なんのために呼んだのかわからないまま、顧問は職員室へと戻っていった。
「むぅ」
顧問が逃げ出すと、残ったのは不機嫌さを隠すこともない彼女と僕の2人。隣り合って座ると、その不機嫌さがなんとなく伝わってくる、……どうすればいいんだ、これ?
「生徒の質問に答えないなんて、先生の風上にも置けない」
「いや、顧問の問題じゃなくて、質問の内容が悪かったんだと思うよ」
ここで顧問を悪し様に言うのは、さすがに悪い。しかし、僕が顧問を擁護するようなことを言うと、彼女はさらに不機嫌そうになった。
「なんだよぉ。君も私が非常識だったって言うの?」
「君の普通とは少し違うところ、僕は嫌いじゃないよ」
「やっぱり普通じゃないって思ってるんだぁ……。言っとくけど、君だって普通じゃないからね?」
「ねぇ、これ、罵り合いに発展するの? それ、嫌なんだけど」
「そういう変に冷静なところも普通じゃない! ……そういうところ、私も嫌いじゃないけど」
そんな感じに、なんとなく丸く収まったので、まぁ良しとする。
「ねぇ、君の嫌いじゃないって、好きってことだよね?」
「い、いや、えっと、どうだろ?」
盛大にキョドった僕を見て、彼女はクスクスと笑った。
「君に好きって思ってもらえるなら、非常識って言われるのも悪くないかも」
「うーん。僕だって、君が普通とズレてるから好きってわけではないと思うんだけど……」
でも、例えば爬虫類よりも哺乳類を可愛いと言うとしたら、それはやっぱり彼女ではないとは思う。僕の好きな彼女は、ちょっと変わった女の子であることは否定できないか。
「恋ってなんなのかなぁ……」
「わからないよ……」
「なんか、昨日までみたいに、とりあえず、こう、恋人っぽいこと? をすればいいって思ってる方が楽だったなぁ」
「まぁ、うん」
頷きはしたものの、そういう行為はそれですごく恥ずかしいし、楽ではない。
「ねぇ、またデートとかしようね」
「えっと、うん。それは、もちろん。うん」
「どこ行く? 朝はここに来るんだし、あんまり遠くは無理だよね。やっぱり、定番で江ノ島?」
「江ノ島か。近くに住んでるのに、小学生の頃以来行ってないな」
「私、実は行ったことない」
地元の観光地って、案外行かないものだ。江ノ島って何があったっけ? 江ノ島神社? 弁財天?
「昨日のデート、楽しかったよ」
「うん。……僕も楽しかった」
「これが恋かわかんないけど、私、君と一緒にいるの好き。他の誰といるよりも楽っていうか、安らぐっていうか、心地いいっていうか」
「僕も、君と一緒にいると基本的には安らぐかな」
「基本的には?」
彼女はこちらの顔を覗き込んでくる。そう、こういうところだ。
「……そういうことをされると、恥ずかしくて落ち着けない」
ニマァとにやける彼女から、僕は目線をそらす。
「君って、本当に可愛いよね」
「いや、別に可愛くはないでしょ」
「可愛いよー。だから、もっと赤くしたい」
「やめてください。……もうすぐお昼だね」
「そんなにわざとらしく話題変えるー? またお手々繋いで買いに行く?」
もう、なんか何を話題にしてもダメそうだった。僕は結局、また机に突っ伏してやり過ごすことにした。
「もう手を繋ぐくらいは慣れたら? ほらぁ」
彼女は無理矢理僕の右手を取ると、左手でギュッと握った。
「……無理だよ」
「そういう初心なところ、私、嫌いじゃないよ。……というより、好き」
狙ったように彼女は耳元でそう囁く。いや、絶対に狙ってる。僕は机に突っ伏したまま、彼女の口元から耳を逃す。
「ねぇ、私の顔見てくれないの?」
「本気で勘弁してください……」
「ほんっとうに可愛いなぁ。よしよし」
なぜか僕の頭を撫でる彼女。本当になんなの、これ? 彼女は何がしたいの?
「私、今、もしかしたら哺乳類は爬虫類よりも可愛いのかもしれないって思い始めてる」
「君の言葉とは信じられないよ」
「だって、君が異常に可愛いんだもん。君、実は爬虫類なんじゃないの?」
「当然ながら哺乳類だよ」
「そっか。なら、私と一緒だね」
戯言のやりとりをしているのに全然落ち着かない。いや、手を繋がれた上に頭撫でられているからなんだが、どうしてこんな状態になってるんだ?
「あの、解放してもらえませんか?」
「やだ。もっといじめてもっと赤くする」
「君、ちょっとおかしいよ? 落ち着いて?」
「ふん。昨日は私の方が照れちゃったから、今日は君を目一杯辱めるの!」
「……僕はお昼ご飯を買ってきます」
抑揚のない声をそう言って逃れようとするも、繋がれた手が離れない。
「一緒にでしょ?」
「君、10分後に一連の言動を思い出して、机に頭をガンガンぶつけたりしないよね?」
冷静にそう言ってみると、彼女は3秒ほどフリーズして、手を離した。
「……しそうな気がする」
「素直でよろしい」
「いや、君が可愛いのが悪い!! 全部君のせいだ!!」
「めちゃくちゃだよ……」
「もう。君は私から冷静さを奪わないように心掛けないとダメだよ」
「理不尽だ」
理不尽さに納得はいかないものの、彼女の異常行動はとりあえず止まった。僕たちは軽口をぶつけ合いながら、一緒にコンビニへと向かった。手は、行きは繋いでなかったが、帰りは彼女の方から繋いできた。「恋人ならやっぱりこれくらいはするもの」という一言を添えて。
「では、恋とは何か、第2部を始めます」
昼食を食べ終えると、無駄に真面目な顔で彼女はそう言い出した。
「まだやるの?」
「真面目テイストでいさせてください……」
彼女は先程までの自分の言動から逃避したいようだった。僕だってそれに異論はないので、おそらくはなんの結論も得られない話し合いにとりあえず応じる。
「恋とは何か。言葉の意味を調べるんだから、適する道具があるじゃないですか!」
「辞書で引くとか言わないよね……」
「さぁ、デジタル大辞典さんの答えは!」
謎テンションの彼女に促されるまま、彼女のスマホに表示されたその解説文に目を通した。
『特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「恋に落ちる」「恋に破れる」』
「……つまり?」
「うぅ……わかんないー!!」
「うん。こうなることはわかってた」
辞書で調べて、よし解決なんてなるわけがない。
「本で調べる、先生に訊く、辞書で引く、正攻法が全部ダメだった……」
なんか、そんな選択肢ばかりが浮かぶ彼女は今まで真っ直ぐに育ってきたんだなぁなんて、場違いもほのぼのしてしまう。
「私、試験勉強とか、達成すべきことを最初に全部書き出す人なんだよ」
「うん。それで?」
「この赤色になる作戦も、達成目標を自分で書き出したんだよね」
彼女は真面目なのだ。そう。真面目ないい子。うん。……真面目すぎてズレてるけど。
「でも、書き出したことって昨日までにほとんどやったんだよね。試験勉強だったら、これで目標達成、どんな問題が来てもだいじょーぶっ、なんだけど……」
「それでも大丈夫な気がしなかったから、目標の再設定ってことだったわけだよね」
「うん」
彼女が行為に重きを置いている気がしたのも、それらを目標として書き出していたからかもしれない。で、達成した結果が、「赤色ってこれだけじゃないのでは?」と。まぁ、その気持ちはわかる。
「結局、何がどうなったら赤色なの? もう、朱音さんにずっと横にいてもらって、いま何色?って逐一訊きたい」
「ジャッジするのは朱音さんの目だからね。僕たちが考えたところで、的外れな可能性は大いにあるわけだし」
「結局さ、私たちにできることって、思いつく恋人っぽいことを実践することだけ?」
きっと、その恋人っぽいことをするっていうのは、赤色になるための必要条件であっても、十分条件じゃない。それだけでは赤色にはなれない。
「そうなのかな?」
「私が思うに、赤色になるためには気持ちの在り方はすごく大事ではある」
「そうだろうね」
「でも、気持ちの在り方をどう変えればいいのかわからないし、気持ちなんて自由自在に変えられるものでもない」
「そうだね」
「だから、行動が気持ちを作る。これを信じよう!」
「つまり、もうわからないから考えるのやめようってことだよね?」
彼女の出した結論は、ある種わかりやすくて単純だった。感情なんて理解も制御もできないものは気にしないと。なんか、それで大丈夫なのだろうか……?
「よし。このままだと今日1日が無駄に終わっちゃう。この恋とはなんぞや論争は綺麗サッパリ忘れて、江ノ島! 江ノ島デートの計画を立てよう!」
若干の不安は残るものの、続けたところで何も結果を得られない議論を重ねるのは、僕としてもやめておきたかった。
「そうだね。そうしよっか。えっと、江ノ島って何があったっけ?」
「海!」
「いや、海ならすぐそこにあるから……」
「なんか、恋人で行くスポットがあった気がする! こういうのはGoogle先生の得意分野だよ!」
今日という1日は、そんな風に流れていった。無駄な1日だった気もする。でも。
恋とは何かなんて真剣に話し合うのも、案外赤色っぽいのかもしれない。




